龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十一の中 破楚大元帥

 

 

 劉邦は、文武の百官を(ひき)いて丞相(じょうしょう)()に行き、韓信を馬車に乗せて、(みやこ)の西門から出発した。

 

 左右に立て並べらえた旗は陽光に輝き、打ち鳴らされた金鼓(きんこ)は天を震わせる。

 文官は高く伸びた(かんむり)幅広(はばひろ)の帯を身に着けて左に並び、武将は(かぶと)(いただ)甲冑(かっちゅう)(そで)を通して右を進む。

 

 清められた道は(ほこり)ひとつ立たず、街には、かぐわしい(こう)が霧のように満ちる。

 まさに、前代(ぜんだい)未聞(みもん)の壮観だった。

 

 さて。

 漢の大将たちは、祭壇(さいだん)の建設が始まってからというもの、誰が大元帥になるのかと胸をわくわく(はず)ませていた。

 しかし、劉邦の車が丞相(じょうしょう)()についたところで、現れたのは淮陰(わいいん)の韓信である。

 

「まさか、あの韓信が!?」

 三軍の将も兵も、みんな驚き、色を失った。

 

 このとき、樊噲(はんかい)は、劉邦の車の後ろについて、馬を進めていた。

 韓信が劉邦の車へ迎え入れられるのを見ると、樊噲(はんかい)は、隣にいた周勃(しゅうぼつ)に顔を寄せて、ささやいた。

 

「冗談じゃない!

 俺たちは、万の苦しみと千の(つら)みを乗り越えて、3年も兄貴に付いてきたんだぞ。その俺たちが、あんな、漂母(ひょうぼ)に食べ物を恵んでもらうような腹ペコ野郎よりも格下だってのか!?

 

 俺は男だ。こんな屈辱には耐えられねえ! 兄貴に一言(ひとこと)言わなきゃ気がすまん!」

 

 樊噲(はんかい)は、いきなり下馬(げば)すると、劉邦の車の前に飛び出し、拝伏して地面に頭を叩きつけた。

「兄貴……いや、漢王様! ちょっと車を止めてくだされい! 臣に一言(ひとこと)、申し上げることがある!

 

 韓信は、淮陰(わいいん)の食い詰め者。漂母(ひょうぼ)乞食(こじき)し、(また)の下をくぐって辱められた男です。

 ()執戟郎(しつげきろう)となった後、()を捨てて漢へ来て、(くちびる)と舌だけを動かして漢王様を(だま)そうとしている!

 

 韓信は口先だけだ。(えさ)も付けずに()りをしてるようなもんだ!

 まだ一尺(いっしゃく)一寸(いっすん)ほどの功績もないのに、漢王様は韓信を車に迎えて大元帥に任命しようとしている。

 

 項羽がこの話を聞いたら、大笑いしますぞ!

 天下の諸侯だって、「漢中には、よっぽど人材がいないのか」と考えるでしょう。

 

 韓信なんかが大元帥になったら、戦う前から勝負は決まってしまう。

 味方の三軍はやる気を失うし、逆に敵はこちらをナメて士気を高めるでしょう。

 そんなことでは三秦(さんしん)(くだ)すことなんてできないし、あの強い()を打ち破るなんて、ますます不可能だ!

 

 漢王様! このことを、よく考えてくだされい!」

 

 劉邦は、何も言えなかった。

 実のところ、劉邦の中には、まだ韓信への不信が残っていたのだ。

 そこへ義弟樊噲(はんかい)大音声(だいおんじょう)を浴び、この()に及んで劉邦は再び迷い始めたのである。

 

 と、そのとき。

「むっ、これはいかん」

 蕭何(しょうか)が走り出てきて、珍しく声を(あら)げて樊噲(はんかい)を りつけた。

 

「いかん! いかんぞ!

 樊噲(はんかい)、無用の言葉を吐くんじゃない!

 

 樊噲(はんかい)よ。(ほこ)を突き出して敵を打ち破るようなことにかけては、お前の力は発揮されるだろう。

 

 だが、策を決めて勝敗を予測することに関しては、どうだ?

 百戦して百勝すること、鬼神にさえ読めない策を練ること、そういうことがお前にできるか?

 

 それができる者は、ただひとり、韓信しかいない!

 

 お前たちは、韓信の指揮を聞いて戦うのが一番よいのだ。

 それなのに、なぜ軽率なことを言って、我が軍の心を乱すのか!

 

 大元帥の人事については、この不才(ふさい)蕭何(しょうか)相国(しょうこく)として取り仕切り、すでに決定したことなのだ。

 お前は自分の小さな功績を(たの)みにして漢王様の行く手を(はば)み、妄言(もうげん)を吐いている。これは軍法違反であるぞ!

 

 ……漢王陛下。

 この者を即座に逮捕し、大元帥任命の儀式が終わった後で、斬首し国法を正しなさいませ」

 

 そこへ、夏侯嬰(かこうえい)もまた進み出て言う。

「漢王様は、すでに号令をお出しになりました。

 一度号令が出されたからには、どんな人間でも区別なく、みんな号令を守らなければなりません。

 

 しかるに、樊噲(はんかい)(みだ)りに大声を出して、法を乱しました。

 もし他の人々も樊噲(はんかい)真似(まね)をしはじめたら、どうなりますか?

 

 東に遠征することも、()を打ち破ることも不可能になってしまいます。

 韓信大元帥が「軍法を守れ」と言っても、誰も従わなくなるでしょう。

 

 ゆえに、この罪は正さねばなりません。

 樊噲(はんかい)1人の(いのち)を惜しんで、国家の大事を見誤ってはなりません」

 

 劉邦は……うなずき、怒声を発した。

樊噲(はんかい)を捕らえよ!」

 

 その命令どおり、樊噲(はんかい)は縛られ、行列の後ろへと引きずられていった。

 

 

   *

 

 

 重苦しい空気が漂う中、劉邦、韓信、そして文武の百官は、祭壇(さいだん)へと到着した。

 

 まず、劉邦は祭壇(さいだん)前の斎宮(さいぐう)(身を清めるための建物)で、手を洗い清めた。

 そして文武の百官に対して、こう告知させた。

「各人、自分の役割に従って儀式を行え。騒いで秩序を乱す者がいたら、軍法によって処罰する」

 

 文武百官、誰もが樊噲(はんかい)の姿を思い浮かべた。

 結果的に、樊噲(はんかい)を縛ったことは効果絶大であった。文官も武将も兵士たちも、しんと静まりかえり、粛々(しゅくしゅく)と礼を行ったのである。

 

 鉄砲が3発鳴り響き、()きあげられた(こう)が風に乗って漂い流れる。

 いよいよ儀式の始まりである。

 

 引礼官(いんれいかん)(案内役)が韓信を導き、3層の祭壇(さいだん)の第1層へと登らせた。

 第1層では、夏侯嬰(かこうえい)が西向きに、韓信が北向きに立ち、太史官(たいしかん)(天文を(つかさど)る官職)が祝文(しゅくもん)を読み上げた。

 

大漢(だいかん)元年、仲秋(ちゅうしゅう)戊寅(ぼいん)(ついたち)丙子(へいし)の日。

 漢王は、汝、夏侯嬰(かこうえい)(つか)わし、五岳(ごがく)四瀆(しとく)の名山・大川の神に明らかに告げて申し上げる。

 

 ああ! 天は民衆をこの世に創造し、君主という羊飼いにそれを導かせようとしている。

 だが、羊飼いが良い政治を行わなかったとき、その罪は誰の責任なのだろうか?

 

 呂政(りょせい)(始皇帝を(さげす)んで呼ぶ名)は残虐暴虐を行って人民を苦しめた。

 項籍(こうせき)(項羽)は、その地位を受け継いで、(しん)の王族を根絶やしにし、主君たる義帝を弑逆(しいぎゃく)し、20万の兵卒を生き埋めにした。この大逆(たいぎゃく)には、言葉も出ない。

 

 よって私、劉邦は、この状況を見るに忍びなく、立ち上がることを決意した。

 今こそ義の旗を立て、韓信を大元帥に任命して、民を救い、平和な国の基礎を打ち立てよう。

 

 神よ。これを(かんが)み、ここに()りて、この大事業を助けよ!

 願わくば、この(もてなし)を受けよ』

 

 祝文(しゅくもん)が読み終わったところで、夏侯嬰(かこうえい)が弓矢を(ささ)げて言った。

「漢王の(めい)により、(なんじ)に弓矢を(たま)う。

 これをもって征伐(せいばつ)に専心せよ」

 

 韓信は、ひざまずいて弓矢を受け取り、従者に持たせた。

 

 続いて引礼官(いんれいかん)は、韓信を案内して祭壇(さいだん)の第2層へと登った。

 第2層では、先ほどと同様、相国(しょうこく)蕭何(しょうか)が西向きに、韓信が北向きに立ち、太史官(たいしかん)祝文(しゅくもん)を読み上げた。

 

大漢(だいかん)元年、仲秋(ちゅうしゅう)戊寅(ぼいん)(ついたち)丙子(へいし)の日。

 漢王は、蕭何(しょうか)相国(しょうこく)(つか)わし、(にち)(げつ)星辰(せいしん)・雷雨の神と、歴代聖帝・明王に告げて申し上げる。

 

 神は国の興衰(こうすい)を知り、事業が成功するか失敗するかを知り、政治が治まるか乱れるかに通じて、人々の去就(きょしゅう)を明らかにするものである。

 定められた天命は有れども、最終的な結果は徳によって決まる。

 

 ゆえに、暴虐(ぼうぎゃく)であった(しん)は、神によって血統を()たれた。

 項籍(こうせき)もまた、邪悪にして狂暴である。天の助けなど得られるはずがあろうか?

 

 人民は塗炭(とたん)の苦しみに(あえ)ぎ、土地は無残(むざん)に荒廃してしまった。今や、足を縛って逆さ吊りにされるほどの苦痛を、人々は味わい続けている。

 人の上に立つ君主として、この災厄を取り除くには、世にも(まれ)な才によって()すしかない。

 

 軍を率いて悪を征伐(せいばつ)することにかけて、韓信ほど優れた者は存在しない。

 

 天神(てんじん)地祇(ちぎ)に願う。

 加護(かご)をもたらし、我らを導け。

 風雲を操り、戦況を変化させ、下々の民を救って、我が帝業(ていぎょう)を助けよ。

 

 ここに誠心を尽くして祭祀(さいし)を行う。

 願わくば、この(もてなし)を受けよ』

 

 祝文(しゅくもん)が終わると、蕭何(しょうか)斧鉞(ふえつ)(まさかり)を(ささ)げて言った。

「漢王の(めい)により、(なんじ)斧鉞(ふえつ)(たま)う。

 今日(こんにち)より、天命を(うけたまわ)って悪を征討(せいとう)し、無道の者どもに誅罰(ちゅうばつ)を加え、民のために害を取り除き、天下のために福を作れ」

 

 韓信は、ひざまずいて斧鉞(ふえつ)を受け取り、また従者へ預けた。

 

 さらに引礼官(いんれいかん)が、韓信をともなって第3層へと登る。

 第3層で待っていたのは、他ならぬ、漢王劉邦その人であった。

 

 

(つづく)




●注釈
 韓信の大元帥任命式の祝文(しゅくもん)において、始皇帝は『呂政(りょせい)』と呼ばれている。第一回で書いた通り、始皇帝の姓名は嬴政(えいせい)である。なぜ『呂』なのか?
 かつて、呂不韋(りょふい)という裕福な商人がいた。呂不韋(りょふい)は、(ちょう)国で人質として不遇の生活をしていた(しん)の公子と出会い、『これ奇貨(きか)()くべし(これは良い商品だ、仕入れておこう)』と言って公子に有形無形の援助をしはじめた。
 この公子が名を異人、後に改名して子楚という。
 その頃、呂不韋(りょふい)には寵愛していた愛妾がいた。子楚は、その愛妾を一目見て気に入り、「自分に譲ってほしい」と頼み込んだ。呂不韋(りょふい)は彼の願いを承諾し、子楚はこの愛妾との間に子を設けた。
 子楚と愛妾との間に生まれた子……それこそが、後に中華統一帝国の支配者となる男。始皇帝である。
 このような生まれが原因で、始皇帝の身に妙な噂が立った。彼の母である愛妾は、子楚に譲られた時には既に妊娠していたのではないか? 始皇帝の本当の父は、呂不韋(りょふい)なのではないか? という噂である。
 呂不韋(りょふい)父親説は、かなり古い時代から存在したらしい。紀元前1世紀の初め頃に完成した「史記・呂不韋列伝」には、すでに上記の逸話が収録されている。
 すなわち『呂政(りょせい)』という呼び名は、『始皇帝は(しん)の王室に連なる血筋ではない。呂不韋(りょふい)の子だ』と、その正統性を否定する意味で用いられているのだ。
 ただ、実際に呂不韋(りょふい)が父親だったのかどうかは、だいぶん怪しい。もちろん歴史上のことだから真相不明ではあるが、「史記・秦始皇本紀」では子楚が父親とされているし、他にも色々な根拠があって、『これは単なる誹謗中傷だったのではないか』とする見方が現在は主流のようである。
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