“ビュンッ、スーッ、ビュンッ”
春の訪れと共に、マルセル村の男衆は畑に赴き作業に勤しむ様になる。
女衆は冬眠から目覚めたホーンラビット牧場のウサギたちの角落としの仕事に取り掛かる。この作業を怠ると村中が危険なホーンラビットの巣窟になってしまう為、気を抜く事の出来ない大切な仕事である。
畑脇のビッグワームプールの土を掘り出し畝作りの前に混ぜ込んだり、スライムを捕まえて来ては草原で刈り込んだ草と混ぜ込んでビッグワームプールに餌として投げ込んだり。
多くの仕事を抱えた大人たちは中々訓練場には来られなくなってしまう。
だがそんな閑散とした村の訓練場では、冒険者になる事を夢見る子供たちが今日も木刀を振りながら己の技術の研鑽に勤めている。
「よし、素振りを止めて集合しなさい」
ボビー師匠の合図にそれぞれの練習を中断し集まる子供たち。
今年で十歳になる彼らは、子供と言ってもかなり大きく成長していた。特にジミーは既に百七十センチは有ろう体格にまで成長しており、ぱっと見は村の若者としか見えない程であった。ジェイクとエミリーも百五十センチを超える背丈で、既に授けの儀を終えた村のお兄ちゃんケビンが「俺が一番背が低い」と嘆き、死んだ様な目のケイトに慰められていたと言う。
そんな元気で大きく育つ彼らの姿に、村の剣術指南役ボビーは嬉し気に目を細める。
ボビー老人が剣術指南役に就いた当時は、ここマルセル村の状況は酷いものであった。村長ドレイク・ブラウンの尽力により冬の餓死者こそ無くすことに成功していたものの、子供たちはやせ細り、貧困の寒村である事には変わりがなかった。
「子供たちに少しでも生き残れる力を与えてやって欲しい」
村長ドレイク・ブラウンの想いは貴族や高位冒険者との人間関係に疲れ切っていたボビーの心を突き動かすに十分なものであった。
ボビーは時に単身魔の森に赴きホーンラビットを狩っては子供たちに分け与え、少しでも栄養を取れる様に、身体を成長させる事が出来る様にと尽力した。
あの巣立って行った子供たちは今どうしているのか、無事に生活する事が出来ているのだろうか。
ボビー老人の心には常にその思いがあった。
そんな彼にドレイク村長代理から齎された朗報、マルコ老人の息子カシムの生存報告は、ボビー老人の心に喜びと安堵を与えてくれるのであった。
今目の前にいる弟子たちはこれまで見てきたどの子供達よりも大きく成長している。それは体格ばかりでなく、その技術も、精神力も、心のありようも。
“この弟子たちならば安心して世に送り出す事が出来よう。夢は世界を旅する冒険者であったか、こ奴らが持ち帰るであろう土産話が今から楽しみじゃわい”
ボビー老人は緩む頬を引き締めながら、子供たちに訓示を行うのであった。
―――――――――――――
「ねぇジェイク君、今日はどうするの?」
午前中の訓練を終え、それぞれの家に帰る子供たち。エミリーは大好きなジェイクに午後からの予定を聞いてみた。
「う~ん、今日はエミリーの家に行ってミランダおばさんに薬草の事について教わろうと思っているんだ。最近はトーマスお父さんやマリアお母さんに野営時の料理について教えて貰ってるけど、薬草の知識があるのと無いのでは旅の幅が全然変わると思うんだよね」
ジェイクはジミーとエミリーそれぞれの顔を見てから、自分の考えを話し始めるのだった。
「切っ掛けは初めての護衛任務、あのミルガルの街までの旅だったんだ。あの旅はこれまで俺が思い描いていた冒険者像が酷く狭い範囲のものでしかないと言う事を教えてくれるものだった。
俺はこれまで必死に戦う力を蓄えてきた。でも冒険とは、世界とはそんな単純な力だけで生き抜いて行けるほど甘いものではないと言う事を、多くの困難と挫折、そして恐怖が教えてくれた。
そして俺たちが何も知らない幼子だと言う事実を、ボビー師匠の負傷と言う痛みを伴って刻み付けてくれた。
村に帰って来てからは多くの大人に多くの話を聞いた。そして理解した事、それはケビンお兄ちゃんが口癖の様に言う“魔物恐い、貴族恐い、大商人怖い、冒険者恐い”と言う言葉が現実を確りと理解した上で語られている真実であると言う事だった。
ケビンお兄ちゃんは言う。現実は甘くない、ただ強いだけで生き残れるほどこの世界は単純じゃないと。
剣の勇者様は何故賢者様と共に旅立たれてしまったのか。魔法の勇者様は何故愛する人を救う事が出来なかったのか。なぜこのマルセル村にはグルゴさんやザルバさん、ギースさんと言った強者が逃げ延びて来たのか。
人は一人では生きて行く事が出来ない。人と関わり合いにならなければならない以上、持てる力は多岐に渡らなければならない。
“だからこの<田舎者>と言う職業は俺にとって最高の職業なのさ”
ケビンお兄ちゃんはそう言って優しく微笑んでくれたんだ」
ジェイクはそう言うと軽く口元を緩め、領都に向かった頼れるケビンお兄ちゃんを思い浮かべながら話を続けた。
「ケビンお兄ちゃんは常に生き残る事を考えている。でもそれはただ自分だけが生き残ると言うのではなく、自分を含めた周辺の人々の生活環境を改善し、地域として安定させることでより快適な居住環境を作ると言った、迂遠であり間接的な方法を取っている。
ケビンお兄ちゃんは村に訪れる行商人を褒め称える。それがどんなハズレ行商人であろうと決して蔑ろにせず、よくぞマルセル村に訪れてくれたと感謝し、礼節を持って接している。
それはこの世界での旅がどれ程困難であるのかを知っているから、一握りの塩を手にする事が出来ると言う事がどれ程有難い事かを知っているから。
ケビンお兄ちゃんはその事をマルセル村の多くの大人たちの話を聞く中で自ら掴み取り学んで行ったんだ」
ジェイクの話に真剣な目を向けるジミー。エミリーもまたジェイクの言葉を一生懸命理解し、咀嚼しようとしていた。
「俺たちは何も知らない、この国の事も、世の中の仕組みも、生きると言う事の意味も。だから少しでも学ばなければならないんだよ、俺たちにはあまり残された時間はないんだから。
ケビンお兄ちゃんは言っていた、授けの儀において魔力の多い子供は教会の詳細人物鑑定を受けて王都の中央学園に送られるって。俺たちは草原で化け物に狙われるほどに大きな魔力を秘めているって。俺たちがどんな職業を授かるのかは分からないけど領都の学園か王都の中央学園のどちらかに行く事は確実だろうって。
だからこれからは村の大人の人達からもっといろんなことを教わろうと思うんだ。
ミランダおばさんからは薬草の事を、グルゴさんとギースさんからは対人戦の事や貴族の事を、ボイルさんからは商人の事を。
他にも沢山の事を学ばなくっちゃ、それが俺たちの夢、世界を旅する冒険者になる事に繋がると思うから」
ジェイクが話し終えると、ジミーはジェイクの肩をポンと叩き、ニコッと笑みを送る。
「俺はケビンお兄ちゃんほど複雑に物事を捉える事は出来ないけど、ジェイクの言ってる事はよく分かるよ。俺はこの剣術と言うものに魅せられたただの剣術馬鹿、だけどジェイクはそんな俺に世界と言う夢を与えてくれた。
学ぼうじゃないか、それが必要だと言うのなら。
ケビンお兄ちゃんが言っていたよ、このマルセル村には最高の教師が揃っているって。ドレイク村長代理を始め素晴らしい人材がそろっているって。
学園に旅立たなければならないのは三年後、それまでにできる事、一緒にやろうじゃないか」
「あ~、ジミーだけズルい、私も、私も一緒に勉強する!ジェイクの隣は私なの!」
「「いや、エミリーはすぐに寝ちゃうから」」
「キ~、二人とも酷~い!」
「「アッハッハッハッハッハッ」」
子供たちは笑う、お腹の底から。
マルセル村の真ん中には、今日も子供たちの笑顔があるのであった。
「なんていいお話、とてもケビン君と同じ村の子供たちとは思えない。なんて純粋でキラキラと輝いているのでしょう、自身の穢れた心が浄化されて行くようです」
不意に掛けられた声に子供たちはその方向に顔を向ける。そこに佇んでいたのはケビンお兄ちゃんの実験農場の小屋に暮らすアナさんと、ブラックウルフの太郎であった。
「えっ、アナさん聞いていたんですか!?えっ、どこから聞いていたんですか、すごく恥ずかしいんですけど!!」
途端赤面し声を上げるジェイク。そんな彼にアナは「恥ずかしがることはありませんよ、ジェイク君のお話は大変すばらしいものでした。そしてジミー君とエミリーちゃんがとても良いお友達だと言う事がよく伝わりましたよ。
それと何処から聞いていたのかと言う質問ですが、エミリーちゃんが“ねぇジェイク君、今日はどうするの?”と言った所からとお答えしておきましょう」と答えるのであった。
「それって丸々全部の会話を聞かれちゃってたって事じゃないですか~!!」
あまりの事態に身悶えるジェイク。そんな彼の姿に“うんうん、青春って素晴らしいですね”と優し気な笑みを向けるアナなのであった。
「そう言えばアナさんはどうしてここに?太郎と一緒と言う事は何かあったんですか?」
すぐ隣で頭を抱え身悶える親友を余所に冷静な質問を始めるジミー、その姿は兄のケビンをして“ジミーってば天才?”と言わしめる程の知性を感じさせるものであった。
「フフフッ、ジミー君はお兄さんと同じで物事の分析能力に長けてるのね。これはお義父様のヘンリーさんに似たのかしら。それともお義母様、メアリーさんの冷静さかな?
それでなぜ私がここにいるのかだったわよね。もう少し時間は掛りそうなんだけど何かの一団が村に近付いて来てるんでその知らせにね。太郎の感じだと盗賊ではないとは思うんだけど、行商人とも違うみたいなのよね。
注意するに越したことはないかと思って」
アナの言葉に、ジミーは真剣な表情で言葉を返した。
「それじゃ僕が先にドレイク村長代理に知らせに行って来ます。ジェイク、いつまでも遊んでないで確りしろ、ジェイクはボビー師匠に村長宅に来る様に知らせてくれ。エミリーはグルゴさんに連絡を、時間がないぞ」
「お、おう、分かった。エミリー、そっちは頼んだ」
「任せてジェイク君、ジミーは村長宅で待機して必要そうなら村中に知らせて回るのよ」
「あぁ、分かった」
「そう、それじゃ皆にお願いしようかしら。私は念の為に緑と黄色に姿を隠すように言っておくわ。そろそろ農業重要地区入りの話も本格的に進むみたいだし面倒な相手が来ると困るから」
「「「はい、ありがとうございました」」」
子供たちに報告を託し踵を返すアナ。子供たちはそんな彼女に感謝しつつ、自分たちの出来る事を行うために走り出す。それは一人前の村の一員の姿であり、いっぱしの冒険者の姿の様でもあった。
――――――――――――
草原の街道を走る一台の馬車。余り状態のよくない道を走る馬車の中では、激しい揺れに顔色の悪くなった男性が愚痴を垂れる。
「まったくなんだってこの私がたかが子爵令嬢の生存確認の為にオーランド王国の最果てまで赴かねばならんのだ。いくらご子息殿の頼みと言え私も貴族の端くれ、流石に嫌気がさしてくるわ」
そんな彼の言葉に御者台に座る男が言葉を返す。
「まぁそう仰らずに。気持ちは痛いほど分かります、私も同様のお気持ちですから。
ですがこれも務め、御当主様から直接命令を受けてはお互い断る訳にも行きますまい」
御者の男はどこまでも続く草原に目を向けながら、互いの立場の弱さに肩をすくめる。
「大体あの家の当主は子供に甘過ぎるのだ、此度の騒ぎとて元はご子息殿が婚約者のいる子爵令嬢に無理やり迫ったことがそもそもの発端であろう。
その事を相談された件の子爵令嬢が様々なコネを使い事態の解決に奔走した。
事の発端となった令嬢は王都を去り実家へと逃げる事で事なきを得たが、残された小娘が面子を潰されたご子息殿の報復を受けた。
背中に刻み付けられた大きな呪いの傷、治る事のないそれを抱えた上に侯爵家の顔に泥を塗ったとして子爵家一族の者に対しての圧力や嫌がらせの数々。
子爵家の取れる道は小娘をオーランド王国の流刑地、国の最果て、マルセル村に軟禁する事で侯爵家に許しを請う事であった」
男性は懐からパイプを取り出すと、煙草の葉を詰め<プチファイアー>の詠唱呪文を唱え火を付ける。
“フゥ~~”
「大きな力に逆らう事は大きな被害を被る、小娘は貴族の政治と言うものを理解していなかった、故に己の勝手な正義感のまま行動してしまった、それが自分の家族にどんな影響を与えるのかなど考えもせずに。
そして小娘に掛けられた呪いの反応が消えた。
それが何を意味するかなど考えるまでもない。
これはこのオーランド王国の貴族社会では往々に起こりうること、既に裁きは受けたのだ、そのまま放置すればよいではないか。
それをわざわざ墓を暴くような真似を」
男性は馬車の窓を開ける。
白煙が広がる草原へと流れ出して行く。
青い空の下、真っ直ぐ伸びるがたつく街道。
馬車は揺れる、王都から辺境の地マルセル村を目指して。片道一月は掛かると言われるその
本日一話目です。