村の青年の朝は井戸端に行って顔を洗う事から始まる。
釣瓶の綱を引き上げ水を汲み脇に置かれた盥桶に注ぎ入れる。そして波立つ水面が静まった頃合いで自分の顔を映し込みじっと見詰める。
そこに映るのはいかつい顔をしたいつもの自分。青年は“ヨシッ”と一言発した後、手桶を作り顔を洗う。
「お母さん、畑に行って来ます」
「行ってらっしゃい、アナさんによろしくね~」
家族に出掛ける事を告げ家を出ると、白み始めた空の下自分が管理する畑に向かい走り出す、それが青年の朝のルーティーンである。
“シュ~~~~~”
五徳に掛けられた鉄瓶が音を立てる。立ち昇る湯気も気温の変化に従い薄くなり、こうした日常の何気ない風景が季節の移り変わりを教えてくれる。
“コトッ、チョロチョロチョロ”
湯呑を用意し、五徳から引き揚げた鉄瓶から癒し草若葉の煮出し茶を注ぎ入れる。
このお茶もそろそろお仕舞、次は毒出し草の茶葉を作らないと。
小屋の主は部屋に広がるお茶の香りを楽しみながら、ふとそんな事を考える。
そろそろあの人がやって来る。こんなに朝が待ち遠しいと思える様になったのは何時振りだろう。子供の頃、まだ里以外の世界を知らなかった幼くも穏やかだった日々。
優しい両親、近所に住む大人たち、心通わせた多くの友、彼らは今どこでどうしているのか。
自身の幸せを感じるとともに膨らむ罪悪感、私だけがこんなに幸せな気持ちになっても良いのか。
里を失い、家族や仲間とはぐれ、逃れ隠れて生き延びる事だけを考えてきた日々。
失うだけで与えられる事など考えもつかなかった人生に、居場所と平穏を与えてくれた人。
あの人の事を思うだけで胸が温かくなる。
あの人に早く会いたいと言う思いはある。でもこうしてあの人が来るのを待つのもまた嬉しいと感じている自分がいる。
でも来てくれなかったら。
小屋の主アナスタシア・エルファンドラは自身の傍らに目を向ける。そこにあるのは武骨な格好の一体の人形。アナスタシアは優し気な笑みを浮かべると、その人形にそっと手を添え、何時かあの人が作ってくれた筆と言う筆記用具に特別なインクを付けて、おもむろに“ガラッ”
「はいおはよう、アナさんその筆を戻そうね。それとケビン君人形はちゃんと棚の上に置いておこうか。それはあくまで置物だからね、悪戯しちゃいけないよね、うん。
あ、御茶を入れてくれたんだ、ありがとうね~。畑の様子を軽く見て来てから頂くんで、少し冷ましておいてくれると助かります。
太郎おはよう、変わった事はなかった?
“ガオウ”
そう、ならよかった。それじゃまた後でね」
今日もまたあの人が来てくれた。小屋の主アナは、愛しの青年ケビンの為に朝食の準備を始めようと立ち上がるのでした。
あぶなかった~、もう少し遅れてたら“レッサーラクーンの刑”に処される所だったわ。森の賢者改め畑の管理人アナさん、進化していたのはお料理の腕ばかりじゃありませんでした。
その成果の一つが先ほどのケビン君人形。これまで嫌がらせ系の痣の呪いはまず人型の紙(形代)を用意し、そこに対象の髪の毛を一本と自身の血を一滴、痣を付ける部位にインクで印をつけ呪文と共に火にくべると言う手間が掛かっていましたが、アナさんはこれをより使い易い物に改良しちゃいまして。
あの人形に印をつけて呪文を唱えるだけで俺の身体に痣が現れるって言うね。
文字なんかは小さな紙に書いて腕に張り付けてから呪文を唱えるだけ。しかもこちらが解術すれば文字や印が消えるので既読通知にもなるって言うね。
ポケベル?ってくらい便利になってるんですよ、これが。
“寝坊したら売約済の判を全身に押します”って言われたら逆らえんやん?
“アナ人形を用意したら離れていてもやり取りが出来ますね”って言われた時は土下座して勘弁して貰ったっけ。うん、俺頑張った。
畑では今朝も緑と黄色がせっせと野菜のお手入れ。畝に生える小さな草をお口に咥えて草むしり、あの大きな口で繊細な仕事が出来るんだから器用なもんだよな~。
流石に芽かきなんかは難しいんで俺やアナさんが行うんだけど、癒し草の畑は完全に自分たちで管理してるんだよね。
そんで最近触腕も覚えたんで収穫作業が以前よりもスムーズに行えるようになったって喜んでおりました。こいつらは一体どこを目指しているんだろうか。
「緑、黄色、おはよう。畑の調子はどう?何か問題ある?」
““ギャウギャウギャウ””
「ん、特に問題ないんならいいんだけど。それと例の二匹の調子はどう?問題なさそう?」
““グギッ、ギャウギャウ””
「ならいいけど、お前たちから色々教えてあげてくれる?癒し草は沢山あげていいから。そろそろホーンラビット干し肉の製造が始まるから、そうしたら骨を持って来るよ」
““グキョ!?ギャウギャウギャウ♪””
緑と黄色、ホーンラビットの骨と聞いて大喜び。あの食感が好きなんだそうです。
ホーンラビット実験飼育場では今日も団子が雑草だらけにならない様に若草を食んでくださっております。
まぁこの実験農場は概ね問題なしと。それじゃ今日はドレイク村長代理のところにご挨拶にでも行きますかね。
「今日は朝食の後ドレイク村長代理のところに挨拶に行くから。そのつもりで」
俺は誰に言うでもなく言葉を口にすると、脇の小屋に戻るのでした。
―――――――――――
村の土の道を歩いて行くと畑で何やら作業をしている大人に出くわす事がある。
そんな時は軽く挨拶を交わすのが村の人間関係を円滑にする為のコツである。
あまりしつこく話し込んでしまっても相手の時間を取ってしまうし、かと言って一言だけと言うのも味気ない。
“あんまり張り切り過ぎて腰を痛めないでね~”とか“飲み過ぎたらおばさんに怒られますよ?”くらいの言葉を付け加えるくらいがベストだろう。
そんな事を考えながら進んで行くと、いかにも村の村長宅といった建物が姿を現す。
“これも剣の勇者様の影響なんだよな~”
以前は特にこれと言った感想も抱かなかったものが、その背景に触れる事で別のものの様に見えて来る事がある。
勇者物語、そのおとぎ話の世界の様なお話が身近に迫って来た時、人はどう言った反応を示すのか。自らが物語の中心人物になったと言って興奮するのか、物事について行けず混乱するのか、はたまた。
“ガチャッ”
「おはようございます。ケビンです。ドレイク村長代理はおられますか?」
俺はその物語に出て来そうな“村の村長宅”の扉を開けて、中の者に言葉を掛けるのでした。
「やぁおはようケビン君、朝から君が訪ねて来てくれるなんて一体どうしたんだい?」
村長代理のところで書類仕事をしているジェラルドさんに案内され、村長代理執務室に通して貰った俺氏。・・・なんか警戒されてません?俺別になにも悪い事はしてない筈なんだけどな~、解せん。
「おはようございます、ドレイク村長代理。ちょっと色々と報告していない事があったんで事後報告に来たってだけですんで。
えっと、今回領都に行って来た時に起きたあれやこれやについては既にザルバさんから伺ってるとは思うんですが、パトリシアお嬢様の一件があったじゃないですか。
絶対話し忘れている事があると思うんですよね」
「あぁ、うん、そうだね。それに関しては致し方がないかな。ザルバもまさかグロリア辺境伯様のお孫様を連れて領都から帰って来るはめになるとは思っていなかっただろうしね」
「えぇ、あれには俺も驚きましたから。ですんで旅の初めからの必要事項だけでもと思いまして。
まずグルゴさんの処、ホーンラビット牧場脇に馬の水飲み場を作りました。冬の授けの儀以降に襲い掛かってきた盗賊たちの使っていた馬たち、そいつらの為の水飲み場です。グラスウルフの草原に放していたんですが、どうも冬眠明けのグラスウルフが鬱陶しかったらしくてですね、引っ越して来ちゃいました。
基本的に村の周りの草原でのんびり生活してますんで放置でいいかと。ただ水飲みの関係で村外れの水辺やホーンラビット牧場の水飲み場に姿を現しますんでご了承ください」
「あぁ、その件はグルゴから聞いているよ。出掛けたはずのケビン君が夜に突然訪ねて来たからびっくりしたと言っていたよ。それで馬は何頭いるんだい?隣の厩にもすでに五頭の馬がいるんだが」
ドレイク村長代理は窓の外の厩を見ながら問い掛けた。
「はい、こないだの件でさらに四頭増えたんで全部で六十頭ですね。後腕輪収納の中に幌馬車と荷馬車が合わせて十二台ありますけど、これどうします?必要なら出しますけどってどうなさいました?頭を抱えて」
「いや、うん、なんでもないよ。それと幌馬車と荷馬車だね、馬も含めてすべてケビン君の所有物となるから好きに使ってくれて構わないよ。盗賊からの押収物は盗賊を討伐した者の所有となる事は、王国法でも認められているからね。
持ち主が現れた場合は交渉次第で引き渡す場合もあるけど、まず現れないからね。
それにさっきも言ったけど村の移動用としては五頭の馬がいるし、荷馬車も更に三台増えたんだよ。修繕して使うにしても、今のところそれ以上必要はないかな?」
ドレイク村長代理は何故か疲れた顔をしながら、話の先を促すのだった。
「え~、エルセルの街は以前に比べると閑散とした雰囲気でしたが、治安に関しては全く問題ないと思います。教会に寄ったんですが、ミルガルの街からシスター様方が派遣されていて、これからはエルセルでもまともな聖水を購入出来る様にして下さると確約してくださいました。新しい司祭様はまだ決まっていないとの事でした。
ミルガルの街に向かう途中オークの森でワイルドベアの親子に襲われたんですが、拳で分からせて蜂蜜で雇いました。昨日魔の森のブー太郎ハウスに連れて行ってそこで生活して貰う様に話を付けて来ました。
それでミルガルでですが」
「ケビン君、ちょっと待とうか。今ワイルドベアに襲われたって言わなかったかい?ワイルドベアってあのワイルドベアだよね、拳で分からせたって倒したって事なのかな?」
慌てた様子で話しを遮るドレイクに、ケビンは何と言う事も無い様子で話しを続ける。
「はい、ワイルドベアですね。クマ子とクマ吉って言います。アイツらやたら蜂蜜が好きなんで御神木様のところで蜂蜜買取屋の店員として雇いました。
ただ大森林で通用するかと言うとちょっと心もとないんで、他の連中と一緒に修行させています。
まぁチョッとした村の防衛線ですね、時間稼ぎくらいにはなるかと」
「ハハハ、ワイルドベアの親子が村の防衛線、うん、それは心強いね。それでミルガルではどうしたのかな?」
・・・ドレイク・ブラウンは色々と諦めた様である。
「はい、以前色々あったフレムさんセシルさんのお二人ですが、すっかり街に馴染んだ様です。ゼノン精肉店でお話をお伺いしたんですが、街の刃物を使う様々な商店から問い合わせを貰っているとの事でした。これまであった鍛冶工房との棲み分けも順調な様でした。
それとホーンラビットの白玉の従魔登録の為に冒険者ギルドに行ったんですが、やはり騒ぎになりまして。従魔登録自体は無事に済んだんですが、話の流れでギルド資格剥奪処分を受けちゃいました」
「はぁ~!?いや、何だってそんな事に。フレムさん達の近況が聞けたことは嬉しいんだけど、ギルド資格剥奪って相当重い処分だよ?何をどうすればそうなるんだい」
驚きに目を見開くドレイク村長代理に対しケビンは何という事も無い様に返事を返す。
「いえ、ギルドマスターの“白銀のエミリア”が「私が審判をしてやるから絡んできた冒険者と模擬戦をしろ」とか言うんで「関係ないです」って言って無視して帰って来ちゃっただけなんですけどね。だって俺冒険者じゃありませんから、本気で意味解らなかったですよ全く。
まあこれで今後絡まれる事はないですし、ありがとうとしか言えないんですがって本当大丈夫ですか?この辺で止めときます?」
頭を抱えるドレイク村長代理に、心配そうに声を掛けるケビン。
「いや、うん、大丈夫だよ。ケビン君がケビン君だったってだけだから。
ケビン君だから仕方がない、うん、そう言う事だね」
「まぁいいですけど。それで旅の途中でケイトの魔法訓練がてらグラスウルフを倒したりゴブリンを倒したりしながら進んでいたんですけどね、あぁ、グラスウルフはミルガルのゼノン精肉店で売ってゾイル工房で刃物類の購入に使っちゃいました。
カバンに仕舞ってあるんで帰りに置いて行きます。支払い等はザルバさんと相談してください、俺とブラッキーが仕留めた分はケイトの入学祝って事でザルバさんに差し上げますんで。
それでそのゴブリン討伐の時に訳ありの二人組を助けまして、ちょっとヤバい部類の訳ありだったんでグロリア辺境伯様にお話しして許可を頂いたうえで、ボビー師匠の所で修行を付けて貰ってます。
それでどんな訳かと言いますと」
「ちょっと待って、それって聞かないと駄目?知らなかったって事に出来ないかな?
ケビン君がそこまで言うのってよっぽどだよね、聖水布よりも上って事なんでしょ?」
焦った様な顔で言葉を制するドレイク村長代理、危機意識が相当に上がっているご様子、流石です。でも残念、村の責任者として共有していただきます。
「知っていたうえで知らなかった事にしておく方が良いかと。何らかの対処が必要になる可能性もありますんで。
で、その訳ありなんですが、隣国ヨークシャー森林国の大貴族の御令嬢とその従者です。これはグロリア辺境伯様が確認済みです。現在呪いによりゴブリンの姿になっております。ヨークシャー森林国のどの解術師もどうにもならなかった様です。
で、それと関係すると言えばするんですが、もう一人訳ありが移住したいと言ってるんですが、その許可を貰えないかと思いまして」
「えっと、もしかしてまた誰か連れて来ちゃったの?でも今の話には出て来てないよね?」
「いや、連れて来たって言うか出て来ちゃったって言うか。
領都でのあれこれは既にザルバさんから聞いてると思うんで割愛します。
パトリシアお嬢様の件に関しては先行して一時帰村した際にお話しさせて頂いた通りなんで、それ以上の情報はありません。
え~っと、まぁ見て貰えれば分かりますかね」
その者はいつの間にかそこにいた。慇懃に礼をするその姿は、どこかの貴族屋敷に長年勤めるメイドを彷彿とさせるほどの美しい所作であった。
「パトリシアお嬢様の襲撃事件があった時に捕まえた暗殺者ギルドの頭目“顔無し”っていたじゃないですか?アイツってば他人の身体を乗っ取って寄生するレイスとかリッチとか呼ばれる魔物みたいな奴だったんですよ。それでこちらが取り付かれていた所謂依り代になっていた方なんですけどね、この方が問題でして。
あぁ、元の姿に戻っていいよ」
「はい、ご主人様」
“ブワッ”
その身体から何かが晴れたかのように姿が変わる。美しい面立ち、褐色の肌、横に尖った大きな耳。
「えっ、えっ、えっ」
「ドレイク村長代理様、この姿では初めてお目に掛ります。私の事は“月影”とお呼びください」
「え~、アナさんの話ではダークエルフと呼ばれる種族らしいんですよ。エルフ族でも戦闘に特化した者達だったらしくって、普人族との戦いでは多くの仲間を救ってくれた英雄の血族だったらしいです。ただその戦闘振りと褐色の肌が普人族には受け入れがたかったらしくってですね、‟悪魔の末裔”とか呼ばれて討伐対象にされていたんだそうです。
そんな彼女たちを救った英雄がいましてね、勇者物語に出て来るオークの魔王様。
月影はそのオークの魔王様に仕える者の一人だったんだそうです。
オークの魔王様の所にはそう言った迫害された者や争いを好まない魔物たちが集まって集落を作っていたらしいですけど、普人族はそんな勢力がいれば恐れちゃうじゃないですか、散々痛めつけてきた相手が集結してるんですから。
で、行われたのがオークの魔王討伐だったって訳です。歴史の闇って奴ですね。
月影はその際魔王様たちに逃がされた者の一人だったんですけど、呪術師の罠に捕らえられちゃいまして、依り代にされてずっと“顔無し”になっていたって訳です。
あ、“顔無し”はもういないですよ?聖水布の原材料光属性マシマシ蜂蜜ウォーターを大量に飲ませたら苦しみながら出て来たんで田舎暮らしのスキル<送り人>の<浄炎>って技であの世に送っちゃいましたからって聞いてます?」
マルセル村に伝わる魔法の言葉“ケビン君だから仕方がない”。村の青年ケビンが引き起こす様々なとんでも場面で使われる精神安定の言葉。
だが己の精神的許容範囲を大きく超えた事態に遭遇した時、人はどう反応したらいいのだろうか。
その後村長代理ドレイク・ブラウンが精神疲労を理由に三日間のお休みを取った事は、致し方がない事なのであった。
本日一話目です。