龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十四の下 桟道、修復できません!

 

 

 それから数日が過ぎた、ある日。

 散関の番兵が、章平のところへ報告を持ってきた。

「ただいま、漢の兵士が100名ばかり、(たず)ねて参りました。

 彼らが言うには、『桟道(さんどう)の修復工事で苦しめられたため、樊噲(はんかい)(うら)んで逃げてきた。こちらの軍に投降したい』と」

 

 章平は喜んだ。

「ほう! 漢軍の動きを知りたいと思っていたところなのだ。

 話を聞こう。その者たちを、すぐに連れてこい」

 

 というわけで、漢兵たちは章平の前へ通された。

 章平が問う。

「お前たちは何者か? どういう理由で投降してきたのか?

 もし少しでも(いつわ)りがあれば、すぐに首を()ねるぞ」

 

 漢兵たちが口をそろえて答える。

「我々は、普安(ふあん)郡(漢の南西の土地)の住民です。

 漢王の(めい)によって桟道(さんどう)工事をさせられていたのですが、一日じゅう食べ物をもらえないうえに、樊噲(はんかい)が、やたらに催促して『1ヶ月以内に完成させろ!』と責め立てるのです。

 ですが、山道はすさまじく険阻(けんそ)で、1ヶ月どころか、1年かけても完成できないほど。

 

 漢王は、韓信を大元帥として軍勢を動かし、三秦(さんしん)に攻めのぼろうとしています。

 しかし、兵士たちは(うら)み怒って、誰一人として心服していません。

 

 私たちは農民で、もっぱら耕作を仕事としていましたが、みんな武芸を好む者ばかり。

 どうか、章平将軍のもとで働かせてくださいませ」

 

 章平は、うなずいた。

「そういうことなら、手下として用いてやろう。

 この中に、誰か大将は、いないのか?」

 

 すると、漢兵の中から2人の男が進み出た。

 そのうちの1人が言う。

「私は姚龍(ようりゅう)、こっちは相棒の靳武(きんぶ)と申します。

 私たちは普安(ふあん)郡の猟師でしたが、漢王の命令で、100人の士卒を率いて桟道(さんどう)工事に(たずさわ)っておりました。

 

 しかし、昼も夜も責め立てられるばかりで、(めし)さえもらえない。

 このまま(むな)しく死ぬくらいなら、と考え、部下を連れて章平将軍の元へ投降して参りました。

 

 どうか、我らに仕事と食事を与えてくださいませ。

 ここで(いのち)を繋いで、太平(たいへい)の時が来るのを待って、故郷に帰りたいと思います」

 

 姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)に、章平が問う。

「漢王は、一体どういうつもりで韓信などを大元帥にしたのだ?」

 

 姚龍(ようりゅう)が、吐き捨てるように答える。

「韓信が兵法(へいほう)を語るのを聞いて、蕭何(しょうか)相国(しょうこく)が、しきりに推薦したのです。

 それで漢王もその気になり、ついに韓信を大元帥としたのですが、大将たちも兵卒たちも、まったく韓信には心服(しんぷく)せず。

 樊噲(はんかい)などは特に怒っておりますし、他にも愛想(あいそ)を尽かして逃亡する者が無数に出ております。

 漢王も、すでに後悔しはじめているとか」

 

 これを聞くと、章平は大笑いした。

「ははははは! そうかそうか。

 よし、お前たち、私のもとで戦って功を立てるがいい。

 しっかり働けば、必ず重く恩賞(おんしょう)を与えよう」

 

 かくして、姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)は、章平の手下となった。

 

 この姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)が、また実によく働くのだ。

 仕事ぶりは誠実で的確。

 ためしに一部隊を任せてみると、章平の意をよく()んで、そつなく兵を動かしてみせる。

 そのうえ人付き合いも上手く、上の大将たちとも、下の兵卒たちとも、すぐに仲良く打ち解けてしまった。

 元が()()()()()()()()()()()()()()ほどの有能さである。

 

「これはよい補佐役を得たぞ」

 章平は喜んだ。

 そしてわずか1ヶ月後には、姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)を、(だい)()(ぱい)(かん)という、命令伝達を担当する役職に抜擢(ばってき)した。

 

 さらに章平は、姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)から得た漢の情報を、三秦(さんしん)王にも報告した。

 そのため、章邯(しょうかん)をはじめとする三秦(さんしん)王たちも、すっかり安心しきってしまった。

 

 

   *

 

 

 一方、そのころ。

 遥か東方、()彭城(ほうじょう)で……

 

 覇王項羽は、日夜、酒色に(ふけ)っていた。

 

 戦時には、あれほど峻烈(しゅんれつ)な戦いぶりを見せた項羽も、いったん天下を手中に収めてしまえば、このありさま。

 (おぼ)れるほどの佳酒(かしゅ)、飽き飽きするほどの美食、そして、あらがいがたい美女の(しとね)。これも男の(さが)、なのであろうか?

 

 いや、むしろ項羽は、退屈だったのだ。

 (いくさ)が終わり、骨の(ずい)まで武人たる項羽は、最も輝ける場を失った。張り合いを無くしてしまったのである。

 

 もちろん天下の覇王となったからには、次は政治に力を入れるのが本当だ。

 しかし項羽にとって、政治などは、面白くない面倒ごとに過ぎなかった。

 そんな気分でいるから、ちっとも政治をかえりみようとしない。

 

 当然、范増(はんぞう)は、ことあるごとに項羽を(いさ)めた。

 しかし、例によって項羽は耳を貸さない。

 

 ()の上層部からも、下々の民衆からも、覇王項羽に対する不満の声があがりはじめた。

 范増(はんぞう)は、片時も安心できなかった。

「このままでは、()の天下が長く続かぬ……」

 

 ある夜。

 范増(はんぞう)は、()の未来を占うべく、天文を見た。

 すると、西南の方角に旺気(おうき)(さか)んに沸き起こり、将星があちこちに散乱しているではないか。

 

「あ……!

 あれは、劉邦が漢中から出陣する予兆に違いない!

 

 ()を離反して漢に向かった韓信……劉邦なら、きっと韓信を重く用いるだろう。おそらく、あの男の仕業(しわざ)だな。

 

 ここしばらく、項羽は仁の心ある政治をせず、殺伐(さつばつ)ばかりを行って、人民の(うら)みを買い、諸侯の離反を招いている。

 項羽が(ほう)じた国々でも乱の気配があり、中でも(せい)の国は特に強大な脅威になっている。

 

 竹は、一部に割れ目が入ると、全体が一気に裂けてしまうものだ。

 この状況で劉邦が攻め上ってきたら……

 おそらく天下も破竹(はちく)のようになる……」

 

 翌日。

 范増(はんぞう)は、さっそく項羽に謁見(えっけん)して、天文の読みを報告した。

「さらに三秦(さんしん)の守りを固くして、劉邦の侵攻を防ぎなされ」

 

 項羽は、鼻で笑った。

「あんな奴、恐れる必要があるものか」

 

 だが、この日は范増(はんぞう)退()かなかった。

 范増(はんぞう)が、あまりにしつこく(いさ)めるので、項羽はとうとう根負けして、手下の武将を呼び寄せた。

季良(きりょう)季恒(きこう)、お前たちに3千騎を(さず)ける。

 よく警戒するよう三秦(さんしん)に伝え、三秦(さんしん)と協力して漢中からの道を防衛しろ」

 

 

   *

 

 

 季良(きりょう)季恒(きこう)は、まず(よう)(みやこ)廃丘に行き、雍王(ようおう)章邯(しょうかん)に項羽の命令を伝えた。

 すると章邯(しょうかん)は笑って言った。

「まったく、范増(はんぞう)亜父(あふ)というお方は! 思慮深いのも、ちと度が過ぎますな。必要もないのに援軍をよこして来られた!

 わしは、漢の情報を、よく知っておりますぞ。まあ、これをお読みなさい」

 

 と、章邯(しょうかん)は、章平から届いた書簡(しょかん)を見せた。

 季良(きりょう)季恒(きこう)が、顔を見合わせる。

「この書簡(しょかん)を読む限りでは、漢王劉邦など恐るるに足らず、という感じですな。

 考えてみれば、韓信は漂母(ひょうぼ)乞食(こじき)し、(また)(くぐ)って(はずかし)めを受けた男。

 漢で大元帥になっても、人々が心服(しんぷく)するわけがない。

 

 まして、桟道(さんどう)は非常に険阻(けんそ)で、1年かけても修復は完了しない……となれば、どうして漢の軍勢がこちらへ出てくることができましょうか。

 

 しかし、我ら2人は覇王様の(めい)を受けて来ましたので、帰るわけにもいきません。とりあえず、ここに留まって防衛任務には()こうと思いますが……」

 

 章邯(しょうかん)は、上機嫌に、うなずいた。

「それはそうですな。

 せっかく遠いところを来てくださったのだ。今夜は酒宴を設けて歓迎いたそう。

 まあ、あまり肩肘(かたひじ)はらず、のんびりしてゆかれよ」

 

 こんな調子であったから、章邯(しょうかん)はもちろん、援軍に来た季良(きりょう)季恒(きこう)の2将も、まったく用心していなかったのである。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 桟道(さんどう)修復が終わるまで漢軍の侵攻はありえない……そう思い込まされ油断しきった三秦(さんしん)()つべく、韓信が軍勢を出発させた。

 陳倉(ちんそう)の小道より(ひそ)かに迫る漢の軍勢。猛将数多(あまた)、兵卒総勢45万。漢()開戦まで、あと5日!

 

 次回「龍虎戦記」第三十五回

 『出陣』

 

 ()う、ご期待!

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