「ふむ、この繊維を糸にしたい、そういう話しだね」
この村は国の中でもトップクラスの辺境の地。多くの者はその存在すら知らず、一部では流刑の地とすら言われるほどの最果ての地。
実際訳アリの高位貴族の令嬢が村民になった事もあると言うのだから驚きだ。その令嬢は半年ほど生活した後に決死の覚悟で彼女を探し出した別の高位貴族子息と共に村を去って行ったと言うが、当時の村長は日々気が気ではなかった事だろう。その後一切連絡がなかったところを見ると、その件はどうにかなった様ではあるのだが。
そんな辺境の地にやって来る訳アリの御仁の中には色んな技能をお持ちの方もいる訳でして。今回お邪魔したベネットおばあさんもそんな方の一人。
かなりの高齢(歳は教えてくれませんでした)で、例の健康促進運動の一環でお邪魔した際、色々と話しをしたおりに昔機織りの仕事をしていたと教えてくれました。
すっかり足腰が弱って引退したものの、今でも機織りの道具一式があるとの事。その昔は魔物繊維を扱っていて糸作りからやっていたとの話だったので、今回紬ちゃんが吐きだした糸を棒に絡めて持参した次第です。
紬の様子を観察していて分かったのですが、キャタピラーの吐き出す糸は二種類あって、一つが粘着成分がしっかり掛かった糸、もう一つが粘着成分なしの糸。
天井に一部を張り付けてターザンごっこをするときにはこの粘着成分の無い方の糸を使うようです。粘着成分多めの物は絡め取りや罠に使うものなんでしょうか。
どちらがより布の繊維として適しているのかが分からない以上専門家に見てもらうのが一番とお持ちしたって訳です。
「ふむ、これは繊維の性質の違いなんだけどね、こっちの粘着成分が付いている方は収縮性があってより肌に密着しやすいんだよ。その代わり繊維としての丈夫さには欠けるから下着類の加工に使われたりするね。
対してこっちの粘着性のない方は繊維としては丈夫だから防護服の素材に使われたりするよ。
どちらも魔物との戦闘中にしか取れないからそれなりに貴重ではあるね。一般的には魔物を解体して糸袋を取り出しそこから繊維を作る。
よく魔力を馴染ませたお湯で沸騰しない様に煮込んで繊維質を抽出し、糸車に絡めて糸を取るってやり方だね。一般的な衣類はそうして作られるがやはり少し高い。村の者なんかは麻の繊維なんかの服を着たりする。
今回の繊維はそれよりもさらに高くつく、粘着繊維で作られた下着は貴族向け、丈夫な繊維は冒険者向けの防具に加工されたりするかな。
ケビン坊やの着ている服なんかはキャタピラー繊維だね、この村の村長はそう言った所は優秀だからね」
“先代村長の頃は酷かったんだがね~”と顔をしかめるお婆さん。ドレイク村長代理の有能さがまた一つ分かってしまうエピソードです事。
それじゃこの繊維をどれくらい集めたら製品加工が出来るんですかね?
俺の質問にしばらく考え込むお婆さん。“粘着繊維はこの塊五十個、しっかり繊維はこの塊が百個って所かね~”と教えてくださいました。
ふむ、一週間くらいで何とかなりそうですな。紬の奴、畑の癒し草を食べてから元気モリモリになってそこら中に糸飛ばしまくるんですよね。糸玉ストックもすでに五十個くらいあるからな~。粘着繊維の方は部屋がべたべたするから禁止しているんでこの一つしかありませんが、解禁したらすぐに溜まりそう。作る時は別枠でやらせよう。
「それじゃ、それぞれの繊維が溜まったらお持ちしますんで糸の紡ぎ方を教えてもらえないでしょうか?」
お婆さんは暫く考え込んだ後で「坊やの頼みなら仕方がないね」と快諾してくださいました。
この試みが上手く行けば村で衣類の生産が出来るかも、少なくとも糸は取れる公算が高いはず。美味しい野菜に美味しいお肉、ここに着心地の良い服の登場、衣食住のうちの二つがランクアップの予感です。
今後展開されるであろう快適な辺境ライフの展望に、頬の緩むケビン少年なのでありました。
―――――――――――――――――
“パチンッバチンッ”
暖炉で爆ぜる薪の音。炎は燃え上がり、赤い光が部屋全体を温める。ベネットはゆっくりとした動きで暖炉の中に薪をくべる。
「今年の冬は越せそうにないと思っていたんだけどね~」
独り言ちる彼女の声は辺境の村の現実を如実に物語っていた。
体力が衰え、日常の暮らしにも不自由する一人暮らしの老人。足腰の衰え、身体はやせ細り満足に食事もとれない。
何ともつまらない人生だったと過去を振り返り、後はお迎えを待つばかりのそんな生活。
「逃げろベネット、お前だけは幸せになってくれ」
血を流しながら息を引き取った父が縋る思いで残した最後の願いを、自分は叶える事が出来たのだろうか。
ベネットは王都の片隅で服飾業を営む家庭に生まれた。父は老舗と言うほどではないものの、親から引き継いだこの工房を守り盛り立てるだけの才を持った男であり、母はそんな父を影に日向に支えるいつも豪快に笑っている様な女性であった。
ベネットが十二歳の授けの儀で裁縫師の職業を得た時は、それは喜んだものであった。
“これでうちの工房は安泰だ~”とか言って潰れるまで飲んで、後から母に散々怒られた父のシュンとした姿を、彼女は今でも忘れてはいない。そんな一見順風に見えたベネット家に暗い影が差したのは彼女が十七の年、今までの努力が認められいっぱしの職人としてお客様の仕事を任される様になってからの事だった。
「あなた、悪くないわね。明日から我が家で働きなさい」
お貴族様からのお誘い、それは職人としての一つの道でもあった。だがベネットは工房の娘、父と母が切り盛りする工房の後を継ぎ、いずれ老舗と呼ばれるような立派な工房に育てるのが夢であり自身の役目。ベネットはお貴族様からのお誘いを誠意をもって断った。それは職人の矜持であり彼女の生き方でもあったからだ。
だが世の中はそんな理屈が通用しない相手もいるのだと言う事を、当時のベネットは知らなかった。
「すまない、お前さんの所とは今後取り引き出来ない。悪く思わないでくれ」
貴族の圧力、それはベネットたち庶民が思っているよりも遥かに悪辣でしつこいものであった。断られたことが気に喰わない、ただそれだけの事で人を不幸のどん底に叩き落す。
貴族と言う生き物はそんなに偉いと言うのか、彼女はこの世の理不尽と言うものを初めてその身に感じたのであった。
「うおら、てめえら誰の許しがあってここで商売をやってるんだ!てめえらはもうお仕舞なんだよ!」
それは取引先に対する圧力ばかりでなく、直接的な暴力として工房を襲った。王都の衛兵はそれを見て見ぬふり、もはや誰も信じられない。
職人達は一人また一人と工房を去り、ついには家族以外誰もいない廃墟と化してしまっていた。
「お前ら、一体何を、やめろ、やめるんだ!」
工房に最後まで残った生地を一つにまとめ火を付ける暴漢達、振るわれる暴力、最後まで抵抗した父は袈裟切りにされ、工房の床に打ち捨てられた。
辛うじて息のあった父はベネットに最後の言葉を伝えるとそのまま息を引き取った。母はこの事を衛兵に訴え掛けた。理不尽に殺された父の無念を晴らして欲しい、その一心であった。
そんな母を優しい笑顔で衛兵詰め所に招き入れた衛兵隊長、これで父の無念が晴らされる、そう思っていた。
翌日母は帰らぬ人となった。夫を殺し工房に火を付けたことを悔やんでの自殺、衛兵詰め所から帰った母の顔は見るも無残なものであった。彼女はその日のうちに王都を離れた。
“次は私だ、このままこの悪意溢れる街にいればいずれ無残に殺される”
怒りはあった、悔しさはあった、憤りはあった、だがそれ以上に恐怖があった。
彼女は逃げ出したのだ、誰にも見つからない場所を求めて、逃げて逃げて逃げて。行き着いた先、辺境の中の辺境、この国の最果て、それがこの地マルセル村であった。
「お前はこの村の為に何が出来る」
当時この村を治めていた先々代村長は高圧的で横柄な人間であった。よそ者を嫌い、使い潰す気満々であると言う態度を隠さない男であった。
ベネットは自身が裁縫師の職業を持っている事、いっぱしの職人として工房で働いていたことを訴え、村の服飾職人として迎え入れてもらう事に成功した。
「ここが今日からのお前の家だ」
与えられたのは古びた一軒家であった。前の住民がどうしていなくなったのかは分からないが、手入れは行き届いている様であった。
「仕事道具の購入は村の金を貸し与えよう、働いて返す様に。サボったりすればその分利息が増えるからな」
それからは只管機織りの日々であった。織り上げた生地は年に二度来る行商人に買われ、村人に渡る事は一切なく、寒い冬場は
自分は一体何をやっているのか、自分があの時貴族様に逆らわずにいれば今頃両親は幸せにしていたのではないか。脳裏に
状況が変わったのは村長の娘が婿を迎えた頃であった。
「この村は無駄が多すぎますね」
村長の娘からの強引な求婚により半ば強制的に婿に入った男であった。当時誰も彼には期待してなどいなかった。
だが娘に子供が生まれ村長が孫可愛さに溺愛し始めた頃、彼は仕事を放棄した村長に代わり村の運営の一切を取り仕切る様になっていた。
「村に裁縫師がいるのに生地だけを作らせていたんですか?なんてもったいない。それでは生地を買い叩かれてお仕舞です。彼女には出来合いの服を作らせましょう、その方が利益が上がる。その利益で干し肉を買えば冬場の餓死者も防げる。なに、分け与えるのではありません、貸し与えるのです。借金は返すのが当然、これは王国法で定められた当然の権利、服を与え、寝具を与え、村への貸しで雁字搦めにしてしまいましょう。そうすれば村を出て行く事もない。
村長はよそ者を嫌っていると聞きますがそれこそ変えるべきです、この地に来るよそ者などどうせ訳アリ、それならば逃げられる心配もないではありませんか。労働者は細く長くですよ」
彼の物言いは酷く村人を馬鹿にしたものであった。だが彼の行いはこれまでの村の窮状を確実に良い方向へと変えるものであった。
「多くの民が私の助けを求めてるの」
かつて冒険者をしていた村長の娘は、自身の子供が六歳を迎えた春に旅立って行った。そして村長もそんな娘を見送った翌年に後を追う様にこの世を去った。
残されたのは強引に村に引き込まれた男ドレイク・マルセルとその息子マイケル・マルセル。
ドレイク新村長は自身の伝手を使いこれまでの年二回であった行商を年六回に増やすことに成功、村の物流に大きく貢献した。そればかりかこれまで隠し持っていた大容量のマジックバックの存在を明かし、作物の保存を行う事で冬場の餓死者をついにゼロにした。
貧しい事には変わりはない、だが命を繋ぐ事は出来るようになった。
そしてこの冬訪れるであろうお迎えを待つばかりであったベネットの下に、一人の少年が訪れた。彼は村の子供ケビンであった。
ベネットはこれまでの人生で魔力の事を深く考えたことなどなかった。生活魔法は只の日常であり当たり前、村の人間である自分に魔法など関係のないもの、そう思っていた。
「この年になってこんなに美味しいものが食べられるとはね。長生きはして見るものだよ」
それはさっぱりした味わいの肉であった。味付けは岩塩を振り掛けただけのシンプルなもの、よく筋切りされたこの年の自分でも食べやすいものであった。
“ジュワジュワ”と響く肉の焼ける音、鼻腔に抜けるその香り、自然と溢れる唾液が胃袋を激しく刺激する。
一口口に含む。溢れ出す肉汁、迸る旨味、身体が、心が叫んでいる。ただ“美味い”と。気付けば肉にかぶり付き黙々と咀嚼する自分がいた。これが一体何の肉でこれが何と言う料理なのかまるで分らない。ただ分かっている事、それはこの肉が極上に美味しいと言う事。
「このお肉はご褒美です。次僕がここに訪れるまでに先程教えた“魔力纏い”をちゃんと練習して、歩けるようになっていたらこのお肉の干し肉を差し上げますね。香草を利かせた特別版ですよ?」
少年ケビンの言葉は、肉の旨味と共に身体の奥深くにまで刻まれて行った。
つまらない人生?後はお迎えを待つばかり?そんな事はどうでもいい。頑張ってご褒美の特別製干し肉を手に入れねば。
“奇跡の肉の日”からベネットの生活は変わった。朝起きては魔力を纏い、昼は家の周りを散歩し、食事を作り体調を整え、全ては極上の肉の為に。
気付けば体調はすっかり良くなり、美味しく極上の肉を頂ける様にもなっていた。
「さて、私はあの坊やに何を返せるのかね~」
ただ失われる日々に生きる糧を与えてくれたドレイク・ブラウン村長代理、死を待つばかりだった自分に食の喜びを教えてくれたケビン少年。
少年はキャタピラー繊維について聞いていた、それは自分の領分、服飾は人生そのもの。少年の試みは延いては村の、ドレイク村長代理の為にもなるだろう。
ベネットは久しく感じたことのない喜びの感情に、顔をほころばせるのであった。
「お父さん、こんな年になってしまいましたが、お父さんの願いを少しだけ叶えられそうです」
窓の外には乾いた冬の風が吹いている。暖炉からは薪の爆ぜる音が聞こえる。何気ない日常、何気ない一日。そんな当たり前な一日に喜びを感じる。
ベネットは燃え盛る暖炉の炎に照らされ、ゆっくりと目を閉じるのであった。
本日二話目です。
よろしくお願いします。
by@aozora