龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十六の下 虎殺しの男

 

 

 辛奇(しんき)は狩猟が趣味で、このあたりの山という山を駆け回ってきた男。地形や道筋は知り尽くしている。

 その辛奇(しんき)を得て、韓信は、にわかに動き出した。彼は、地理に詳しい道案内が自軍へ加わるのを待っていたのである。

 

 韓信が、さっそく辛奇(しんき)(めい)じた。

「ここから大散関へは、2日の行程だ。

 まだ敵に気づかれていないうちに、不意打ちを仕掛けたい。

 

 御辺(ごへん)は道案内として樊噲(はんかい)将軍とともに進軍し、すぐさま大散関へ攻めかかれ。

 もし早急に敵を打ち破れないようなら、無理はせず私の本隊が到着するのを待て」

 

「おう!」

 辛奇(しんき)は、樊噲(はんかい)とともに(いさ)んで飛び出していった。

 

 続けて韓信は、第二隊の夏侯嬰(かこうえい)を召し寄せた。

夏侯嬰(かこうえい)殿、御辺(ごへん)樊噲(はんかい)の先陣に続いて兵を進め、樊噲(はんかい)が散関へ攻めかかるのを見たら、陣屋を構えて軍馬を休め、少しも動かずに気力を養いなさい。

 

 御辺(ごへん)らの出番は、樊噲(はんかい)が散関を打ち破った後だ。

 今度は御辺(ごへん)が先陣となって一気に(よう)(みやこ)廃丘を攻め、三秦(さんしん)章邯(しょうかん)と戦う。

 この時、樊噲(はんかい)が逆に第二隊となって、御辺(ごへん)らを支援する手筈(てはず)だ」

 

「承知!」

 夏侯嬰(かこうえい)もまた、(めい)を受けて去っていった。

 

 韓信は、ここで兵士に(めい)じて、漢王劉邦の現在地を調べさせた。

「漢王陛下の後陣は、寒渓(かんけい)を過ぎたあたりを、ゆるゆると来ておられます」

 

 報告を聞いて、韓信は、うなずいた。

「それでいい。さて、いよいよだな……」

 

 

   *

 

 

 韓信は、さらに兵を進めて三岔(さんた)(さん)にやってきた。

 ここまで来れば、(しん)の入り口たる散関は、もう目と鼻の先である。

 

 韓信は、大将たちに、こうこぼした。

「かつて私が漢へ逃げてきた時、このあたりで道に迷い、しかも()軍の追手も迫っていて、どうにもならなくなったのだ。

 そのとき、1人の木樵(きこり)に出会った。

 

 道を(たず)ねると、木樵(きこり)は親切に教えてくれたよ。

 だが私は……この木樵(きこり)から追手に私の居場所が漏れるのではないかと恐れて……非情にも、木樵(きこり)を殺してしまったのだ。

 

 そして木樵(きこり)の遺体を道端に埋め、土で覆い隠して、私は逃げ走った……」

(第二十七回参照)

 

 韓信の表情は暗い。

 あのときしてしまったことが、いまだに彼の心の中で尾を引いていると見える。

 目的のためには手段を選ばぬ冷徹な男のようでいて、その実、冷酷にはなりきれない韓信なのであった。

 この自己矛盾が、韓信の人間味であり魅力であり、同時に弱点でもある。

 

 韓信は、付近の住人を雇って(ひつぎ)を作らせ、木樵(きこり)(しかばね)を掘り出して、三岔(さんた)(さん)の松林の中に改葬した。

 そこへ石を積んで墳墓を築き、その上に石碑を建て、こう文字を刻んだ。

 

『大漢元年、乙未(いつび)秋八月七日。破楚(はそ)大元帥淮陰(わいいん)の韓信、義士樵夫(しょうふ)のために立つ』

 

 その墳墓の前で大将たちとともに葬送の祭祀を行い、大将の周苛(しゅうか)祭文(さいもん)を読み上げさせた。

 

『大漢元年歳次(さいじ)乙未(いつび)、八月十三日壬戌(じゅんじゅつ)の日。破楚(はそ)大元帥韓信が(つつし)んで供物(くもつ)三岔(さんた)(さん)木樵(きこり)の霊に捧げて申し上げる。

 

 ああ、汝、木樵(きこり)は世の不運に()い、我が身を立てる策無く、山に入って(たきぎ)を取って暮らしていた。

 私に出会って道を聞かれた時、汝は渓流(けいりゅう)の渡れる場所を指さして教えてくれた。

 

 それなのに私は、()兵がやってきて、汝の口から私の行先が漏れることを恐れ、他にどうしようもなく汝を斬ってしまった。

 

 私の仁の心は、あのとき深く傷を()ったのだ。

 

 あのとき、ひとまず汝に土をかぶせて目印とし、遺体が水に流されることを防いだ。そのおかげで、私は汝が教えてくれた道に従って漢にたどりつき、今こうして私の志を述べることもできた。

 

 私の職務は、国境の外で戦うこと。兵は三秦(さんしん)へと下ってきた。

 三岔(さんた)(さん)の入口までやってきた今、汝を改めて葬り直そう。

 

 我らの進軍は慌ただしく、汝に十分な恩返しをすることもできないが、もし汝の霊魂がこの儀式を見ているならば、どうか私の真心(まごころ)、義の心を(かんが)みてほしい。

 願わくは、この(もてなし)を受けよ』

 

 こうして、ねんごろに祭祀を行った韓信は、付近の住民を集めて(めい)じた。

「この墳墓に(びょう)を立て、季節ごとに祭祀を行ってくれ」

 

 それからというもの、住民たちは韓信の(めい)を守り、木樵(きこり)の祭祀を子々孫々受け継いでいった。

 そのため、木樵(きこり)の墳墓の遺跡が、今でも残っているのだという。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 (しん)の喉口たる大散関へ、疾風(はやて)の如く襲い掛かるは韓信率いる漢の軍勢。主将章平は驚愕狼狽(ろうばい)しつつも必死の防戦を試みる。だがその時、韓信が仕込んだ必勝の策が章平の背後で発動した。

 項羽と劉邦、二大英雄(しのぎ)を削る大戦争、その幕開けを、とくと御覧(ごろう)じよ!

 

 次回「龍虎戦記」第三十七回

 『楚漢戦争、勃発』

 

 ()う、ご期待!

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