龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十二の上 樊噲を断罪せよ

 

 

 韓信が大元帥に任命された、その翌日。

 

 文武百官が朝廷に勢ぞろいして、大元帥任命について祝賀の言葉を述べていたが、その中に、武士樊噲(はんかい)の姿はない。

 

 任命式の前に秩序を乱して、捕縛されてしまった樊噲(はんかい)……

 彼は縛られたまま朝廷の門の外に座らされ、処分を待っていたのである。

 

 劉邦は、苦しげな表情で、朝廷に集まった家臣たちに問いかけた。

樊噲(はんかい)は、俺の親戚だ。

 しかし、これまでの功績を(かさ)に着て、儀式を邪魔して暴言を吐いた。

 これは、どう考えても臣下としての礼に違反する行為だ……

 

 昨日から樊噲(はんかい)は拘束したままだ。

 きちんと法律に基づいて罰を与え、全軍への(いまし)めとしなきゃならないよな……」

 

 ここで蕭何(しょうか)が、劉邦のそばに歩み寄った。

 蕭何(しょうか)が、他の誰にも聞こえぬ声で、劉邦に耳打ちする。

樊噲(はんかい)の罪は、間違(まちが)いなく誅殺(ちゅうさつ)(あたい)します。

 樊噲(はんかい)が我が軍の支柱であればこそ、許すわけにはいきません。

 彼が韓信に心服しなかったら、他の者も同調してしまう。韓信が全軍を指揮しようとしても、誰も言うことを聞かなくなってしまいます。

 

 しかし……あれほど功労のある臣を殺すのは(しの)びない。

 新たに大元帥を任命したばかりで、功績のある人物を処刑するのは、不吉でもあります。

 

 そこで、臣にひとつ考えがございます。

 

 漢王様は、(みことのり)(くだ)して、樊噲(はんかい)を断罪してくださいませ。

 その後のことは臣らにお任せください。国法が有名無実になるのを防ぎ、韓信の命令がよく行き渡るような手を打ちます」

 

 劉邦は、喜色を顔に浮かべた。

「そんなことができるのか? よし、やってくれ」

 

 

   *

 

 

 蕭何(しょうか)(すす)めに従い、劉邦は(みことのり)(くだ)した。

 その(みことのり)(いわ)く――

 

蕭何(しょうか)は韓信を3度にわたって推薦し、張良は韓信に割符を託した。

 (ちん)もまた韓信の抱負を検討し、彼の論ずることを聞き、十分な才能を持った人物であると判断した。

 それゆえに、(ちん)は韓信を大元帥としたのである。

 

 今こそ韓信に国外における軍務を任せ、東方へ遠征(えんせい)して()討伐(とうばつ)せねばならない。

 これは民衆の願いに(かな)うことであり、(おおやけ)の議論にも合うこと。

 ゆえにこそ、祭壇(さいだん)に登って儀式を行うにあたり、静粛(せいしゅく)たることを厳命したはずである。

 

 にもかかわらず、樊噲(はんかい)は自分1人の功績が高いことを(たの)みとして、好き勝手に非常識な言動を行い、はばかりもせず国法に違反した。

 1人の勝手なふるまいを許してしまえば、他の者たちに秩序を守らせることもできなくなる。軍全体の心が(まど)わされ、大いなる礼節の道から外れてしまう。

 

 よって、(みことのり)(なんじ)相国(しょうこく)蕭何(しょうか)らに(くだ)す。

 

 道理に従った議論の結果、意見は一致した。

 樊噲(はんかい)には大きな功績があるとは言っても、この罪を無かったことにはできない。

 

 樊噲(はんかい)誅殺(ちゅうさつ)せよ。

 彼1人を()らしめることで、全軍への(いまし)めとせよ。

 ここに(なんじ)らに詔命(しょうめい)して、遺漏(いろう)なく通達する……』

 

 

   *

 

 

 劉邦の(みことのり)は、すぐに蕭何(しょうか)によって公開された。

 

 朝廷の門前で、樊噲(はんかい)は縛られたまま(みことのり)を伝え聞いた。

 故郷の(はい)にいたときから、本当の兄弟のように過ごしてきた劉邦。ともに(りょ)氏の姉妹を(めと)った劉邦。反乱軍の旗揚(はたあ)げからずっと、死と隣り合わせの戦場を一緒に駆け抜けてきた、劉邦……

 その劉邦の口から出た厳しい言葉に、樊噲(はんかい)は地に(ひたい)をつけるほどにうなだれ、苦いうめき声を発した。

 

 樊噲(はんかい)は、突然顔を上げて、周囲にいた者に声をかけた。

「頼む。周勃(しゅうぼつ)を呼んでくれないか」

 

 周勃(しゅうぼつ)は、他の武将たちと連れ立って、すぐに駆けつけてきた。

 この周勃(しゅうぼつ)も、(はい)県の出身者。旗揚(はたあ)げ当初から劉邦や樊噲(はんかい)と一緒に戦ってきた、古なじみである。

 

 樊噲(はんかい)は、いつもの豪傑ぶりが嘘のように、顔をクチャクチャにして、周勃(しゅうぼつ)(うった)えた。

「俺は……まちがっていた。大変なことをしでかしてしまった。

 漢王様は、俺を断罪(だんざい)せよと(みことのり)(くだ)したそうだ。

 

 たのむよ、周勃(しゅうぼつ)。他のみんなも!

 相国(しょうこく)のところへ行って、俺の命乞(いのちご)いをしてきてくれないか? 鴻門(こうもん)の会の時、俺は漢王様を危機から救った……その功績で、命だけは助けてもらえるように頼んでくれよ。お願いだよ……」

 

 周勃(しゅうぼつ)は、うなずいた。

「漢王様が大元帥を任命したのは、天下国家のためのこと。私利私欲のためではない。

 私は昨日、韓信が方針を論じるのを聞いたが、彼は本当に大元帥にふさわしい才能の持ち主だと思う。

 

 それに、お前が漢王様のお車を(さえぎ)って止めたのは、たしかにとんでもない無礼だ。

 誅殺(ちゅうさつ)(めい)じる(みことのり)(くだ)されたのも無理はない……

 

 でも、お前には大きな功績がある。きっと相国(しょうこく)も許してくれるさ!

 すぐに行ってくるよ。待っていてくれ、樊噲(はんかい)!」

 

 

   *

 

 

 周勃(しゅうぼつ)以下、漢軍の大将たちは、大勢で丞相(じょうしょう)()に押し寄せた。

 彼らが蕭何(しょうか)に面会して、切々と訴える。

 

樊噲(はんかい)は開国の功臣です。

 確かに一度は法令を犯してしまいました。しかし、死罪というのは重すぎます!

 相国(しょうこく)、どうか樊噲(はんかい)の命をお救いください。これは、我ら漢軍将兵みんなの願いです」

 

 蕭何(しょうか)が、苦しげに、うめく。

「漢王様は、この漢中に押し込められて、日夜、()を打ち破る大元帥を探し求めておられたのだ。

 今、韓信を得たことは、まことに国家の大いなる(さいわ)い。これによって、貴公らも東方の故郷へ帰る見込みが出てきたのだぞ。

 

 それなのに樊噲(はんかい)は、そういう事情を考えもせずに無礼なことを言った。

 だから漢王様もお怒りになり、誅殺(ちゅうさつ)せよ、との(みことのり)(くだ)されたのだ。

 

 だが……

 私だって、よく分かっているよ。

 これまでの樊噲(はんかい)の功績が、いかに大きいか。

 

 彼は、私たちが(みんな)で義兵を立ち上げた時からの旧臣だ。

 ……よろしい。力を尽くして救おうではないか」

 

 蕭何(しょうか)は、酈生(れきせい)を呼んだ。

酈生(れきせい)、お願いがあります。

 どうにか樊噲(はんかい)を弁護して、命を救ってやりたいのです。

 理路整然とした請願の表書(ひょうしょ)を書いてくれませんか」

 

 酈生(れきせい)は、にっこりと笑った。

「お安い御用だ。

 まあ、言葉のことなら私に任せておきなさい」

 

 

(つづく)

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