「ロナウド、よく帰って来た。その姿、見違えたぞ。
ローラも、いや、今はアイリスと呼んだ方がいいか。昔は“お兄様お兄様”と兄の後ろをついて回っていたあのアイリスが、キャスパーの遺志を継ぐと言った時は正直驚いたが。
どうやらその決意は本物だったようだな、いい目をするようになった」
テレンザ侯爵家居城、その大広間にて三英雄並びにアルバート子爵家騎士団の一行を出迎えたのは、テレンザ侯爵家長男クリネクス・テレンザであった。
幾ら戦時であるとは言え、侯爵家の領主代行を務めるクリネクスがアルバート子爵家騎士団を含めた全ての者達の前に直接出迎えに現れるなど、貴族社会の上澄みである侯爵家の者の行いとしては異例中の異例。
それはテレンザ侯爵家が北西部貴族連合を始めアルバート子爵家を重く見ている証左であり、最大級の歓迎の証でもあった。
「パトリシア嬢、お久し振りです。あなた様の事はこのテレンザ侯爵領の地でも聞き及んでいました。
直ぐにでも駆け付けるべきところを、私は家と立場を取ってしまった。
あなた様には軽蔑されても仕方がありません。
オーランド王国貴族はあなた様に対し害でしかなかった、それにも関わらずあなた様はこうして戦場に向かおうとなさっている。
オーランド王国貴族の一員として謝罪と感謝を。
嘗ての友として謝罪と敬意を。
本日はゆるりと身体をお休めになり、戦に備えてください」
北西部貴族連合の代表としてその場に佇むパトリシア・アルバートに対し、深々と頭を下げ謝罪の言葉を口にするクリネクス。
互いの目を見詰めしばし沈黙する両者。そこには他者が窺い知る事の出来ない、二人だけの空気が流れる。
「アルバート子爵家騎士団の者よ、テレンザ侯爵家当主スコッティー・テレンザに代わり、領主代行であるクリネクス・テレンザが礼を述べる。
此度の戦、諸君らには命を懸けるだけの価値はない。
グロリア辺境伯家の寄り子である諸君らは、王家に対する恩義もないのだから。
であるにも関わらず国の為、民の為に立ち上がった諸君らには感謝に堪えない。
世情が世情である為侯爵家と言えど大したもてなしも出来んが、アルバート子爵殿より頂いた甘木汁と我が領のコッコの卵を使った“ふわトロオムレツ”なる料理のレシピをケビン殿より頂いている。
本日は我が家の料理人が是非“ふわトロオムレツ”を味わっていただきたいと申している。
足を休めた後、食堂にて味わっていただきたい」
““““バッ””””
「「「「テレンザ侯爵家領主代行閣下に感謝を、テレンザ侯爵家万歳、我らに勝利を!!」」」」
その場に片膝を突き、頭を垂れるマルセル村の面々。
彼らに国に対する忠義など無い。貴族社会に追われ、数々の害意に晒され逃げ延びた彼らにとって、オーランド王国王家も、オーランド王国の人々も、然して興味を引く対象などではない。
ではなぜ彼らは戦場に向かうのか、それは小樽に入った甘木汁の為、小壺に入ったジャイアントフォレストビーの蜂蜜の為、ロナウド・テレンザ様が提供して下さると仰ってくれた“ふわふわ卵の甘トロオムレツ”の材料であるコッコの卵の為。
そして今、領主代行クリネクス・テレンザ閣下は何と仰られたのか?
「是非“ふわトロオムレツ”を味わっていただきたい」、それはまさにロナウド・テレンザ様が提示した料理の実食の提案。
これだけの好意に対し、礼を返せないものはマルセル村の村人足り得ない。
テレンザ侯爵家の面々がドン引きする中、マルセル村の村人の心は一つとなった。
「テレンザ侯爵家領主代行閣下に感謝を、テレンザ侯爵家万歳、我らに勝利を!!」である。
「そ、そうか、喜んでくれるのならそれに勝る喜びはない。
執事長、皆さんをお部屋へ。ロナウド、後程執務室に来てくれ。
では皆さん、食事の席でまたお会い致しましょう」
そう言いその場を下がるクリネクス閣下。うん、流石ロナウド様のお兄様、よく分かっていらっしゃる。
マルセル村の女衆、テンション爆上がり。やる気が満ち溢れてるじゃないですか。
君たち、嬉しいのは分かるけどもう少し落ち着こう、覇気が漏れまくってるから、気合入り過ぎだから、テレンザ侯爵家のメイド様方がドン引きしていらっしゃるから。
流石蛮族、マルセル村の村人は己の欲(美味しい物)に目がない様でございます。
「皆様、各お部屋にご案内いたします。メイドの指示に従いご移動をお願いいたします」
執事長様の御言葉に我に返ったマルセル村の蛮族たち。冷静に考えたらここって侯爵様の御城だからね、身分違いも甚だしいからね。
ジェイク君とエミリーちゃんはヨークシャー森林国での宿泊経験が生きてるのか、そわそわする女衆と男衆を率先して誘導してくれています。
「アルバート子爵家騎士団の皆様はこちらへ、ロナウド様、パトリシア・アルバート様、アイリス・ダイソン様は別室となります」
てきぱきと指示を出す執事長様と、「どうぞこちらへ」と言って案内を始めるメイド様方。教育が行き届いていらっしゃる。
前にお伺いした時も思ったけど、テレンザ侯爵家ってマジ優秀。
今後ともアルバート子爵家と懇意にして頂けると助かります。甘木汁の出荷先だったり各種お野菜だったり、コッコの卵やお肉を仕入れさせていただければ尚嬉しいです。
一人で出来る事には限界がある、ましてや辺境の集落で出来る事などたかが知れている。
吹けば飛ぶ様なアルバート子爵家には強い後ろ盾が必要だ。
グロリア辺境伯家は、正直言って微妙かな?悪い人たちじゃないんだけど、適度な距離感を置いた方が上手く付き合えそう。
その点テレンザ侯爵領は物理的に距離が離れてるしね、年に一度か二度のご挨拶、高位貴族とのお付き合いなんてものはそれくらいの距離感が丁度いい。
最近やたらと高貴なる方々の政治的事情に巻き込まれているケビンは、この機会に一度自身の村人としての在り様を再確認する必要があると、真剣に思案するのでした。
—――――――――
「クリネクス先輩、聖女マリアーヌ様と賢者ユージーンの事でご相談が」
パトリシア・ジョルジュ伯爵令嬢、現在はパトリシア・アルバート子爵令嬢であったか。
彼女と出会ったのは王都学園、通称中央学園と呼ばれる伯爵家以上の高位貴族子弟と優良な職業を授かった子供が通う学び舎での事だった。
ここの学園では代々王族と侯爵家の者は生徒会に所属すると言う決まりがある。学生の内から組織運営を学ばせるという名目で高位の者同士の結束を強めようという思惑なのだろうが、テレンザ侯爵家の長男として俺も在学中は生徒会活動を行っていた。
パトリシアは婚約者であるランドール侯爵家三男ローランド・ランドールの助けとして、積極的に生徒会活動に参加していた。彼女の婚約者であるローランドは実直な男であり、第三王子の側近として自身の立場を弁えた上で、貴族としてのあるべき振る舞いを心掛けるものであった。
二人の関係は周囲から理想的な婚約者として見られており、自身の形ばかりの婚約と比べなんと羨ましい事かと何度思った事か。
「ほう、賢者ユージーンがそんな事をね。“人は皆女神さまのもとに平等である、人とは誰しもが女神さまの子供である。地位も身分も財産も、それがその人を作り上げるすべてなどではない”
確かにその言葉には一理あるかもしれない。だが、だからと言ってその役割をないがしろにしていいというものではないんじゃないか?
まぁ賢者ユージーンの言いたい事も分からんでもないけどね、直接的でないにしろ今の貴族の在り方に一言言いたいといったところなんだろうさ。
上手い言い回しだとは思うが、これを言葉のまま鵜呑みにするのは危険だ。よくよく言葉の真意を考え、自らを省みる指針にする程度にとどめておくべきだろう。
でもな~、ローランドはな~、真面目と言うか馬鹿正直と言うか。パトリシア嬢も苦労するな」
辺境の侯爵家ということ、これといった産業もない貧乏侯爵家と揶揄されるテレンザ侯爵家の俺に対しても真っ直ぐ向き合う彼女の態度は、中央貴族社会と言うものに辟易としていた俺の心に爽やかな風を吹き込んでくれた。
彼女との間に築き上げた友情は、先輩後輩と言った関係ではあるものの、確かに俺の心に息づくものであった。
「はぁ!?パトリシア・ジョルジュ伯爵令嬢がローランド・ランドール侯爵子息に婚約破棄を言い渡された!?
しかも卒業パーティーと言う公衆の場でだと!?
すまん、それは本当の事なのか?意味が分からんのだが」
その知らせが入ったのは、件の卒業記念パーティーが行われてから一月経ってからの事であった。
「それでジョルジュ伯爵家は何と。あの家の当主はパトリシア嬢を溺愛していたはずだ、へたをすればジョルジュ伯爵家とランドール侯爵家の内紛に発展しかねんぞ」
「それが・・・」
執事長から告げられた言葉に俺は更に言葉を失った。
ローランド・ランドール侯爵子息がパトリシア・ジョルジュ伯爵令嬢に婚約破棄を言い渡し、新たな婚約者として表明した相手が事もあろうに彼女の異母妹であるフローレンス嬢であり、彼女の父親もそれを承認、ローランド・ランドールに愛想をつかされたパトリシア嬢が悪いとして叱責したという。
「それでパトリシア嬢は、彼女はどうしたというのだ」
「はい、お母上のご実家であるグロリア辺境伯家に共に身を寄せているとか。王都の中央貴族の間では、ローランド様とフローレンス様の関係を“真実の愛”と持て囃しているとの事でございます」
“ガンッ”
「何が真実の愛だ!!貴族同士の婚約解消なら両家立ち合いの下、当事者同士の話し合いの上粛々と進めるべきであろうが!
これでは一方的にパトリシア嬢が傷物にされただけではないか!
馬車を、馬車を用意せよ!」
「クリネクス様、どちらに・・・」
「決まっているだろうが、グロリア辺境伯家だ!
本来であればローランドの馬鹿野郎をぶん殴ってやりたいが、それよりもパトリシア嬢の事の方が心配だ。
俺が行って何が出来るだなんて厚かましい事は言わん。だが気に掛けている、あなたは悪くないと言葉を掛ける事くらいは出来る。
直ぐに出立する」
“バタンッ”
感情的になり屋敷を飛び出そうとした時、部屋に入って来たのは父スコッティー・テレンザ侯爵であった。
「クリネクス、お前が行ってどうなる。いや、お前がグロリア辺境伯家に向かう事で何が起きるのか、よく考えての行動なのであろうな?」
父の言葉に俺は暫し動きを止める。まったくの衝動であった為、自身の立場、テレンザ侯爵家の事を一切考えていなかった事に気付かされたからであった。
「これは我が家が独自に調べた情報だ。この婚約破棄騒動、裏に王家の思惑がある。それがどういった事か迄ははっきりしていないが、王家主催の卒業記念パーティーであれだけの騒ぎを起こしたにもかかわらず、ランドール侯爵家にもローランド・ランドールにも、ジョルジュ伯爵家にも一切のお咎めがない事がその証拠だ。
その後の貴族社会での好意的噂、情報操作が行われたと考えて間違いないだろう。
これだけ用意周到に行われたんだ、国王並び王太子が何も知らないという事はないだろう。
そんな状況で我が家の跡取りであるクリネクスがグロリア辺境伯家に接触を持ったと知れたらどうなる?いくらお前が個人的に動いたと言っても、そんな事は考慮されんだろう。
パトリシア嬢と言えば私の耳にも入ってくるほどの才女だ、その行いや人柄は素晴らしく、多くの生徒に慕われていたとか。
だが彼女の友人知人、その誰しもが彼女に手を差し伸べる事がないと聞く。
皆分かっているんだよ、この婚約破棄騒動がただの若者の暴走でないという事にね。多くの者がお前の様に憤り、それでもその思いを隠さなければならない立場にあるという事にね。
クリネクス、お前はテレンザ侯爵家の跡取りだ。その事はお前に何があろうとも変えるつもりはない。
よく考え、それでも動くというのなら私にも覚悟が必要だ。テレンザ侯爵家の命運を掛けたな。
だからまずは一言告げてから行きなさい、話は以上だ」
父の言葉が重く胸に突き刺さる。俺はテレンザ侯爵家の長男であり跡取り、それはたとえ自身がそうでないと言っても変わる事の無い事実。
俺自身が家督放棄を宣言しようとも、俺の行動はテレンザ侯爵家の総意とみなされる、父スコッティー・テレンザは侯爵家の当主としてそう告げているのだ。
“ドサッ”
「俺は、無力だな。友人の危機に駆け付ける事すら出来ないとは」
力無く座り込んだ俺は中空に視線を彷徨わせ、ただボツリと呟くのであった。
本日一話目です。