魔法使いの誕生
イギリス、マンチェスター州。
クレアモント通り。
ハリエット・ソーン、ここに眠る。
「
それが、母の最後の言葉だった。
俺が生まれてすぐ、父は交通事故で死んだ。
母は一人で仕事をして、家事をして、俺を養ってくれた。俺はそんな母が大好きだった。
だから、家事を手伝ったり、学校で他人より遥かに良い成績を取った。
だが、限界が来た。母は病気に罹った。
治せないわけではない。だが、莫大な治療費がかかる。
母は自分が生きることを諦めた。
払えるか分からない治療費より、俺に残す金を貯めることを選んだ。
当然、母は倒れた。
家から動けなくなり、家事は全て俺がやるようになった。
そのせいで学校に行く時間も無くなってしまったが、母の側にいられたからよかった。
そして、母は死んだ。
苦しい。もう嫌だ。
何も考えたく無い。今はただ、一人で·········
コンコンコン、と。玄関がノックされる。
母の葬儀は終わった。遺産相続の話も、終わったはずだ。
今更、母に客など来るはずがない。
もちろん、自分に友達などいない。
···········強盗か?
ギギギ、と扉が開く。
ああ、そういえば立て付けが悪くなっていた。
母の葬儀が終わってから外に出ていないから、忘れていた。
────戦おう。この家を、奪われるわけにはいかない。
「ウゥゥウオオオオォォォッッッ!!」
暴れる、暴れる、暴れる。
体が黒いモヤのようになり、敵に叩きつける。
感情が溢れる。怒りが、悲しみが、殺意が漲り、力が増す。
異常な力。物を浮かせたり、火をつけたり。様々なことができた力を。
母を助けられなかった役立たずの力を、感情のままにぶつけた。
「···············強いね、爺さん」
「勝手に入ってすまんの、アルバート。君に話があるのじゃ」
不思議な雰囲気の老人だった。
結局、負けた。
久しぶりに、他人に会った。母の葬儀以来だ。
「儂は魔法使いなんじゃ。そして君にも、その能力が備わっておる」
「····················」
··········そう、なのだろう。
いつもは勝手に他人の思考が流れ込んでくるが、この老人の考えは読めない。
「その能力は
「·········ああ、やっぱり。爺さんも
なんでもわかるのだ。それも勝手に。
あそこのスーパーは卵が安いとか、取り留めもないことまで聞こえてくる。
それだけではない。心の中に秘めた秘密も、聞こえてしまう。
だから
「心を開く術があるように、心を閉ざす術もある。練習すれば、その『声』を聞かないようにすることも出来るのじゃ」
「だろうね。誰だって、隠したい秘密はある」
俺も、出来ることなら誰にも言いたくない秘密を持っている。
···············ああ、爺さんもそうなのか。
「爺さん、家族を亡くしたのか。それも、自分のせいで」
「··············本当に驚きじゃ。まさか君の歳でここまで優れた開心術を扱えるとは」
「別に心の奥まで分かったわけじゃないよ」
この老人の心を隠す術はとても優れている。
だが、表面的なことは分かる。
「警戒、同情···········共感。警戒はまあ、うん」
襲われたんだから当然だな。
「同情と共感は、自分と同じようなことになったから。もしくは、友達がそうだった。違う?」
「おお、アルバート。君の推察通りじゃ。儂は己の傲慢さのツケで、妹を失った」
···············ああ、わかる。
愛していたんだろう。でも、自分の中でも分からなくなってしまった。
愛している
···············悲しいほどに、似ている。
「なあ爺さん。俺の話を、聞いてくれるか」
「聞くとも。儂は君より歳を重ねておるが、耳は無事じゃ」
初めて異常な力が備わっていることを知ったのは、母の家事手伝いをしている時だった。
朝から晩まで仕事をして、家で家事をしていた母は疲れていた。
だから、うっかり包丁を落としてしまった。
「母さん、危ない!」
「·········え?あ、アルバート!」
母の足に落ちるはずだった包丁は止まった。
それが、始まりだった。
「母さん、大丈夫?休んだほうが·······」
「大丈夫。お母さんは、大丈夫だよ」
母は俺の言うことを聞いてくれなかった。
あんなに、心配したのに。
結局、病気になった。
病気になっても、『大丈夫』と言い続ける。
············分かっている。
母の心を、俺は聞いていた。
母親として、子供に弱いところを見せたくないことなど、分かっていた。
でも、母は大丈夫と言ってしまう。
病気に罹っているのに、仕事に行こうとした。
家から出ることすら出来ないほど弱っていたのに、俺のために、頑張ろうとした。
···············俺は、限界だった。
俺は日々成長している。
昨日出来なかったことが、今日は出来る。
今日出来たことが、明日は息をするように簡単になる。
俺が成長していくほど、母は弱っていった。
仕事に行けなくなった。
家から出られなくなった。
立つことすら、ままならなくなった。
母の命を吸って、俺が成長していくようだった。
なのに、母は止まってくれない。
···············だから、力に縋った。
母を止める方法を、考えた。
そして、最悪の方法を考えてしまった。
「アルバート、お水、持ってきてくれる?···············アルバート?」
「············どうしたんだい、
「あら、
「ああ。君が体調を崩したと聞いたから、
俺の父、アルバート・ソーン・シニアは出張に行っただけで、生きている。
そういうふうに、母の記憶を変えた。
変えたのは、母の記憶だけではない。
家の中の写真などの痕跡を、改竄した。
父が生きているように。そして。
「ジュニアを見なかった?家にいるはずなのだけど···········」
「
これで、母を騙した。
「それより、
「そうね。そうするわ」
···············俺が言っても『大丈夫』しか言わなかった母は、父になった俺の言葉をすぐに聞いた。
だから、俺はアルバート・ソーン・ジュニアからアルバート・ソーン・シニアになった。
ずっと、
俺は起きている時は、ずっと。
母の心を覗いて、母が違和感を抱いていないかをずっとチェックした。
父の顔で、父の声で生活した。母が苦しい思いをしないように、母の夫として声をかけ続けた。
母が寝ている時も、夢を見させた。
母が楽しかった時の夢。幸せだった時の夢。
父は生きていて、母は健康で。俺は、そんな家族の夢を見せ続けた。
ある時、気が緩んだ。まだ寝ているはずの母が、起きていた。
俺はアルバート・ソーン・ジュニアのままだった。失敗だった。
俺は焦って、母になんて言おうか考えて············
「
「···············え?」
母は、夢と現実の違いがわからなくなった。
母の中では父は生きている。
そしてもはや、
俺ではなく、愛する夫を。
アルバート・ソーン・シニアを見ていた。
正直に言おう。母は俺のせいで狂った。
そして、俺も。俺ではなく父を見ている母を見続けて、父を恨むようになった。
同じ名前なのに、母は俺の言うことを聞かず、父の言うことは聞く。
同じ名前なのに、俺の名前を呼んでくれない。
アルバートは、母にとって父の名前なのだ。
···············終わりが近づいていた。
病気は母の体を蝕み、その命に手をかけていた。
だから、
包丁を止めたように、母の心臓を止める。
手を握って。母は楽しい夢の中で。
ハリエット・ソーンの人生は夢の中で終わるはずだった。
「
眠っていたはずだった。
夢を見ていたはずだった。
なのに、なのに───!
「そんな·············そんなこと、そんな···········」
『心覗き』は、母の心を見ていた。
母は、気付いていた。俺が俺であることに。
俺が父のふりをしていたことに、気付いていた。
おそらく、あの失敗の時から。
それでも、俺の努力を無駄にしないように、黙った。
怖かった。ずっと、バレたかもしれないことが、怖かった。だから、見て見ぬふりをした。
母が違和感を抱いていないかをチェックしているふりをして、心の奥を見ることを恐れた。
結局、母の献身を見抜くことが出来なかった。
結局、母を助けられなかった。
母は愛してくれたのに。俺は、母の愛を見ようとしなかった。
俺の方が、母を見ていなかった。
アルバートは、俺の名前だったのに。
ずっと、俺の名前を呼んでくれていたのに。
「··········人生には間違いが起きる。悲しいことに、それらは心のすれ違いが故に起きることが多い」
「それでも。俺が知ろうと思えばすぐに分かった。すれ違いなんて、起きなかった」
老人は慰める。悲しいすれ違いだったと。
少年は言う。自分の怠慢さが母を殺したのだと。
「俺は、もういい。もう十分に生きた」
「いいやアルバート。君の人生はまだまだ続いてゆく。君の母君も、それを望んでいるはずじゃ」
·············ああ、そうだろう。
自分を殺そうとする息子に、ありがとうなんて言うんだ。
「確かに、母さんは生きろって言うだろうね」
だが、これからどうする。母の遺産は正直言って少ない。
15歳になる前に尽きるだろう。
「おお、ようやくその話が出来る。アルバート、君への手紙じゃ」
ホグワーツ魔法魔術学校
校長 アルバス・ダンブルドア
マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員
親愛なるソーン殿
このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。
新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。
敬具
副校長 ミネルバ・マクゴナガル
「············ホグワーツ?」
「君や儂のように、魔法を使える者達が魔法について学ぶ学校じゃ。君にとって、とても良い経験や思い出となるじゃろう」
なるほど。魔法使いのための学校か。
「じゃあ最後に。爺さん、名前は?」
老人は、少し驚いたように目を開いて。
「儂が校長のダンブルドアじゃ」
愛を知っているが、失った者。
老人と少年は共感し合った。