嘗てそこは広大な草原地帯であった。グラスウルフの群れが獲物を探し走り抜け、ホーンラビットやキャタピラーが草を食み、ビッグクローが上空を飛び交う。周辺の林からマッドボアが顔を出しては駆けずり回る、そんな何処にでもあるような穏やかな場所。
だが今そこは大地が剝き出しになり、数多くの残骸が転がる死の荒野と化していた。
そこに漂うは死の気配、痛い、苦しい、死にたくない、憎い、恨めしい。淀んだ思いは大地に染み込み、戦場独特の禍々しさを放つ。
そしてそこにまた多くの餓鬼が集まる。祖国の為、家族の為、自身の信念の為。様々な大義名分のもと他人を殺しその命を貪ろうとする修羅の群れ。
彼らは互いに距離を置き、敵を射殺さんばかりの殺気を飛ばしながら、その武力を主張する。
「大公陛下、前方王国軍中央、バルーセン公爵家当主セオドア・フォン・バルーセンの姿が確認出来ました。
王国軍は王家に連なるものを交渉の場に用意した様です」
「ふむ、ではこちらもその場に相応しい人員で挑まねばなるまい。これが侯爵如きであったのならギラン、お主に宰相としての功を立てさせることも出来たのであるがな」
そう言いニヤリと笑みを浮かべるデギン大公に「私如きが滅相もありません」と恐縮して見せるギラン。
「ハハハハ、そんなに謙遜せずともよい。その方が強い野心を抱いておる事ぐらい知っておるわ。その力が我がダイソン公国を支える原動力になっておる事もな。
我はその方を高く評価しておる、それはこれまでもこれからも変わる事はない。
今は亡き妻でありその方の姉ナミビアも、さぞや自慢の弟であった事であろうよ。これからも頼むぞ、我が義弟よ」
「ハッ、このギラン、大公陛下の御期待に応えるべく、全身全霊を尽くす所存。大公陛下に変わらぬ忠誠を」
「うむ、では行ってこよう。ダイソン公国の歴史に残る交渉にな」
事態は動き出す。今ここにオーランド王国の歴史に深く刻まれるであろう交渉が始まろうとしていた。
―――――――
「ご報告申し上げます。敵首魁、逆賊デギン・ダイソンの姿を確認。敵兵力、投擲兵器五基、石火矢部隊と思われる兵力、騎馬部隊多数。
我が討伐軍に対抗すべく数を揃えて来たものと思われます」
「ふむ、数には数と言う訳か。だがさしもの連中も、我らの背後に控える後続の存在には気が付いておらんようだな。
南西部地域の連中には確り言い含めてあるのだろうな?」
「ハッ、逆賊デギン・ダイソンの拘束を行い次第敵兵力を包囲する様に伝達してございます」
討伐軍最高司令セオドア・フォン・バルーセン公爵は配下の報告に満足気な笑みを浮かべる。
「既にあ奴らは罠に掛かった獲物も同然、“籠の鳥作戦”は既に実行されておるのだからな」
バルーセン公爵は配下の者に目配せをし歩を進める。戦場の中心に用意された大舞台に向かって。
「我こそはダイソン公国初代大公デギン・ダイソン。王都貴族の長と呼ばれるバルーセン公爵殿の来訪を心より歓迎しよう」
「我が名はセオドア・フォン・バルーセン。オーランド王国バルーセン公爵家当主であり、此度の交渉における全権を持つ者である。ダイソン公、貴殿の歓迎を感謝する」
中央に用意されたテーブル、それを挟むように向かい合わせで対峙する両者。
「さて、我がダイソン公国の主張は先の使者殿に対する返答と変わらない。此度の一時停戦の条件として王家との交渉の席を要求する。
我が国は貴国に対し交戦の意志を持つものではない。ただ我らの存在を認め一国家としての承認を望むものである。
既にバルカン帝国からは対等なる国家としての承認はいただいている。現在スロバニア王国との事前交渉を進めているところでもある。
我らも元はオーランド王国国民であったもの、貴国とは是非友好な関係を結びたいと切に望むものである」
デギン・ダイソン大公の口上、それは自国を認め独立を承認せよといったもの。
それに対しセオドア・フォン・バルーセン公爵は、その内心を隠そうともせずに見下すかの様な口調で言葉を返す。
「ふん、たかがバルカン帝国の傀儡如きが偉そうな口を叩く。
既に貴様の出番は終わっているという事に未だ気付かんのか?
ここは戦場、だが我らの敵は貴様ら逆賊どもなどではない。我らの敵は貴様らの背後、バルカン帝国である。
素直に負けを認めるのであれば苦しまぬように自決の機会を与えてやるがいかがか?これは我が貴様ら愚か者に与える最後の慈悲である」
睨み合う両者、膨らむ殺気、そこは既に休戦へ向けた交渉の地ではなく一触即発の決戦の場。
「ククククッ、アッハッハッハッ、バルーセン公爵殿、貴殿は未だ何も分かっていない。
貴殿はこの戦場で一体何を見て来たのだ?数に勝る王国軍が何故辺境の一侯爵家如きにここまでの失態を晒したのか、失われた多くの将兵の命から何を学んだ?
貴殿はバルカン帝国の何を知っているというのだ」
そう言いまるで聞き分けの無い子供に言って聞かせる様に言葉を述べるデギン大公。
「状況が判断出来ていないのはどちらであろうな?
まあ良い、話の続きは断頭台に掛けられた貴殿の口から聞くとしよう」
“バサッ、ダダダダダダダダダダダダッ”
突然地面より現れ周囲を取り囲む数多くの兵士、そして投げ掛けられる捕縛網。だが・・・。
「結界符、我々が何の準備も無しにこの場に赴くはずもあるまい。それで?何もない様ならば交渉の続きと行きたいのだが?」
ダイソン公国の者たちを取り囲むように展開された結界、まるで子供にじゃれつかれ、それを宥める様に話を進めようとするデギン大公。
そんな態度を示すデギン大公にいら立つも、まだ終わっていないとばかりに次の手を打つバルーセン公爵。
「ふん、貴様は既に籠の鳥であるという事が自覚出来んようだな。その結界がいくら頑強なものであろうとも貴様がその場から出る事が叶わなければ牢獄も同然、貴様が捕らえられている事には変わらんのよ。
そして貴様の命がこの手にある事にもな。
全指揮官に通達、“鳥は籠の中、邪魔な羽を毟り取れ”とな」
合図はなされた。既に敵総大将を囚われの身にした上での討伐軍による蹂躙が、開始されようとしていた。
「はぁ~、人と言うものは己で痛みを知らねば学ぶ事がないとは言うが、これ程度し難いものであったとは。
まぁよい、貴殿も知る事になるのだからな、何故我らが帝国と王国との間に独立国を設けねばならなかったのかという事を。
貴殿らが敵国と目するバルカン帝国の真の脅威を」
“ブワーーーーーーーーッ”
それは眩い光であった。強大な光の奔流が周囲を飲み込み、言葉が、身体が、その全てが消え失せる。
“パリーーーーン”
何かが砕け散る音、その光が消えた時、その場に残されたのはダイソン公国からの交渉の一団と、全身にボロボロの衣服を纏った数名のオーランド王国貴族たち。
「身代わり人形、即死級の攻撃を喰らった場合一度だけその命を救うダンジョンアイテムだったか。
流石は公爵家当主セオドア・フォン・バルーセン公爵殿だ。
その財力は我々にはない大きな武器ですな。
してどうでしたかな、バルカン帝国の最新兵器の威力は?」
周囲に残る灼熱の空気、全てが一瞬にして消え去った戦場。振り返るもそこには土埃と熱風が渦巻く地獄が広がるのみ、多くの兵士たちはおろか生物の気配すら感じる事の出来ない焦土。
「これがバルカン帝国の力、こんなものが持ち込まれた日には王都バルセンが火の海になるは必定。すでに戦場において戦士たちが個人の武を誇る時代は終わったのだよ。
であるのならば戦争を起こさせない様にする事こそがこれからの戦い。
王家はその事に一切気付く事なく、我らの言葉を無視し続けた。貴殿ら中央貴族共も安穏とした国内政治における権力闘争に明け暮れ、周辺各国の動向に目を向けようとはしなかった。
バルカン帝国皇帝バレシュタイン・リヒテンブルグの在り様は一貫している。“文句があるのならより以上の力を見せよ”
それは軍事でも政治でも交渉術でも構わない、皇帝に対し自身の力を示せればよい。
オーランド王国王家が真にバルカン帝国に対抗しようとするならば、何らかの形で自国の力を示す必要があったのだよ。
セオドア・フォン・バルーセン公爵殿、王城に戻り国王ゾルバ・グラン・オーランドに伝えよ。
“バルカン帝国との交渉は我らに任せよ”とな。我らは伊達にオーランド王国の守護者と呼ばれた者たちではない。
バルカン帝国と対等に渡り合うダイソン公国であるのだからな」
それは決意、自身が例え悪鬼と呼ばれようとも起こりうる大戦を未然に防ぐ為にオーランド王国、バルカン帝国、両国の障壁として立ち塞がる。
それこそがダイソン侯爵家の在り様でありダイソン侯爵家当主としての矜持。その思いはデギン・ダイソン大公の側近たちに共有され、ダイソン公国軍の強い結束力を生むに至った。
セオドア・フォン・バルーセン公爵は立ち上がる事が出来なかった。自分たちの欲を満たし蹂躙の限りを尽くそうとした討伐軍、対してオーランド王国の置かれた現状を理解しどの様な汚名を浴びようとも国の為にと立ち上がったデギン・ダイソン。
“勝てる訳がない。自らを囮にしようとも義の為に修羅の道を進む者にどうして勝てようか”
見詰め合う両者、互いの間に流れる思い。
「相分かった、デギン・ダイソン大公の言葉、セオドア・フォン・バルーセンの名において国王陛下にお伝えしよう」
「貴殿の英断、感謝する」
男達の交渉は終わった。決して許す事の出来ぬ敵、相容れぬ思い。だが先に進む事は出来る。全てはオーランド王国の為に。
両者は王国の未来の為にこれまでの全てを飲み込み、前へと進もうとした。
“ブワーーーーーーーーッ”
世界が光に包まれる。
“パリーーーーン、パリーーーーン、パリーーーーン”
光の渦の中で何かが割れる音が数度訪れるも、次第にそれは静寂へと変わっていく。
まるで永遠とも思える時が終わる。
大地は灼熱と土煙に包まれ、何も見ることが出来ない。
それはまるでこれから先に訪れるであろう戦乱の時代を、表しているかのようであった。
本日一話目です。