樊噲は、人夫に指示を飛ばして工事に取りかからせた。
高いところに支柱を差し込み、低いところに橋をかけ、狭いところは岩石を掘って道を作り、息をつく暇もないほど精力を尽くして働いた。
大変な難工事である。
工事に携わる人々は、口をそろえて罵った。
「張良がバカなことをしてくれたから、俺たちがこんな目にあってるんだ!」
しかし、韓信の定めた軍法は極めて厳しい。
人夫たちは処罰を恐れ、昼も夜も力を出して働き続けた。
その途中で、木に打たれ、石に当たって手足を負傷する者、数しれず。
誰もが疲れ果て、悲しんで泣きわめく声が山の中に響き渡った。
樊噲も必死で工事の指揮に駆け回ったが、力およばず。
「一体どうしたらいいんだ……」
と、樊噲が肩を落として憂えていると……
ある日、太中大夫(天子へ助言を行う官職)の陸賈が、千人ばかりの従者とともに工事現場を訪れた。
「韓信大元帥のご命令です。
もうすぐ漢の大軍が東方へ向けて出陣します。すみやかに桟道修復を完了し、我が軍が通れるようにしなさい。
期限は1ヶ月。決して遅れてはなりません。もし軍の進行が滞ったりしたら、軍法に従って容赦なく処罰しますよ!」
樊噲は、悲痛に絶叫した。
「300里もの桟道を、一体どうやったら1ヶ月で完成させられるってんだ!
陸賈大夫、お願いだ! せめて期限をもう少し緩めてくれよ!」
恥も外聞もなく泣き叫ぶ樊噲。
陸賈は、従者たちに命じて、周囲から人払いをさせた。
二人きりになったところで、陸賈は樊噲に近づき、そっと彼に耳打ちした。
「樊噲殿。今日私が来たのは、実は、韓信大元帥からの密命をお伝えするためなのです。
周囲に悟られぬよう、落ち着いてお聞きくださいよ。
密命というのは……這般這般(かくかくしかじか)……」
陸賈のヒソヒソ話を聞くうちに、樊噲の表情に、みるみる喜びの色が差してきた。
「あ……そういうことかっ」
樊噲が思わず叫びかけると、陸賈が、すばやく彼を手で抑える。
「お静かに。人夫たちには決して悟られてはいけません。
あとは打ち合わせ通りに……」
すっかり元気を取り戻した樊噲は、大きく力強く、うなずいた。
「よしっ、任せろ」
樊噲と陸賈は、2人それぞれ顔面に怒りの形相を貼り付けて、いかにも憤懣やるかたない、といった様子で人夫たちの前へ出て行った。
樊噲が、得意の大音声をうならせる。
「こんな険阻な桟道を、こんな人数で修理するなど! 1年たっても終わるわけなかろうが!
陸賈め! もうお前なんかには頼まん! 俺が自分で漢王様に申し上げて、もっと人を送ってもらうわっ!」
それに対する陸賈も、負けじと怒声を響かせる。
「ああそうですか、じゃあ勝手にするがよろしい!
だが、お忘れなさるな! 韓信大元帥のご命令は極めて厳格ですぞ! 絶対に期限に遅れてはならぬ! 遅れるなよ! 遅れるなよ!」
人夫たちが驚き目を丸くする中で、陸賈は、ぷりぷり怒りながら去っていった。
*
さて、樊噲は、言葉通りに早馬を都へ飛ばした。
樊噲が劉邦へ奉った表は、こうである。
『桟道の工事は非常に大規模かつ困難で、人夫の死亡事故も次々に起きております。
韓信大元帥からは、1ヶ月以内に工事を完了せよ、もし期限を守れなかったら必ず軍法によって処罰する、と、そのように厳命を受けております。
しかし、臣が見積もったところ、この工事は、とうてい1ヶ月程度で完成できるものではありません。
臣は豊沛で挙兵してからこっち、一度たりとも仕事で見積もりを誤ったことはないでしょう。その臣が言うのだから確かです。
このままでは、臣は命を落としてしまいます。
漢王陛下、どうか近隣の郡県にお触れを出して、追加の人夫を集め、こちらへお送りくださいませ。
ほんの千人か二千人でも、かまいません。
臣は今、眉に火がつくほどの、さしせまった危機に直面しております。
どうか臣をお助けください!
臣ら、恐懼感戴のいたりに堪えません。
ここに牙将李隆を差し向け、表を奉り申し上げます』
劉邦は、表を読み終わると、すぐに御史大夫(副丞相のような官職)の周苛を普安郡へ派遣した。
新たな人夫を集めるためである。
こうして樊噲の元へ送られた人夫は、約千人。
樊噲は大いに喜び、50人を1隊として分担を決め、昼夜兼行で桟道工事を続けさせた。
*
ある夜。
樊噲は、ひそかに周勃と陳武を呼び寄せた。
2人が樊噲の宿舎にやってくると、樊噲は、2人をそばに寄せて、ささやいた。
「お前たちに伝えねばならんことがある。
先日陸賈が来たときに、韓信大元帥の秘策を教えてくれたのだ。
いいか、絶対に外に漏らすなよ。実はな……」
と、樊噲が2人に耳打ちする。
周勃と陳武は、驚きに目を見開いた。
「あ……! なるほど、そういうことか」
「どうりで、無茶な命令だと思ったのだ」
樊噲が、うなずいて言う。
「それで、お前たちに頼みたい仕事があるんだ。
お前たち2人は、今夜のうちに……」
そこからしばらく、3人は密談を重ね……
草木も眠る深夜。
周勃と陳武は、100人ほどの部下を連れて、そっと陣から忍び出た。
蔦を手掛かりにして嶺をよじ登り、桟道を走り去っていく周勃たち。
その行動に気づく者は、1人としていなかった。
*
一方。
秦の都咸陽の西……
秦と漢の国境を塞ぐ関門、大散関(散関)に、楚軍大将の章平という者が詰めていた。
この章平という男、秦軍総大将の立場から楚に寝返った、あの章邯の弟である。
名将章邯の弟だけあって、章平もなかなかの戦上手。鉅鹿の戦いの時は、英布に追い詰められた兄章邯を窮地から救い出したりもしている。
(第九回参照)
それほどの実力者だからこそ、漢軍の侵攻を防ぐための重要地点の守りを任されていたのだろう。
実際、彭城にいる軍師范増からは、章平の元へ、こんな手紙が送られてきていた。
『漢王劉邦は、並大抵の人物ではない。
関中の守りが手薄になっているのを狙い、急に軍を出して攻め上ってくるかもしれぬ。
貴公が担当する散関は、漢の侵攻を防ぐ第一の守りである。常に用心して、決して油断しないように』
そのため章平は、人馬をそろえて、しっかりと守りを固めていたのだった。
そんな折である。
軽視しがたい情報が、章平の元に転がりこんできた。
漢王劉邦が樊噲に命じて桟道を修復させ、韓信を総大将として攻め上ろうとしている……というのである。
「范増亜父の仰る通りになったな」
章平は、すぐに早馬を立て、三秦王たちに情報を伝えた。
三秦王とは、秦から楚へ寝返った3人の大将たちのこと。
すなわち……
塞王司馬欣。
翟王董翳。
そして章平の兄、雍王章邯。
この3人である。
さて、雍王章邯は、弟の章平から連絡を受けると、鼻で笑った。
「韓信だと? あの淮陰の股潜り男か?
あれは長く楚に仕えていたが、とうとう出世できなくて、楚から逃げ出した奴だろう。
あんな男、用いるような才能があるものか。
漢王も、どうしてあんな奴を大元帥などに任命したのやら。
韓信みたいに貧しく賤しい男を大将にしたら、将兵が心服しないだろう。三軍を制御することなど、できるはずがない。
しかも、蜀の桟道は300里に連なる天下の険。
張良が全て焼き払ってしまったから、修復は1年たっても終わるまい。
こんな状況で兵を動かそうとは。まるで子供の遊びだな」
それに対して、周囲の大将たちが言う。
「范増亜父は、『常に怠りなく用心するように』と命じなさいました。
まさにその懸念通り、漢軍が動き出したのです。
ここは油断なく戦備を整え、しかるべき大将を援軍として章平のところへ送って、固く散関の守りを固めるべきです」
しかしこの意見を、章邯は笑い飛ばした。
「桟道の修復は、おそるべき大事業だ。漢軍は、すぐには前進できまい。
漢の兵がもし来たら、また章平が改めて連絡してくる。それから軍馬の準備をしても十分に間に合うわ。
まあ、私の推測では、漢軍が動き出したということ自体が誤報だろうがな」
そういうわけで、章邯は何の備えもせず、章平からの使者を帰らせた。
兄の章邯がこの調子であったから、弟の章平もまた、特に用心せずに、のんべんだらりと日を送ったのである。
(つづく)