龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

86 / 197
三十三の下 外に在りては

 

 

 さて。

 この様子を見ていた人が、慌てて朝廷へと馬を走らせ、劉邦に事態を報告した。

 というのも、この殷蓋(いんがい)、劉邦と非常に親しい親戚だったのである。

 殷蓋(いんがい)が遅刻したにもかかわらず妙に余裕のある不遜(ふそん)な態度を取っていたのは、これが理由だったのだ。

 

 劉邦は、話を聞くや、大慌てで蕭何(しょうか)を呼んだ。

「聞いたか! 韓信は(いくさ)を始める前から、俺の大将を1人、斬ろうとしてるぞ! こんなこと、軍にとっても利益は無いだろ?」

 

 蕭何(しょうか)は首を横に振った。

「いいえ、ございます。

 総大将の命令がきちんと守られなければ、どうして敵に勝つことができましょうか。

 もし殷蓋(いんがい)の命を()しんで軍法を有名無実なものにしてしまったら、三軍を制御することは不可能になります。

 韓信が殷蓋(いんがい)を斬るのは、軍法を正すためなのです」

 

 しかし劉邦は食い下がる。

殷蓋(いんがい)は、俺の親戚だ。罪を(さば)くのは仕方ないとしても、殺す理由があるのか?」

 

 蕭何(しょうか)毅然(きぜん)として答える。

「『軍法に(しん)なし』……『軍法においては、親しいかどうかなど関係ない』という、古人のすばらしい教訓があります。

 漢王様、天下国家を治めようというのに、どうして親しいか疎遠(そえん)かで差別をなさるのですか」

 

「でも、でもだな、でも……」

 劉邦は必死に言葉を尽くしたが、蕭何(しょうか)は全く取り合わなかった。

 

 そうこうするうちに時間が過ぎていく。

 早くしなければ殷蓋(いんがい)が斬られてしまう。

 

 焦った劉邦は、大急ぎで酈生(れきせい)を呼び出した。

酈生(れきせい)! すぐに早馬を飛ばして韓信の陣に行け! 俺が(みことのり)を書いたから、これを見せて殷蓋(いんがい)(いのち)を助けてきてくれ!」

 

 

   *

 

 

 酈生(れきせい)は、従者を引き連れて、陣へと馬を飛ばした。

 陣門までたどり着いてみれば、今まさに殷蓋(いんがい)の首へ刃が振り下ろされんとする瞬間である。

 酈生(れきせい)は、慌てて声を張り上げた。

 

「待て! 漢王様の(みことのり)だ! 斬るんじゃない!」

 

 叫びながら酈生(れきせい)は陣の中へ駆けこもうとした。

 が、その直前で、門番の兵たちが立ちふさがって、酈生(れきせい)の馬を止めた。

「大元帥の命令です! 軍中では馬を走らせてはいけません!」

 

 そして、あろうことか酈生(れきせい)を馬から引きずり下ろし、韓信の本営まで引き立てて行ってしまった。

 

 門番たちが、韓信にこう報告した。

(れき)大人(たいじん)が、馬を飛ばして慌ただしく門に入ってきました。

 そこで我々は、ご命令を守って捕縛して参りました」

 

 これを聞いた韓信は、酈生(れきせい)に向かっていった。

「軍中には、馬を走らせて入ることを許さない。これは、悪意ある者によって陣営が脅かされるのを防ぐためだ。

 (れき)大人(たいじん)は、兵法(へいほう)をよくご存知(ぞんじ)のはずだ。どうして軍法を犯したりなさったのか……

 私が思うに、漢王陛下の勅命(ちょくめい)を伝えに来たのではないか?」

 

 門番が、うなずいた。

「はい。(れき)大人(たいじん)は、勅書(ちょくしょ)を持っておられました」

 

「ふむ」

 と、韓信はアゴに手を当て、考えこんだ。

 軍政司曹参(そうさん)を呼んで問う。

「軍中に馬で入ることは許さない。この禁止事項を、(れき)大人(たいじん)が犯してしまった。どうすべきかな?」

 

 曹参(そうさん)が言う。

「軍門で馬を走らせるのは、軽軍(けいぐん)の罪です。首を斬るべきでしょう」

 

 韓信は、うなずいた。

「そうだな。(れき)大人(たいじん)の罪は、確かに斬罪に(あたい)する。

 しかし、(れき)大人(たいじん)は漢王陛下の勅書(ちょくしょ)を届けに来たのだ。(おおやけ)の任務のためにしたことだから、今回は罪を減免して許そう。

 

 だが、軍法を正す姿勢は示さねばならん。

 そこで、(れき)大人(たいじん)についてきた従者の方を斬って、全軍への(いまし)めとしよう」

 

 かくして……

 酈生(れきせい)の従者は、あわれにも首を()ねられてしまった。

 もちろん殷蓋(いんがい)誅殺(ちゅうさつ)され、2人の首は、見せしめとして陣門に掛けられた。

 

 この生首を見て、漢軍の将も兵士も震え恐れ、誰一人として大声でしゃべらなくなったのだった。

 

 

   *

 

 

 なんとか一命を取りとめた酈生(れきせい)は、急いで逃げ帰り、劉邦の前に平伏した。

「臣が勅書(ちょくしょ)を持って韓信の陣に行ったところ、馬を走らせて陣中に入った罪によって、臣は斬られそうになりました。

 しかし、勅使(ちょくし)としての公務中であったから、という理由で臣は許され、代わりに従者を斬り、殷蓋(いんがい)の首と並べて軍門にかけました。

 もし勅書(ちょくしょ)がなければ、臣の(いのち)も無かったところですわい」

 

 劉邦は、思わず玉座から腰を浮かせて激怒した。

「なんだと! この俺が、勅書(ちょくしょ)を送って殷蓋(いんがい)を許したんだぞ! なんで韓信はこんな無礼なんだっ!」

 

 ここで蕭何(しょうか)が口を挟んだ。

「『将、外に()りては、君命(くんめい)も受けざるところあり』……

 大将というものは、軍中においては主君の命令すら拒否して、独自の指揮を行う権限を持つ。これはまさに大将の道なのです」

 

 劉邦は、まだ納得のいかない顔である。

「じゃあ、殷蓋(いんがい)を、なぜ斬った?」

 

「権力のある高貴な者を殺すことで、人々の心を脅すためでしょう。

 こうして、どんなに高貴な者でも処罰されるということを示せば、漢軍の将兵は、ただ大元帥のことのみを気にして、敵国のことを気にしなくなります。

 兵法(へいほう)においては、『国内で主将を恐れている軍は必ず勝ち、国外の強敵を恐れている軍は必ず危機に(おちい)る』と申します。

 韓信は、うまくやってくれております。()がどんなに強くとも、心配なさる必要はございません」

 

 と、ここで酈生(れきせい)が口を開いた。

「韓信は、非常に厳格に軍を引き締め、大将としての道をしっかりと守っております。

 臣は従者を斬られてしまいましたが、むしろ韓信に心服いたしました。いつか()を打ち破るのは、きっと韓信でありましょう。

 

 漢王様、ここは勅書(ちょくしょ)(くだ)して、韓信の行いを賞賛なさってはいかがでしょう?

 韓信の厳格な処置を漢王様も支持していると知れば、諸将はますます慎み、軍はみな規則を守り、軍勢はさらに威勢を増すと思われます」

 

「うーん、そうか……」

 劉邦は、蕭何(しょうか)酈生(れきせい)の言葉を聞き、じっくり考え込むと、やがて、うなずいた。

 

 

   *

 

 

 その日、劉邦の近臣が、酒と羊肉を持ち、勅書(ちょくしょ)をたずさえて韓信の陣を(おとず)れた。

 韓信は、全軍の将兵とともに、(こう)()いて使者を出迎えた。

 金鼓(きんこ)を鳴らして中軍に入り、受け取った勅書(ちょくしょ)を開いてみると、そこには、こう記されていた。

 

 

『将たる者は、軍において専権を任されている。

 軍法がなければ三軍を制御することができず、明確に法を執行しなければ人を心服させることができない。

 

 だから、かつて()国の名将孫武は、軍規を犯した姫君を殺した。それも、その姫君が()王の深く愛する寵姫(ちょうき)であると知ったうえで、厳格に処罰したのである。

 法は、愛情によって恣意的(しいてき)に歪められてはならない。法は、どんな者に対しても、ただ行われるのみである。

 

 汝、韓信大元帥も、殷蓋(いんがい)寡人(かじん)(私)の親しい人物であると知っていた。

 しかし、法は親しさによって歪められてはならない。ゆえに汝は殷蓋(いんがい)1人を誅殺(ちゅうさつ)し、それによって千人万人を(いまし)めたのであろう。

 

 汝の法の用い方は、まさに孫武と同じである。

 汝は、大将としての道を深くつかんでいる。(ちん)は心に喜悦(きえつ)を覚えているぞ。

 

 そこで、(ちん)の近臣を(つか)わし、差し入れとして、羊肉と酒と勅書(ちょくしょ)(たま)う。

 これからもますます心を励まし、将兵を団結させ、早く東征(とうせい)して(ちん)の望みをかなえてほしい。

 ゆえに、この勅書(ちょくしょ)を送る』

 

 

 韓信は、再拝して(たまわ)り物を受け取った。

 勅使(ちょくし)を見送り……その翌日、韓信は、みずから朝廷に入った。

 

 劉邦に謁見すると、韓信は深く(こうべ)を垂れた。

過分(かぶん)(たまわ)り物をいただき、感謝の念に()えません」

 

 劉邦は、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「大元帥が敷いた軍令は、俺の心にピッタリ合っている。賞賛しないはずがないだろう?」

 

 韓信は、会心の笑みを浮かべた。

「臣は大元帥の職を受けました。千万の人命が、この臣の身にかかっております。

 厳格な法がなくては、どうして三軍を(きた)え、正すことができるでしょう。1人でも法を恣意的(しいてき)に運用すれば、万人みな同じことをやりはじめる。

 もしそうなったら、臣は大元帥の職など務めきることができなくなります。

 

 そこで昨日、陛下は勅書(ちょくしょ)(くだ)され、酒と羊肉を(たまわ)りました。

 そのおかげで、軍法は守らねばならないのだと、全軍の大将や兵卒が認識したのです。

 

 陛下は、臣がやろうとしていることを理解したうえで、的確な手助けをしてくださいました。このご恩に(むく)いるためなら、粉骨砕身したとて()いはありません」

 

 韓信は丁重に再拝し、劉邦の前から退出していったのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 軍規厳しくいきわたり、漢の三軍みごとに熟す。今こそ()を打ち破るべく東へ(こま)を進める時。

 だが灰塵(かいじん)と化した(しょく)桟道(さんどう)を前にして、大元帥から無茶な指令が下された。「天下の険阻(けんそ)300里、ここに桟道(さんどう)を再建せよ。ただし期限は1ヶ月!」

 戸惑(とまど)樊噲(はんかい)。できねば処刑。はたして憐れな豪傑の命運や、いかに?

 

 次回「龍虎戦記」第三十四回

 『桟道、修復できません!』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
(1)
 『殷蓋(いんがい)は劉邦の非常に親しい親戚だった』と本文中に書いたが、具体的にどういう関係だったのかは分からない。というかそもそも、殷蓋(いんがい)という人物そのものが史書に存在しない。殷蓋(いんがい)は、「西漢通俗演義」で創作された架空の人物である。
 その関係については、劉邦のセリフの中で『殷蓋乃寡人至親(殷蓋(いんがい)は、私の極めて親しい人物だ)』と言及されているのみで、詳細な設定はなされていない。『至親』という言葉は、かなり近い血縁関係にある親族を指すのが普通なので、親戚の誰かではあったのだろうと思われる。

(2)
『将、外に()りては、君命(くんめい)も受けざるところあり』
 これは孫子の発言に由来する言葉である。「史記・孫子呉起列伝」に『将在軍、君命有所不受(注釈3で詳述する)』とあるほか、「孫子・九変」にも次のように記されている。『将受名於君、合軍集衆(中略)君命有所不受(将が君主から(めい)を受け、軍を組織したときには……君命(くんめい)であっても、受諾してはならないことがある)』
 古代の中国において、軍の統帥権はあくまでも君主が握っていた。軍には君主配下の官僚が監督として同行していたし、前線での戦いに君主がいちいち使者を送って口出しすることもしばしばであった。
 現代のような瞬時に情報を伝える手段など存在しない時代である。こうした戦い方がいかに非効率か、そして軍事に(うと)い君主が口出しだけやりたがる場合にどんな悲惨な結果を産むか、想像に難くない。そこで孫子は、『一度任命したからには、将軍に(いくさ)の全権を任せ、君主は口出ししない。仮に口出しされても、それが良くない命令であれば、将軍の判断で無視してよい』という体制にすべきだと主張したのだ。

(3)
 『かつて()国の名将孫武は、軍規を犯した姫君を殺した』
 このエピソードは、「史記・孫子呉起列伝」に記されている。
 孫子(孫武)は(せい)の人で、兵法の専門家として有名であった。ある時、呉王闔廬(こうりょ)闔閭(こうりょ)とも書く)が孫子を呉に招聘(しょうへい)し、こう言った。
「孫先生の兵法書13(へん)は全て読んだ。試しに兵を訓練してみせてほしい。兵の代わりに女性でもできるか?」
「よいでしょう」
 というわけで、宮中の美女180人を集め、孫子に訓練を実演させることになった。
 孫子は美女を2隊に分けて(げき)を持たせ、闔廬(こうりょ)寵姫(ちょうき)2人をそれぞれの隊長に任命した。孫子が美女たちに問う。
「汝ら、心(胸)と左右の手と背中を知っているか?」
「知っています」
「では、今から合図の太鼓を叩く。『前』の合図で心を見よ。同様に、『左』で左手、『右』で右手、『後』で背中を見るのだ」
「分かりましたわ」
 孫子は太鼓を叩かせ『右』の合図を出した。しかし美女たちは、面白がって大笑いするばかり。
 孫子が言う。
「約束が明確でなく、命令も十分に伝わっていませんでした。これは大将の罪です」
 そして再びさっきの約束事を説明した。くどいほどに念を押したうえで、孫子は『左』の合図を出した。美女たちは、またも大笑い。
 孫子が言う。
「すでに約束が明示されているのに、その法に従わないのは、官吏や兵士の罪である。よって部隊長2人を斬る!」
 一転、その場の空気が凍り付いた。(ろう)の上から見物していた呉王闔廬(こうりょ)も驚愕し、すぐさま使者を走らせて孫子を止めた。
「もういい! 貴公が上手く兵を用いることは、もう分かった! その姫たちがいなければ、私は食事の味も分からなくなるほどなのだ。斬らないでくれ!」
 しかし孫子は、これを一蹴。
「臣はすでに将に任命されました。将が軍にあるときは、たとえ君命であっても受けないことがあるのです」
 そしてとうとう、2人の寵姫(ちょうき)を斬ってしまったのである。
 場がしんと静まりかえったところで、孫子は次席の姫を新たな隊長に任命し、同じように太鼓の合図を出した。美女たちは誰一人として私語を発せず、左右前後すべて命令通りに動いた。
 孫子は平然と呉王闔廬(こうりょ)に報告した。
「これで軍隊は整いました。こちらへ降りてきて、試してごらんになりますか? 王のお望みとあらば、この者たちは火の中でも水の中でも飛び込んでいくことでしょう」
 ……というのが、劉邦が言及した逸話の内容である。
 その場で誅殺されてもおかしくないほどの大胆かつ苛烈なデモンストレーション。しかし呉王闔廬(こうりょ)はこの事件によって逆に孫子の実力を認め、彼を将軍に任命した。こうして呉軍を預かる身となった孫子は数々の戦いで遺憾(いかん)なく才能を発揮し、闔廬(こうりょ)を中華の覇者へと押し上げていったのである。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。