龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十五の上 出陣

 

 

 破楚(はそ)大元帥韓信は、ひそかに人馬の手配を進め、ついに出陣準備を完了させた。

 そして、劉邦に、こう奏上(そうじょう)した。

「明日、東方へ向けて出発いたします」

 

 突然の発表に、漢軍の将兵たちは、とまどった。

「明日出発だって?

 今、樊噲(はんかい)桟道(さんどう)を作っているところじゃないか。

 まだ道も完成してないのに、韓信大元帥は、どこから三秦(さんしん)に出るつもりなんだ?」

 

 当然の疑問である。

 これを劉邦に(うった)える者があったので、劉邦も、

「確かに変だな」

 と首をかしげ、蕭何(しょうか)相国(しょうこく)を呼び寄せた。

 

「なあ蕭何(しょうか)、韓信が『明日出発する』と言ってきたんだ。

 まだ桟道(さんどう)ができてないのに、どうやって三秦(さんしん)に出るつもりなんだろうか?

 (けい)が行って、聞いてきてくれ」

 

 

   *

 

 

 その夜、蕭何(しょうか)は軍の本陣に顔を出し、韓信に対面した。

「韓信大元帥。明日、東征(とうせい)に出発なさるそうですな。

 しかし、漢王様は『一体どこの道から進むつもりなのか』と疑問に思っておられる。

 どのような計画になっているのです?」

 

 韓信は、薄く微笑(ほほえ)んだ。

相国(しょうこく)は、かつて張良が桟道(さんどう)を焼いた時、他に道があることを知りなさったのでしょう?

 なぜ今になって、そんなことを問いなさるのです」

 

 蕭何(しょうか)は、難しい顔をする。

「いや、確かに別の道があるとは聞きましたが、どこにその道があるのか、詳しいことはいまだに知らぬのです。

 そこへきて、大元帥が樊噲(はんかい)(めい)じて桟道(さんどう)の修理を始めたでしょう。

 一体どういうつもりなのかと、私自身も疑問に思っていたのですよ」

 

 韓信は会心の笑みを浮かべた。

樊噲(はんかい)桟道(さんどう)修理を(めい)じたのは見せかけです。

 三秦(さんしん)王だって当然こちらに間者(かんじゃ)(まぎ)れ込ませているから、この情報はすぐに伝わる。

 桟道(さんどう)の修理には、誰が見たって1年以上かかる。少なくともその間は漢軍の侵攻はない……と、三秦(さんしん)王に思い込ませるのが狙いです。

 

 こうして三秦(さんしん)王を油断させておき、我らは(ひそ)かに陳倉(ちんそう)小路(こみち)から進む。

 行程は5日。1年間は襲って来ないはずの漢軍が、たったの5日でいきなり散関に姿を現せば、三秦(さんしん)は慌て驚き、『漢の兵は天から舞い降りてきたのではないか?』と恐れおののくでしょう。

 そうなれば、もう散関は手に入ったようなものです。

 

 蕭何(しょうか)相国(しょうこく)、この秘策を漢王陛下にお伝えして、御心(みこころ)(やす)んじていただけますか。

 ただし、計画が外部に()れないよう、充分にお気をつけて……」

 

 蕭何(しょうか)は大いに喜び、急いで朝廷へ帰った。

 

 時刻は深夜に達していたが、劉邦はまだ(とこ)につかず、蕭何(しょうか)の帰りを待っていた。

 蕭何(しょうか)から韓信の秘策を伝え聞くと、ようやく劉邦も納得し、ほっと胸をなでおろしたのだった。

 

 

   *

 

 

 次の日。

 劉邦は、全軍に出陣を命じた。

 

 韓信が手塩にかけて調練してきた軍勢、その数は……

 劉邦がもともと連れてきた20万。

 その後に加わった15万。

 そして韓信みずから近隣の郡県で募集・選抜した10万。

 総勢45万にも(ふく)れあがっていた。

 

 この大軍を、韓信は4隊に分けて編成した。

 

 先陣たる第1隊を率いるのは、漢軍の先鋒、樊噲(はんかい)

 つい先日まで桟道(さんどう)修理を指揮していたはずの樊噲(はんかい)だが、韓信が大将孫興(そんこう)を送って交代させ、(ひそ)かに呼び戻しておいたのである。

 

 韓信は、樊噲(はんかい)の指揮下に8名の猛将を与え、こう命令した。

「この先の道は、かなりの難所だ。

 山に出会えば道を作り、川に出会えば橋をかけ、あとに続く味方の進路を切りひらけ。

 ただし、怪しい物音や動きを見ても、軽率に攻撃してはならない。まず後ろの軍に報告し、軍令を待ってから攻めよ」

 

 続く第2隊の指揮官は、夏侯嬰(かこうえい)

 その配下には、猛将10人と精兵2千騎を(さず)けた。

「貴公らの役目は、先鋒樊噲(はんかい)を支えることである。

 先鋒が戦って勝ったときは、すばやく兵を駆って敵に攻めかかり追撃せよ。

 逆にもし先鋒が負けたなら、急いで前進して先鋒を救出するのだ。

 手にあまるほどの重大な事態が起きたら、後方の主力部隊に報告して対策を待て。

 しかし、決して退却してはならない。お前たちが壁となって敵を防ぎ止めよ」

 

 第3隊は、韓信みずから(ひき)いる主力部隊。

 猛将40人。兵も40の部隊に分割し、前後左右に(すき)なく配置した。

 

 そして第4隊は、漢王劉邦の(ひか)える後軍である。

 大小の百官を引き連れ、傅寛(ふかん)周昌(しゅうしょう)の2人に監軍(かんぐん)を任せて、緊急事態が起きたらすぐに対応する体勢を整えた。

 

 以上の配置が全て完了すると、韓信は、第1隊から順に、東へと進軍を開始させた。

 劉邦は、(みやこ)の東門の外にある高い丘に登り、漢軍の姿を見送った。

 

 一糸乱れず進んでいく、強壮な軍馬。

 その威容は、次のようなものだった。

 

 九宮(きゅうきゅう)四象(ししょう)八卦(はっけ)(いずれも占術の重要概念)を考慮に入れ、五行・十干(じっかん)十二支(じゅうにし)に対応して配列する。

 部隊には陰陽の区別があり、陣形には前後があり、大将には紀律があり、兵士には整然とした隊伍がある。

 

 旗印は赤帝の真紅。

 軍を先導する旗振り役は、5方向に配置する。

 全軍を制御する者は王。

 威儀と号令は全て()征伐(せいばつ)を目的とする。

 

 人には、それぞれ才能があるから、その能力を(はか)って用いる。

 疲弊した人馬は、その度合いが増すに従って軍から取りのぞく。

 

 体格の大きな者は弓や(いしゆみ)を引き、

 体格の小さな者は(げき)(ほこ)を持つ。

 力の強壮な者は軍旗を振り、

 力の小弱な者は金鼓(きんこ)を鳴らす。

 

 遠くを見る視力が無い者は号令を耳で聞き、

 聞くことができない者は風火を目で見る。

 体が()えた者は騎馬軍となり、

 体が()せた者は歩兵軍となる。

 

 毎日よく食い体力のある者は先駆(さきが)けとなって戦い、

 毎日200里を走れる者は敵の機密を探る。

 

 灌嬰(かんえい)将軍は、4人の牙将(がしょう)(ひき)いて先行し、

 文官張倉(ちょうそう)は、3人の文士を(ひき)いて後ろに続く。

 陸賈(りくか)大夫(たいふ)は2人の謀士(ぼうし)とともに地理を調査し、

 博士叔孫通(しゅくそんとう)は、8人の副官を(ひき)いて兵を監督する。

 

 盧綰(ろわん)靳歙(きんきゅう)は主将の熊羆(ゆうひ)(熊のように勇敢な者)となり、

 薛欧(せつおう)陳沛(ちんはい)は中軍の驍将(ぎょうしょう)(勇ましい将)となる。

 

 三軍は虎の如く。

 士の多きことは雲の如し。

 鼓動(こどう)神威(しんい)を明らかに示して万象(ばんしょう)を震わせ、征伐(せいばつ)の旅を煮溶(にと)かして千の兵に分けてふるまう……

 

 この壮観(そうかん)に、劉邦は限りなく喜んだ。

「これほどの軍馬なら、()を破ることも難しくないな!」

 

 劉邦がはしゃいでいると、そこへ韓信が現れた。

「漢王様。

 臣は、漢王様より2日先行して進みます。

 漢王様は、後陣の軍勢を(ひき)いて徐々にお越しください。

 臣が先に散関を攻め取り、漢王様をお迎えいたしましょう」

 

 と、自信満々に言い残して、韓信は進発した。

 

 漢中の人々は、身分の高い者も低い者も、みんな道に立って大軍が通過していくのを見物した。

「昔から、軍勢が動いたことは何度もあるが、これほど威儀(いぎ)のある軍は見たことがない」

 と、人々は口をそろえて感嘆(かんたん)したのだった。

 

 

(つづく)

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