龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十五の下 出陣

 

 

 さて、次の日。

 まだ漢中の(みやこ)(とど)まっている劉邦は、ふと思い出して、蕭何(しょうか)を呼んだ。

蕭何(しょうか)よ。

 このあいだ、『各地の郡県の長老たちを招き集めろ。俺から話しておきたいことがあるんだ』と(めい)じただろう?

 まだ長老たちは集まってないのか?」

 

 蕭何(しょうか)が答える。

「いえ。おびただしい数の人民や長老たちが、すでに朝廷の門前に集まっております。

 どうも、漢王様が東征(とうせい)なさると耳にして、『三秦(さんしん)を平定して()を破ったら、きっと(みやこ)咸陽(かんよう)に置かれるだろう。そうしたら、もう漢王様のお顔を拝見することもできなくなる』と不安がっているようで。

 しかし、ここ数日は昼も夜も漢王様の業務がギッシリ詰まっておりましたから、ご報告せずにおりました」

 

 劉邦は、機嫌よく笑う。

「おいおい! みんな、俺を(した)って集まってくれてるんだろ? 忙しいなんて言ってられるかよ!

 すぐ連れてこいよ、はやくはやく!」

 

 蕭何(しょうか)はすぐに連絡して、門を開かせた。

 こうして朝廷に招き入れられた漢中人民は、実に数百人。

 お互いに押しあいへしあい、先を争って劉邦の御前に雪崩(なだれ)こみ、劉邦の顔を一目見ようと、(みんな)してニョキニョキ首を伸ばした。

 

 朝廷の番兵は、この民衆が無礼を働いてはまずいと思い、声を荒げて怒鳴りつけた。

「百姓、(つつし)め! やかましく騒ぐんじゃない!」

 

 だが劉邦は、逆に番兵のほうを りつけた。

「こらこら! この人たちは俺の民衆だぞ。でかい声を出して脅かすんじゃねえよ!」

 

 そして劉邦は玉座から立ち上がり、(だん)の端まで出て顔を見せた。

 

 民衆はどよめき、一斉に拝伏した。

 

 民衆の中で一番の長老が言う。

「漢王陛下が漢中の地にお越しになってからというもの、風雨も安定し、万民は日々の仕事に安心して取り組めるようになりました。

 (いにしえ)の聖帝(ぎょう)(しゅん)の時代と少しも違わぬ太平が訪れたのです。

 

 しかし陛下は、軍隊を出発させて東征(とうせい)なさるそうで……

 漢王様、いつ漢中に戻って来られますか? 再び我らを治めてくださる日は来るのでしょうか?」

 

 長老の言葉を聞いて、あちこちから、すすり泣きの声があがりはじめた。

 王の権力は、強大である。税も賦役(ふえき)も刑罰も、王の考えひとつで左右される。王が「死ね」と言えば民衆は死なねばならない。そういう時代である。

 もし悪い君主がのさばれば、たちまち民衆は地獄の苦しみに突き落とされるのだ。どうにかして寛大で親切な王に留まってもらいたい……そう民衆が切実に願うのも、無理のないことだった。

 

 こうして民衆に引き止められることは、劉邦の政治の成果そのものと言える。劉邦は、民衆につられて涙ぐみ、うんうんと嬉しそうに、うなずいた。

「みんな、ありがとうよ。

 でも、そんなに別れを悲しまないでくれ。俺は、凶暴な()を滅ぼして、天下の民を苦しみから救いたいんだ。みんなが安心して自分の仕事に取り組めるようにさ」

 

 長老が、また(たず)ねた。

「ですが、漢王陛下がこの地を離れなさった後、どんなお方が漢中を守りなさるのです?」

 

 劉邦は、にっこりと笑って、広間の隅のほうを指した。

「ほら、そこにいる相国(しょうこく)蕭何(しょうか)を残していくよ!

 漢中は蕭何(しょうか)に守らせる。心配はいらないぜ!」

 

 これを聞くと、長老は手のひらで、ペチン! と(ひたい)を打った。

「あ! (しょう)相国(しょうこく)が守ってくださるなら、何の不安もありませんわ!

 こりゃあ、私ら民衆にとっては一番の幸せだ!」

 

 ここで劉邦は、民衆たちの中から(さん)郷老(きょうろう)を呼び出した。

 (さん)郷老(きょうろう)というのは、民間から選出された地方自治の責任者である。

 

 劉邦は、漢中を統治するにあたり、(いにしえ)の法に(のっと)って細かな土地区分を作っていた。

 まず街道の10里を1亭と定め、亭の(おさ)、すなわち亭長を置く。

 さらに10亭を1郷と定め、郷ごとに3人の責任者を置いた。これが(さん)郷老(きょうろう)である。

 

 (さん)郷老(きょうろう)は、1人ずつ異なる役割を任される。民間での法令執行、耕作の統括、訴訟の管理がそれである。

 つまりは、村長のようなものだろうか。正式な役人ではないが、役人に準じる存在として行政の末端を(にな)うのが(さん)郷老(きょうろう)なのだ。

 

 その(さん)郷老(きょうろう)の前で、劉邦は告文(こくぶん)を読み上げさせた。

 

(いにしえ)明王(めいおう)たちは、天下を治めるにあたって、まず民を安心させることに力を尽くし、民を安心させるには教化(きょうか)(人々に教えて善に導くこと)を第一とした。

 そうしてこそ上で行った政治が下々まで行き届き、素朴で情に厚い気風が広がり、一国が穏やかに平和を保って至高の統治にいたるのだ。

 

 (ちん)は、この漢国を治めはじめて以来、朝から晩まで心を込めて統治の方法を探ってきた。(みやこ)南鄭(なんてい)に建て、人民とともに至高の統治へいたろうと考え、さらにはこの道を天下に繋げて統一を成し遂げようと考えてきた。

 ゆえに今、お前たちに大切なことを教えさとしておこうと思う。

 これは善を為し、悪を去り、吉に(おもむ)き、凶を避けて、長く体と家を保つ道である。

 

 まず、家には一家の長がある。

 そして郷には一郷の長がある。

 

 一家の長たる者は、その家の子弟に教えをほどこし、詩書を購読し、道理を明らかにせよ。

 父は子に慈悲を持ち、子は父に孝行し、兄は弟を愛し、弟は兄を尊敬し、尊卑(そんぴ)長幼(ちょうよう)の順序をよく守れ。決して家族同士で奪い合ったり争い合ったりしてはならない。

 仁愛と謙譲の心を持ち、互いに打ち解けあい、親睦し、(なご)やかに暮らせ。

 そうすれば、一家に幸福が(おとず)れるだろう。

 

 一郷の長たる者は、その郷の士農工商に次のようなことを勧めよ。

 士は、義理を大切にし、課せられた業務をしっかり勤める。

 農は、田畑をよく耕して、租税をきちんと納める。

 工は、技術を役立てることを第一とし、度を超えた技巧に()らないようにする。

 商は、人々の暮らしを良くするために心を砕き、財産を遊蕩(ゆうとう)に費やさないようにする。

 

 大人物も小人物も心を穏やかにし、年長者も若い者も仲良くせよ。

 戦ったり告訴したりして刑罰を受けるハメにならないよう気を付けよ。

 賭博や(みだ)らな楽しみに没頭して、(すさ)んだ道に落ちていかないようにせよ。

 手を遊ばせ、暇ばかり好んで、生きる意志を失うことのないようにせよ。

 他人の財産を盗んでその人を死に追いやらせないようにせよ。

 郷を出入りするときは同郷の者と一緒に行き、家畜の見張りをするときには互いに手伝い、婚姻や葬式の時には(となり)近所で助け合うようにせよ。

 

 このようにすれば、郷の中は礼節・音楽などの文化もゆったりとして、風俗は純朴な美しさを持ち、豊かになり、寿命ものび、気楽に太平を楽しめるようになる。

 これが一郷の幸福というものだ。

 

 こういう言葉がある。

『善を行えば天は百の恩恵(おんけい)(くだ)すが、悪を行えば天は百の(わざわ)いを(くだ)す』

 善悪への天の(むく)いは、少しも間違うことがない。

 

 お前たちをここへ呼び、こうして教えさとしているのは、お前たちに善の道を進んでほしいと思うからである。

 もし(ちん)の教えに従わずに悪行をする者がいたら、日向(ひなた)には国法があり、暗闇には鬼神の目があるのだ。決して罪から逃れることはできないぞ。

 だから、よく(つつし)み、(ちん)の教えを忘れずに守るのだぞ』

 

 告文を聞かせ終わると、劉邦は民衆に酒と食事を(たまわ)って、それぞれの郷に帰らせた。

 

 

   *

 

 

 その後で、劉邦は蕭何(しょうか)を呼んだ。

蕭何(しょうか)よ。

 (けい)は、漢中に(とど)まって民衆を治め、安心させてくれ。

 農業や養蚕(ようさん)奨励(しょうれい)し、刑罰はなるべく(はぶ)き、税は軽くして、善行を賞賛(しょうさん)して広め、悪行は罰してくれ。

 そうして本拠地の漢中を安定させ、俺たちの遠征軍に兵糧(ひょうろう)を送り続けるんだ。

 これが(けい)の役目だぞ」

 

 蕭何(しょうか)は、深々と再拝した。

(つつし)んで王命を(うけたまわ)ります。漢中のことは臣にお任せあれ。

 願わくは、一日も早く勝ち(いくさ)の報をお聞かせくださいますよう……」

 

 さて……

 直接戦場に出ることのなかった蕭何(しょうか)は、ここから先、()漢戦争終結までほとんど出番らしい出番がない。

 にもかかわらず、戦後、最大の功労者として劉邦に名指しされたのは、他ならぬ蕭何(しょうか)であった。

 

 劉邦や韓信が(いくさ)に明け暮れている間、表舞台から遠く離れた後方で、蕭何(しょうか)は他の誰にもできない戦いに従事していたのだ。

 本拠地を安定させ、莫大な物資と増援の兵を絶え間なく送り続けて、漢軍を強力に支援する……という、地味で地道な戦いである。

 安定した兵站(へいたん)は、軍にとって最も重要な強みとなる。もし蕭何(しょうか)の働きがなかったら、劉邦は、あっというまに項羽に押し潰されていただろう。

 

 鬼謀奇策で何度も状況をひっくり返した軍師張良。

 大軍を率いて無敵の項羽とわたりあった大元帥韓信。

 彼らのような華々しい活躍とは無縁だが、宰相蕭何(しょうか)もまた、まぎれもなく漢三傑の一人なのである。

 

 

   *

 

 

 時に大漢元年、乙未(いつび)秋八月一日。

 この日、漢王劉邦は軍勢を(ひき)いて漢中から出発した。

 

 蕭何(しょうか)は、(みやこ)に残る官僚たちを(ともな)って、東門の外まで見送りに出た。

 各地の郡県の人民たちも、劉邦を(した)い、別れを()しみ、道々に集まって涙を流した。

 

 劉邦もまた、恋々(れんれん)と後ろ髪を引かれつつ、東へと駒を進めていったのだった……

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 かつて逃亡者として乗り越えた道を、韓信は大軍引き連れ進んでいく。あの日の出会いと約束を思い、韓信はある人物を探させた。

 と、そのとき乱石灘の石橋へ、山より飛び出す虎一匹。さらに猛獣の後を追い、槍を片手に躍り出る男あり。荒ぶる獣を前にして一歩も退かぬこの勇士、はたしてその正体は?

 

 次回「龍虎戦記」第三十六回

 『虎殺しの男』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
『善を行えば天は百の恩恵(おんけい)(くだ)すが、悪を行えば天は百の(わざわ)いを(くだ)す』
 この言葉は「書経(尚書)・伊訓」に見られる。原典での表現は『作善降之百祥、作不善降之百殃』である。
 「伊訓」とは『伊尹(いいん)の訓戒』の意。(いん)王朝の始祖天乙(てんいつ)に仕えた政治家伊尹(いいん)は、天乙(てんいつ)の死後、その孫の太甲(たいこう)にも仕えた。しかし太甲(たいこう)は暴虐であったため、伊尹(いいん)は様々な文書を上奏して(いさ)めたという。その文書の一つが「伊訓」である。上記の言葉は、太甲(たいこう)に立派な君主として善を行うよう教え(さと)すものなのだ。
 しかしこの「伊訓」もまた、巻三の注釈で紹介した「偽古文尚書」に収録されたものである。
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