男は勇者病であった。
物語の勇者に憧れ、冒険者たちの英雄譚に憧れ、自ら剣を取りその道に進んだ。
ただ一心に剣を振るい魔物を屠る日々。最初の敵はスライムであった、手に持つ獲物は手作りの木剣、あの激闘は今思えば拙い子供の戯れであったとしても、消えることなく胸に刻まれている。
男はその熱い思いを失うことなく己を高め、金級冒険者と呼ばれるまでに至る。
その道程は決して楽なものではなく、人々から“笑うオーガ”と呼ばれる程に幾多の困難を乗り越えて来た。
家庭を持ち、冒険者を引退し、手に持つ得物を農具に替えた今でも、あの頃の熱い思いを忘れた訳ではない。
そんな彼には息子がいた。やはり勇者病なロマンの分かる息子がいた。
今度の茶番はその息子が裏で暗躍し、道を整えた物語であった。
息子は物語の途中から舞台に登場した。
崩壊した渓谷、行く手を阻む瓦礫の山、そんな場面に現れ瓦礫を撤去する息子。
ツナギ姿に手には玩具の様な剣の柄を持ち、“喰らうポコ、魔剣グラトニュート!!”と叫ぶ息子の姿はまさに勇者病のそれ。
その顔はいつか見たレッサーラクーンの進化版、完全に受け狙いの格好と口調に、事情を知っている男は腹筋に最大のダメージを受ける。
だがそのユーモラスな容姿は、複数の意味を持つ擬態であった。
グロリア辺境伯の警戒心を解き、自身の正体を隠し、目の前で行われている奇跡的な偉業から目を逸らさせる。
息子の作り上げた人物像は、明確にその場に息づいていた。
呪われた一族に生まれた彼、幼少よりその身に降りかかる呪いは彼にどれ程の苦しみを与えた事だろう。だがそのような事を意識させない程に前向きに、陽気に生きている。自身の呪いを受け入れ、真っ直ぐに生きるその姿。
次第にそれは演技ではなく一人の人物、ラクーンの姿を実像として感じさせるに至る。
そしてラクーンは。
目の前の草原に広がるランドール侯爵の罠、ラクーンはグロリア辺境伯の行軍を止め、単身罠の解除に取り掛かる。
自身の力を最大限に発揮し立ちはだかる障害をすべて取り除いたラクーン。
だがその代償はラクーンを蝕む呪いの悪化。その身体が、その顔が、魔獣のレッサーラクーンそのものへと変わって行く。
その身から溢れる闇の呪いの揺らぎ、そんな身体になってしまったラクーンは、ドレイク・アルバート男爵に告げる。
「ドレイク村長、いつか食べさせてもらったビッグワーム肉のスープ、本当においしかったポコ。人のやさしさに触れたのは久々だったポコ。
ずっと村長の役に立ちたいと思っていたポコ。
いつになるのかは分からないポコが、呪いの力が収まったら絶対にマルセル村に会いに行くポコ。それまで元気でいてほしいポコ。
グロリア辺境伯様、ご武運を祈っているポコ」
ラクーンの身体から溢れた闇の呪いは彼の身を包み、巨大な八尾のレッサーラクーンと姿を変じる。
魔獣へと変容したラクーンは一声咆哮を上げると、南の空に向かい飛び去って行く。
数多くの働きも、自身の身を蝕む呪いを受ける覚悟も、全てはドレイク村長に受けた恩に報いたいと言う思い。
それはたった一杯のビッグワーム肉入りスープに対する恩義。
男は勇者病である。勇者に憧れ、冒険者の英雄譚に憧れ、剣を握った。
男は思う、“この手の話、大好物だ!!”と。
事細かな人物背景、そして語られずとも想像に難くない呪われた者の人生。
健気に、懸命に生き、それでも迫害され。
そんな彼に差し伸べられたやさしさ、その思いに報いる為に命を懸けた青年ラクーン。
心が、魂が震える。
これが作り話かどうかなどもはや関係ない。
人々が劇団の公演に感動する様に、少女が王子様とお姫様のロマンスに心踊らせる様に、少年が勇者の冒険譚に自身の活躍を夢見る様に。
マルセル村の村人ザルバはかつて王家に仕える騎士であった。
貴族の嫉妬、そして命を狙われる中での逃亡生活。
愛する娘を守るため、亡き妻との約束を果たすため。
マルセル村の村人グルゴは伯爵家に仕える騎士であった。
大恩ある伯爵に報いるため、命を狙われる伯爵の実子を庇い共に大河へと身を投じた。
マルセル村の村人ギースの愛する妻は、長年呪いに蝕まれ、苦しめられ続けてきた。
身に宿す呪いの傷の事を悲しそうな笑顔を浮かべ語る彼女の姿を、ギースは生涯忘れる事が無いだろう。
マルセル村の剣術指南役ボビーは、多くの経験を経てその職に就いていた。
人の醜さ、欲の深さは散々見せられて来た。それでも人に寄り添って生きてきたのは、人の心の強さを、絆を信じたいがゆえであった。
マルセル村領主ドレイク・アルバート男爵はアルバート男爵家騎兵団に参加している村人達を見て思った、“皆さん完全に入り込んでるじゃないですか、目が決まっちゃってるじゃないですか!!”と。
グロリア辺境伯家の軍勢は、貴族とそれに連なる者達である。
貴族とその配下の関係は恩と奉公、家同士の強い結び付きによって維持されている。
一杯のスープ、その恩義を返すために命を懸ける、例え自らが魔獣に堕ち様とも。
その献身、この高潔さ。
彼らの心に熱い思いが宿る。
身体中が感動に打ち震える。
「道は開かれた!!我々の友が、その道を切り開いてくれた!
彼の残した思い、我々はどう報いる!
それはグロリア辺境伯軍の勝利である!
立て、戦士達よ、我らが向かうはスターリン、ランドール侯爵家居城!!」
ドレイク・アルバート男爵の檄に、燃え上がる草原に目を向ける。
そこには我らが友ラクーンの残した一筋の道。
巨馬に跨がった鬼神が叫ぶ。
「我らの道を阻むモノは全て俺が切り伏せる!」
“ガチャッ、スーーーーッ”
引き抜かれた双振りの巨剣、それは剣と言うよりも全てを殺傷し全てを破壊する為だけに存在するナニカ。
“ゴウンッ”
立ち上る強大な覇気の奔流、それは戦士達の魂と共鳴し、グロリア辺境伯家の軍勢を一つの存在へと昇華する。
「突撃!!」
「「「応ーーーー!!」」」
―――――――――――
“ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドゴーーーーーーーーン”
爆ぜる草原、立ち上がる火柱。
目の前に広がる地獄に放心し、目を見開いて固まるランドール侯爵家の軍勢。
これは戦なのか、これが誇りある戦場の光景だと言うのか。
騎士の矜持も誇りも、その全てを飲み込んで燃やし尽くすかのような現実。
敵も味方も、その何もかもが灰塵と化す。
どれ程の時間が経ったのか、それは燃え盛る炎の先に突然現れた。
“ゴウンッ”
それは死、心が、身体が、魂が。
本能が訴える、逃げろ、逃げろ、逃げろ!!
「「「ウォーーーーーー!!」」」
燃え盛る草原、その炎の中より現れたモノ、それは一体の地這い龍。
強大な顎が全てを噛み砕かんと大きく口を開きスターリンに迫る。
“ドドドドドドドドドドッ”
巨馬に跨りし巨漢の偉丈夫は、その両の手に身の丈を超す殺意の塊を握り叫ぶ。
「我らが目指すはランドール侯爵家居城のみ、余計なものには目をくれるな、その城門を食い破る!!」
「「「応ーーーー!!」」」
そのドラゴンの咆哮は明確な宣言、スターリンは、ランドール侯爵家は、この龍騎兵の軍勢により落とされる。
その場に参集したランドール侯爵家の軍勢は彼らの発する強大な覇気の奔流に飲み込まれ、崩壊した街門を駆け抜けるドラゴンの侵攻を唯々見詰める事しか出来ないのであった。
―――――――――――
“ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドゴーーーーーーーーン”
「「「キャーーーーーーー!!」」」
「どうした!!一体何が起きている!?」
ランドール侯爵家とグロリア辺境伯家の軍勢が会敵するであろう戦場、その全面を埋め尽くさんばかりに仕掛けられた爆薬の一斉爆発。
その衝撃は轟音とともに大地を揺らし、スターリンの心臓部たるランドール侯爵家居城を大きく揺さぶった。
「ランドール侯爵閣下にご報告申し上げます。スターリン南門前に広がる草原において無数の火柱が上がり、戦場が炎に包まれているものと思われます。詳しい状況に関しては早馬よりの知らせをお待ちください」
「な、どう言う事だ、埋設した爆薬はグロリア辺境伯の侵攻に合わせ順次爆破させていくのではなかったのか!?
誘爆か?その運用に不手際があったとでもいうのか!?」
“バタンッ”
大会議室の扉が開き諜報部の者が飛び込む。
「ご報告申し上げます!スターリン南門崩壊、グロリア辺境伯家の軍勢が、騎兵団が城門目掛け侵攻を開始しました!!」
「「「街門前の我が軍はどうしたのだ!!」」」
“ドゴーン”
「次は何だと言うのか!!」
城内に響く衝撃音、そして次の瞬間。
“ゴウンッ”
「「「あ、あ、あ、あ、」」」
それは濁流、城も貴族も騎士も領兵も領民も、あらゆるものを飲み込んで押し流す力の奔流。
“カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ”
城内を歩む靴音が響く。
“ブワッ”
流れ込むプレッシャーがその圧力を増し、全ての人々が動きを止め、その身を震わせる。
“カハァ~~~”
現れた鬼神は全身から覇気を垂れ流し、ランドール侯爵家の者たちの前に姿を現した。
「貴殿がランドール侯爵で間違いないか?我らグロリア辺境伯家に対しケンカを売っているんだろう?いいぜ、思う存分
我々はどこで間違ってしまったのだろう。“オーランド王国の盾”、大森林の脅威を退け続けた蛮族の集団。
“ドラゴンの尾を踏む”、“眠れるドラゴンを起こす”、自らの愚行はランドール侯爵家を族滅に追い込もうとしている。
ランドール侯爵家当主ガレリア・ランドールは、ランドール侯爵家の野望が潰えた事を、ランドール侯爵家の命運が尽きたことを悟るのであった。
――――――――――
ランドール侯爵家居城、その地下倉庫から続く秘密の地下道をその集団は走り抜けていた。
「貴様、これは一体どういうことだ!帝国が誇る新型爆薬による爆破、あの草原の戦場はどれ程精強な騎士団であろうとも決して逃れる事の出来ない死地となる。
それがどうだ、半壊どころか我が城の城門を食い破り一気に占領を許してしまう結果となってしまったではないか!」
上げられた声、それは罵声。
彼らが演出したかった舞台はグロリア辺境伯軍を、“王国の盾”と謳われた騎士団を、圧倒的な力で屈服させる事。
此度の戦は新型爆薬の有用性を示し、ランドール侯爵家の力を示すデモンストレーション。
「イヤイヤ、そうは言われましてもですね。起爆符の技術はランドール侯爵閣下側から提供されたものですし、その運用方法に関しましては我々が口を出す事も出来ません。
結果は我々の望むモノとは異なってしまいましたが、その威力は十分お分かりいただけたかと。
戦は水物と申します。言葉は悪いですがかえって良かったのではありませんか?
現在あの城にはグロリア辺境伯家の精鋭、ランドール侯爵家のお歴々が揃っている。
王都の兄上殿とはお話がお済みなのでしょう?ここは予てからの計画の通り事を運ぶ絶好の機会ではないかと愚考いたします」
声を掛けられた者はニヤニヤとした笑いを浮かべ言葉を返す。
「フンッ、これだから商人は物事を分かっていないと言うんだ。これは貴族としての矜持、この私が逃げ出すような真似をしなければならないと言う事自体が問題だと言うのだ。それにあの城にはまだ持ち出すべき資料があったと言うのに、全てを置き去りにしなければならなくなった。
それでこちらから渡した起爆符の解析は進んでいるのだろうな?」
男は商人に向け苛立たし気に言葉をぶつける。
「ハハハ、それはもう。ですが正直あの起爆符を再現するとまでは。幾つかの術式を組み込んで魔道具としての再現には成功したのですが、その有効範囲が狭いのですよ。若様がもっと情報を流してくだされば研究も進むのですがね」
商人は遜りつつも不満を伝える事も忘れない。
「仕方があるまい、重要な機密は父と側近が抑えていたのでな。あの父がもっと愚かであったのなら既にランドール侯爵家は我らのものであったと言うのに、いつまでも当主の座に居座りおって、忌々しい。
まぁよい、機は熟した。今こそ変革の時。
次代のランドール侯爵家の為、貴様にも協力してもらうからな。
貴様ら帝国の考えは分からんが、貴様らにとっても益のある事なのだろ?」
男の言葉はランドール侯爵家とオーランド王国南西部に広がる軍事国家バルカン帝国が密接に繋がっている事を示すものであった。
「若様に申し上げます。保管庫ならびに台座下の隠し扉が賊により破壊されている模様であります。
保管庫の物資が全て持ち去られているようでございます」
「なんだと!?全くどこまでも私をイライラとさせる。構わん、セカンドリアの城への物資搬出は完了している、後は我らが落ち合うのみ。
グロリア辺境伯の愚行は既に王家も知るところ、周辺貴族家に檄を飛ばし、我が父の弔いとしてグロリア辺境伯領領都グルセリアを落とす!」
男たちが辿り着いた先、それは森の中に討ち捨てられた廃教会であった。
「父上、長い事ランドール侯爵家を率いてくださりありがとうございました。
これより先は我ら兄弟が引き継ぎましょう。
父上には何の憂いもなくランドール侯爵家の行く末を見守っていただければと存じます。
なに、父上が寂しくない様弟のローランドがお供をいたします。あの者は愚かではありますが、父上の話し相手くらいは出来るでしょう」
複雑に絡み合った思惑、その一つが動き出す。
混迷を極める戦場の嵐は、未だ収まる事を知らないのであった。
本日一話目です。