龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十の中 韓信、国士無双なり

 

 

 一方そのころ。

 漢の朝廷では、劉邦と官僚たちが、ざわつきはじめていた。

 というのも、蕭何(しょうか)が朝廷に顔を見せないからである。

 

 真面目(まじめ)一徹(いってつ)蕭何(しょうか)が無断で朝議(ちょうぎ)を欠席するなど、これまで一度もなかったことだ。

 何かあったのではないか? と一同が気を揉んでいるところに、武将の周勃(しゅうぼつ)が駆け込んできた。

 

 周勃(しゅうぼつ)が、慌てた様子で劉邦に報告した。

「最近、漢王様に従ってきた大将たちの中に、故郷を恋しがって逃亡する者が多数出ておりますが……

 相国(しょうこく)蕭何(しょうか)が一人で(みやこ)から走り出て、もう2日も帰ってきていないそうです」

 

 劉邦は驚き仰天(ぎょうてん)した。そして怒った。(つば)を散らしてメチャクチャに怒鳴った。

蕭何(しょうか)は、(ほう)(はい)旗揚(はたあ)げした時からずっと俺に従ってきて、今まで片時(かたとき)も離れたことがなかった!

 他の逃げ去った大将たちは、招き集めて採用した奴とか、追いつめられて降参してきた(もと)敵将(てきしょう)とか、まあそういう、途中からついてきた連中だ。逃げていっても、おかしくない。

 

 でも蕭何(しょうか)は!

 俺と蕭何(しょうか)は、形の上では主君と家臣だけど、本当は父と子みたいな関係じゃないか!

 なんで今になって俺を捨てたんだよ、蕭何(しょうか)よぅぉー!」

 

 劉邦は、激しく動揺した。

 立っても座っても心が落ち着かず、食事も飲み物も(のど)を通らず、まるで自分の左右の腕を失ってしまったかのように、呆然としてしまった。

 

 そこへ、宮廷の門番が駆け込んできた。

相国(しょうこく)蕭何(しょうか)様、滕公(とうこう)夏侯嬰(かこうえい)様のお2人が、帰って参りました!」

 

 劉邦は、玉座から飛び上がった。

 顔の半分で喜び、顔の半分で怒り、とにかく大慌てで蕭何(しょうか)()し寄せ、蕭何(しょうか)の顔を見るなり、思いっきり声を荒げて(ののし)った。

「バカーっ! お前は俺に従ってもう数年、一度も離れたことがなかっただろ!

 他の大将が逃げていくのは分かる。でも、なんでお前まで逃げちゃうんだよ!」

 

 蕭何(しょうか)は、あくまで冷静に答える。

「臣は、長く漢王様に厚遇(こうぐう)していただき、この漢国の相国(しょうこく)となったのです。心変わりするはずがありません。

 臣が2日間、外出しておりましたのは、漢から逃げ去ろうとしていた人を追って、夜を日に()いで走っていたのです。

 全ては漢王様のため。天下平定の計略を実現させるためです」

 

 劉邦が、涙目で問う。

「追っていたって……誰を?」

 

 蕭何(しょうか)が答える。

淮陰(わいいん)の韓信」

 

 劉邦は、これを聞き……

「は……あーっはっはっはっは!

 ……って、ンなわけあるかあ!

 

 逃げた大将は今までたくさんいたが、お前は一度も奴らを追いかけたりしなかっただろ!

 それを、よりにもよって韓信なんか追ってたなんて。大嘘もたいがいにしろよな」

 

 蕭何(しょうか)は語気を強める。

「嘘ではありません。

 並の大将なら、逃げてもまた簡単に得られます。

 しかし……韓信のような賢士は、国じゅう探しても(ふた)りといない。

 

 韓信、国士無双なり!

 

 漢王様!

 もしあなたが、このまま漢中で老いて死んでいくおつもりなら、韓信が去るのを放っておいてもよいでしょう。

 しかし、もし項羽と互角に戦い、天下を(つか)みたいと考えておられるなら、韓信以外に適任者はおりません!

 

 漢王様がどうしても韓信を用いないと(おっしゃ)るなら、臣は、この(かんむり)を脱ぎ、辞職して故郷へ帰らせていただきます。

 後で項羽に負けて捕虜となるのは嫌ですからな」

 

 蕭何(しょうか)が初めて見せた強硬な態度に、劉邦は、大いにたじろいだ。

 そこへ、夏侯嬰(かこうえい)も加勢して、たたみかける。

相国(しょうこく)が申しあげたことは、まことに国家のためであって、私利私欲のためではありません。

 漢王様、どうか蕭何(しょうか)の忠言を聞き入れて、韓信を重く用いてくださいませ」

 

 しかし劉邦は、まだ納得していない。

「いや、ちょっと、冷静になれよ。韓信が議論するのを聞き、ちょっと才能があるのを見ただけで、そんなにも驚くことはないだろ?

 俺は思うんだけど、大元帥ってものは、とてつもなく重大な役職だ。国の安全も危険も、軍の存亡も、みんな大元帥の手にかかってくる。

 

 仮に韓信を大元帥に任命して、漢30万の軍勢を授け、70人の武将や文官を統率させ、韓信の命令を聞くよう全軍に告知したとしよう。

 それで三秦(さんしん)(くだ)し、項羽を破って天下を平定できたなら、そりゃあ、もちろん万々歳だ。お前たちが推薦したのは確かに正しかったってことになる。

 

 でももし、韓信が口先だけ上手くて実務力のない男だったらどうする?

 戦争が始まってから『やっぱり能力が足りませんでした』なんて言ってみろ。俺らが捕虜になるってだけじゃない、武将も文官も30万の兵士たちも、みんな殺されることになるんだぞ。

 その時になって後悔しても遅いだろ!

 俺が韓信を用いる気になれないのは、これが理由だよ。

 

 まして韓信は、自分の親が死んだときに葬式を出すこともできなかった。これは計略が無いからだ。

 淮水(わいすい)で釣りをしていたとき、漂母(ひょうぼ)に食べ物を(めぐ)んでもらった。これは能力が無いからだ。

 そして市場で荒っぽい連中の(また)(くぐ)って、故郷の人々にバカにされていた。これは勇気が無いからだ。

 3年間も()に仕えて、官位は執戟郎(しつげきろう)のままだった。これは(うつわ)が足りないからだ。

 

 昔の人も、『心の内に持っている物は、必ず心の外に形となって現れる』と言ってるだろ。

 韓信に本当に才能があるなら、自然とそれが外に見えてくるはずだ。

 もし韓信に大元帥の資格があるという徴候(ちょうこう)が見えたら、俺は必ず用いるよ。

 

 でも、中身のない言葉だけを聞いて、大元帥なんていう重要任務に抜擢(ばってき)することは、俺にはとてもできない。

 なあ蕭何(しょうか)、これは国のためだ。どうかこの理屈を考慮に入れてくれ」

 

 蕭何(しょうか)は首を横に振った。

「漢王様が(おっしゃ)ることは、一見(いっけん)しっかり(すじ)が通っているようではありますが、臣の意見は違います。

 

 孔子の生涯を思い起こしてくださいませ。

 (ちん)国と(さい)国の国境で兵に囲まれた時、食糧が尽きて孔子は()え苦しみました。これは能力が無かったからではありません。

 (きょう)の地では、別人と勘違(かんちが)いされて牢獄に入れられました。これは孔子に勇気がなかったからではありません。

 そして結局ほとんど活躍できないまま、孔子は老いて死んでしまいました。これは(うつわ)が足りなかったからではありません。

 

 韓信も孔子と同じです。

 韓信が(また)(くぐ)りの(はずかし)めを受け、漂母(ひょうぼ)に食事を(めぐ)んでもらったのは、まだ君子(くんし)となる機会を得ていなかったからです。

 ()執戟郎(しつげきろう)に留まっていたのは、正しく評価してくれる主君に出会えなかったからです。

 

 臣は、韓信が天下の奇才であり、まさに大元帥となるべき人物であること確信しております。

 単に弁舌のみで判断したわけではありません。

 

 臣は相国(しょうこく)の職にあり、もっぱら賢人を探し集める仕事に力を注いできました。

 それなのに、今、目の前にすばらしい賢者がいて、それを推挙(すいきょ)することができない。これほどの賢人を重く用いることができない。

 そのために、臣は昼夜、苦しい思いをしております。

 

 だからこそ臣はこうして、死を覚悟してでも漢王様と争い(いさ)めているのです。

 どうか、この思いをお察しくださいませ」

 

 劉邦は困り果てた。

 蕭何(しょうか)は言葉を尽くして韓信を()してくるが、劉邦には、韓信がそれほどの人物であるとは、どうしても思えないのだ。

 だが蕭何(しょうか)は、劉邦にとって欠かすことのできない大切な臣である。その意見を、ないがしろにもしたくない。

 

 劉邦が腕組みして悩んでいるうちに、外からは赤い夕陽が差し込みはじめた。

 劉邦は、蕭何(しょうか)(なだ)めるように言った。

「もう日が暮れちまったな……

 とりあえず、今日はこのへんで切り上げようや。

 明日、朝一番の朝議(ちょうぎ)で結論を出すことにしよう」

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 『心の中に持っている物は、必ず心の外に形となって現れる』……この言葉は「孟子・告子下」に見られる。以下に引用する。
 有諸内必形諸外
(これ)を内に有すれば、必ず(これ)を外に(あらわ)す)

(2)
 孔子が(ちん)国と(さい)国の国境で兵に囲まれたエピソードは『(ちん)(さい)(やく)』という。「孟子(もうし)・尽心下」や「論語・衛霊公」などで触れられているが、細部については「史記・孔子世家」に詳しい。背景の勢力図がやや複雑だが、解説してみたい。
 孔子は、50代半ばから十数年に渡って、仕官先を求めて中国各地を放浪した。その途中、孔子は(さい)を訪れ、(ちん)(さい)の国境付近に住まいを構えて3年ほどを過ごした。
 ちょうどその頃、()国が(ちん)に攻撃を仕掛けた。これに対して()国は(ちん)を救援すべく軍勢を送った。このとき()は、(ちん)(さい)国境に孔子がいることを知り、孔子を自国に招待した。
 これに危機感を覚えたのが、(ちん)(さい)大夫(たいふ)(貴族)たちである。彼らは相談して言った。
「孔子は賢者だ。彼は我々大夫(たいふ)の欠点を的確に批判している。大国の()に孔子が仕えて、あの考え通りに政治を行えば、我々の身が危うくなるぞ」
 そこで大夫(たいふ)たちは徒党を組んで孔子に迫り、野原において包囲してしまった。そのため孔子は身動きが取れなくなり、食糧が尽きて飢えに苦しむはめになったのである。
 このとき孔子は、従者や弟子たちが病や飢えに苦しむ中、普段通りに講義や音楽の演奏を行っていた。弟子の子路(しろ)から「君子(くんし)は困窮しないのでしょうか?」と訊かれると、孔子は答えた。
君子(くんし)だって、もちろん困窮するよ。一方、困窮したときに人の道から外れてしまうのが小人(しょうじん)なのだよ」

(3)
 『孔子が(きょう)の地で別人と勘違(かんちが)いされて牢獄に入れられた』というエピソードも、同じく「史記・孔子世家」にある。
 上で述べた放浪の旅の中でのこと。孔子は(ちん)へ行く途中で(きょう)という(むら)を通りかかった。このとき、孔子一行の御者が、鞭で城壁を指して言った。
「私が前にここへ来たとき、あの城壁の崩れたところを通ったんですよ」
 これを聞いた(きょう)人は、孔子一行を陽虎という人物と勘違いした。陽虎というのは()国の実質的支配者だった男で、かつて(きょう)人に暴行したことがあったため、(きょう)人に恨まれていた。その陽虎が、たまたま孔子と顔が似ていたのである。
 そのため(きょう)人は孔子一行を捕らえ、拘束してしまった。孔子は助けを求めて従者を(えい)国に向かわせた。これよって、どうにか孔子一行は(きょう)を脱出できたのだという。

(4)
 『孔子がほとんど活躍できないまま老いて死んだ』と蕭何(しょうか)が言っているが、実際、孔子が仕官して活躍したのは、長い人生の中のごく一時期のみである。
 「史記・孔子世家」によれば、孔子は若いころから貧しく不遇であったが、()の定公9年(紀元前501年)、数え年50の時に、ようやく取り立てられて中都(ちゅうと)という土地の(さい)(長官)に任命されたという。そこから司空(しくう)(土木工事の責任者)、大司寇(だいしこう)(裁判の責任者)と出世していき、定公14年には宰相の代行を務めるまでになった。
 しかしその直後、孔子の才覚を恐れた(せい)国が、()に80人の美女を贈った。()国の有力者は美女たちの舞踏に見とれ、祭祀(さいし)(おこた)り、3日も政治を(かえり)みなかった。
 このことで()を見限った孔子は、官職を捨て、より良い主君を求めて長い流浪の旅に出たのである。
 しかし結局、孔子が再び官職を得ることはなかった。十数年に及ぶ旅も不発に終わり、晩年は弟子の育成と執筆活動に専念していたが、息子や愛弟子に先立たれるなどの不幸もあり、とうとう孔子は不遇のまま死んでしまった。
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