辛奇は狩猟が趣味で、このあたりの山という山を駆け回ってきた男。地形や道筋は知り尽くしている。
その辛奇を得て、韓信は、にわかに動き出した。彼は、地理に詳しい道案内が自軍へ加わるのを待っていたのである。
韓信が、さっそく辛奇に命じた。
「ここから大散関へは、2日の行程だ。
まだ敵に気づかれていないうちに、不意打ちを仕掛けたい。
御辺は道案内として樊噲将軍とともに進軍し、すぐさま大散関へ攻めかかれ。
もし早急に敵を打ち破れないようなら、無理はせず私の本隊が到着するのを待て」
「おう!」
辛奇は、樊噲とともに勇んで飛び出していった。
続けて韓信は、第二隊の夏侯嬰を召し寄せた。
「夏侯嬰殿、御辺は樊噲の先陣に続いて兵を進め、樊噲が散関へ攻めかかるのを見たら、陣屋を構えて軍馬を休め、少しも動かずに気力を養いなさい。
御辺らの出番は、樊噲が散関を打ち破った後だ。
今度は御辺が先陣となって一気に雍の都廃丘を攻め、三秦王章邯と戦う。
この時、樊噲が逆に第二隊となって、御辺らを支援する手筈だ」
「承知!」
夏侯嬰もまた、命を受けて去っていった。
韓信は、ここで兵士に命じて、漢王劉邦の現在地を調べさせた。
「漢王陛下の後陣は、寒渓を過ぎたあたりを、ゆるゆると来ておられます」
報告を聞いて、韓信は、うなずいた。
「それでいい。さて、いよいよだな……」
*
韓信は、さらに兵を進めて三岔山にやってきた。
ここまで来れば、秦の入り口たる散関は、もう目と鼻の先である。
韓信は、大将たちに、こうこぼした。
「かつて私が漢へ逃げてきた時、このあたりで道に迷い、しかも楚軍の追手も迫っていて、どうにもならなくなったのだ。
そのとき、1人の木樵に出会った。
道を尋ねると、木樵は親切に教えてくれたよ。
だが私は……この木樵から追手に私の居場所が漏れるのではないかと恐れて……非情にも、木樵を殺してしまったのだ。
そして木樵の遺体を道端に埋め、土で覆い隠して、私は逃げ走った……」
(第二十七回参照)
韓信の表情は暗い。
あのときしてしまったことが、いまだに彼の心の中で尾を引いていると見える。
目的のためには手段を選ばぬ冷徹な男のようでいて、その実、冷酷にはなりきれない韓信なのであった。
この自己矛盾が、韓信の人間味であり魅力であり、同時に弱点でもある。
韓信は、付近の住人を雇って棺を作らせ、木樵の屍を掘り出して、三岔山の松林の中に改葬した。
そこへ石を積んで墳墓を築き、その上に石碑を建て、こう文字を刻んだ。
『大漢元年、乙未秋八月七日。破楚大元帥淮陰の韓信、義士樵夫のために立つ』
その墳墓の前で大将たちとともに葬送の祭祀を行い、大将の周苛に祭文を読み上げさせた。
『大漢元年歳次乙未、八月十三日壬戌の日。破楚大元帥韓信が謹んで供物を三岔山の木樵の霊に捧げて申し上げる。
ああ、汝、木樵は世の不運に遭い、我が身を立てる策無く、山に入って薪を取って暮らしていた。
私に出会って道を聞かれた時、汝は渓流の渡れる場所を指さして教えてくれた。
それなのに私は、楚兵がやってきて、汝の口から私の行先が漏れることを恐れ、他にどうしようもなく汝を斬ってしまった。
私の仁の心は、あのとき深く傷を負ったのだ。
あのとき、ひとまず汝に土をかぶせて目印とし、遺体が水に流されることを防いだ。そのおかげで、私は汝が教えてくれた道に従って漢にたどりつき、今こうして私の志を述べることもできた。
私の職務は、国境の外で戦うこと。兵は三秦へと下ってきた。
三岔山の入口までやってきた今、汝を改めて葬り直そう。
我らの進軍は慌ただしく、汝に十分な恩返しをすることもできないが、もし汝の霊魂がこの儀式を見ているならば、どうか私の真心、義の心を鑑みてほしい。
願わくは、この饗を受けよ』
こうして、ねんごろに祭祀を行った韓信は、付近の住民を集めて命じた。
「この墳墓に廟を立て、季節ごとに祭祀を行ってくれ」
それからというもの、住民たちは韓信の命を守り、木樵の祭祀を子々孫々受け継いでいった。
そのため、木樵の墳墓の遺跡が、今でも残っているのだという。
(つづく)
■次回予告■
秦の喉口たる大散関へ、疾風の如く襲い掛かるは韓信率いる漢の軍勢。主将章平は驚愕狼狽しつつも必死の防戦を試みる。だがその時、韓信が仕込んだ必勝の策が章平の背後で発動した。
項羽と劉邦、二大英雄鎬を削る大戦争、その幕開けを、とくと御覧じよ!
次回「龍虎戦記」第三十七回
『楚漢戦争、勃発』
乞う、ご期待!