龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十二の下 樊噲を断罪せよ

 

 

 かくして、酈生(れきせい)(したた)めた表書(ひょうしょ)が、蕭何(しょうか)以下、漢軍諸将の連名で劉邦へ奏上(そうじょう)された。

 その表書(ひょうしょ)(いわ)く、

 

『私、大漢国の相国(しょうこく)蕭何(しょうか)は、樊噲(はんかい)が犯した罪について協議を行いました。

 

 まず、昨日の段階で君命(くんめい)(くだ)されており、あらかじめ禁止事項は明示されておりました。軍事における重要任務においては、決して命令違反をしてはなりません。

 にもかかわらず、樊噲(はんかい)は好き勝手に乱暴な行いをし、儀式の隊列を邪魔したうえ、言葉によって規律を乱して、我が軍の心を乱しました。

 国法に従えば、まさに死刑に値する罪であります。

 

 ただ、樊噲(はんかい)豊沛(ほうはい)から漢王様に付き従ってきた元勲であり、鴻門(こうもん)においては体を張って漢王様を守り抜きました。

 この功績は極めて大きく、全軍の模範として奨励(しょうれい)すべきものです。

 

 ゆえに、樊噲(はんかい)の功績に対する褒賞(ほうしょう)を明確に示すため、彼に寛大な処置を(くだ)すべきと思われます。

 無論、これはただ一度だけの特例。もし再び軍法に違反したなら、そのときは処刑の斧鉞(ふえつ)(まぬが)れることはできません。

 

 漢王陛下、なにとぞ聖裁(せいさい)くださいませ』

 

 劉邦は表文(ひょうぶん)を見終わると、不服そうに顔をしかめた。

樊噲(はんかい)は、自分の功績を(たの)みにして無礼な行いをしたんだ。

 その罪は許しがたい。

 まったくもって許せん!

 

 ……が。

 お前たちが、そこまで言うなら、無碍(むげ)にもできまい。

 俺としては不満だが、お前たちの願いを受け入れ、樊噲(はんかい)の罪をひとまずは許そう。

 樊噲(はんかい)には、今後は韓信大元帥の指示に従うよう、よく言い聞かせておけ」

 

 劉邦の近臣が、すぐにこの決定を伝えて、樊噲(はんかい)を解放させた。

 

 縄を解かれた樊噲(はんかい)は、すぐに韓信の帷幕(いばく)に飛んで行った。

 韓信に対面すると、樊噲(はんかい)は深々と礼をして、謝罪した。

 

 韓信は、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。

樊噲(はんかい)殿。

 功を立てるのは臣の職分(しょくぶん)。分をわきまえるのは臣の節度だ。

 貴公は、言うまでもなく大きな功績のあるお方だ。それが、どうしてあんな(おご)ったことを言いなさったのです。

 

 (さいわ)いにも、漢王様の恩情によって、貴公の重罪は許されました。

 今後は(つつし)んで国に奉公し、すばらしい功績を立ててその名を碑文(ひぶん)に刻みつけ、(ほまれ)万世(ばんせい)に伝えなさい」

 

 樊噲(はんかい)は、深く拝謝して退出した。

 

 それから樊噲(はんかい)は、朝廷に向かった。

 劉邦に対面して、罪を許された恩に感謝の言葉を述べると、劉邦は、樊噲(はんかい)を、すぐそばにまで()しよせた。

樊噲(はんかい)、このバカ野郎!

 豊沛(ほうはい)で一緒に義兵を起こしてから、お前は何度も何度も功労を立ててくれた。そのことを俺は、一瞬だって忘れたことはねえぞ!

 

 これからは、よく(つつし)んで、謙虚にへりくだって、でも(こころざし)は大いに燃やして、君臣の分ってやつを、ちゃんと守ってくれよ。

 

 なあ樊噲(はんかい)

 お前、知恵で張良に勝てるか?

 人材を見る目で蕭何(しょうか)に勝てるか?

 

 この2人はな、自分が大元帥の座につくことだってできたのに、あえて他人を推薦してきたんだ。

 その人物こそが韓信なんだ。

 となれば間違(まちが)いなく、韓信は本物の天下の奇才だ。

 

 それなのに樊噲(はんかい)、お前はよう。

 王様の車は邪魔するわ、でかい声で好き放題に文句を言うわ……

 とんでもない無礼だぞ。

 俺はもう、頭に来ちまって。もし蕭何(しょうか)が弁護してくれなかったら、とっくにお前は死罪になってたんだぞ。

 

 お前は俺の義弟だ。一番大事な家臣の1人でもある。惜しくないわけないだろう?

 もしお前を殺しちまってたら……俺は、人生が終わるまでずっと立ち直れねえよ。

 分かってんのか、バカ野郎! なんであんなバカなマネをしたんだよ、このバカっ」

 

 樊噲(はんかい)は涙を流した。声を上げて、泣きに泣いた。

「俺……いや、臣は、ま、まちがっておりましたっ! やってしまったことは、悔やんでも取り返せませんが……

 これからは、心を尽くして国のために働きます。漢王様からいただいた御恩(ごおん)に、きっと(むく)いてみせますっ」

 

 樊噲(はんかい)は激しく(むせ)び泣きながら退出し、その足で蕭何(しょうか)の元へ向かった。

相国(しょうこく)! もし相国(しょうこく)が救ってくれなかったら、俺は、死んでおりました!」

 

 蕭何(しょうか)は、穏やかに樊噲(はんかい)の肩を叩いた。

樊噲(はんかい)将軍。そなたは今や、国王陛下の身近に仕える、漢の大臣なのですぞ。あんな小人(しょうじん)のような行いを軽々しくなさることはないでしょう。

 さあ、これからは心を尽くし、忠義の心を燃やして、職務に邁進(まいしん)してくだされよ」

 

 樊噲(はんかい)は、別人のように小さく体を折りたたみ、何度も何度もうなずいて、感謝と謝罪とを繰り返した。

 そしてこの日から、樊噲(はんかい)は韓信の命令に従うようになったのである。

 

 

   *

 

 

 さて、樊噲(はんかい)が去っていくと……

 1人のこった蕭何(しょうか)は、胸の中にずっと溜め込んでいた息を、ドッと吐き出した。

「ふーっ……どうにか血を見ずに済んだか……」

 

 というのも、実はここまで全て、蕭何(しょうか)と劉邦が示し合わせての展開だったのである。

 

 彼らの作った筋書きはこうだ。

 まず劉邦が、死罪の(みことのり)を出す。

 そうすれば、諸将はきっと樊噲(はんかい)の命乞いをするだろう。

 その後、諸将の意見を()み上げる形で、劉邦が樊噲(はんかい)の罪を許す。

 

「こうしなければ、ならなかったのだ。

 もし簡単に樊噲(はんかい)を許したら、人々がどう思うか?

 『法を犯しても大したことはない』とタカをくくるか。さもなくば『樊噲(はんかい)は漢王様の身内だから許されたのだ』と不公平に(いきどお)るか……

 いずれにせよ、軍の秩序は保てなくなる。

 

 ゆえに、まず漢王様が厳しい裁きを(くだ)す必要があった。

 たとえ義弟といえども法を犯せば厳正に処分する、という姿勢を見せねばならん。

 

 樊噲(はんかい)が許されたのは、諸将の嘆願、相国蕭何(しょうか)の協力、そして樊噲(はんかい)自身の多大な功績、これらの条件がそろって始めて実現したことなのだ……と、内外へ明確に示さねばな。

 

 これから()に戦いを挑もうというときに、樊噲(はんかい)ほどの人材を失うわけにはいかん。

 しかし、軍規を軽んじる風潮が広まっても困る。

 どちらも両立するには、この方法しか無かった。

 

 しかしまあ……なんとか上手くいって良かった。心底ホッとしたわい……」

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 奇才韓信の指揮のもと、調練に(いそ)しむ漢軍将兵。兵家が最も(とうと)ぶものは、厳格無比なる規律と秩序。いまだ心ゆるみ(おご)りの消えぬ将兵たちを引き締めるべく、韓信は峻烈(しゅんれつ)(さば)きを(くだ)す。

 やらねばならぬ。ゆえにやる。たとえ王命(おうめい)に逆らってでも。

 

 次回「龍虎戦記」第三十三回

 『外に在りては』

 

 ()う、ご期待!

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