朝の陽ざしが街を照らす。朝靄が立つ飲み屋街の裏通り、石畳に転がったワインの空ボトルを拾い上げ、男は白い息を漏らす。
冬の歓楽街は深酒に酔いつぶれて路地の隅で朝を迎える様な馬鹿はいないものの、ゴミが散らかっている事には変わりない。
男は片手に麻袋と
「朝早くからご苦労様。って言うかマスターって本当に綺麗好きだよね、普通裏家業の人間ってもっとずぼらで薄汚い物なんじゃないの?
時々湧いてくる盗賊や街のゴロツキなんってみんなそんな感じなんだけど?」
男は突然背後から掛けられた声に、驚きよりも呆れが先に出る。
男は長年裏組織に所属している者であった。グロリア辺境伯領領都グルセリアに拠点を置く闇ギルドのギルドマスター、それが男の肩書であった。
そんな自分に一切気取られる事もなく自然に、然もそこにいるのが当然といった風に佇むナニカ。
「まぁな、ここは身分の高い顧客も訪れる様な場所だ、そんな所を薄汚くしておけるわけもないだろう。人の余り訪れない裏路地といった雰囲気は大切だが、それと薄汚れているというのは別問題だ。そうした事は木箱や空樽の配置でも十分演出出来る。
怪しい場所と汚れた場所、あんたならどっちを選ぶ?」
男の返した言葉にナニカは納得と共に感心といった風に首を振る。
「流石マスター、その経営哲学は本当に尊敬するよ。僕なんかはずぼらだからその辺は人任せ、シャドームーンはそのままでいいって言ってくれるんだけど、それも人としてどうなのって思うよね。
やっぱり影から組織を支え人を使う立場の人間が言う言葉って重みがあるよ、勉強になります。
って今日はそうじゃないんだよ、例の話どうなってるかと思ってさ。
もう粗方分かっちゃったりしてる?」
男はナニカの言葉に“言ってくれる、この化け物が”と舌打ちをしながらも、「あぁ、中で話そうか」と清掃道具を店脇に置き、寂れた酒場へと入って行くのでした。
“カチャッ”
店内に広がる甘い香り、「火を落としてしまったからな、直ぐに出せる物は酒くらいしかない」との男の言葉に、「いいよ、気にしないで。突然来たのはこっちだから」と言ってナニカが取り出したもの。
それは何処からともなく現れたティーカップ、薄蜂蜜色をした液体から立ち昇る湯気は、それが淹れ立てのものである事を物語る。
「やっぱり冬の朝は甘く温かい飲み物だよね、マスターもどう?」
そう言い差し出されたティーカップを手に取り、「悪いな」と言って口を付けるマスター。
口腔に広がる上品で優しい甘さ、これまで味わった事のないその味に、男は暫し考え込み首を捻る。
「優しい香りと上品な甘さ、俺の記憶で一番近い飲み物はジャイアントフォレストビーの蜂蜜をお湯で割ったものだが、これはそれの更に上を行く飲み物だな。
この身体全体が満たされる感じは聖水か?それもかなり高位の者、大聖女クラスでないと作れないとされるレベルのものが使われている。
この一杯で金貨数百枚が飛びそうな代物だな」
「おぉ~、流石マスター、一口飲んだだけでそこまで分かっちゃうんだ。僕なんかマスターの足下にも及ばないよ、御見それいたしました」
そう言いカウンターテーブルに頭を下げるナニカに苦笑いを浮かべるマスター。
“足下にも及ばないも何も、こんな代物を気軽に用意出来る相手に言われても嬉しくないわ!!”
マスターの心の叫びは、この不条理の塊には決して届かない。
「顔を上げろ、顔すら見えない相手にされても不気味なだけだ。
それで例の件ってのはバルカン帝国の動向って事だったな。
連中はかなり大規模な侵攻作戦を準備している様だ、相当量の爆薬が作られオーランド王国手前の街イースタニアの軍事拠点に運び込まれているとの話だ。
それと帝国の最新兵器“精霊砲”といったか?それが三機配備される見込みとの事だ」
「へ~、あのとんでも兵器が三機、帝国さん相当本腰入れて来たって感じなのかな?」
ナニカの質問に、マスターは頷きを返すと話を進める。
「なんでもダイソン公国に配備されていた精霊砲が、夏に行われたアスターナ男爵領での戦いで破壊されたらしい。それでもバルーセン公爵をはじめとした数万と言う将兵を一瞬にして滅ぼしたんだから、その威力は絶大だったと言えるだろう。
ダイソン公国としてはその勢いのまま王国内部に覇を唱えようと思っていた様なんだが、バルカン帝国側が待ったを掛けた。
流石に精霊砲は“壊れました、代わりをください”と言って、“ハイどうぞ”と軽々に差し出せるような代物じゃないからな」
マスターはそう言い肩を竦め、ナニカは「そりゃそうだ」と相槌を打つ。
「それでもダイソン公国がかなりごねた様でな、年明けにはその内の一機が公国側に配備されるらしい。そうした流れから推察するに、バルカン帝国が本格的な侵攻に移るのは春先からと言ったところなんじゃないのか?」
マスターの言葉にしばらく考え込むそぶりを見せるナニカ。
「ねぇマスター、人の流れと食料の流れってどうなってたか分かる?」
「ん?あぁ、食料はイースタニアの軍事拠点の備蓄倉庫にドンドン運び込まれているな。兵器の類も相当数配備されている見込みだ。
ただ将兵はさほど増えてはいない、俺が侵攻が春先と当たりを付けたのもその辺が理由だが・・・」
「うん、これ年明けには警戒しておいた方がいいね、おそらく春前には侵攻してくると思うよ。
問題は人の移動なんだけどね、バルカン帝国って魔導列車があるから人の集結ってあっという間なんだよね。マスターはオーランド王国の人間だから騎兵団の移動速度でものを考えがちだけど、大量輸送手段があるって本当に恐ろしい事なんだよ。
モノの移動はマジックバッグっていう魔道具が解決しちゃうけど、人の移動はそうもいかないしね。この人の移動が劇的に変わったら戦争の形も大きく変わるのかもね。
マスター、どうもありがとう、助かったよ。
それとこれ、さっきのジャイアントフォレストビーの蜂蜜。ちょっと特別な奴だから他所には流さないでね。偉い人たちにばれたらマスターが大変な目に遭っちゃうから」
“コトッ”
カウンターテーブルに置かれたそれは、美しいガラス瓶に詰められた琥珀色をした蜂蜜。マスターはその瓶を手に取るとランプの魔道具の明かりに照らししげしげと眺める。
「いつもすまないな、ありがたく頂こう。って言ってもどうせいなくなって・・・」
「ん?何か呼んだ?それじゃまたね~」
“パタンッ”
手を振りながら
“って普通に出て行くのかよ、俺今スゲー恥ずかしかったんですけど!!”
マスターは心の中で盛大なツッコミを入れつつ、この様子を店内で見ていたであろう配下に“この話題には触れるな!”とばかりに威圧を掛けるのでした。
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「よう、ミッキーちゃん。冬期休みの予定って決まってる?
実はこの冬ヘルマン子爵領でちょっとした催し物があってさ。
簡単に言えば職業体験会?ミッキーちゃんみたいな優秀な人材は何処も引く手数多だろう?
でも実際就職したら思ってたのと違う、こんなはずじゃなかったって事になってすぐに辞めちゃう人ってのが結構いるらしいんだよね。
そういう事にならない様にってのがこの催し。
実際にヘルマン子爵家に勤めてる先輩騎士や治癒術師の先生方のお話なんかを聞いてもらって、この職場が自分に合うかどうかってのを見極めて貰いたいってのが趣旨なんだよね。
ちゃんと働いてる現場も見れるから、後から騙されたって思う事も防げるし、ちょっとした旅行気分も味わえるってね♪
どう?ちょっとは興味を持って貰えたかな」
「あっ、うん、でも・・・」
「あっ、一人だとやっぱり心細いよね、だったらローズやベティーを誘ってくれてもいいよ?ベティーは流石にヘルマン子爵領に仕官とは行かないだろうけど、寄り子の領地でどんな訓練が行われているのかを知るのも勉強になると思うんだよね」
領都学園の園内、そこでは冬期休みを前にした学園生徒たちが友との別れを惜しみつつ言葉を交わしていた。
学園とは教会の授けの儀において有用なスキルや職業を授かった平民を集め、英才教育を施す場。女神様がお与えになって下さった才能を更に伸ばし、社会の役に立つ人材を育成しようという名目の下、権力者が彼らと接点を持つ為の青田買い会場。
そんな場所であれば、休み前の勧誘は貴族子弟にとって重要な仕事となるのだ。
「おい、ツッコミ、またミッキーに声を掛けてるのか?お前も懲りないな~」
呆れたような仕草で言葉を掛けたのは、ミッキーの親友ローズ。
「やぁローズ、丁度良かったよ。今度の冬期休み、ローズもミッキーと一緒にヘルマン子爵領に行ってみないか?
学園最強と呼ばれるパーティーの二人に来て貰えれば、ウチの人間も凄く喜ぶと思うんだ。
今回の催しを企画したバーナード様の顔も立つ、本当にお願いします。
是非ヘルマン子爵領にいらしてください」
そう言い頭を下げる男子生徒。
ローズは親友ミッキーにしつこい勧誘を行っているであろう男子生徒に一言注意をしようとしていたのだが、一転下手に出られた為どう対応してよいのか戸惑いを見せる。
貴族が平民に対し丁寧に接し下手に出る、これは学園という特殊な環境下だからこそ見る事の出来るある種の戦略なのであった。
「ミッキーにしつこく迫っているように見せ掛けて、その実間に割って入るであろうローズを釣り上げる。その手法や見事、流石はツッコミ師ハリー。普段の下っ端貴族風の口調を封印し、丁寧な商人風の口調で爽やかに語り掛けた点も高評価。
いよっ、話術の天才、そこに痺れる憧れる」
「って誰がツッコミ師だ、誰が!!
俺はミッキーとローズをお誘いしてるの!既にアルバート子爵家専属が決定しているケイトには声掛けしないからご安心くださいっての。
というか邪魔しないで、ケイトが側に来るだけで周りからニヤニヤした視線やらワクワクと言った視線が飛んで来るのよ?
俺ケイトの相方でもなんでもないのよ?
ケイトの相方は既にいるじゃん!「この絆の腕輪がその証拠」(キメッ)とかよくやってるじゃん!
だからケイトはその隅で大人しくしてなさい!!」
流れるような言葉の調べに、「やはり逸材、是非アルバート子爵領に」と呟くケイト。
「だ~、だからそれ止めて~!!最近じゃバーナード様の取り巻き仲間が「でもお前の場合、行くところが無かったらアルバート子爵家があるじゃん」とか言い出すのよ?
親が手紙で“あなたは大恩あるバーナード様を裏切るつもりですか!?そんな子に育てた覚えはありませんよ!!”とか送って寄越すのよ?
マジで死活問題なんです、本気で止めてください!!」
そう言い剣の勇者様がお広めになった最上級の謝罪の作法“土下座”を始める天才ツッコミ師ハリー。
その切れのある動きに周囲からは拍手が沸き起こる。
「クッ、負けた。ツッコミのハリー、私では遠く及ばない天才ツッコミ師。その勇姿を称えてマルセル村の角無しホーンラビット燻製肉を進呈。
これは新作、これまでにない新しい味わい」
「ほう、どれどれ。モグモグモグ・・・なんじゃこりゃ!口腔全体に広がる肉の旨味、それが
ケイト、これは何処に行ったら買えるんだ!!」
“ゴクリッ”
ハリーの食レポに思わず生唾を飲む観衆、そんな彼らにケイトはにこやかな笑顔で福音を齎す。
「お取り扱いはモルガン商会の各店舗で、本日より販売開始。数に制限があるためお早めにご購入下さい」
“ドドドドドドドドドドドッ”
一斉に駆け出す彼ら、そんな学園生徒たちの後ろ姿を満足気に眺めるケイト。
“パチパチパチパチパチパチパチパチ”
その場に残されたケイトたちに、俺は拍手をしながら近付いて行く。
「これが学園、これが青春。と言うかツッコミのハリー君、素晴らし過ぎる。まるで事前打ち合わせでもしていたかのような流れるやり取り、周囲に観衆が集まるのも頷けます」
そう言いハリー君に握手を求める俺に、戸惑いながらも応じてくれるハリー君。ファンサービスもバッチリですと!?益々素晴らしい。
「ケビン君、領都に来てたんだ。と言うかいつの間にそこにいたの?」
声を掛けて来たのは元ハーレム主人公のアレン君。最近では年上の女性好きがバレて同年代の女子生徒にドン引きされてるんだとか。
まぁ織絹さんって見た目は若いけど三十路過ぎてるらしいからな~、話だけ聞けば女子生徒のドン引きも致し方がないよな~。
アレン君、強く生きろ。アナさんなんか百超えてるんだからな?
「割と最初から。ハリー先生がミッキーちゃんを口説いてる所もバッチリ拝見させて頂きました。
いや~、いいもの見たわ~。私《わたくし》、大変満足でございます。
そんなハリー君にはこの蜂蜜きな粉飴を進呈、のどを大切に、これからも頑張って。
ケイト、帰るよ~。ブラッキーはもう入ってるから後はケイトだけね」
俺はハリー君にガラスの瓶入り蜂蜜きな粉飴を渡すと、ケイトに声を掛けるのでした。
「モグモグって旨!!なんじゃこりゃ!!蜂蜜きな粉飴ってこんなに上品な甘さだったの?これ迄食べた事のあるどんな甘味よりも美味しいんですけど!?」
「あっ、それってジャイアントフォレストビーの蜂蜜を使用してるから、それを渡せばハリー君のご両親の怒りも治まると思うよ?
アレン君たちもまたね“シュピンッ”」
「「「「え~~~!!ジャイアントフォレストビーの蜂蜜~~!?」」」」
ケビンから告げられた超高級食材の名前、驚きの声と共に視線が一斉にガラス瓶へと注がれる。そこにはキラキラ輝く蜂蜜色をしたきな粉飴が。
「「ケビン君、私達にもきな粉飴を!!」」
ミッキーとローズが急ぎケビンに声を掛ける。だがその場にはケビンはおろかケイトの姿も見付ける事が出来ないのでした。
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora