龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十七の上 楚漢戦争、勃発

 

 

 漢の大軍が、陳倉(ちんそう)(どう)からヒタヒタと(しん)に忍び寄っていた、同じころ……

 

 三秦(さんしん)の喉口を守る散関では、守将の章平が、すっかり油断しきっていた。

 漢から投降してきた2人の将、姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)に軍務を預け、自分はたまに様子を見る程度。この2将が優秀なものだから、任せっきりにしてしまっていたのである。

 

 それでも漢の動きは気になると見えて、章平は、ときどき斥候(せっこう)を出して桟道(さんどう)修理の進捗(しんちょく)を調べさせた。

 

 その報告によれば、

「最近、漢の大将の孫興という者が、樊噲(はんかい)と交替して桟道(さんどう)修理の監督になりました。

 しかし、人夫(にんぷ)の数がだんだん減ってきており、残った者も、ことごとく疲れ苦しんでおります」

 とのこと。

 

 姚龍(ようりゅう)が言う。

「漢の軍勢が出てくるというのは、みんな誤報でしょう」

 

 靳武(きんぶ)も、うなずく。

「漢中は、よく治まっていて、漢王劉邦は思うがまま享楽(きょうらく)(ふけ)っております。どうして遠大なる天下統一の(こころざし)など保っておれましょうや」

 

 章平は大笑いした。

「そうだろうな。

 軽々しく韓信などを用いて大元帥にしたところを見ても、漢王が人間というものを分かってないことは明らかだ。

 

 しかも、300里もの桟道(さんどう)を作るのに、あんな少数の人夫(にんぷ)しか用いないのでは、完成が何年後になることやら。

 たとえ漢王が攻めてきたとしても、恐るるに足らぬわ」

 

 そういうわけで、章平は、毎日酒を飲んで暮らしていた。

 仕事は、放っておいても姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)が済ませておいてくれる。なんとも楽ちん……

 

 

   *

 

 

 などとふぬけていた、その時である。

 早馬が散関へ転がり込んできて、慌てふためき報告した。

「ただいま漢軍が! どこから出てきたのか、さっぱり分かりません!」

 

 章平は眉をひそめた。

「なに? 落ち着いてしゃべれ」

 

「漢軍です! ここから50里(20km)離れたところに、漢の大軍が現れました! 野にも山にも敵兵が満々に満ちております!

 『先鋒樊噲(はんかい)』と書かれた旗を先頭に、5万騎以上でこちらへ攻めかかってきていますッ!」

 

 章平は仰天(ぎょうてん)した。

「なんだと!? 漢軍が……一体どこから来たというんだ!?」

 

 姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)は、落ち着いた様子で章平をなだめた。

「いやいや、5万騎だの、攻めてくるだの、そんなのは、おそらく見張りの者の勘違(かんちが)いでしょう。

 桟道(さんどう)の修理が終わっていないのに、漢軍が出てこられるはずがありません。

 

 私が推量するに、樊噲(はんかい)は攻めて来たのではありますまい。桟道(さんどう)工事で苦しみ疲れ、逃亡して、()に投降してきたのでしょう。

 ここは、もう一度よく状況を調べ、軍を動かすにしてもその後にすべきです」

 

「なるほど、そうか……」

 章平は納得し、調査のために斥候(せっこう)を出しながら、時を過ごした。

 

 だが、この様子見が、結果的には大失敗だった。

 モタモタしている間に樊噲(はんかい)の軍勢が散関に肉薄し、(とき)の声をあげ、太鼓を叩き、猛烈な勢いで攻めかかってきたのである。

 

 章平は、心臓が飛び出て魂が消えるほどに驚き、大慌てで姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)を呼んだ。

「とんでもない事態になってしまった!

 もはや一刻の猶予(ゆうよ)もない。すぐに三秦(さんしん)王に報告して救援を求めねばならん!

 血路を切り開くため、まず私が打って出て一戦する。

 汝ら2人は、固く四方の門を守って、散関を敵から守り抜くのだ!」

 

 姚龍(ようりゅう)は、力強く()け合った。

「章平将軍、心配無用です。

 それがしが千人の兵を分配し、昼夜問わず四方を巡回させておきます。どうして敵に散関を奪われることなどありましょうや」

 

 章平は、この頼もしい言葉に喜び、3千余騎を率いて門を開け、打って出た。

 

 

   *

 

 

 章平の()軍は、樊噲(はんかい)の漢軍と城外において対峙(たいじ)した。

 

 樊噲(はんかい)が、出合い(がしら)に大音をあげる。

章邯(しょうかん)司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)の3人は、(しん)の士卒20万を項羽に殺させた!

 そのうえで、みだりに三秦(さんしん)王となり、富貴を(むさぼ)っている!

 

 ゆえに天罰を下すため我ら天兵(てんぺい)(天命を受けた正義の兵)がやってきたのである!

 章平よ、さっさと門を開いて降伏せよ! さもなくば、1人ずつ首を()ねてやるっ!」

 

 対する章平も、笑って言い返す。

「漢王劉邦は、漢中に(ほう)ぜられたことに満足できず、みだりに兵を出して命を失おうというわけか!」

 

 樊噲(はんかい)は怒りで(まなこ)を吊り上げた。

「命を失うかどうか、試してみるかァッ!」

 

 かつてあの項羽をさえひるませた樊噲(はんかい)の怒声。

 その大音声(だいおんじょう)で天地を震わせるや、樊噲(はんかい)は軍勢を引き連れ駆けだした。

 

 刀を舞わして打ちかかる樊噲(はんかい)。章平が槍を手にして迎えうつ。

 火花を散らして刃を打ち合わせること20合あまり。樊噲(はんかい)の剛力に押された章平は、(かな)わぬとみて逃げ出した。

 

「逃がさねえ!」

 樊噲(はんかい)が猛然と追いかける。

 さらにその後ろから、辛奇(しんき)が兵を駆って突き進む。

 

 この追撃で、章平の兵はみるみるうちに討ち取られていった。

 章平は、ほうほうのていで逃げ走り、わずかな残兵だけを連れて、どうにか城門の中へ転がりこんだ。

 

 追ってきた樊噲(はんかい)辛奇(しんき)は、散関の門が閉ざされているのを見ると、息も継がせず攻城戦に取りかかった。

 鉄砲や火矢を打ち込んで、休む間もなく攻め立てる。

 しかし、さすがの要害、大散関。守りは堅固で、そう簡単には落ちそうもない。

 

 そのとき、伝令が来て、樊噲(はんかい)たちに報告した。

「大元帥の軍が追いついてこられました」

 

 樊噲(はんかい)辛奇(しんき)は、韓信を出迎えて、ここまでの戦況を報告した。

「……というわけで、とりあえず勝つには勝ちましたが、あの散関は、ちょっとやそっとで落ちそうにはありませんぞ」

 

 韓信は平然として報告を聞くと、近くの山に登って地形を観察した。

 東西南北、四方を(なが)め……

 

 韓信は、ニィッ……! と会心の笑みを浮かべた。

「――章平、すでに我が計に落ちたり!」

 

 

   *

 

 

 韓信は、大軍を手配して、散関へ再度攻撃を仕掛けた。

 大勢で火矢を射かけ、さらに10座以上の風火砲(大砲)を構えて一斉に発射した。

 その威力によって山は崩れ、崖は破れ、城内の者たちは震えおののいた。

 

 章平はますます驚き恐れ、兵に(めい)じて必死に守りを固めていた。

 そこへ、韓信がみずから馬を出し、城の前で声をはりあげた。

「散関を守る大将に一言(ひとこと)伝えたい!」

 

 これを聞いた章平は、城壁の上に姿を現した。

 章平の背後には、姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)が100人ほどの兵を率いて立っている。

 

 その様子を見ながら、韓信は鞭を(かか)げて呼びかけた。

「項羽は無道である! 暴虐を()し、約束を反故(ほご)にして天子の地位を奪い取った。

 しかも義帝を弑逆(しいぎゃく)までしたから、天下の人々は(みな)歯ぎしりしているのだ。

 

 それゆえ今、漢王様は兵を起こして項羽の罪を正そうとしている。

 章平! 汝は、なぜ投降してこないのか!

 どうしても城門を閉じて我ら天兵(てんぺい)を防ぐというなら、私がたちどころに汝の首を()ねてやるぞ!」

 

 これを聞いた章平は、激怒して言い返した。

「この私は、(よう)章邯(しょうかん)の一族であり、なにより、この大散関の守将である!

 どうして汝のような(また)(くぐ)り男に降伏などしようか!」

 

「そうか」

 韓信は、冷たく笑った。

「では、しかたないな」

 

 その時である。

 突如、姚龍(ようりゅう)靳武(きんぶ)が背後から章平に飛びかかり、(もとどり)(まげ))を(つか)んで床にネジ倒した。

 

 

(つづく)




●注釈
 韓信が散関を攻撃するとき、『風火砲』(「西漢通俗演義」では『風火大砲』)なる兵器を使用している。作中の描写から、これは火薬によって砲弾を打ち出すもの、要するに大砲なのだと考えられる。
 しかし、火薬兵器の実用化は12世紀のこと。紀元前の楚漢戦争時代に大砲などあるはずもない。ここまでたびたび登場している鉄砲(爆弾)と同じく、時代考証を(おそらくはわざと)無視して登場させられている兵器である。
 なお、『風火砲/風火大砲』なる名称は、「水滸伝」からの引用と思われる。梁山泊百八星の一人轟天雷・凌振は火器の専門家だったが、彼が大砲から打ち出す三種の砲弾が『風火炮・金輪炮・子母炮』であった。
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