龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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三十八の下 韓信 対 章邯

 

 

 一方、こちらは漢軍の陣。

 韓信は、漢軍の諸将を集めて言った。

「さて。

 ああして我が軍の(なま)けきった姿を見せておけば、章邯(しょうかん)は好機と見て夜襲をしかけてくるだろう。

 敵の裏をかくための布陣を申し伝える。

 

 樊噲(はんかい)! 陳武(ちんぶ)

 汝ら2人は、3千騎で、北から来る()軍の進路を(ふさ)げ」

「はっ!」

「おうっ!」

 

夏侯嬰(かこうえい)! 周勃(しゅうぼつ)

 御辺(ごへん)らは、同じく3千騎で南を遮断だ」

「承知!」

「お任せを!」

 

「私、韓信が指揮する中軍は、本陣を抜け出し30里後退して待機。

 敵の主力は、(から)の本陣を狙ってくるだろう。

 

 そこで……

 辛奇(しんき)! 靳歙(きんきゅう)

 お前たちは、精鋭5千騎を率いて本陣の左に伏兵せよ。

 灌嬰(かんえい)! 盧綰(ろわん)

 そなたらも、同じく精鋭5千騎で本陣の右に伏せるのだ。

 

 章邯(しょうかん)の軍勢が攻撃してきたら、左右2方向から一斉に打って出て、敵の横っ腹を叩け。

 これで完全勝利できる!」

 

 厳しい調練で(きた)え抜かれた漢軍は、てきぱきと動き出した。

 そして日が暮れるころには、とどこおりなく全員の配置を完了していたのである。

 

 

   *

 

 

 そうとは知らぬ章邯(しょうかん)たちは、夜の二更(にこう)(午後10時ごろ)に城門を大きく開き、(ほり)の吊り橋を下ろした。

 北門からは季良(きりょう)

 南門からは(りょ)馬通(ばとう)

 そして西門からは章邯(しょうかん)

 3方向に分かれての同時出撃である。

 

 金鼓(きんこ)は鳴らさず、馬にも兵士にも(ばい)を噛ませて、音を立てぬよう忍びやかに進んでいく。

 

 こうして、章邯(しょうかん)率いる主力部隊は、十分に漢の陣へ接近すると……

「行くぞ!」

 と(とき)の声で天地を震わせ、蜂の群れのように漢の本陣へ殺到した。

 

 が。

 

 (いさ)んで突入したものの、漢の本陣は、もぬけの(から)

 兵の姿ひとつ見えない。

 

 章邯(しょうかん)は青ざめた。

「しまったっ……やられた!

 敵の計略だ! 退()け、退()けえっ!」

 

 その時である。

 章邯(しょうかん)の周囲で鉄砲が鳴り響いたかと思うと、左右から、漢の伏兵が一斉攻撃を仕掛けてきた。

 

 すさまじい猛攻。射こまれる矢は、さながら空を埋めて飛び交う飛蝗(ひこう)(バッタ)の群れのよう。

 ()兵が次々に射抜かれ、(しかばね)と化して倒れていく。

 

 そこへさらに、本陣の後方から韓信率いる大軍までもが突入してきた。

 

 章邯(しょうかん)の軍勢は3方向から敵に包まれて、7つにも8つにも分断された。

 周囲を漢軍に囲まれて、なすすべもなく各個撃破されていく()兵たち。

 戦死者の数は、もはや数えきれないほどである。

 

 地獄のような激戦の中で、章邯(しょうかん)自身も(いのち)を捨てて戦っていたが……

 その時、一本の矢が飛来した。

 

「ウオォッ!?」

 叫ぶ章邯(しょうかん)。矢は、章邯(しょうかん)の右肩に深々と突き刺さった。

 章邯(しょうかん)が、矢を受けた衝撃で落馬しかける。

 

(よう)王様っ!」

 左右の大将たちが、とっさに駆け寄って章邯(しょうかん)の体を支えた。

 おかげでどうにか落馬だけはまぬがれたものの、この負傷では、もはや武器を握ることもできない。

 

 このままでは全滅である。

 章邯(しょうかん)配下の大将たちは、脱出路を切り開くべく、死に物狂いで戦った……

 

 

   *

 

 

 一方。

 廃丘の北門から出撃した季良(きりょう)季恒(きこう)は、まだ漢の陣に到達もしないうちに、樊噲(はんかい)陳武(ちんぶ)の3千騎に襲われて、四方八方へ蹴散らされた。

 

 同様に(りょ)馬通(ばとう)と孫安も、南門から出て進んでいたが……

 

 道の途中で、孫安が不意に馬を止めた。

(りょ)馬通(ばとう)、ちょっといいか?」

「なんだ」

 

「さっきも言ったが、韓信の軍が急に(おご)(なま)けた姿を見せ始めたのは、どう考えても変だ。おそらく計略だろう。

 

 不用意に飛び込めば、敵の罠にまんまとハメられてしまう。

 いったんこの場所に留まって、合戦の様子をうかがったほうがいい。

 

 そうすれば、味方が罠にかかって負けた時、我らが中央の道へ出て、追撃してくる敵を食い止め、味方の敗軍を救出することができる。

 もし本当に漢軍が戦備(せんび)をしていないと分かったなら、それから攻めこんでもよいわけだし……

 御辺(ごへん)、どう思う?」

 

 (りょ)馬通(ばとう)は、低くうなった。

「しかしなあ。(よう)王様は、3方向から同時に攻撃せよ、と(めい)じなさったのだぞ。

 ここに留まっていたら、軍令違反の罪に問われてしまう」

 

 もっともな心配である。

 しかし孫安は熱弁した。

「大将たる者の道は、『彼を知り(おのれ)を知る』ことが全ての根本だ。

 この(いくさ)で言えば、韓信の実力を正確に知ることが一番大切なのだ。

 

 私が見るに、韓信の用兵の技は、かつての武信君(ぶしんくん)項梁(こうりょう)様とは比べものにならない。

 武信君(ぶしんくん)を討ち取ったのと同じ戦術で韓信に勝てるとは、とても思えん」

 

 (りょ)馬通(ばとう)は、悩んだ末に、うなずいた。

「……そうだな。

 わかった。ひとまず足を止めて様子を見よう」

 

 こうして(りょ)馬通(ばとう)・孫安の部隊はいったん停止した。

 結果として、この判断は大正解であった。

 しばらくすると、中央の本隊から早馬が飛ぶように駆けてきたのである。

 

「漢軍は、夜襲に備えておりました! 味方は(みんな)打ち負けてしまいました。

 どうか、お早く中央の道に出て、(よう)王様をお救いください!」

 

 孫安が叫ぶ。

「それ見たことか! 私の言ったとおりだ!」

 

 (りょ)馬通(ばとう)と孫安は、すぐさま軍勢を動かし、中央の道へと駆けつけた。

 見れば、章邯(しょうかん)の軍は、漢の大軍に猛烈な勢いで追い回され、今にも壊滅しそうになっている。

 

 そこへ(りょ)馬通(ばとう)・孫安が割り込み、必死の防戦を試みた。

 道を(さえぎ)り、漢軍を押し返し、(みずか)ら壁となって退路を確保する。

 (りょ)馬通(ばとう)・孫安の奮闘によって、漢軍は思うように前進できなくなってしまった。

 

 

   *

 

 

 韓信は、(りょ)馬通(ばとう)・孫安の戦いぶりを見ると、いともあっさり、

「兵を後退させよ」

 と命令を出した。

 

 横にいた文官張倉(ちょうそう)が、不思議がって首をかしげる。

章邯(しょうかん)は、もう力尽きて、ひたすら逃げ走っているのみです。

 ここは、はやく追いかけて生け捕りにすべきではありませんか?

 あんな少数の救援を見て追撃をあきらめるとは、なぜなのです?」

 

 韓信は、いつものように薄く微笑(ほほえ)んだ。

「兵法に『窮寇(きゅうこう)は追うことなかれ』という。

 窮地(きゅうち)(おちい)った敵は必死で抵抗する。無理に追いつめると、こちらも予想外の損害を出す危険があるのだ。

 

 しかも、時刻は深夜。地の利もない。

 もし敵に伏兵があったら、ここから逆転負けをする可能性さえある。

 今夜の戦果としては、もう十分だ。今が退()(どき)だよ」

 

 かくして、韓信は(かね)を鳴らして全軍に合図し、悠々(ゆうゆう)と撤退していったのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 怒涛の猛攻を続ける韓信。奇策によって廃丘の()軍を蹂躙(じゅうりん)し、次なる敵へと狙いを定める。

 三秦(さんしん)王のいま二人、(さい)司馬(しば)(きん)(てき)董翳(とうえい)。力を攻め、心を攻める、硬軟おりまぜた兵法の妙。その速きこと、まさに風の如し。

 

 次回「龍虎戦記」第三十九回

 『三秦平定』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
(1)
 夜襲に備えて配置を決めるシーンで、樊噲(はんかい)とともに陳武(ちんぶ)が登場している。しかし「通俗漢楚軍談」や「西漢通俗演義」では、ここの人物名が『陳武(ちんぶ)』ではなく『柴武(さいぶ)』となっている。
 この陳武(ちんぶ)柴武(さいぶ)、実は同一人物である。「史記」の中でも巻によって名前が異なり、「史記・淮南衡山列伝」では『棘蒲(きょくほ)(こう)柴武(さいぶ)』の名が挙がっているが、「史記・高祖功臣候者年表」においては棘蒲(きょくほ)(こう)の名は『陳武(ちんぶ)』とされている。
 この混乱が「軍談」にも影響したと見えて、回によって両方の名前が使われてしまっている。たとえば第三十四回や第三十七回では『陳武(ちんぶ)』だったのに、この三十八回では『柴武(さいぶ)』、という具合である。
 このままでは読みにくいため、本作では初登場時の名前である陳武(ちんぶ)に統一して表記することとした。

(2)
 張倉という将(文官)が登場した(名前だけは第三十五回でも挙げられている)。「通俗漢楚軍談」や「西漢通俗演義」では『張倉』だが、「史記」など史書での表記は『張蒼』。劉邦の下で働き続け、後に漢の丞相(じょうしょう)に昇り詰めた人物である。
 今回の注釈でたびたび触れたように、「軍談」「演義」には、史書から微妙に名前を変更された人物が何人もいる。

(3)
 「孫子」からの引用が複数あるため、まとめて紹介する。
『彼を知り(おのれ)を知る』……これは「孫子・謀攻」の、非常に有名な文章の一部である。『彼を知り己を知らば、百戦して(あやう)からず。彼を知らずして己を知らば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、毎戦必ず(あやう)し』。彼は敵軍、己は自軍のことを指す。戦う前の情報収集と分析の大切さを説いている。
窮寇(きゅうこう)は追うことなかれ』……こちらは「孫子・軍争」の一節である。原文は『窮寇勿迫』。大軍を運用するときにやってはいけないことの例として挙げられている。
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