湖畔に佇む一軒の屋敷、下町の喧騒から外れたそこは街外れと言うよりも既に郊外と呼んだ方が良い立地ではあるものの、それが逆に静けさを呼び湖畔の避暑地としての優雅さを醸し出している。
周囲にはあまり家もなく、点々と似たような小ぢんまりとした屋敷が立つ、そんな場所。
ここに勇者病<仮性>重症患者がいたらこう言うだろう。
「何ここ、軽井沢の高級別荘地?一泊二日お一人様六万円超え?大人四人に子供二人、引く馬二頭に従魔三体で金貨何枚必要なの?」と。
「はいは~い、お客様六名様ご案内で~す。メイド長~、お客様ですよ~!!」
案内してくれた客引きの女性が玄関先で大きな声を上げる。すると奥から凛とした雰囲気の女性が姿を現す。
「リンダ、メイド長は止めなさい。私達は宿の従業員なのですから。
いらっしゃいませお客様、ようこそ“湖畔の木洩れ日亭”へ。
何名様のご宿泊でしょうか?」
メイド長と呼ばれた女性は客引きの女性リンダに一言注意すると、アルバート子爵一行に視線を向け宿の案内を始めるのであった。
「あぁ、大人が四名子供が二名の計六名だ、二部屋で頼みたい。一泊の料金は幾らだろうか?」
ギースがそう問い掛けると、メイド長は全員の顔を見渡してから口を開く。
「お子様と言うのはそちらのお嬢様と奥方様がお抱きになられているお坊ちゃまでしょうか?でしたら五名分の料金で結構でございます。
ご宿泊は朝夕の食事付きで御一人様一泊銀貨六枚、五名様ですので大銀貨三枚となります。
下町の宿に比べますとややお高くなっておりますが、その分料理にはご満足いただけるかと思います」
「それで構わない。この夏の連泊は取れるだろうか?二十日ほど逗留予定なのだが」
「はい、ありがとうございます。長期の御滞在と言う事ですので飼葉料金を無料とさせていただきます。
それと支払いは日ごとになさいますか?数日ごとになさいますか?
後でのまとめ払いと全額前払いは、問題が起こり易い為お断りさせていただいているのですが」
「あぁ、では数日おきで頼む。先ずは五日分の支払いをお願いしたい」
「畏まりました。それでは一度お部屋にご案内してご納得いただいた後でと言う事でよろしいでしょうか?
長期滞在の場合お部屋が気に入らないと言った事も往々にございますので。
リンダ、皆様をお部屋にご案内してください」
メイド長の掛け声に、傍に控えていたリンダは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「はいは~い、それではお部屋にご案内いたしま~す。窓の向こうにシリアル湖が見えるとても雰囲気のいいお部屋ですからね、気に入っていただけると思いますよ?
二階になりますので足元にお気を付けください。では参りましょう♪」
料金の確認を終えたアルバート子爵一行は、リンダの案内で二階の宿泊部屋に向かうのであった。
「うわ~、凄~い」
二階の窓辺、そこから見渡せるシリアル湖の湖面。キラキラと輝く水面と吹き抜けるそよ風。
「そうね、お部屋も綺麗でまるでお貴族様の別邸みたい。こんな素敵な所に宿泊してしまっていいのかしら?」
息子ロバートを抱えたミランダは、まるで物語の世界の様な光景に顔をほころばせる。
「ハハハ、お褒め下さいましてありがとうございます。実際ここ“湖畔の木洩れ日亭”の建物は然るお貴族様の別邸だったんですよ。
ここ周辺の御屋敷は大体そうした建物なんですが、処々の事情により宿屋を始める事になりまして。
いや~、お客様をおもてなしする事自体は問題ないんですけど、経営が。
宿屋業って難しいですよね。本当、お客様が連泊して下さるって言うんで大助かりですよ~。
あっ、思い出した。モフモフちゃんを三体お連れしているんですよね、ご休憩して頂く場所にご案内いたします。それとモフモフちゃんたちのお食事ですが」
「あぁ、グラスウルフ隊の食事はマジックバッグで持って来ているから大丈夫だ。
それでは旦那様、私は宿の支払いとグラスウルフ隊の世話がありますので失礼いたします。エリザ、後を頼む」
ギースはそう言うとリンダと共に部屋を出て行くのであった。
「ハハハ、リンダさんか、何か面白い人だったね。それに色々と事情を抱えているみたいなのにそれを一切苦にしてない所も好感が持てるよね。
これで仕事がきちんと出来る様ならうちのメイドに欲しいくらいだよ。
というかメイドだよ、どうしようかメイド」
「暫くは良いんじゃないんですか?我が家はアルバート家を引き継ぐ形にはなっていますが、ほとんど新興貴族みたいなものですし」
「でもな~、ある程度の形を整えておかないと口さがないのが貴族社会だから。
ブラウン家の実家は近所の農家のおばちゃんがメイド代わりをしてくれたんだよ。と言っても人が来た時だけだけどね、普段は自分たちで何でもしていたかな。
ウチは貧乏男爵家だったから」
「私のところは幼い頃に見た記憶がありますが、上の姉が学園に通う頃にはいませんでしたね。特に私はあまり顧みられていなかったので、自分の事は自分ですると言う事は当たり前になっていました。
ですのでメイドに対する知識はないんですよ」
“う~ん”と二人して悩み顔になるアルバート子爵夫妻。そんな二人にエリザが言葉を掛ける。
「あの、でしたら私とキャロルがメイドをやりましょうか?詳しい事はマイヤーに教わればいい訳ですし」
「いや、エリザさんとキャロルさんはベネットお婆さんの工房の主力だから。二人に抜けられちゃうと村の縫製業が立ち行かなくなっちゃうから。
それにエリザさんはあまりお貴族様絡みの席に顔を出さない方がいいでしょう、どこにどんな人の目があるのか分からないですしね。
キャロルさんもご実家を飛び出しちゃってる身ですからね、どうしたものか」
「まぁ無難な所でグロリア辺境伯様にご紹介いただくしかありませんか。でもマルセル村に長居してくれるかどうか。マルセル村にはケビン君の従魔が沢山いますから」
「「あぁ、う~~~ん」」
人材の確保、それはどんな時代であろうと大変難しい問題なのでありました。
“コンコンコン”
「“失礼します。お客様~、お食事のご用意が出来ました。食堂の方へお越しくださ~い”」
リンダの呼び声に部屋を出るアルバート子爵家の面々。旅の疲れもあり部屋でまったりとしていたものの時間が過ぎればお腹が空くものである。一階から漂う旨そうな香りは彼らの食欲を刺激して余りあるものであった。
「シリアル湖名物マール貝のワイン蒸しとボトルマスのパイ包み焼き、夏野菜の煮込みスープに自家製パンです。今ワインをお持ちいたしますね」
漂う香り、テーブルに並ぶ色鮮やかな料理の数々、光の魔道具によって照らし出されたそれは視覚と嗅覚で彼らを魅了する。
「こちらボルシャーニの三十年物になります。良いですよねボルシャーニのワイン、なんかこう確りとしていると言うか、料理を受け止めてくれると言うか。
私なんかは若いワインも好きなんですけど、本日は皆様を歓迎する意味合いも込めましてこちらを開けさせていただきました」
“トクトクトク”
注がれるワインがグラスの中で踊る。ドレイク・アルバート子爵は漸く人心地つけた事に安堵のため息を漏らす。
息子マイケル・マルセルを領都に旅立たせてから三年、本当に大変であった。前妻シンディー・マルセルとの間に既に愛は無く、というか初めからそんなものがあったのかどうかも怪しいが、離婚自体は問題なく行えた。彼女にとってマルセル村を任せる事が出来る者がいる事、息子を育てる者がいる事が重要なのであって、それさえ満たしてしまえばあとはどうでも良かったのかもしれない。
彼女にとってはマルセル家の自分が大事なのであって、マルセル家が騎士爵家として存続する事が決まった現在としては辺境のマルセル村の事など意識の端にもないのであろう。
マイケルに至ってはマルセル村自体を嫌っていたし、騎士団に入って随分と叩かれた事で大分意識も変わったようだが、彼にとってのマルセル村はもはや過去のものとなっている筈だ。
農業重要地区入りを果たし、村人が安心して暮らしていける道筋を作る事、人々が冬の飢えに怯えないで済む、そんな村を作る事が私の使命、そう思い頑張って来た。
それがどこをどう転がってしまったのかアルバート子爵家の当主。領地の広さ的には実家のブラウン男爵家とさして変わらないものの、爵位では兄よりも上。
これをどう報告していいものか。
“大変だろう、手を貸してやろう”などと言って名前も知らない親戚と名乗る者がやって来ても、調子に乗った瞬間粛清対象だしな~。
いつの間にか修羅の住まう村になってしまったマルセル村、生き残る為には仕方がなかったとはいえどうしてこうなったと言いたい。
隣の席には息子ロバートをあやしながら麦粥を与える妻ミランダ、その隣ではナイフとフォークを使い、すまし顔で“お嬢様”の練習に励むエミリーちゃん。テーブルの向かいにはそんなエミリーの様子を微笑ましく見つめるギースとエリザ。
抱える物の大きさが大きくなり、責任も重くなった。村人は領民へと変わり、マルセル村はアルバート子爵領へと変わった。
“領主にとって領民とは宝”
これはブラウン男爵家の家訓、代々あの貧しい地で受け継がれてきた言葉。それは自身がマルセル村に婿として囚われてからも、いや、囚われた身であったからこそ絶対的な指針としてきた言葉。
それは自身が子爵になったからと言って変わる事の無い亡き父の教え。
「ドレイク、ワイングラスを見詰めてどうしちゃったの?何か黄昏てたみたいだけど?」
妻ミランダの言葉に思わず苦笑いが漏れる。
「いや、随分と遠くまで来たものだと思ってね。故郷を旅立って何年になるのか、冒険者の道から行商人へ、辺境の寒村の村長になったと思ったらいつの間にか子爵様、本当に人生何があるのか分からない。
一度実家に帰ってビッグワーム農法を伝えてあげたい、そうすれば故郷の村人たちも少しは生活が楽になるんじゃないだろうかと思ってね」
“まぁ難しいだろうけど”と自嘲気味に笑うドレイクに、妻ミランダは笑顔を向ける。
「いいんじゃない?一度ご実家に帰ってビッグワーム農法を伝えて来ても。私はロバートもいるしご一緒出来ないけど、ケビン君に頼めば一緒してくれると思うわよ?
あの子はなんやかんや言っても面倒見のいい子だから。
それに前に言ってたもの、“僕の目指す大人は酸いも甘いも知り尽くしたドレイク村長の様な姿です”ってね。当時は何でって思ってたけど、あの子はドレイクの本質を見抜いていたのね。
今じゃすっかり頼りになる青年になってしまったわね、お騒がせな所はちっとも変わらないけど」
「ハハハ、そうだね。彼は昔から変わらずお騒がせな青年、マルセル村に帰ったら相談に乗って貰う事にするよ」
楽しい一時、エミリーはいつの間にか“お澄ましお嬢様”を止め、美味しい美味しいと初めて食べる魚貝料理に舌鼓を打つ。
アルバート子爵家の避暑地での一日目は、こうしてゆっくりと過ぎて行くのでした。
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「皆さんはお休みになられましたか?」
「はい、夕餉の料理も大変満足していただいた様で、全て完食していただけました」
夜が更けた深夜、宿の従業員たちはお客様の様子について話をする。
「そうですか、これには料理長も喜んでいたでしょう」
「ですね、この家の方々は日々の食べ物にも困っていた様子でしたから。グロリア辺境伯家の春の嵐、影響は領内全土に広がっていますからね。
まぁランドール侯爵家に唆されて自分を見失った自業自得なんでしょうけど。
でもなんとか上手い事誘い込めましたけど、アルバート子爵が当初の予定通り丘の上の高級宿に宿泊した場合はどうするつもりだったんですか?」
リンダは自らの上司であるメイド長に疑問を投げ掛ける。
「そうなった場合は別動隊が彼らに接触する手はずになっていました。ですがエルセルからの報告でアルバート子爵家の方々が幌馬車で移動している事、護衛に従魔であるグラスウルフを付き従えている事は分かっていましたので、まず間違いなく誘い込めると思っていましたよ?
あの宿は幌馬車の様な庶民的な乗り物を嫌いますし、レンドールの下町には従魔が宿泊出来る様な施設を備えた宿などありませんから。
丘の上の高級宿なら従魔舎もあるんですけどね。貴族男性の間ではウルフ種の従魔を付き従える事が流行っていますから」
ちょっとした認識の違い、状況の違いが生んだ流れ。その流れの先で待ち構えていた者は果たして。
避暑地レンドールの深く暗い夜は、静かに
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora