龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

84 / 197
三十三の上 外に在りては

 

 

 韓信は、ついに大元帥に任命された。

 ずっと胸に(かか)えていた野望を成しとげたのである。

 

 だが、もちろんこれで終わりではない。むしろ、韓信の真の戦いは、ここから始まる。

 重用(ちょうよう)してくれた劉邦の恩に(むく)いるため、早く()を倒して天下を平定せねばならないのだ。

 

 韓信は、劉邦へ(ひょう)(ささ)げた。

 

『大漢元年、秋7月の日。破楚(はそ)大元帥韓信が上言(じょうげん)いたします。

 軍を動かすには、よく時機を観察して、情勢の変化を制することが肝要です。

 

 漢王陛下の大いなる戦略。

 項羽と争わずに(しょく)に入った見事なご決断。

 そして、長く続く陛下のご苦労。

 

 これらを考慮に入れますに、いよいよ東方遠征に取りかかるべきと思われます。

 民衆世論(よろん)もこれを支持しておりますし、戦略の骨子(こっし)も、すでにできあがっています。

 

 世間の人々は、ひそかに陰口(かげぐち)しております。項籍(項羽)は、(しん)という毒草をむしった後にしぶとく残った(くき)であると。

 項羽は、民衆から見放(みはな)された孤独な君主、すなわち独夫(どくふ)

 諸侯を左遷(させん)し、義帝を弑逆(しいぎゃく)し、正統性なしで大いなる玉座につくべく彭城(ほうじょう)(みやこ)(うつ)し、好き勝手に権力をふるって西楚(せいそ)を号しました。

 

 さらには(しん)子嬰(しえい)軹道(きどう)の地で誅殺(ちゅうさつ)し、投降した兵卒を新安の地で生き埋めにした。

 これによって項羽は人々の支持を失い、天の怒りを招いたのです。

 

 今こそ知と徳に優れた君主を立て、勢い(さか)んで強力な軍を組織し、義によって名分を正して、残虐と暴虐をこの世から取り除かねばなりません。

 民衆は苦しんでおります。水に沈められ、火に焼かれるかの如く。逆さ吊りにされるかの如く。

 この災いを解消すべく、臣は()討伐(とうばつ)計画を立案しました。

 

 民衆は武具を手放し、鎧兜(よろいかぶと)を脱ぎ、食べ物や飲み物を用意して我らを歓迎するでしょう。

 三秦(さんしん)は、民衆を立ち上がらせるための檄文(げきぶん)一つで平定できますし、他の六国は戦わずして味方に引き込むことができます。

 

 漢王陛下は心が広く、仁義に満ちた大いなる徳をお持ちで、どんな武勇にも(まさ)る『不殺(ふさつ)』という神武をそなえておられる。これによって国境のない統一された世界、万年続く王国の建設は実現されます。

 陛下が一度(ひとたび)(いか)りになれば、(いん)の湯王が(めい)じるが如く三軍は東へ遠征し、(しゅう)の文王を(いただ)くが如く民は安心するでしょう。

 

 強い()国も、(しん)残党も、我らの敵ではありません。

 かつて()禹王(うおう)は、羽を手にして踊る優雅な舞、羽舞(うぶ)によって敵対民族の心を(なご)ませ、恭順(きょうじゅん)させました。

 その故事(こじ)にならい、宝玉と絹とを手土産(てみやげ)として万国の君主を招き、羽舞(うぶ)で喜ばせてやりましょう。

 

 長く続く平和な国を作れるかどうかは、今の行動にかかっております。

 平和か、危機か? 国が定まるか、乱れるか? その分岐点(ぶんきてん)は、目の前に置かれているのです。

 

 臣、韓信は、ありがたいことに大元帥の(くらい)頂戴(ちょうだい)しましたが、まだ(ほこり)1粒、(しずく)1滴ほどの功績も立ててはおりません。

 陛下が臣を評価してくださった、そのお言葉を胸に(いだ)きながら、軍務の中で恥ずかしく思っております。

 

 ゆえに今、陛下を(あお)ぎ見て、その御威徳(ごいとく)間近(まぢか)で触れて、申し上げます。

 今こそ臣は、()に完全勝利する(はかりごと)を巡らし、()巨魁(きょかい)項羽の首を陛下に献上いたします。

 諸悪の根源たるあの男を捕虜とし、かつて陛下が左遷(させん)されたことの雪辱(せつじょく)を果たし、今は亡き義帝の約束通りの形に世界を戻しましょう。

 

 臣は、激烈に誠心誠意を尽くさずにはいられません。

 (つつし)んで(ひょう)(たてまつ)り、(しゃ)して申し上げます』

 

 劉邦は、この(ひょう)を読み終えると、大喜びで韓信に行った。

(けい)奏上(そうじょう)したことは、(ちん)の思いにぴったり合っているぞ。それじゃあ、いつ軍勢を出発させるべきかな?」

 

 韓信が答える。

「項羽は(みやこ)彭城(ほうじょう)(うつ)した後、長期にわたって西方のことを(かえり)みていません。

 諸侯もそれぞれの領地に帰りましたし、どこの国にも郡にも戦争の準備がなされていないのです。

 

 この好機を()かすには、可能な限り早期に出発するのが最良です。

 まず、臣が軍の人馬を調練し、それが済み次第、先行いたします」

 

 劉邦は、思わず玉座から腰を浮かした。

「長い間ずーっと東に帰りたかったんだ。韓信、早く人馬の調練をやってくれ! 俺も親征(しんせい)(君主みずから(いくさ)に出ること)するぞ!」

 

 

   *

 

 

 さっそく劉邦は、遠征軍の人事を決めた。

 まず先鋒(せんぽう)は、豪傑樊噲(はんかい)

 軍内部での政務を担当する軍政司に、曹参(そうさん)

 そして軍を監督する役目の監軍には、殷蓋(いんがい)という男が任命された。

 

 一方の韓信は、人馬の調練に取りかかるべく、軍の訓練場に向かった。

 

「さて、調練を始める前に、漢軍の今の練度を見てみよう」

 と、韓信は漢軍の訓練するさまを見分した。

 が……将兵の動きを一目見るなり、韓信は眉をひそめた。

 

 一言(ひとこと)で言えば、バラバラ、である。

 漢の将兵は、戦術の基本を知らない者ばかり。

 前進・後退の合図さえ暗記できていない。

 当然、動くたびに隊伍(たいご)(隊列)が乱れ、グチャグチャになってしまう。

 

 韓信は、そばにいた酈生(れきせい)に向かって、冷たく言った。

「この程度の人馬では、城や陣で守りを固めることしかできない。

 平時(へいじ)であればこれでも問題ないが、打って出て敵軍と雌雄(しゆう)を争うときには、大変なことになる。

 

 兵卒は大将の位置が分かっていないし、大将は兵卒が何をしているか把握できていない。

 隊伍(たいご)の配列。陣立ての構造。進む、止まる、立つ、伏せるなどの合図。こういうことを何ひとつ習い覚えていないから、味方同士で全く連携が取れない。

 強力な敵と出会ったら、1戦すら持ちこたえられまい。

 

 まあ、いい。

 こんなこともあろうかと、隊伍(たいご)の組み方、陣の作り方、軍中の規則などを、あらかじめ3冊の書物にまとめておいた。

 酈生(れきせい)、この3冊を今夜中に書写して、各部隊に配布せよ。

 この3冊の内容を、法律のように厳格に守るよう伝えるのだ」

 

 酈生(れきせい)は、拝伏した。

「承知いたしました。大元帥の神がかり的な知恵は、尋常の人間では及びもつかないものですな」

 

 というわけで酈生(れきせい)は、その夜のうちに書写を済ませて、翌日、各部隊に韓信の文書を配布した。

 

 

   *

 

 

 このことを韓信が報告すると、劉邦は喜んだ。

「俺のところには、まだまだ大将も足りないし、兵だって少ないからな。

 全部、大元帥に任せるよ。うまく将兵を育ててくれ」

 

 劉邦の許可を得て、韓信はまた訓練場に戻った。

 漢軍の人馬を集め、新たに部隊長を決め、軍の規則を法律のように厳格に覚えさせた。

 そして、この規則に違反した者が現れると、すぐさま首を切って処罰した。

 

 これまで経験したことのない厳しさに、漢軍の将兵たちは震えあがった。

 誰もが背筋を正して調練に(のぞ)むようになり……40日あまりが経過した頃には、各部隊は見違えるように整いはじめていた。

 

「よし。だいぶ良くなってきたな」

 韓信は、出来の良い部隊を集めて、まずは前中後のうちの中軍を編成した。そして、日時を決めて、劉邦に閲兵(えっぺい)を願い出たのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
 本文中に『羽舞(うぶ)』なる踊りの話が出た。これは、羽を手にして舞うもので、「尚書(しょうしょ)(書経)・虞書(ぐしょ)大禹謨(だいうぼ)」に記された()王朝の伝説的聖王、()王の故事に由来する。
 ()が王位につく前、まだ(てい)(しゅん)に仕えていた頃のこと。(てい)(しゅん)()にこう命じた。
「ああ、()よ! 異民族の有苗(ゆうびょう)族が、我らに従わない。征伐してきてくれ」
 ()は軍を組織し、有苗(ゆうびょう)を征伐しに行こうとした。このとき、益(伯益)という人物が、故事を例に挙げながらこう進言した。
「徳は天を動かし、どこまでも遠くに届きます。かつて(てい)(しゅん)は実の父親に憎まれ殺されかけましたが、真心を込めて父に仕えることで父の心をやわらげ、難を逃れました。至誠の心は神をも感動させる。有苗(ゆうびょう)であればなおさらです」
 ()は「その通りだ!」と叫ぶと、軍を撤退させた。そして有苗(ゆうびょう)を招いて舞で楽しませ、心を和ませることで帰服させたのである。
 このとき披露した舞が、(かん)(盾)を持って踊る干舞(かんぶ)。そして羽を持って踊る羽舞(うぶ)であった。
 ……というエピソードなのだが、実はこれも、巻三の注釈で紹介した「偽古文尚書」に記されている逸話である。つまり、本来の「尚書」には収録されていない、後世の捏造ということになる。
 しかも、本文に書いた韓信による上表は、明代中国の「西漢通俗演義」には無い。江戸時代日本で「通俗漢楚軍談」として翻案されたとき、付け足された文章らしい。江戸時代日本での創作に偽古文尚書の内容が反映されているというところから、作者の高い教養が感じられるし、かつての日本で漢籍がどれほど深く親しまれていたのかも偲ばれて、実に興味深い。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。