時は少々遡る。それはバルカン帝国軍がトリニア砦に侵攻を開始する二日前の事であった。
「エカテリーナ様、バルカン帝国軍に忍び込ませています偵察部隊からの連絡です。“侵攻は二日後、作戦を実行されたし”との事ですが、いかがいたしますか?」
そこは深い魔の森と呼ばれる地域、バルカン帝国が高い塀を築き、魔物の侵入を拒まんとするそんな場所。
「思ったより早かったわね。まぁ退屈な時間を過ごすより全然いいんだけど。
それじゃ手筈通りにやっちゃって頂戴、証拠は一切残さないようにね。
今回の作戦はあくまで自然現象に見せ掛ける事が肝心なの。バルカン帝国のお偉方は運がないと嘆くか、それともこれ幸いに権力闘争を始めるか。“策略のホーネット”の大失態、彼って若き天才軍師とか呼ばれていて敵も多いのよね。
どっちにしても帝国軍の勢いが衰える事には変わりないわ、派手に行きましょう。
従魔隊、要塞亀を防壁に突撃させなさい。呪術部隊は衝突に合わせて崩壊符を起動、広範囲での防壁崩壊を演出。
魔導部隊は各地に仕掛けた魔物誘導装置並びにスタンピード発生装置を起動、世紀の大規模スタンピードの始まりよ」
人々の思惑は交錯する。武力をもって侵略を行う者、その暴挙を全力で跳ね返す者、そんな両者に横槍を入れる者、そして・・・。
力と力、思いと思い、それらが交じり合いぶつかり合う時、その結末がどうなるのか。
それは誰にも予想する事が出来ないのであった。
――――――――――――
窓辺から差し込む温かな光、ベッドの上で寝返りを打ち、口元をモグモグと動かす少女。
時々楽しそうに笑顔を見せる事から何やら楽しい夢でも見ているのだろう事が見て取れる。
“キュルルルルル”
その音は果たしてどこから鳴ったのだろうか。突然ムクリと上体を起こした少女は、自身のお腹を押さえボツリと呟く。
「う~、お腹が空きました~」
少女が最後に食事を摂ってからどれくらいの時間が経ったのか。確かあれは両親と共にした夕食、翌朝は大切な儀式があり緊張からか何も食べる事が出来なかった。
「えっと、ここは・・・。確か私は聖霊樹様をお呼びする儀式を行って・・・、あれから一体」
まだ覚めきらぬ頭で暫し考えるも、これと言った事は浮かばない。
“カチャッ”
「精霊姫様、お目覚めになられましたか。お身体にお変わりはございませんでしょうか?」
扉を開き部屋に入って来た者、それは聖霊樹様をお呼びする儀式を取り仕切っていた精霊使いビーン・メイプル様のお弟子様の一人。
「はい、今のところ特には。私は気を失ってしまったのですね。
あれからどれくらい時間が経ったのか、そして儀式がどうなったのかを教えて欲しいのですが」
「はい、儀式で精霊姫様がお倒れになられてから丸一日が経過しております。治癒術師の話では魔力枯渇を起こされたのではないのかという診断でした。
儀式がどうなったのか、王都リーフェリアがどうなったのかについては後程ブルガリア公爵夫人様、先代様のゴルダー様からお聞きになっていただければと」
「お爺様がお越しになられているのですか?」
“ガバッ”
私は思わず掛け布団を剥ぎベッドから飛び出した。その姿に苦笑交じりに答えを返すお弟子様。
「はい、昨晩お見えになられまして。昨日の騒ぎ、そしてその儀式を主導された精霊姫様の御噂を聞き居ても立っても居られなかったのでしょう。
お倒れになられた精霊姫様の事をいたく心配なさっておられましたから」
「そうですか、お爺様が私の心配を。お爺様のお身体もすっかり良くなられた、そう言う事なんですね」
安堵し、ほっと胸を撫で下ろす私に、お弟子様は優しく寄り添い言葉を掛けてくださいます。
「心お優しい精霊姫様、あなた様の御助力のお陰で多くの民が救われました。これは誇るべき事。
そのお歳で精霊姫と言う重責を背負われた事はさぞお辛い事もおありだったでしょう。ですがあなた様は見事その役割をお果たしになられた。
あなた様が今は亡き先代の精霊姫様の事を想い頑張られている事は聞き及んでおります。
人の事を想い自身を奮い立たせる。それはとても立派で尊い行い、ですがあまり気負い過ぎないでください。
私もかつて大切な友人の事を想い空回りしていた時期がありました。今思えば気恥ずかしいのですが、当時は真剣に命懸けに、常に気持ちを張り詰め続けていた。
精霊姫様と自身を比べる事など不敬であり烏滸がましいのでしょうが、精霊姫様のお姿を見ているとそんな当時の自分が重なるのです」
“ギュッ”
それは温かく優しい抱擁、いつまでもこの温もりに包まれていたい、この香りに癒されていたい、そんな思いが心に広がる。
「カトリーヌ様、本当によく頑張られましたね。私はあなた様の事が誇らしいですよ。
でももう大丈夫、あなた様はあなた様の歩幅で歩まれてください。あなた様は一人ではない、優しいご家族がいる、常にあなた様の事を思う使用人や家臣の者たち、そして多くの国民があなた様を慕いあなた様を支えたいと思っている。
あなた様はこう仰ったと聞いています、“私は精霊姫、皆を守る事こそが私のお役目”と。
でもそうじゃないんです、精霊姫とは共に在り共に歩む者、聖霊樹様とヨークシャー森林国国民との間を取り持つ者。
大丈夫、あなた様は既に立派な精霊姫様なのですよ?」
“キュルルルルル”
可愛らしい音を立てるお腹、私は顔を真っ赤にし、お弟子様に強く抱き付く。
「フフッ、さぁ、お着替えを済ませ皆様の下へ参りましょう。
今朝の朝食は、消化のいい野菜の煮込みスープだそうですから」
そう言い私の頭を優しく撫でて下さるお弟子様。私は恥ずかしさから、更に強く抱き付きイヤイヤと頭を擦り付けるのでした。
―――――――――
「被害状況は」
「ハッ、敵による爆薬の投擲により砦前防御陣地及び塹壕地帯は全壊、死者並びに重傷者多数、壊滅状態にあります。
トリニア砦自体も敵の魔法攻撃、あれは魔導兵器とでも言うものなのでしょうか、ほぼ半壊状態にあると言えます」
トリニア砦後方仮設テント内作戦本部にて眠れぬ夜を過ごした最高司令官バーバリアン・ストーンズは、たった一日の戦闘で崩壊の危機を迎えてしまったトリニア砦に目を向けながら先日の戦闘を思い出す。
投擲器による爆薬の投下、その威力は凄まじく、これまで使われていた爆薬が児戯に思えるほどの桁違いな破壊力を見せ付けた。
そしてあのドラゴンブレスもかくやと言わんばかりの魔法攻撃。
物見の報告によればそれは魔導士による魔法攻撃とは違った、何かの機械の様な物から発せられたもののようであったとか。
優秀な魔導師であれば強い魔法攻撃を行う事も出来るだろう、だがその人数は限られる。しかしこれが量産可能な兵器であれば。
数百年に渡りヨークシャー森林国をバルカン帝国から守り続けて来た最強の盾が崩れ去ろうとしている。
これからの戦争は、騎士同士の技のぶつかり合いから物量戦へと形を変えて行くと言う事なのだろうか。
「ふ~、昨夜夜襲が無かったことが不幸中の幸いか。昨日の戦闘は戦闘と呼べる程のものでもないこちらの一方的な防戦、であるのなら帝国側は兵士を休ませ今日の戦闘に備えるか。
敵司令官の中では既に王都までの道筋が出来上がっていると言う事なのだろうな。
全兵士に伝えよ、この場は死地である、今日この時こそが決戦の時、我らがどれ程奴らに痛手を負わす事が出来るのか、それが
我らの生きざま、ここに刻もうぞ!!」
「「「ハッ、司令官!!」」」
覚悟など
負けられない戦いがある、負けると分かっていても退いてはいけない戦いがある。己の矜持、軍人として、国の為、国民の為、何より愛する家族の為。
例え一兵卒のみになろうとも、その牙を突き立てる。
トリニア砦の兵士たちは、愛する者を守る為、死兵となった。
戦いが始まった。それはこれまでの戦の様な兵と兵とが血で血を洗う様な、そんなものではなかった。
投擲される爆弾、飛び交う魔法弾。距離を開け、互いに魔法を撃ち合い、帝国の兵器が投げ込まれる。
身を隠し敵側面に回り込もうにも、その動きは直ぐに察知され爆弾と魔法が撃ち込まれる。
帝国がなぜあれほど多くの魔法使いを擁する事が出来ているのかは分からない。我が国の様に全ての国民が精霊様と契約し精霊魔法を使えると言うのならまだしも奴らは只人、ならばどうして。
その振るう魔法の全てが遠距離からのボール魔法である事に、何か秘密があるとでも言うのか。
だがこの破壊力は本当にただのボール魔法なのか?
分からない事が多過ぎる。だがこの情報は精霊通信により常に王都に送られている。これらの戦いが長引けば長引くほど情報は蓄積され、その対策が練られるはず。
我らの死は決して無駄にはならない。
その知らせは突然であった。
「司令官、大変です!!魔物が、魔物の群れが!スタンピードがこちらに迫って来ています!!」
・・・何だ、一体何が起きていると言うのだ。
「総員、直ちに砦内に避難!救護テント内の者を急ぎ運び入れよ。
防御だ、防壁を張り巡らせろ!今は戦などしている場合ではない、全力で身を固めるんだ。
時間がない、急げ!
全ての兵に伝えろ、スタンピードだ、スタンピードがやって来る。砦の中に逃げ込むんだ!!」
帝国の集中砲火を受ける砦の中に逃げ込む事が安全であるとは言い切れない。だがスタンピードの群れが迫る中、野外にいるなど言語道断。傷付いた兵たちから漂う血の臭いが魔物どもをおびき寄せ、地獄を作り出すは必定。
最高司令官バーバリアン・ストーンズの決断は早かった。
後に人々は知る事になる、魔物災害の恐ろしさを誰よりも知る彼の英断がその場に残った者たちの命を救い、国を守る事に繋がったのだと言う事を。
―――――――――――
バルカン帝国軍侵攻作戦総指令部は沸いていた。圧倒的な戦力差、これまで難攻不落と謳われ続けて来たヨークシャー森林国のトリニア砦が無残に崩れて行く様に。
「ご報告申し上げます。敵遊撃戦力の潜伏を確認、機構魔導師団により殲滅完了いたしました。
引き続き砦攻撃任務に移ります」
これまでバルカン帝国がヨークシャー森林国との戦闘において敗北を重ねてきた敗因、それは敵側の圧倒的な魔法戦力。
尽きる事の無い魔法弾の連射、国民の全てが魔法使いと呼ばれる隔絶した戦力差が、物量に勝る帝国軍を跳ね返し続ける要因となっていた。
ではその魔法戦力が互角以上になれば?魔法戦力を覆しうる兵器を投入すれば?
帝国の強み、それは他国とは比べ物にならない技術力と開発力。
我々は研究と研鑽を繰り返し、遂にヨークシャー森林国との戦力差を塗り替えるに至った。
「ククククククッ、アッハッハッハッハッハッ、見よ、これが帝国の魔導技術、これが帝国の力。
我がバルカン帝国の圧倒的な戦力の前では、難攻不落と呼ばれたトリニア砦もまるで赤子の様ではないか。
機構魔導師団に通達、本日の内にトリニア砦を落とす。
精霊砲、発射準備は出来ているか!?目標はトリニア砦、あの廃墟を瓦礫に変えてやれ!!」
これから始まるは覇道、司令官たちは皆自身の栄達を夢見て心踊らせていた。
「ご報告申し上げます!!北西方向より魔物の群れの接近を確認、その数・・・数万!?大規模スタンピードと思われます!!」
「「「なにーーー!!何故この大事な時にスタンピードが!?」」」
状況の変化、事態は一刻の猶予も許さない。
「機構魔導師団を分ける、半数をスタンピードに当てろ。後続の補給部隊に被害を出させる訳にはいかん。
引き付けて精霊砲で一気に薙ぎ払え!!」
「「「ハッ、司令官!!」」」
戦力の二分化、目の前の敵トリニア砦が陥落寸前である以上、攻撃の手を緩める訳にはいかない。
トリニア砦とバルカン帝国軍侵攻作戦総指令部のそれぞれの決断、迫りくるスタンピードに対し下された異なる采配がどんな結果を生むのか、この時の彼らは知る由もなかった。
―――――――――
“カチャッ”
飴色をした木目の美しいテーブルに置かれたティーセット。匂い立つその香りは仄かに甘いもの。
「うん、流石は聖樹様の樹液。光属性魔力水との相性もバッチリ、お湯割りが合うと思ったんだけど思った通りだったよ。
月影も後で飲んでご覧、何で聖樹様がゴブリンに狙われ続けたのかその訳が納得できるから。
これは人間に教えちゃ駄目な奴だね、ジャイアントフォレストビーの蜂蜜どころじゃない騒ぎになること請け合いだよ。
美味しいものはこっそり楽しむ、後で皆で味わおうか」
そのナニカは手に持つティーカップをテーブルに戻すと、眼下の光景に視線を戻す。
「でもこれは判断が分かれたよね~。
迫りくるスタンピードを前に殻に閉じ籠るかの様に砦内に退避したヨークシャー森林国軍と攻撃の手を二分し両者に対処しようとしたバルカン帝国軍。
目の前の御馳走を諦め切れなかったのは分からなくもないけど、ここは全力でスタンピードに対処しないと。
相当な消耗をするかもしれないし一時撤退はやむを得ないとしても、こんな惨劇にはならなかっただろうに。
両者の判断の違い、命運を分けたのはその一点だったんだろうね。
でもあの帝国の最新兵器、凄かったね~。まさに“薙ぎ払え!!”って感じ?あんなのがあったら戦争も辞さないってのも分かるわ~。
あっ、お代わり頂戴」
側に控えていたメイドはコクリと頷くとお代わりの準備をする。
「でもまぁ結果的にその自信が対処を誤らせた、彼らはスタンピードの恐ろしさを理解し切ってはいなかった。
特に今回のものは暗黒大陸の魔物を使った人工スタンピード、この辺にはいるはずもない精強な魔物たち。
グラスウルフの感覚でホーンタイガーが迫ってくればそりゃ一溜りも無いって。オークキングが三体くらいいなかった?あとオーガのでっかいの、あれってオーガキングって奴?タフだったよね~。薙ぎ払えに耐えきったもんね~。
でも結局帝国軍も敗走せざるを得なくなったと。
魔物は魔力が大好き、殻に閉じこもってる獲物よりも目の前の元気な獲物ってね、追い掛けまくってたな~。
残ったのは人と魔物の亡骸と壊れた兵器の地獄の光景と。
本当にスタンピードって怖いよね~」
ナニカは差し出されたお代わりをクイッと飲み干すと、ゆっくりと席を立ち眼下の戦場に目を向ける。
「<空間把握:戦場全体>で、魔物と兵器類を指定、<収納>。
亡くなられたご遺体は、これドッグタグかな?装備品の短剣と絡めて個別で<収納>、他の装備品も回収しようかね<収納>、そんで<浄炎>。
お~、何人かまだ生きてるよ、虫の息だけど見つけちゃったしね。月影、影空間にいれたから他の者と手分けして治療に当たってくれる?」
ナニカの言葉に一礼をし影の中に沈んで行くメイド。
「後は指定範囲全体を<浄化>、これでよし。戦場はアンデッド系魔物の発生地帯になり易いらしいからね~。
トリニア砦の皆さん、お疲れ様でした。
それじゃ俺も帰りますか。
おっと、その前にさっき回収した兵士を届けないと。今朝方街に届けた諜報部隊の連中に丸投げでいいかな?説明面倒だし」
戦場の上空から消えたナニカ。
一つの戦いが終わった、だがその戦いの痕跡が一切残されていない戦場、そこでは一体何が起きたのか。
“トリニア砦の怪奇”、それは“精霊姫様の奇跡”と共にヨークシャー森林国で長く語り伝えられる伝説の一つとなるのであった。
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora