ヨークシャー森林国とバルカン帝国、その戦いの歴史は古く、過去二度に渡るバルカン帝国による侵攻は、ヨークシャー森林国国民の勇気ある行動により払いのける事が出来ていた。
両国間の関係は未だ停戦の域を出てはおらず、ヨークシャー森林国においてバルカン帝国とは常に最大の敵国として捉えられ続けて来た。
ヨークシャー森林国国境トリニア砦。ここはバルカン帝国とヨークシャー森林国を結ぶ街道を遮る要所であり、最前線。
国内屈指の防衛部隊がいつ訪れるとも知らぬ敵国の侵攻に目を光らせる盾にして矛。その最高司令官バーバリアン・ストーンズは、部下から上げられた報告書に眉間に皺を刻む。
「王都から派遣されてきた部隊の被害状況はどうなっている。仮設テントの設営は手配してあるのだろうな?」
「ハッ、王都より送られて来た支援部隊ですが、その八割に発熱と倦怠感の症状がみられ、物資搬入広場に治療用仮設テントを設営、収容しています。現在治癒術師による診断、治療が行われておりますが、未だ快方の兆しは見られないとの事であります」
「よし、王都よりの連絡では大規模な疫病の発生報告が入っている。支援部隊の者はその疫病に感染したものと考えられる。
治療に当たる者及び施設設営に当たるものは一般部隊との接触を固く禁じる。
砦内に疫病を持ち込むな。過去疫病により滅びた街や国など数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程あるんだ。無理やりにでも侵入しようとする者なら焼き殺しても構わん。
我らはヨークシャー森林国の盾にして矛、バルカン帝国の動きが活発化している今、この砦を落とされる訳にはいかんのだ。
今は戦時、情は棄てろ。この事を全兵士に徹底しろ!」
「「「ハッ、司令官!!」」」
砦を守る為ならば例え悪魔と呼ばれ様とも任務を遂行する、それが国を守り民を守る事だと知っているが故に。
最高司令官バーバリアン・ストーンズは最悪支援部隊の焼却処分すら視野に入れ、今後の対策に思考を巡らせる。
“バタンッ”
「バーバリアン司令官、大変です。斥候部隊からの報告です、連中が動き出しました!!」
“バタンッ”
「バーバリアン司令官、バルカン帝国の使者と名乗る者が!
砦の即時開放と武装解除を要求して来ています!」
“ガタッ”
「クッ、遂に始まったか。全部隊に通達、第一級戦時体制に入れ!これは祖国の命運を懸けた戦い、決して油断するな!
バルカン帝国の使者には俺が直接会おう。
王都に伝えろ、今この時よりトリニア砦は戦闘状態に入る!!」
「「「ハッ、司令官!!」」」
動き出した戦場、男達は戦う、愛する祖国、愛する家族を守る為に。接敵の時は刻一刻と迫っているのであった。
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「ではお父様、お母様、参りましょう」
公爵家次女カトリーヌ・ブルガリアは凛とした表情でそう言うと席を立つ。
「そうだな、これはカトリーヌが精霊姫として行う最初の公務。
カトリーヌ、決して気負過ぎてはいけないよ?お前はこのヨークシャー森林国の希望、国民に勇気を与える象徴なのだから」
膝を折り、娘の目線に腰を落としたブルガリア公爵は、優しげな瞳でカトリーヌに語り掛けると、そのか細い身体をそっと抱き締める。
「そうですよカトリーヌ。あなたには私達が、ブルガリア公爵家が付いています。
あなたを害する者を私たちは決して許さないし、害させたりなどさせません。安心してお役目を果たしなさい」
母であるブルガリア公爵夫人も、同様に膝を折り、娘カトリーヌを抱き締め優しく語り掛ける。
「お父様、お母様、何を言ってるのです。私は精霊姫、皆を守る事こそが私のお役目。
お父様やお母様、ブルガリア公爵家の者やヨークシャー森林国の国民を守る事が私の使命なのです。
大丈夫、私には精霊様が付いています。私は最上級精霊レガード様の寵愛を受けし歴代最高の精霊姫なのですから」
そう言い胸を張るカトリーヌに表情をほころばせるブルガリア公爵夫妻。
控えの間の扉が開かれ彼らは薄暗い廊下を進む。建物の外の通路を案内人に連れられ向かった先、そこは王宮前広場。多くの高位貴族が見守る中、その儀式は執り行われようとしていた。
「精霊姫カトリーヌ・ブルガリア様、ブルガリア公爵様、ブルガリア公爵夫人様。
お初にお目に掛かります、オーランド王国マケドニアル・グロリア閣下の御依頼により参りました精霊使いビーン・メイプルと申します」
その者は広場中央に佇んでいた。白い仮面で顔を隠し、薄蜂蜜色をしたローブを纏いし者。
一見高位貴族に対し無礼極まりないと言った装いであるにも関わらず、その事に対し言及する者はこの場には誰一人としていなかった。
それはこの者がプラウド侯爵家を通じ此度の疫病の回復薬“中級天使の涙”を提供した者である事もある。だが最大の理由はこの者から発せられる神聖な気配、それは自ら膝を突き敬意を示してしまいたくなる衝動を抑えるのが精一杯と言う神々しくも美しいものであった。
「皆様、お待たせいたしました。これよりこの国を覆う疫病を払う為の儀式を執り行います。
これはこちらにおられる精霊姫様とこの国を守護して下さる聖霊樹様のお力があって初めて成り立つもの。
そして皆様が聖霊樹様と共にこの国を愛し守って行くと言う思いがあってこそ効果を示すもの。
この国に生きる全ての人々の為に、ヨークシャー森林国の未来の為に、共に祈りを捧げてください」
“パンッ、パンッ”
“ホワンッ”
打ち鳴らされた二度の拍手、王宮前広場に頂点に丸を描いた巨大な三角形の光の文様が現れる。
「精霊姫様、どうぞこちらへ」
カトリーヌの前には先ほどのビーンという者と同様の衣装を着けた二人の人物が現れる。カトリーヌはその内の一人が差し出す手を取り、広場に現れた三角の頂点の一つに向かう。
「精霊姫様におかれましては、この場でご自身の精霊様に呼び掛けを行っていただきたく存じます。儀式自体は我が師ビーンが取り仕切ります故」
その声音は何故かとても優しく、慈愛に満ちていた。
カトリーヌは何とも言えぬ安心感に包まれ、その場に膝を付き最上級聖霊レガードに祈りを捧げる。
「フィリー、ディア、準備を」
「「はい、ビーン様」」
ビーンの言葉にフィリー、ディアと呼ばれた者たちも、それぞれが図形の頂点に跪き祈りを捧げる。
“フワッ”
それぞれの者たちの周囲に現れる精霊、その姿は白く美しい狼と二匹の子狐。だがその身から発せられる力は、その精霊たちが隔絶した力を持つ高位精霊である事を示していた。
“パンッ、パンッ”
再び打ち鳴らされる拍手、そして最初の図形に重なり合う様に現れた逆三角形、作り出されたのは六芒星と呼ばれる文様。
「“いと尊き御方々に願い奉ります。私の要請に応じ、この場に顕現して頂ける様、伏してお願い申し上げます。
<出張:精霊女王様(紬):神聖樹様(御神木様)>”」
その声は耳ではなく心に直接届けられる天上の調べ。
ビーンの呼び掛けにより新たに現れた図形の二つの頂点が光り輝く。
吹き抜ける神聖な風、光の粒子が輝く図形の上に集まり、二柱の高位存在を顕現させる。
一柱は白いドレスを身に纏いし女神、長く白く美しい髪、前髪の二束の金髪が風に揺れる。その瞳は黒曜石のように黒く輝き、背中では大きな翅が揺らめく。
一柱は屈強な偉丈夫、その身から溢れる力強さは樹齢数千年を超える巨木を彷彿とさせる。
「“
私の呼び掛けに応じ、この場に顕現して下さることを望みます。
<業務連絡:聖霊樹様(メイプリー様、出番です)>”」
光が集束する。中空に集まったそれは大きな塊となり、一柱の女神を作り出す。
“バッ”
その場にいた王族並びに高位貴族の者たちは一斉に跪き頭を垂れる。何故ならその場に現れた存在はヨークシャー森林国の守護神にして全て、聖霊樹様の御姿であったからであった。
“ヨークシャー森林国の民よ、我が子らよ。
其方らの苦境に手を差し伸べる事叶わず、事態の悪化を見守る事しか出来なかった私を許してください。
そして今代の精霊姫よ、大いなる役目を果たすと決めたその勇気、私は誇りに思います。
我が国に差し伸ばされた救いの手、それは我が同胞、他国の聖霊樹のもの。
私は我が同胞と共にこの厄災を取り除きましょう。
ですがこれは様々な幸運が齎した奇跡、人々の営みは人々の手で行うべきもの、その事努々忘れてはいけません”
その美しい調べに人々は涙する、そして確信する、ヨークシャー森林国は救われるのだと。
“パンッ、パンッ”
再び打ち鳴らされた拍手、図形は六芒星を取り囲むように線を結び、六角形とそれを囲む円を作り出す。
その形を高い場所から見た物がいれば思うだろう、これは魔法陣であると。
“パーーーーーッ”
突如天に向かい伸びる六本の光の柱、その光は広場に現れた魔法陣をより強く輝かせ、一つの現象を引き起こす。
大地が空が、その全てが淡い光に満たされ、清浄な空気が辺りを包み込む。
「ウッ、ウ~ン、俺は一体・・・。そうだ、確か教会に聖水を貰いに・・・。
身体が苦しくない、頭の痛みも熱も治まっている、これは一体。
それにこの淡い光は・・・」
王都リーフェリア、その各地で苦しみ倒れ伏していた王都住民たち。彼らは皆自身の身体に起きた変化に驚きつつも、その苦しみから解放されたことに喜びの声を上げる。
「おい、アレを見ろ、あっちは確か王宮がある方角じゃないか?
なんだよあの光の柱は」
そして気が付く、自分たちが何らかの力で救われたのだと言う事を、そしてそれは今も尚続けられているのだと言う事を。
一人、また一人、彼らは地面に膝を突き光の柱に向かい祈りを捧げる。それは病から解放してくれた者に対する感謝、病から癒えた事に対する喜び、未だ病に苦しむ者たちの快方を祈る願い。彼らの思いは、この光輝く不思議な空間を通じ、ある一点へと集束する。
“クッ、苦しい。でも私が頑張らないと。私は精霊姫、大好きだったお姉様の分まで・・・”
その儀式は強い力を持つ精霊姫だからこそ成し遂げられるものであった。だがカトリーヌはまだ六歳、思いはどうであれその力を振るい続けるだけの下地が出来上がっている訳ではない。
それはカトリーヌの限界を超え、彼女を苦しめる。
「カトリーヌ、よく頑張ったわね。もう大丈夫、後は私達に任せてあなたは休みなさい」
朦朧とする意識の中聞こえたそれは、かつて聞いた、もう二度と聞く事の出来ない大好きな姉の言葉。
「お姉様・・・」
“バタッ”
その場に倒れ伏すカトリーヌ、それは限界以上に力を行使した彼女に訪れた魔力枯渇の症状。
そんな頑張った精霊姫を優しく抱き上げる白き仮面の者。
「フィリー、ディア、精霊姫様を連れて下がりなさい。これから大きな術式を行使します、後の事は頼みましたよ」
それは魔法陣の中央で全てを取り仕切る師ビーンの言葉。
二人の弟子は、一礼をし魔法陣を後にする。
“いと尊き御方様方よ、私の祈り私の思い、それはこの大地の解放。縛られし者を解き放ち、その苦しみを取り除かん。
<空間把握:ヨークシャー森林国全土><魔力支配><覇魔混合><清浄の霧>”
「ゴホッゴホッ、頑張れ~、もう直ぐオーランド王国との国境、ベイランドだ。街に着いたらしばらく休もう。
移動は体調を整えてからだ」
「ゴホッゴホッ、旦那様、大変です。地面が、地面が光ってる。
それにこれは霧?地面から光る霧が!」
「くそ、何だってんだこれは。前が見えない。それにこの霧、お前たち気を付けろ、何があるのか分からん。口元に布を当てて霧を吸い込まない様にしろ!!」
「えっ、嘘だろ。旦那様、違います、この霧は毒なんかじゃありません。身体が、あれほど辛かった身体がすっかり良くなってます!!」
「お前何を言って・・・本当だ、私の体調もいつのまにか良くなってる。それとなんだこの身体から出る黒い靄は、気色悪い。
皆、この霧を吸い込め、体調が良くなるぞ、これは精霊様の思し召しに違いない。私の精霊様も何か嬉しそうに跳ね回っていらっしゃる」
その変化はヨークシャー森林国全土に訪れた。突然光り出した大地、そして現れた光の霧がありとあらゆるものを包み込む。
例えそこが部屋の中であろうとも関係ない、その霧は外ばかりではなく室内からも発生したのだから。
「司令官、帝国の攻撃が止まりました。連中はどうもこの光る霧を警戒している様です」
「よし、今のうちに負傷者を砦内に運び込め。始めはこれも帝国の攻撃かと思ったがどうも違うらしい、身体に害がない様なら無視して構わん、今は帝国との戦闘が最優先だ」
「司令官、支援部隊の連中が皆回復したと治癒術師から連絡が入りました。霧が発生した途端身体から黒い靄が現れて意識を取り戻したと」
「身体から黒い靄?治癒術師は本当にそう言ったのか!」
「ハッ、現在病状を訴えている者はおらず、その全てから黒い靄が現れたと」
「クソッ、呪いだと、帝国め、やってくれる。
支援部隊の者に通達、現在トリニア砦は交戦状態にある、至急配置に付け。詳細は各部隊長の指示に従う事。
帝国の連中がいつまで黙っているのかが分からん、時間がない、急げ!!」
「「「ハッ、司令官!!」」」
王都リーフェリアで行使された大魔法、それはヨークシャー森林国の運命を変え、歴史を大きく動かそうとしているのであった。
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora