貴族街の奥、高位貴族と呼ばれる者の邸宅が立ち並ぶその場所に、目的のプラウド侯爵家王都別邸は佇んでいた。
広い敷地と立派な屋敷は、プラウド侯爵家がヨークシャー森林国において大きな力を持つ名家である事を示すに十分なものであった。
「ごめん、どなたかおられるかの?我々はオーランド王国よりマケドニア・グロリア閣下の使いとして参った者。御当主ドルイド・プラウド閣下並びに第一夫人ラナーニャ・プラウド様にお取り次ぎを願いたい」
発せられる大声、それは屋敷に来客があったと言う知らせ。
一般的にこうした大貴族家になにがしかの用があり来訪する場合、先触れの者がこれから来訪する者の身分等を知らせ、許可を貰ったうえで訪れるものである。そうでない場合たとえ何者の来訪であろうとも門前で足止め、もしくは門前払いを受けるのが常である。常ではあるのだが・・・。
「ふむ、返事がない様じゃの。これはどうしたものか」
固く閉ざされた正門、通常そこに配置されているであろう門兵の姿も無く、屋敷内から人の気配は感じられない。
「失礼、ここは私が。
“プラウド侯爵家王都屋敷に住まいし精霊たちよ。この門を開き、我らを屋敷内に招き入れてはくれまいか?
我らはオーランド王国より訪れし同胞なり”」
“ガチャッ、ギギギギギギギギッ”
大きな軋み音を立て開かれた扉、途端屋敷内から温かな風が門前の者に向かい吹き付ける。
「“歓迎感謝します。私の名はビーン。ビーン・メイプル。
マケドニアル・グロリア様の御依頼により疫病の対策の為やって来た者です。皆の友にその事を伝えてください。動ける者があれば屋敷前に来てくれるようにと”」
薄蜂蜜色のローブに身を包んだ白い仮面の者が紡ぐ言葉、それは音声ではなく心に直接響く魂の声。
その者、ビーン・メイプルの言葉に応える様に、屋敷に向かい飛び去って行く何か。
「さぁ皆さん、道は開かれました。精霊様方には屋敷内の者を呼んで貰っています。
玄関前まで進みそこで皆さんを待ちましょう」
ビーンの合図に従い動き出す二台の馬車、後に“精霊姫様の奇跡”と呼ばれる出来事は、こうして静かに始まるのであった。
――――――――
「えっ、お父様からの使者?疫病対策に人が来ている?」
その知らせを聞いた時、始めプラウド侯爵家第一夫人ラナーニャ・プラウドは何の事だか理解する事が出来なかった。
確かに自身はこの国で蔓延している疫病の事を魔道具を通じオーランド王国グロリア辺境伯領の、父マケドニアル・フォン・グロリアに伝えていたし、その為の相談も行っていた。
だがこちらから送る事の出来た情報は些細なものであり、未だ具体策を見いだせずにいた。
そして次第に事態は悪化、現在では王都の機能は完全に停止、街で倒れる人々を助ける事も出来ぬ状態にまで陥っていた。
幸いなことにこの病による死者と言うものは報告されてはいないものの、人々は既に疲弊しきっており、それも時間の問題であろう。
その様な状況にある王都リーフェリアに使者を送り込む?グロリア辺境伯領領都グルセリアからの移動を考えれば早くて二十日は掛かる行程、そうであればまだ大した情報が集まっていない段階で使者を送り出していたと言う事になる。
あの慎重で冷静沈着な父がその様な愚を犯す?
「ゴホッゴホッ、分からない事が多過ぎます、先ずは話を聞いてみなければなりませんね。
どうもありがとう、ラッキー」
自身の契約精霊に礼を述べたラナーニャ夫人は、ベッドから重怠い身体を引き起こし、壁に伝いながらもゆっくりと玄関ホールへと向かう。
父であるグロリア辺境伯が送り込んだ使者が、現状を打開する一手となる事を祈りながら。
「ラナーニャ伯母様、お久し振りでございます。デイマリアが娘、姪のパトリシアでございます」
綺麗なカーテシーを決め礼をする者、それは妹の娘であり姪のパトリシア。
ラナーニャはそんな姪の姿に、喜びの前に驚愕の気持ちで一杯になる。
パトリシアは確かに妹の一人娘であり自身の可愛い姪だ、ではあるが彼女は昨年オーランド王国王都中央学園の卒業記念パーティーで婚約者であるランドール侯爵家の三男から婚約破棄を言い渡されたばかりか、父親であるジョルジュ伯爵から酷く叱責され、それに抗議した妹デイマリアと共にグロリア辺境伯家に身を寄せていたはず。
そう言えば先頃妹は寄り子子爵家の者と再婚したと言っていたから、現在は子爵家令嬢となっているのか。
だが何故その姪がこの場に?あの孫を溺愛する父が姪を送り出す?その様な事があり得るのだろうか。
「ラナーニャ伯母様、お身体の具合が悪い中のお出迎え、さぞやつらかった事でしょう。
先ずはこちらの薬を。これはこの度の疫病の話を聞き、当屋敷に滞在していた精霊使いが調薬したものでございます。
彼の者は本業が調薬師である為その腕も一流、当屋敷の者も大そう世話になっております故安心して頂ければと。
ただこうした話を姪の言葉とは言え信用出来ない、してはいけないお立場にある事も理解しております。
ですのでそちらの鑑定士により鑑定して貰った上での服用をお勧めいたします」
そう言いパトリシアが差し出した物、それは一本のポーション瓶。私の目配せに執事の者が動き、苦しそうな顔の鑑定士を連れて来る。
ただこれはこの者だけに限った事ではなく、大なり小なり皆疫病の症状に苦しんでいるのだ。
今この屋敷で病の症状が無い者は当主ドルイド・プラウド様と嫡子ジュケイ・プラウド、筆頭執事のエルーセンの三人のみ。
ハイポーションと聖水により症状を押さえてはいるものの、その数にも限りがある。優先すべきは当主と次期当主であり、他の者に回す余裕などないのだ。
「ゴホゴホッ、ご報告申し上げます。<鑑定>の結果はこちらに、結論から言えば毒の類ではなく霊薬と呼ばれる部類のものかと。
名を“中級天使の涙”、効果は呪いの解放、魔力回復、体力の回復と言ったものです」
鑑定士はそう言うと、乱れた文字の鑑定用紙を差し出した。
<鑑定>
名前:中級天使の涙
詳細:仕事に疲れ切った酔いどれ中級天使の心を癒し、回復させた一杯。身体に巣食う闇属性魔力を追い出し、呪いからの解放、魔力の回復、体力の回復効果がみられる。
製作者:ケビン・ドラゴンロード
「ブフォッ、ゴホッゴホッ。失礼しました。この霊薬は我が領でも秘中の秘、口外なさいませんよう。
それと申し訳ありませんがその鑑定書はこの場で処分させて頂きます」
パトリシアはそう言うや鑑定書を手に取り「<疑似ファイヤーボール>」と唱えて一瞬で燃やし尽くすのでした。
「なっ、あなたは何者です!姪のパトリシアの魔法属性は風と水、あの子にファイヤーボールを作り出す事が出来る筈はありません!」
途端警戒を強めるラナーニャに、若干気まずそうな顔になるパトリシア。
「あの、ラナーニャ伯母様?今のはファイヤーボールではありません。ファイヤーボールに似せた生活魔法とでも言いましょうか、疑似ファイヤーボールです。
これは高等技術である<魔纏い>の習得が必要ではありますが、基本誰にでも出来るんですよ?」
そう言い全ての属性の疑似魔力ボールを作り出すパトリシアに、空いた口の塞がらなくなるラナーニャ。
「今はその事については置いておきましょう。問題はこの屋敷の者の病気です。
ビーン様、お願いします」
“ドンッ”
ビーンと呼ばれた白い仮面を付け蜂蜜色のローブを被った者が一歩前へと出ると、突然床にワインの大樽が現れる。
「この中には先ほどの霊薬、鑑定では“中級天使の涙”となっていましたが、それが入っています。コップ一杯、ポーション瓶半分の量で感染症は完治するかと。
この事は王都に来る前に実証済みですのでご安心を。
先ずは使用人の方で試されてからご服用ください」
そう言いニコリと微笑むパトリシアに「それには及びません」とポーション瓶の蓋を開けクイッと飲み干すラナーニャ。
変化は劇的であった。身体から黒い靄の様な物が弾き出された次の瞬間、「うそ、何これ」と呟くラナーニャ。
それもその筈、今までラナーニャの身体を蝕んでいた痛みやだるさ、頭痛に熱といった症状が一瞬のうちに消え去ったどころか、これまで感じた事の無い様な爽快感に、先程まで感じていた病状が嘘であったのではないかという錯覚にすら陥っていたからであった。
「パトリシア、本当にありがとう、あなたは私の、プラウド侯爵家の、ヨークシャー森林国の恩人です!!」
感激に立ち上がり、パトリシアの両手を掴むラナーニャ。
そんな彼女にやや引き攣りながらも笑顔を向けるパトリシア。
「いえ、私は何も。全てはこの采配を行ったマケドニアルお爺様とビーン様のお陰。感謝の言葉はこの国を蝕む感染症騒ぎが収まった後で頂きましょう。
今はこの薬を屋敷内の者に、それとお爺様から書状を預かっております」
そう言い差し出された三通の書状、一通はドルイド・プラウド侯爵に対して、もう一通はラナーニャ・プラウド侯爵夫人に対して、最後の一通は・・・。
「パトリシア、これは・・・」
「はい、お爺様からは書状を読んで貰えれば分かるとしか。私には何も。
ご紹介がおくれました、此度の旅の同行者で賢者シルビア様と賢者イザベル様、感染症の状態を見ていただくためにお越し願いました。
それと旅の精霊使いのビーン様とそのお弟子様方、先程の霊薬を齎して下さった御方になります」
パトリシアから紹介された者、それは先程から従者と共に背後に控えていた者達。
「彼らには王都リーフェリアでの疫病対策の為に動いて貰う事になっています。ですのでラナーニャ伯母様に暫しの滞在許可と彼らの行動許可証の発行をお願いしたいのですが」
「分かりました、滞在についてはすぐに手配させましょう。
あなた達、直ぐにこの樽の薬を飲みなさい。症状が一瞬で改善するから。
動ける様になったら急ぎ屋敷中の者に薬を飲ませなさい。
それとこちらのお客様方にお部屋を、最高のおもてなしが必要な我が家の恩人です」
「「「畏まりました、ラナーニャ奥様」」」
ラナーニャの号令の下、急ぎ動き出したメイドたち。
“中級天使の涙”を飲み、その効果に驚く者、急ぎ同僚に薬を配る者、ワインの大樽を部屋から運び出し小分けにして各部署各部屋に配る者。
プラウド侯爵家に明かりが戻る。
「パトリシア、申し訳ないけど席を立たせてもらいます。私は急ぎこの書状を旦那様に届けなければなりませんので」
「いえ、お気になさらず。では後の事、よろしくお願いします」
プラウド侯爵家で起きた奇跡、この知らせは当主ドルイド・プラウド侯爵の書状と小分けされた“中級天使の涙”と共に王家を始め各高位貴族の下に齎される事となる。
そしてその事は、事態が次のステージへと移り変わる第一歩となるのであった。
――――――――
「賢者シルビア様、賢者イザベル様、精霊使いビーン様、この度は我が家の危機を御救いいただきありがとうございます。
それとパトリシア嬢、グロリア辺境伯殿が我が国の国難に手を差し伸べて下さったこと、ヨークシャー森林国の貴族として礼を申し上げる、本当にありがとう」
そう言い深々と頭を下げるのはプラウド侯爵家当主ドルイド・プラウド侯爵様。只今夕餉の晩餐にて屋敷を上げての歓迎を受けているところでございます。
でもね~、残念ながら王都リーフェリアの物流は完全にストップ、「この様な状況で恩人に対し大してもてなしも出来ず申し訳ない」と侯爵様自ら謝られては何とも言えません。
ジェイク君、残念。お土産どころかお店がやってないよ?
これは彼らの為にも早いところ問題解決に乗り出さないとね~。
「それで精霊姫様の御生家、ブルガリア公爵家への連絡の方ですが」
「あぁ、それは配下の者に向かわせた。ブルガリア公爵家とは懇意にさせてもらっている故話は通ると思われる。
しかし縁と言うものは何がどう転ぶのか分からんものだな」
「そうですね、奇縁という言葉もございます。人と人との繋がりとは何がどうなるのかなど分からない。
その結び付きが最良を引き寄せたのなら、それは縁を結んだ者同士が良い関係性を築き上げてきた証左。互いの思いが育んだ奇跡とも呼べるでしょう。
私はその介添えに過ぎません」
互いに含むところはあれど通じ合う思い。その眼差しは優し気に二人の精霊使いの弟子を見詰める。
「申し訳ありませんが、私は先に休ませて頂きます。少々今後の為の下準備がありますので」
そう言い歓談の場を辞するビーン。
その場に残る賢者師弟やマルセル村関係者は“この理不尽、また何かするつもりだよ”と警戒するも、“ケビンだから仕方がない”と事態の先送りを決め込む。
「明日の朝まで部屋には誰も近付けない様に」
ビーンの言葉に訝しむも、当主よりビーンの行動を阻害しない様にと申し付かっている使用人たちは素直にその言葉に頷き、部屋を後にする。
「“お待たせいたしました精霊様方。私の事は聖霊樹様にお伝え願いましたでしょうか?”」
ビーンの言葉に、部屋の中に潜んでいた精霊たちが一斉に姿を現す。それは鳥であったり狼であったり狐であったり。
「“それでは参りましょうか、聖霊樹様の下へ”」
“カチャッ”
開け放たれた窓、そこからフワリと飛び上がるビーン。
窓辺から飛び立つ多くの精霊たち。
月明かり照らす夜の空に浮かんだ彼らは、誰からも注目される事なく煌めく夜空を大森林に向け飛び去って行くのでした。
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora