時は少々遡る。
マルセル村村役場(旧村長宅)で村人の見送りを受けたアルバート子爵家の一行は、その日の内にグラスウルフの草原を抜けエルセルの街門前まで到着していた。
「・・・なぁギース、この幌馬車、揺れが酷いと言う事もなかったんだが。はっきり言えばとても快適だったんだが。何でエルセルに到着してるんだ?
もしかして私達が気が付かなかっただけで、相当馬に無理をさせたのかい?」
ドレイク・アルバート子爵の疑問は尤もな物、マルセル村を明け方に出発したのならともかく、普通に早朝に出発しエルセルに夕方前に到着出来ると言うのは幾らなんでも早過ぎる。
これじゃまるでグロリア辺境伯様のところの高級な馬車の様じゃ・・・まさか!?
「あぁ~、はい。おそらくは馬の質の違い、幌馬車の質の違いかと。この幌馬車は板バネ式の高級品をケビン君が改造したものです。板バネ部分及び車軸周りの金属部品はすべて魔鉄製と聞いています。それと車軸に使われている木材は大森林の中層から取れたものを使用しているらしいですよ?それだけで金貨がどれだけ飛ぶ事か。
ケビン君曰く“馬車は足回りが大事”との事でしたけど。
それとこの二頭の引き馬ですが、魔馬な上にケビン君の訓練済みの馬です。
先の遠征に使用した騎馬たちと同じと考えていただければどれ程のものか伝わるかと。
こいつら、丸一日あれだけの速さで走っていたにも拘らずケロッとしてますからね。
何ならもっと早く到着する事も可能でしたよ?多少揺れが激しくなったとは思いますが、荷馬車とは雲泥の差ですかね」
呆れた様などこか遠い目をしたギースの説明に、同じように遠い目をするアルバート子爵。
「ケビン君は一体どこに向かってるんだろうね。取り敢えずこの休暇の内はケビン君の事は考えない事にしようか」
「そうですね、アルバート子爵様には心の休養が必要だと思います。エルセルでは監督官屋敷に向かうと言う事でよろしいでしょうか?」
ドレイク・アルバート子爵の休暇の話は既にエルセルの監督官ストール・ポイゾンに伝えてある事であり、その訪問も約束している事であった。
アルバート子爵家の幌馬車は貴族通用門を通り、一路監督官屋敷へと向かうのであった。
「よく来たなドレイク、早い到着だったじゃないか。ミランダ夫人、お久し振りですな、それとエミリー嬢にロバート君かな?
ロバート君はミランダ夫人似かな?将来女性で苦労しそうだな。
まぁ今日はゆっくりして行ってくれ」
ストール監察官は近隣領主でもあるドレイク・アルバート子爵の訪れを歓迎し、その家族を温かく向かい入れるのであった。
「お久し振りでございます、ストール・ポイゾン監督官様。本日はお招きいただきましてありがとうございます。
私共はついこないだまで平民をしていた身、ご無礼がございますでしょうが何卒ご容赦いただければと存じます」
「お初にお目に掛かります。アルバート子爵家が長女、エミリー・アルバートと申します。
それと弟のロバート・アルバート、姉弟共々よろしくお願いいたします」
屋敷の広間で改めて挨拶を行うアルバート子爵家の面々。
「うむ、改めて述べよう。私はストール・ポイゾン、このエルセルの街の監督官であるな。爵位は男爵位ではあるが所謂法服貴族と言うものであるな。役職ありきの貴族である故そこまで畏まる事もあるまい。
だがエミリー嬢は立派であるな、ついこの前までマルセル村で走り回っていた子供とは思えん聡明さであるが」
ストール監督官は感心するようにエミリーを褒め、エミリーは緊張の面持ちながら会釈で応える。その様子に思わず吹き出すミランダ夫人。
「フフフ、申し訳ありません。エミリーがお貴族様の所作の特訓をしていた時のことを思い出してしまって。あの時はストール監督官様もよくご存じのケビン君が執事役をしていてくれたんですが、その演技が大したものだったものですから。
エミリーもとても気分よくお嬢様をしていてその様子がおかしくって」
「おぉ、あの少年であるか。確か授けの儀を終えているのだったな、では青年と呼ぶのが相応しいか。
領都ではグロリア辺境伯閣下がとても気にしておられたのでよく覚えておる。辺境伯閣下にまで名を憶えていただける程の青年、将来が期待出来るではないか。
私の中ではでっぷり腹のドレイクの周りをチョロチョロしていつも笑顔を向けていた少年という印象が拭えないのではあるがな。
だがあの少年が青年とは、時が経つのは早いものだな」
そう言い懐かしそうな眼をするストール監督官に対し、乾いた笑いを浮かべるアルバート子爵。
その後ストール監督官とアルバート子爵家の面々はともに夕餉を楽しみ、楽しい一時を過ごしたのであった。
「ドレイク・アルバート子爵、これが約束していた紹介状である。宿泊の宿には手紙で予約を入れてはいるが、この時期避暑に訪れる他家の貴族も多くいる故問題に巻き込まれぬ様に気を付ける事だ。
家族と共にゆっくり旅を楽しむが良い」
これから向かう先、グロリア辺境伯領南東部にあるシリアル湖周辺は夏の避暑地として有名であり、各地から貴族や商家のものが訪れる観光地でもある。
その美しい湖と湖面を吹き抜ける爽やかな風は、多くの者の心を打ち、周辺には貴族や商人の別邸が多く建てられている。
そうした関係上身分の高いものが宿泊する様な宿も点在し、アルバート子爵はそうした宿の一つをストール監督官に紹介手配して貰っていたのである。
「ストール監督官様には何から何まで、本当にありがとうございます。お言葉に甘えまして家族との時間を過ごさせて頂きたいと思います。
私共は何分新参貴族です、分からない事も多く御すがりする事も多いと思いますが、何卒よろしくお願いいたします」
そう言い頭を下げるドレイク・アルバート子爵と家族の者達。ストール監督官はそんな彼らに複雑な苦笑いを向け言葉を返す。
「うむ、いや、頭を上げられよ。と言うか貴族がそう軽々に頭を下げるものではない。貴族は面子が第一、嘗められていては相手が図に乗って何をして来るのか分からないのがこの世界だ。ドレイクならばそこを逆手に取る事など造作もないであろうが、貴族はすぐに逆恨みをするからの。
敵は少ないに越した事はない、以前の辺境村の強欲村長様ではないが、あれくらいの口調の方が上手く事が運ぶ場合が多いのも事実。何事も使い分けではあるからの」
「ハハハ、そうですね、久しくやっていなかったので上手く行くかどうか。
ですが使い分けですか、心しておきましょう。
では行ってまいります」
“ガタガタガタガタ”
幌馬車は進む、一路南東の避暑地シリアル湖湖畔の街、レンドールを目指して。
「ギース、従魔登録の方は無事に済みましたか?」
カタカタと小気味良い音を立てて進む幌馬車の荷台、中には横長の収納兼用の椅子が取り付けられており、座面はホーンラビットの体毛を使ったクッションになっている。痛くないお尻、荷馬車に比べて驚くほどに少ない揺れに、思わず眠気が誘われる程であった。
「はい、やはりグラスウルフとは言え大型の三頭を連れての従魔登録は冒険者たちの興味を引きましたが、私がアルバート子爵家の騎士であると知った途端蜘蛛の子を散らす様に離れて行きました。
ランドール侯爵家との戦い、領都グルセリアでのスタンピード制圧の話はここエルセルにも伝わっている様で、“アルバート子爵家には手を出すな”が冒険者の中での共通認識になっている様です」
アルバート子爵はギースの話にほっと胸を撫で下ろす。新興貴族は嘗められ易い、どこにもマウントを取りたがる者と言うものはいるもので、初めのうちにガツンと言わせて優位な立場を作ろうと画策する馬鹿も存在するからだ。
悪名であろうと恐れであろうと、ちょっかいを掛けて来ないのならばそれに越した事はないのだ。
「そうですか、それならば良かったです。調子に乗った冒険者がマルセル村に押し寄せて来たらと思うと、気が気ではなかったんですよ。
ボビー師匠が覇気をぶつける程度で済めばいいんですが、冒険者が変に意地を張った日には・・・」
「夜の清掃員ですか。寝不足になった理不尽が何をするのか分かりませんからね」
「「・・・・ハハハハハハ」」
幌馬車は進む、周囲を大型のグラスウルフに守られながらカタコト音を鳴らして。
街道を進む旅の危険とされるグラスウルフやゴブリンは、その威容に姿を隠す。
その後五日の行程を経て、アルバート子爵家の面々はシリアル湖湖畔の街レンドールへと到着するのであった。
「うわ~、お水があんなに一杯、それにキラキラ光っていてすごく綺麗」
エミリーは初めて見る湖と言うものに驚きと感嘆の声を上げる。マルセル村どころかその周辺地域がすっぽりと入ってしまうのではないかと言うくらい大きな湖は、辺境の地では決して見る事の出来ない絶景の一つであろう。
「どうだいエミリーちゃん、凄いだろう?これが湖と言うものなんだよ。
マルセル村周辺には大きな川や湖は無いからね、ここはグロリア辺境伯領の中で一番大きな湖って言われているんだ。
オーランド王国の隣、バルカン帝国には海と言って遥か先が見えないほどの大きな水面が続く場所があるんだ。その雄大さは実際に行ってみなければ分からないかな?
エミリーちゃんは将来ジェイク君、ジミー君と共に世界に羽ばたく冒険者になるって言ってただろう?だからエミリーちゃんにはこう言うマルセル村じゃ見る事の出来ない様なところを見て欲しかったんだよ。
綺麗と思う心、素敵だと思う心、ワクワクやドキドキと言った気持ちを忘れて欲しくなくってね」
そう言いニッコリと微笑むアルバート子爵。
「お父さん、ありがとう!」
思わず抱き付くエミリーに、だらしなく頬の緩むドレイク。ミランダはそんな二人の様子に「しょうがないお父さんですね~」と言いながら息子ロバートをあやすのでした。
到着した宿、そこはレンドールの街の高台に位置し街並みと湖を一望する事の出来る三階建ての貴族屋敷のようなところであった。
「いらっしゃいませお客様、本日はどの様なご用件で」
宿の前に立つ門番が現れた幌馬車に訝しみの視線を送る。その視線は言外に“この宿はお前らの様な貧乏人が来てよい場所ではない”と伝えているような雰囲気を漂わせていた。
御者台に乗るギースは門番の無礼な態度に口を開こうとするも、ドレイク・アルバート子爵はそれを手で制する。
「これは大変申し訳ございません。私共は田舎から出てきた者であり物事を知らぬ身、ご無礼がありましたら平にご容赦願いたい。
実は知人にレンドールで一番のお勧めの宿を聞いた際にこちらのお宿を紹介いただいたものですから。一応紹介状もいただいたのですが、私共は相応しくなかった様子。場に相応しい服装も持ち合わせていなかったと汗顔の至りでございます。
大変申し訳ございませんが、ここレンドールで宿をご紹介して頂ける様な施設などがございましたらお教え願いませんでしょうか?
何分田舎者なものでして」
そう言い頭を下げるアルバート子爵に呆れ顔の門番。
「それならば下町の大通り沿いに行けば適当な宿など幾らでもあるだろう。ここは高貴な御方が多く滞在されている場所、いつまでもこの場にいられると迷惑だ。
早く幌馬車を退けて貰いたいのだが?」
「これは大変申し訳ありません。早速下町に向かわせて頂きます。御親切にありがとうございました。
ギース、馬車を動かしてください、下町に向かいます」
アルバート子爵の指示で馬車を走らせるギース。幌馬車は高台の高級宿から離れ、一路喧騒漂う下町へと向かうのでした。
「う~ん、困りましたね~。幌馬車はともかく従魔を泊める事は出来ませんか」
レンドールの下町には多くの食事処や商店が軒を連ね、避暑に訪れた観光客相手に商売を行っていた。また先程高級宿の門番が言っていた様に宿屋も多く、馬車で訪れた旅行客の為に厩も多く用意されてはいた、いたのだが。
「そうですね、やはり従魔を伴う旅行は難しいのかと。ここはこれまでの行程のようにアルバート子爵様方には宿にお泊りいただいて我々で幌馬車と良狼たちの世話をいたしましょう。それでしたら特に問題なくゆるりと滞在する事も出来ますし」
ウルフ種の従魔を連れての旅は宿泊先の確保に問題が生じたのである。
旅の安全性を考えれば良狼たちグラスウルフ隊の護衛は不可欠であった。だが宿泊先と言った面で考えると非常に難しい、ミルガルの宿“ブラックウルフの尻尾亭”の様な宿屋はオーランド国中を見渡してもまず無いほど稀な存在なのであった。
「あの~、もしかして宿をお探しでしょうか?先ほどから幾つかの宿に顔を出されていた様なのですが」
ギースはふいに掛けられた声に御者台から顔を向ける。そこにいたのはいかにも街娘と言った風の女性。
「あの~、幾つか条件をお聞かせ願えれば宿をご紹介出来るかもしれませんので。というかうちの宿はいかがですか?それほど大きくはないと言うか小さいんですけど、料理は美味しいですよ?
名物は地元シリアル湖で取れたお魚を使ったパイ料理なんですが。パイ料理ってご存じですかね?こう小麦を練って作った生地をお皿の上に被せて石窯で焼くんですがこれが絶品でして。それと・・・」
「あぁ、ちょっと待って、料理の解説は良いから。条件はそれほど多くないんだ。我々にはウルフ系の従魔がいてね、どこの宿も従魔はお断りと言われてしまってね」
ギースは自らの宿屋の宣伝を始めた女性の言葉を遮り、要件を簡潔に伝える。
「従魔ですか?それはどちらに?厩に入れる事は出来ませんが庭先で良ければ構いませんが。それと排泄ですね、臭いが残り過ぎてしまうと困りますので出来るだけ草原の方でしていただければ」
「あぁ、それは問題ない。街に入ってからは幌馬車に載っているが見て見るか?」
ギースはそう言いアルバート子爵の許可を得て女性に幌馬車の中を覗かせる。
そこには身を丸めて一塊になっている三体の大きなグラスウルフとそのモコモコの毛並みに身を沈めてすやすや眠るエミリーの姿。
「キャ~、かわいい~。って言うか羨ましい~。私もそのモコモコの中に沈みたい!!
是非お泊り下さい!!そして私にもあのモフモフを!!」
宿屋は決まった。アルバート子爵は思う、ブラックウルフの尻尾亭のご主人のような人間は思いのほか存在するのだと。
モフモフは正義、そう言えばモルガン商会の行商人ギースの奴もブラックウルフを撫でるのが子供の頃からの夢だったと言っていたなと。
「それじゃ宿まで案内して貰えますか?」
幌馬車は進む、カタコト音を立てて。従魔宿泊可の宿、“湖畔の木洩れ日亭”を目指して。
本日一話目です。