龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十一の下 破楚大元帥

 

 

 祭壇(さいだん)の第3層において、劉邦は北に向いて拝礼し、龍章(りゅうしょう)鳳篆(ほうてん)(龍と鳳凰(ほうおう)の文字が刻まれた帝王の印章)を捧げた。

 

 調和の取れた歌が(おごそ)かに始まり、8種の楽器が曲を(かな)でる。

 その音色は高く澄み、天から地までを貫いて響きわたった。

 

 演奏が終わると、太史官(たいしかん)が最後の祝文(しゅくもん)を読み上げた。

 

大漢(だいかん)元年、仲秋(ちゅうしゅう)戊寅(ぼいん)(ついたち)丙子(へいし)の日。

 漢王劉邦が、宇宙を()べる至高神昊天(こうてん)上帝(じょうてい)と、全地を()べる女神后土(こうど)神祇(じんぎ)に告げて申し上げる。

 

 昊天(こうてん)上帝(じょうてい)陛下の臣たる劉邦は、天地の恩徳と百神の威光を(たの)みとして、海と大地とに平和をもたらし、万民が安らかに暮らせるよう働いて参りました。

 国のために賢者を求め、礼を厚くして3度も推薦いたしました。

 

 (いにしえ)の人は、こう言いました。

『たとえ強兵があっても、知将がいなければ、どうして人心を掌握(しょうあく)し、四方八方の彼方(かなた)まで威風を届かすことができようか』

 

 そこで、天下の民衆を救うべく、韓信を大元帥に任命し、征伐(せいばつ)の全権を委任することとしました。

 これによって天下に満ちた妖気を吹き払い、乾坤(けんこん)(天地)を正気(正しい気風)で満たしたいと思います。

 

 黄帝が風后(ふうこう)(あお)いだように。

 顓頊(せんぎょく)が武告を用いたように。

 高辛(こうしん)祝融(しゅくゆう)を、大舜(だいしゅん)皋陶(こうよう)を、(いん)湯王(とうおう)伊尹(いいん)を、(しゅう)の武王が太公望呂望(りょぼう)(はい)したように。

 私は、韓信を(はい)します。

 

 (いにしえ)より、国が乱れ夷狄(いてき)が侵入してきた時には、必ず時の権力者が将軍を任命して軍勢を起こし、道を誤った者たちを征伐(せいばつ)してきたものです。

 

 しかるに今、項籍は滅びた(しん)のやりかたをそのまま受け継ぎ、西楚(せいそ)において横暴にふるまっている。

 (トビ)(フクロウ)が翼を広げて威嚇(いかく)するように威張(いば)り散らし、すでに崩れ去った(しん)の行いを引き継いで、凶悪なる行いをほしいままにし、好き勝手に乱れ狂っている。

 義帝との約束を破って王となり、その義帝を弑逆(しいぎゃく)して一人()を唱え、始皇帝の墓を(あば)いて財宝を奪い、後宮へ踏み込んで女を我が物とし、咸陽(かんよう)において虐殺を行い、100里に渡って火を放ち、阿房(あぼう)(きゅう)を炎上させて万民を恐怖に(おとしい)れた。

 

 まことに強権を振るい専横を極めている。

 項籍は、いまや民衆から見放(みはな)された孤独な君主……独夫(どくふ)である!

 

 この行いには、天も嫌気(いやけ)が差し、神も怒っていることでしょう。

 この罪は、死をもってしてさえ(つぐな)いきれるものではない。

 

 以上のような情勢を受けて、臣、劉邦は義の旗を立て、韓信を大元帥に任命いたしたく思います。

 韓信に弓矢を授けて四方を平定させ、鉄鉞(てつえつ)を持たせて罪人の処罰(しょばつ)に従事させましょう。

 

 韓信こそは国士無双、人中(じんちゅう)の豪傑。

 鬼神にすら見抜けぬほどの機略を備え、蒼海(そうかい)をも果敢(かかん)に渡るほどの(こころざし)を持つ男。

 

 この人物を大元帥とすることは、(おおやけ)の議論によって信任されたこと。

 韓信よ、この天命を申し受けよ。これは天が加護をもたらして(めい)じたことである。

 

 天よ。願わくば、この(もてなし)を受けよ!』

 

 祝文(しゅくもん)が終わると、劉邦は西向きに立ち、韓信は北向きに立った。

 劉邦は、身分の証となる品々……虎符(こふ)玉節(ぎょくせつ)、金印、宝剣を、みずからの手で韓信に(ささ)げ与え、こう宣言した。

 

「今、貴公を破楚(はそ)大元帥に(ほう)じる。

 上は天から、下は海底に至るまで、ことごとく貴公の指揮に任せる。

 

 敵の備えの足りぬ(きょ)を見れば攻め、敵が堅固(けんご)に構えた(じつ)を見れば止まれ。

 たとえ前・中・後の三軍を率いても、決して多勢を(たの)みとして軽率に動いてはならない。

 

 我が(めい)を重んじるあまり、簡単に死を選んではいけない。

 己の身分が高貴であるからといって、他人を(いや)しんではいけない。

 独断で(はかりごと)をなして、周囲の声を拒絶してもいけない。

 弁舌(べんぜつ)に優れていても、自分を言葉で飾り立ててはいけない。

 

 兵士たちと苦楽を分かち合え。

 暖かさも寒さも軍勢とともに味わえ。

 そうすれば、兵たちは貴公に親しみを感じ、死をも覚悟して戦い、誰もが力を尽くすだろう。

 

 韓信大元帥よ、この言葉を(つつし)んで受けよ!」

 

 韓信が(めい)を受けると、劉邦は移動して韓信と向き合い、腰を下ろした。

 

 韓信は丁重に再拝し、感謝の言葉を述べてから、こう続けた。

(いにしえ)より、このように申します。

『国は外から治めることはできない。

 軍は中から(ぎょ)すことはできない。

 二心(ふたごころ)を持って主君に仕えてはならない。

 疑いの心を持って敵に応じてはならない』と。

 

 臣は、今、(めい)(うけたまわ)り、斧鉞(ふえつ)をもって罪を処罰する権限をいただきました。

 この身はほんの駑駘(どたい)(下等な馬)に過ぎぬとはいえ、微力を尽くして働かずにはいられません。

 必ずや、陛下が厚遇してくださった恩に(むく)いましょう」

 

 劉邦は大喜びで、韓信に(たず)ねた。

蕭何(しょうか)が、しきりに大元帥の才能を()めていたぞ。

 徳の足らないこの俺に、大元帥の戦略を聞かせてくれないか」

 

 韓信は、いささか悪戯(いたずら)っぽく微笑んだ。

「漢王様は、東方に進出して、項羽と天下を争いたいと思っていらっしゃるか?」

 

 劉邦は、うなずいた。

「そりゃもう、ずーっとそうしたいと思ってるよ」

 

 韓信が言う。

「では、漢王様の勇敢さと強さは、項羽と比べて、どうでしょうか」

 

 劉邦は顔をしかめた。

「あんな化け物に勝てるわけない!」

 

 韓信は、さらりと言った。

「臣も、そう思います。

 

 しかし、臣はかつて項羽に仕えていて、その為人(ひととなり)を、よく知っております。

 それを漢王様のために、ご説明いたしましょう。

 

 まず、項羽の持つ迫力は、すさまじいものです。

 項羽が声をあげて りつければ、千人の軍勢さえ、すくみ上がってしまう。

 

 ところが、頭ごなしに怒鳴(どな)りつけるばかりで、賢人を上手く用いることができない。

 これを『匹夫(ひっぷ)(ゆう)』……取るにたらない小さな男の勇気、と言います。

 

 一方、項羽が意外な優しさを見せることもあります。

 困っている人には慈愛の目を向け、優しく声をかけて、たいへん親しげにふるまう。

 病気の人などを見ると、涙を流して自分の食事を分け与えるほどでした。

 

 しかし、功績のある人に爵位(しゃくい)官職(かんしょく)を与えるときには、一転してケチ臭くなる。

 決済印をその手に握って捺印(なついん)する直前までいきながら、結局、与えようとしないのです。

 これを『婦人の仁』……道理を知らないつまらぬ女の優しさ、と言います。

 

 項羽は、覇王となって天下の諸侯を制しました。

 しかし、関中を離れて彭城(ほうじょう)(みやこ)(うつ)し、義帝を弑逆(しいぎゃく)したうえ、多くの民を殺害しました。

 名前は覇王であっても、実際には天下の信望を失っております。

 

 ここで漢王様が、項羽とは反対の道を、心を込めて進んだなら、どうなるでしょうか?

 天下の武勇の士を信頼して戦いを任せれば、確実に項羽を誅殺(ちゅうさつ)できます。

 天下の城や(むら)を功績ある臣に(たま)われば、みな服従せぬはずがありません。

 大義名分をもって軍隊を起こし、故郷を思う兵を率いて東に向かえば、()は必ず打ち破れます。

 

 さらに、(しん)を守っている三秦(さんしん)王たちは、(しん)の兵卒を率いて何年も戦ってきましたが、その中で死なせてしまった兵は(かず)()れません。

 そして、項羽が(しん)兵20万人を生き埋めにするに至り、ついに(しん)民衆の(うらみ)骨髄(こつずい)に入ったのです。

 

 章邯(しょうかん)司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)三秦(さんしん)王は、(しん)の土地で王になったとはいえ、民はただ、()の強さを恐れているだけ。心から服従しているわけではない。

 

 漢王様は、関中に入ってから少しも民を苦しめず、法を三章に簡略化して(しん)の民衆を喜ばせました。

 それゆえ、漢王様が天下の王になることを願わぬ者はおりません。

 

 今、漢王様が兵を起こして東に向かえば、三秦(さんしん)は、民衆の決起を(うなが)檄文(げきぶん)をバラ()くだけで平定できるでしょう」

 

 劉邦は喜んだ。限りなく喜んだ。

「ああ! もっと早く韓信を手に入れられてたら良かったのに!」

 

 さんざん韓信の抜擢(ばってき)(こば)んでおいて、なんとも調子のいい話ではあるが、それだけに、これは劉邦の飾らぬ本音だったのだろう。

 

 かくして国士無双の韓信は、ついに大元帥に就任した。

 そして漢軍は、()討伐(とうばつ)に向けて、にわかに動き始めたのである。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 大元帥韓信を得て()討伐(とうばつ)へと動き出した漢軍。だがこのめでたき日に、一つの懸案(けんあん)が持ち上がる。

 儀式を乱した罪人、樊噲(はんかい)。劉邦の義弟にして天下の豪傑。かつて必死の鴻門(こうもん)で、一命を()して(あるじ)を救ったこの忠臣も、法にのっとるなら殺さねば。苦悩。決断。そして悔恨。果たして樊噲(はんかい)の命運や、いかに?

 

 次回「龍虎戦記」第三十二回

 『樊噲(はんかい)を断罪せよ』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 『匹夫(ひっぷ)(ゆう)』と『婦人の仁』という言葉について。
 この場面での韓信と劉邦の会話は、「史記・淮陰侯列伝」の記述をほぼそのまま引用したものであり、史実である。
 道理を知らぬ者の一面的な優しさを『婦人の仁』と表現するのは、言い訳のしようもない直球の性差別である。女性読者の皆様には、韓信の言動にイラッときた方も多かろうと思う。
 筆者もどうかと思うのだが、正史にこの発言が記録されていることもあり、韓信のキャラクターや当時の価値観を反映する意図で、そのまま記した。なにとぞご理解いただきたい。
 なお、『匹夫(ひっぷ)(ゆう)』の方は、「孟子・梁恵王下」にも記述がある。それによれば、紀元前4世紀末頃の(せい)の宣王が『私は勇気が好きだ』と言ったところ、孟子がこう答えたという。
『剣を手にして相手をにらんで「奴は俺には(かな)うまい!」なんて言っているのは、匹夫(ひっぷ)(ゆう)です。そんなものはたった1人の敵と戦う勇気でしかない。王ならば、もっと大きな勇気を持ってください』
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