龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十四の上 桟道、修復できません!

 

 

 韓信は、朝廷から本陣に戻ってくると、すぐに樊噲(はんかい)を呼んだ。

樊噲(はんかい)将軍。御辺(ごへん)先鋒(せんぽう)の職を任された身。

 調練も順調に進み、我らが三軍はよく熟してきた。

 いよいよ出陣しようと思う。よろしく頼みますぞ」

 

 樊噲(はんかい)は、力強く拳を叩き合わせて破顔(はがん)する。

「おう! お任せあれい!」

 

 韓信は大きく、うなずいた。

「では、さっそく仕事を頼みたい。

 まずは三秦(さんしん)を攻めたいのだが、(しん)に繋がる桟道(さんどう)は、張良殿が焼き尽くしてしまった。

 このままでは、我が軍を動かすことができない。

 

 そこで樊噲(はんかい)将軍。

 御辺(ごへん)は1万の人夫(にんぷ)を率い、周勃(しゅうぼつ)陳武(ちんぶ)と力を合わせて、桟道(さんどう)を修復してほしい。

 

 期限は1ヶ月だ。間に合わなければ、軍法によって処罰するぞ」

 

 樊噲(はんかい)は青ざめた。

「いっ、1ヶ月!?」

 

 思わず叫んでしまってから、樊噲(はんかい)が、あたふたと言いつくろう。

「い、いや、違いますぞ、別に大元帥の命令に(さか)らうってわけでは、ござらん、のだが……

 あの桟道(さんどう)は、天下一の険阻(けんそ)な土地に、300里(120km)以上も続いているのだ。

 1ヶ月やそこらで、一体どうやって補修すればいいんです?

 

 大元帥。俺を罠にハメて殺すつもりなら、こんな回りくどい手を使わなくても、この場で殺してくれりゃあいいじゃないか!」

 

 慌てふためく樊噲(はんかい)に、韓信は、イタズラ小僧のような目を向ける。

「いやいや。困難な仕事を前にして、挑戦もせずに逃げ出すのは不忠というものですぞ。

 樊噲(はんかい)殿、貴公ならできる!

 桟道(さんどう)修復を成しとげたなら、それは何にもまさる大功だ。力を尽くして功績を立て、三軍の先陣を切って進んでください」

 

 樊噲(はんかい)は、もう半泣きだった。

 ただ通過するだけでもあれほど苦労した桟道(さんどう)を、たった1ヶ月で作り直すなど、どう考えてもできるわけがない。

 

 しかし、これ以上固辞(こじ)したら、また法令違反で罰せられてしまうのではないか……?

 それが怖くて強くも言えない。板挟みの樊噲(はんかい)なのである。

 

「ううっ……分かり、申した……

 なんとか、やってみます……」

 樊噲(はんかい)は、しょんぼりと背中を丸め、涙目で退出していった。

 

 後に残った韓信は、なぜか、笑いをこらえるのに必死である。

「ふ……うふふっ……

 悪いことをしてしまった。ちょっと、からかいすぎたかな? ふふふふふ……」

 

 

   *

 

 

 それからまた、しばらくの時が過ぎた。

 この頃には、韓信による人馬の調練も、完成と言える段階にまで達していた。

 

 軍旗を左に振れば左へ回り、右へ振れば右に回る。前に振れば前進し、後ろへ振れば後退する。

 4つの陣を合わせて1つにすれば長蛇の形を()し、1つの陣を4つに分散させれば東西南北4つの門の形を()す。

 

 前進と後退は規律正しく行われ、進路を開くも閉じるも自由自在。

 軍旗による指揮は明確で、合図の金鼓(きんこ)は正確無比。

 

 陣立ての長さ広さに毛先1つほどの誤差も無く、見る人は(みな)、感服せずにはいられない。

 それほどの仕上がりである。

 

「よし!」

 と手応えを得た韓信は、朝廷に出て、劉邦に奏上(そうじょう)した。

 

「臣は、勅命(ちょくめい)(うけたまわ)って、人馬の調練に取り組んでおりました。

 それが今日、ついに完熟いたしました。

 陛下、どうぞお越しになり、仕上がりをご覧くださいませ」

 

 劉邦は、不思議そうな顔をした。

「いやあ、ついこのあいだ、大元帥が上手く人馬を制御する所を見たばかりだぞ。

 その大元帥が完熟したというなら、実際よく仕上がってるんだろう。今さらもう一度見るまでもなかろうよ」

 

 そこへ蕭何(しょうか)が口を挟む。

「いえ、ここはぜひとも、陛下がみずから行って、ご覧になるべきです。

 大元帥がどれほど規律よく兵を用いるか、その目で見ておかれましたら、征伐(せいばつ)の間も安心して大元帥に軍を任せておけるでしょう?」

 

「なるほど、それもそうだな」

 

 

   *

 

 

 というわけで、後日、劉邦は百官を引き連れ、再び軍の陣中へやってきた。

 

 韓信は、他の大将たちとともに劉邦を出迎え、劉邦を高い台の上へ登らせた。

 この高さから見下ろせば、全軍の様子が手に取るように分かる。

 

 四方の人馬は隊伍(たいご)よく整い、旗幟(きし)は厳格かつ明確。

 前進、後退、左折、右折、どんな激しい動きをしても、陣形は全く乱れない。

 一挙一動、なにもかもが軍法にもとづいて行われている。

 

 劉邦は、おおはしゃぎで韓信に顔を向けた。

「すごいぞ! 大元帥の用兵は、(いにしえ)の孫子や呉子さえ超えてるぞ!

 今すぐ軍を出して東に向かおうぜ!」

 

 韓信が、穏やかに微笑(ほほえ)んだ。

「お待ちを。

 ()討伐(とうばつ)に出る日時については、臣のほうで吉日を選び、陛下に申し上げます。

 陛下の方からは日時を問わないでくださいませ……()()()()()

 

 韓信の口ぶりと、意味ありげな目線を受けて、劉邦は、ハッと小さく息を飲んだ。

「そうか……何か策があるんだな?」

 これ以後、劉邦が再び出発の日時を問うことはなかった。

 

 さて、劉邦が台から降りると、近臣たちが食事の準備を整えていた。

 見れば、数え切れないほどの山海の珍味が、机を埋め尽くしている。

 

 劉邦は、ニコニコと上機嫌に身を乗り出した。

「おーっ、美味そうだなあ! この料理もいいな! それから、これと……」

 

 と、劉邦は、ほんの数皿だけ自分のところに取って寄せると、残りを指して言った。

「うーん、1人じゃあ、こんなに食べきれないなー? どうしようかなー?

 あっ、そうだ! 韓信大元帥! 他の料理は、みんな貴公に差し上げよう。遠慮するなよ。ほら、座って座って!

 

 他の大将たちも、兵士のみんなも、よくこれほどに仕上げてくれた!

 褒美(ほうび)に酒をふるまうぞ! さあみんな、パーッとやってくれ!」

 

 これには漢軍の将兵も大盛り上がり。

 この劉邦の気さくさ、気前の良さ。こういうところは、一国の王となった今でも、泗水(しすい)の亭長だった頃と全く変わらない。

 みな、訓練で乾ききった喉を、ふるまい酒で(うるお)して、大いに士気を燃え上がらせたのであった。

 

 

   *

 

 

 ……が。

 

 そんなふうに盛り上がっているとは(つゆ)知らず、(みやこ)から遠く離れた山中で、とほうもない仕事に押し潰されかけていた男が1人。

 

 もちろん、樊噲(はんかい)である。

 

 樊噲(はんかい)は、韓信の指示通り、1万の人夫(にんぷ)を率いて、桟道(さんどう)の修復工事にやってきたのだ。

 だが、山の険しさは、以前に通った時と相変(あいか)わらず。

 岩石が天まで(つら)なり、樹木は複雑に枝を交差させていて、手がかりらしい手がかりも見あたらない。

 

 だんだん樊噲(はんかい)は腹が立ってきた。

「まさか韓信の野郎、()()つ作戦が思いつかないから、こんな無茶な命令を出したんじゃないだろうな?

 こんなちょっぴりの人夫(にんぷ)だけで300里もの桟道(さんどう)工事をやらせて、工事の遅れを口実に時間稼ぎしようって腹なんだろ!」

 

 そうは言っても、(めい)じられた以上は、やらざるをえない。

 とりあえず地形を確認するべく、樊噲(はんかい)は、周勃(しゅうぼつ)陳武(ちんぶ)を連れて、孤雲(こうん)(ざん)という山に登った。

 

 そこから(なが)めれば、桟道(さんどう)の焼け跡が高所から低所へ縦横(じゅうおう)に走っているのが、つぶさに見える。

 その地形の峻険(しゅんけん)さは、鳥でさえ飛び抜けがたいほどである。

 

 周勃(しゅうぼつ)は、陰鬱(いんうつ)に溜め息をついた。

「こんな桟道(さんどう)、10万の人夫(にんぷ)が丸1年かけたって完成しないぞ……

 ましてや1万人で1ヶ月だなんて、どう考えても()しとげられるわけがない」

 

 しかし樊噲(はんかい)は、苦しげに、うめいた。

「俺もそう思うが……韓信の軍令は厳しい。しかも、漢王様は韓信を深く重んじておられる。

 もし命令を遂行(すいこう)できなかったら、軍令違反ってことになっちまう。できるかできないかは置いといて、とにかくやってみるしかねえ。

 

 あーあ……恨むぞ、張良先生よぅー。先生が桟道(さんどう)を焼いたおかげで、(はん)将軍は、とんでもない苦労をしとりますよぉー!」

 

 

(つづく)

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