龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十九の下 最終試験? 漢王劉邦

 

 

 次の日。

 蕭何(しょうか)が朝廷に出仕すると、すぐに劉邦が蕭何(しょうか)を呼んだ。

 

 劉邦は、陰気(いんき)()め息をこぼして言う。

「俺、最近ずっと夢見が悪くてさあ……

 親父やお袋や一族みんなのことを思うと、なんだか気持ちが(ふさ)いでしまうんだ。

 一体いつになったら東に帰れるだろう? この漢に長くは住みたくないんだが」

 

 蕭何(しょうか)が言う。

「昔、(せい)の君主景公(けいこう)が狩場から帰り、宰相の晏子(あんし)に、こう言いました。

『このごろ、よく不吉な夢を見るので、気分が悪いのだ』

 

 晏子(あんし)が問いました。

『どんな夢をご(らん)になったのですか?』

 

 景公(けいこう)が答えるには、

『山に登れば虎に出くわす。(さわ)に入れば蛇に出くわす。そんな夢だ。これは一体どういう暗示だろうか?』

 

 晏子(あんし)が答えました。

『山は、もともと虎がいる所。(さわ)は、もちろん蛇の棲家(すみか)です。

 それらに出会うのは当然のこと。不吉だなどと心配するには及びません。

 

 ところで今、我が国には3つの不吉なことがあります。まことに気がかりでございます。

 我が君は、それが何だかご存知(ぞんじ)ですか?』

 

 景公(けいこう)が首を(かし)げます。

『いや、知らぬ。何のことか教えてくれ』

 

 すると、晏子(あんし)が指折り数えながら答えました。

『国に賢人がいるのに、そのことをご存知(ぞんじ)でない。これが第一の不吉。

 たとえ知っていても、その人物を用いることができない。これが第二の不吉。

 仮に用いたとしても、重役に抜擢(ばってき)しようとしない。これが第三の不吉であります』

 

 漢王様、あなたが悪夢を見たのも、賢士をふさわしい重役に任命していないからです。

 私は、いつも恐れております……項羽が范増(はんぞう)の計略を採用し、大軍によって西へ攻めてきたら、漢王様はどうやって防ぐおつもりか。

 これこそ、臣が日夜(うれ)えていることです」

 

 劉邦は、眉をひそめた。

「俺は、漢に来てからずっと、そこらじゅうから賢人を集めてきたぞ。

 国内に賢人がいるっていうなら、もちろん重く用いるよ」

 

 蕭何(しょうか)が言う。

「今、まさに、ここに大賢人がおります。

 しかし漢王様は、その人物を用いようとなさらない。

 これでは目の前にあるものを捨てて、わざわざ遠くのものを求めるようなもの。大きな誤りです」

 

 劉邦が言う。

「そんな大賢人が、どこにいるんだ? 相国(しょうこく)が推薦するなら、俺は必ず抜擢(ばってき)するぞ!」

 

 蕭何(しょうか)が言う。

「臣とて、推薦したいと思っております。

 しかし漢王様は、その人物が貧乏で身分が低いことを嫌い、重用なさらないのではないかと恐れております。もしそうなれば、その賢人はかえって失望し、去ってしまうでしょう。

 そんなことになれば、今後、諸国の名士たちが漢王様の元へやってくることはなくなってしまいます」

 

 劉邦が苦笑した。

「ずいぶん前置きが長いなあ。その大賢人ってのは、いったい誰のことだ?」

 

 蕭何(しょうか)は、床にこすりつけるように頭を下げて、こう言った。

「大賢人とは、すなわち淮陰(わいいん)の韓信です」

 

 劉邦は、驚いて目を丸くした。

「韓信なら、(けい)が前に2度も推薦したじゃないか。だから治粟(ちぞく)都尉(とい)抜擢(ばってき)したんだぞ。なんでそれを『用いてない』なんて言うんだよ」

 

 蕭何(しょうか)が言う。

「そのような官職では、韓信の才能を全て出し尽くすには軽すぎます。

 彼を大元帥の職に(ほう)じてくださいませ。

 そうすれば、韓信は長く漢に留まるでしょう。でなければ、また他国へ去っていくに違いない」

 

 劉邦は慌てた。

「いや、待て、待て、ちょっと待て。

 爵位(しゃくい)無闇(むやみ)に加えるべきじゃないし、俸禄(ほうろく)も軽々しく与えるべきじゃない。

 韓信は、この1ヶ月で2回も抜擢(ばってき)したんだぞ。これ以上は異例すぎる!

 

 それに、まだ韓信は、戦場で何の功も立てていない。

 それなのに、いきなり大元帥なんて大任に()かせたら、ここまで俺に従って苦労してきた大将たちは、俺の賞罰(しょうばつ)の不公平さに怒りだすだろう」

 

 蕭何(しょうか)が言う。

(いにしえ)より、聖帝(せいてい)明王(めいおう)が人材を用いるときは、その人物の適性に従って用い、能力を(はか)って職を与えるものです。

 

 韓信は他人に使われるべき人物ではない。軍の頂点に立つに相応(ふさわ)しい大才(たいさい)の持ち主です。

 今の漢王様の用い方は、小さすぎます。

 ですから臣は、しきりに推薦しているのです。

 

 これまで漢王様に従ってきた故郷(ほう)(はい)の大将たちは、もちろん大きな功労がありますが、才能では韓信に(およ)びません。

 彼らと比較していては、ことの軽重(けいちょう)を見失ってしまいます」

 

 劉邦は首を横に振った。

相国(しょうこく)、とにかく、しばらく待てよ。

 前に張良と別れたとき、張良が言っていたじゃないか。『()を打ち破る大元帥となるべき人物を探す。その人物を見つけたら、推薦して漢へ行かせる』と……

 

 とりあえず……そうだな。数ヶ月! 数ヶ月待て!

 その間に張良が推薦する人物が来たら、その人と韓信の才能を比べよう。それで、(すぐ)れている方を大元帥とする。これでどうだ?」

 

 

   *

 

 

 蕭何(しょうか)は、やむをえず丞相(じょうしょう)()に帰った。

 確かに、劉邦の言うことも道理ではある。

 だが、わずか数ヶ月を待つ間に、状況が致命的に変化しないと誰に言えよう。

 

 もとより項羽と劉邦の力量差は歴然である。項羽が気まぐれにやる気を出せば、漢など、たちまち潰される。

 

 劉邦は、自分がどれほど不安定な綱渡りをしているのかを、もうひとつ理解していない。

 国政を預かる身であればこそ、蕭何(しょうか)は、誰よりも強く危機感を抱いているのだ。

 

 その夜、蕭何(しょうか)は家に韓信を招き、酒を()み交わしながら、天下のことを議論した。

 

 桟道(さんどう)を出て三秦(さんしん)を平定し、()討伐(とうばつ)して六国を(たい)らげる……そのときどんな作戦で戦うかと問うと、韓信は真面目な顔をして言った。

 

相国(しょうこく)は、よく兵法(へいほう)に通じておられると思っていましたが、そんなことをお(たず)ねになるなんて、意外に核心部分をご存知(ぞんじ)ないのですな。

 兵を用いるときに大事なのは、機を見て動き、時に従って変ずること。戦いもしないうちから言葉で議論することはできません。

 

 (たと)えて言うなら、水が流れて形を変えるようなものでしょうか。戦いの流れの中で勝ち筋を見出(みいだ)す。ゆえに鬼神さえもその計略を予測することができない。

 たとえ父と子の関係であっても、作戦の要点を()らしてはいけません。

 戦場に(のぞ)んで、初めて妙計も浮かぶというものです」

 

 蕭何(しょうか)は、これを聞いて、ますます韓信への評価を高めた。

 それから2人は熱く議論を交わし、ようやく別れたのは、すっかり夜も更けた深夜のことであった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 劉邦には自分を重用する気がない。そう判断した韓信は一計を案じ、漢から東へと走り去った。

 それと知った相国(しょうこく)蕭何(しょうか)が、そして滕公(とうこう)夏侯嬰(かこうえい)が、稀代(きたい)の賢人を連れ戻すべく山道へ馬を走らせる。夜静かにして江寒く、山の()より月影ほのめく秋の夜。漢の未来を懸けて、良臣たちの人知れぬ奮闘が始まった。

 

 次回「龍虎戦記」第三十回

 『韓信、国士無双なり』

 

 ()う、ご期待!

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