ダイソン公国公城、その謁見の間において、その調印式は厳かに執り行われた。
“カサカサカサ”
北西部貴族連合の使者であるパトリシア・アルバート、南西部貴族連合の使者であるロナウド・テレンザの見守る中、ダイソン公国大公ミネリオ・ダイソンが書類に署名し、印章を押す。
その書類を受け取った旧ダイソン侯爵家息女アイリス・ダイソンは、その場に集まったダイソン公国の重鎮に向け書類を掲げ宣言する。
「今ここに、オーランド王国北西部貴族連合・南西部貴族連合とダイソン公国との間に不戦条約が結ばれた事、またこの不戦条約をもって相互の同盟関係が結ばれた事を、旧ダイソン侯爵家息女アイリス・ダイソンの名において宣言します。
これより我らは互いに協力し、オーランド王国王家に対し不戦条約の締結とダイソン公国の承認を求めます。
ダイソン公国の戦いは、実質的にこの条約締結をもって終結しました。
あなた方は勝利したのです。
ダイソン公国の樹立、おめでとうございます」
「「「「ウォ~~~~~~、自由、ダイソン、自由、ダイソン、自由、ダイソン!!」」」」
その宣言は、魔道具を通じ、公都のみならず、ダイソン公国の主要都市全てに伝えられた。
国民は歓喜した、自分たちは勝利したのだと、ダイソン公国は自由を手に入れたのだと。ダイソン公国万歳、ダイソン公国に栄光あれと。
だが、公城に集まる重鎮たちの顔は勝利に浮かれる国民たちとは違い真剣なものであった。それは自分たちの進む道が険しい茨の道である事を知るが故に。
「ミネリオ大公閣下、戦争は本日この時を持ちまして終了となりました。ですが本当の戦い、国としての他国との交渉はここからでございます。
ダイソン公国がオーランド王国と不戦条約を結ぶ以上、これまでの様にバルカン帝国からの兵器の援助、物資の援助は期待出来ません。文字通り自分たちの力で歩いて行かなければならないのです。
それが独立であり、国を興すという事なのですから。
ミネリオ大公閣下は望む望まぬに関係なくその重責を負う事になります、これは大公と言う身分に就かれた以上逃れる事は出来ません。
そしてミネリオ大公閣下がその責務を放棄する事は、公母ライア様だけでなく、公女マルネリア様の御命を縮めかねないという事をご理解ください。
ダイソン公家はギリギリのところで持ち堪えている、この戦争ではそれだけ多くの命が失われたという事をよくよく胸に刻まれます様」
そう言い書類を丁寧に仕舞う姉アイリスに、ミネリオは真剣な瞳を向け口を開く。
「はい、分かっています。ですが姉上はよろしかったのですか?この戦いは形はどうあれ姉上の勝利だ。その事はこの場にいる全ての者が知っています。
戦争とは勝利者が正義であり全て、姉上の言う様に我が父デギン・ダイソンは先代当主であるシオン・ダイソン侯爵を謀殺し、その地位を簒奪した。
姉上がその事を主張すれば、姉上を女侯爵としてダイソン侯爵家の再興も叶うのではないのですか?」
ミネリオの主張はもっともな話であった。この場に集う重鎮には古く先代シオン侯爵の頃からの臣下も多く、その者達からすれば正統の血筋であるアイリスの侯爵家継承は歓迎すべき事であったからである。
だがアイリスは首を大きく横に振りその言葉を否定する。
「ミネリオ大公閣下に申し上げます。先程も申し上げましたが、ダイソン公国はこの戦争で多くの将兵を亡きものとしました。その数は十二万を超えると言われています。
失われた将兵の家族や血縁者を含めれば、どれ程多くの者がダイソン公国に対し恨みを持っているのかは分かりません。
そんな中オーランド王国の貴族としてダイソン侯爵家の者が公国を討ち倒し、復権を果たしたとしたらどうなるでしょう。
彼らはこう考えるはずです、逆賊に与した全ての者を処刑すべきである、ダイソン侯爵家に責任を取らせるべきであると。
結果、この地は更に多くの血で染まるでしょう。実質的にダイソン侯爵家は領民共々根絶やしにされるのです。
現に戦死されたバルーセン公爵家当主セオドア・フォン・バルーセンはその様に宣言していたし、その為に自らが囮になりデギン・ダイソン大公閣下をおびき出すような作戦を実行に移した。
最早オーランド王国とダイソン公国との間の和平は不可能な程に、互いの溝は開いているんです。
人の恨みは自分たちが有利であればあるほど苛烈に容赦なく襲い掛かります、ダイソン公国が生き残るにはオーランド王国と不戦条約を結び、互いに不可侵の関係を築く以外に道が無かったのです。
此度の三勢力の同盟はその為のものであり、互いが手を組む事でオーランド王国貴族から身を守るという目的もあるのです。
圧倒的な力は時に人を沈黙させます。それはバルカン帝国の兵器然り、アルバート子爵家騎士団の武威然り。
ですがそこから先、民の安寧を勝ち取れるか否かは、時の指導者に掛かっています。
ミネリオ大公閣下、あなたは許された訳でも見逃された訳でもない。
これからはこれ迄の様に何も知らない傀儡でいる事など許されない。
民の命、家族の命があなた様の肩にのしかかって来るのですから。
辛い事も、苦しい事も、眠れぬ事もあるでしょう。ですが決して一人で思い悩む事の無きよう。あなた様にはこれほど多くの臣下がいる、家族がいる。この私もいる。
それに“オーランド王国の懐刀”と謳われた前宰相マケドニアル・グロリア様が宰相職に就いて下さいます。
共に学び、ダイソン公国をこの先千年続く国家へと育てていきましょう。
このアイリス、その為の礎にならば喜んでなる所存でございます」
そう言い膝を突き臣下の礼を取るアイリス。その場に居並ぶ重鎮たちも、揃ってアイリスに倣う。
「相分かった。姉上、いや、アイリス・ダイソン。貴殿の言葉、我が胸に刻もう。そしてここに宣言しよう、我がダイソン公国を千年続く国家とする為に、この生涯を公国に尽くすと。
皆のもの、我に力を貸して欲しい。
我らはダイソン公国の民、共に公国を造り上げようではないか」
「「「「ウォ~~~~~~、自由、ダイソン、自由、ダイソン、自由、ダイソン!!」」」」
ミネリオ大公閣下と姉アイリス・ダイソンの会話は、まるでマイクが切り忘れられていたかのように魔道具に拾われ、広く国民に聞かれる事となる。そして知る、自分たちがギリギリのところで生かされていたという事を、そして自分たちを守る為に多くの者が知恵を絞り、この状況を作り上げているのだという事を。
ミネリオ大公閣下は仰った、“ダイソン公国を千年続く国家とする為に、この生涯を公国に尽くす”と。
自由、ダイソン、ダイソン公国に栄光あれ。
風にはためく大鷲の刻まれた深紅の公国旗。ダイソン公国の国民たちは国旗に敬礼をすると、一丸となって国に尽くすと心に誓うのであった。
―――――――――――
月の無い新月の夜、遥か上空よりアスターナの荒野を見下ろす人影が一つ。
“バサバサバサ”
その人影が左腕をスッと横に伸ばす、するとそれを待っていたかのように腕にとまる一羽のビッグクロー。
「ほう、彼らは無事に本隊に合流したか。という事は相当側にまで来ていた、バルカン帝国の侵攻開始は時間の問題だったという訳か。
ふむ、どうやら間に合ったといったところかな。
ご苦労だった、戻っていいぞ」
“ボフッ”
人影の言葉と共に一枚の御札の様な物に姿を変えるビッグクロー。人影はその御札を鎧の隙間に仕舞い込むと、背中の翼を大きく広げる。
それぞれ白色と黒色の翼は、星明りに薄らと艶めき、静寂の夜空に存在を露にする。
人影はスッと両手を伸ばし、声を発する。
「<天魔混合、指定:闇属性魔力・浄炎>」
右の手から膨大な暗黒が、左の手からは燃え盛る白色の炎が。
その相反するかのような力が混ざり合い、融合し、新たな力へと生まれ変わる。
「<広域範囲指定:ダイソン公国>、降り注げ、“
“ブウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ”
闇夜を覆い尽くさんばかりに天に広がる黒き炎、それはまるで降り注ぐ雪の様に、小さな火の粉となってゆっくりと大地に舞い降りる。
「“ダイソン公国の地に眠りし英霊よ、国を思い、家族を思い、愛する人の為その命を捧げた者たちよ”」
その声は低くそしてゆっくりと、だが全ての人の心に届くメッセージ。
「“お前たちの戦いは終わった。ダイソン公国の戦は終わりを迎え、オーランド王国に再びの平和が訪れるだろう。
お前たちの戦い、そしてその姿、我が心に刻もう。
お前たちは等しく勇者であり、戦士であったと。
だがここに、その戦いを汚さんとする者がいる、この地に再びの戦を呼び込まんとする者がいる。
戦いに疲れ眠るのもいいだろう、今一度大地に立ち、信念を燃やすのもいいだろう。愛する者に言葉を伝える事を許す。
お前たちはそれだけの働きをしたのだから。
英霊たちに祝福を”」
その声はダイソン公国中の人々の耳にも聞こえる不可思議なものであった。だがそれは、奇跡の夜の始まりに過ぎなかった。
『ライア、アイリス、久し振りだね。アイリス、すっかり大人になって。パパ、最初何処の美人さんかと思っちゃったよ。
ライアは少し疲れちゃったかな?ダイソン侯爵領の事、子供たちの事、家臣の事。ライアには本当に多くの負担を強いてしまったね。
私がもっと慎重であったならこんな事にはならなかったんだけど、本当にごめんね』
そう言い申し訳なさそうな顔をするシオン・ダイソンの姿に、目を見開くライアとアイリス。
「えっ、あ、あなた、あなたなの?」
「お父様、本当にお父様なのですか」
『あぁ、この通りもう身体はないけどね。ある御方が仮初の身体を提供してくれてね、こうして会いに来る事が出来たのさ。
そこにいる子供たちはデギンの子供たちだね。こんばんは、君たちのお父さんの兄のシオン・ダイソン。君たちにとっては伯父さんと言ったところかな?
君がミネリオ君で、君がマルネリアちゃんだね。みんなの事はいつも見ていたからね、二人共ライアに似て聡明でいい子だね。これからもお母さんの事をよろしくね』
そう言い優しげな瞳で二人を見詰め、その頭をそっと撫でるシオン。
「あなた、私は、私は・・・」
『いいんだよライア、君の事はずっと見ていたって言っただろう?ライアが必死になってみんなを守ろうとしてくれていた事は私が一番分かってるから。
本当にありがとう、そして何も出来ない私でごめん。
そうだ、デギンも来てるんだよ。ただなんか顔を合わせづらいとか言って入って来ないんだよね。本当に仕方のないお父さんですね~』
「えっ、お父様が、デギンお父様がいらしてるんですか?
お父様、デギンお父様!マルネリアです、お会いしたいです、お父様~!!」
部屋の中に響くマルネリアの悲痛な叫び。その声に応えるかのように、音もなく姿を現すデギン・ダイソン大公。
『・・・ライア。私は謝らんからな。兄上にも言ったが、私は自身の行いを悪だとは断じて認めない。
ただ、ライアには苦労を掛けた。息子ミネリオの事、娘マルネリアの事、そしてこの国、ダイソン公国の事。
お前には感謝してもしきれない、本当にありがとう』
そう言い頭を下げるデギン、生前は決して人に見せる事の無かった感謝の気持ちを伝えるその姿に、嬉しい様な悔しい様な複雑な気持ちになるライア。
デギンは身を低くすると、子供たちの目を見詰め話し掛ける。
『ミネリオ、お前はダイソン公国の後継者、その苦労は並大抵ではない。
だがお前なら大公としてこの国を導く事が出来ると信じている。
己が信じた道を生きよ。たとえ人からなんと言われようと、己の信念を貫け。その結果道半ばで死すとも、胸を張って堂々と逝くがいい。
我はそんなお前を誇りと思おう。
さらばだ、若き大公よ、我が息子よ』
そう言いミネリオを抱き締めるデギン大公、ミネリオは泣きそうになるのをグッと堪え、気丈に佇む。
『マルネリア、愛しの娘よ。お前が大きくなるまで側にいてやる事の出来なかった父を許せとは言わん。ただ、幸せになって欲しい。
母ライアを頼む、あれは意外に寂しがり屋な所があるからな、お前が側にいてくれるだけで心が救われておるのだ。
兄妹仲良くな』
そう言いギュッと抱き締めるデギン大公に、声を上げ涙を流しながら抱き付くマルネリア。
『ではな。兄上、我は先に逝く。ギランの奴が待っているでな。
あ奴も馬鹿な男よ、帝国の甘言に惑わされ、徐々に己の考えが歪められていた事にも気付かずに。
兄上には我の方がいかに優れているのかという事を、戦いの場で証明してみせようぞ』
そう言い踵を返し姿を消していくデギン大公。
『はぁ、本当にデギンの奴は昔から。二人ともごめんね、あれ、恥ずかしがって誤魔化してるだけだから。本当は大泣きしたい所を必死に堪えていただけだからね?
お父さんが冷たくした訳じゃないって事だけは分かってあげてね』
そう告げ『仕方のないお父さんですね~』と言うシオンに、涙を拭き笑顔を見せるミネリオとマルネリア。
『さて、キャスパー、お前はどうしてそう妹が大好きかな~。お前の配下はちゃんと女神様の下に向かったってのに一人だけ当主の証に隠れて。
早く出て来なさい』
父シオンの言葉に自身のロングソードに目を向けるアイリス。
そこには不満げな表情を浮かべる兄キャスパーの姿。
『父上、私は父上と違って漸くアイリスと出会えたんですよ?これからはアイリスの守護剣として生涯を共にするところだったんですから』
『馬鹿な事を言ってるんじゃない、アイリスの人生はアイリス自身が切り開くんだ。それにお前がそこにいても何も出来ないどころか、かえってアイリスに悪い影響を与えかねない。
それ程にお前の執着は酷いという事を自覚しなさい。
アイリス、ごめんね、この気持ち悪いお兄ちゃんはパパがちゃんと連れて逝くから。
ほら、キャスパーもそんなところで悪霊擬きになってないで、ちゃんとした戦働きでアイリスを助ける!折角その機会が与えられたんだから、確りしなさい』
『う~、アイリス~、私の可愛いアイリス~。
お兄ちゃんね、頑張ってアイリスの敵をやっつけて来るからね。
たまにはお兄ちゃんの事も思い出してね~』
『ほら逝くぞ~。ライア、アイリス、それとデギンの子供たち。
みんな幸せにな。私達は皆、君たちが幸せになって欲しいと願いながら散っていった者たち、この国の英霊。
君たちの笑顔が、何よりの喜びなのだから』
そう言い襟首を掴まれたキャスパーと共に姿を消すシオン。
この夜、ダイソン公国の各家で、同様の奇跡が巻き起こった。
だが、その奇跡はなにもダイソン公国だけに
バルカン帝国国境付近、オーランド王国侵攻を明日に控え、野営を行っている侵攻軍の前にその集団は姿を現した。
『シオン・ダイソン卿、遅かったではないか』
『これはバルーセン公爵閣下、閣下もご実家に戻られたのではなかったのですか?お早いお着きですが、ご家族とのお時間はよろしかったのでしょうか?』
シオンに掛けられた声に、バルーセン公爵は顔を顰める。
『ふん、あ奴ら儂の顔を見た途端、まるで化け物でも見るかのように叫び声を上げよったわ。特に次期侯爵となった長男など腰を抜かしおって、思わず怒鳴りつけてやったわい。
全く情けない。でもまぁ愛する家族には変わらんからな、儂らの戦いに意味を持たせる為にもこの一戦、負ける訳にはいかん。
其の方の働き、期待しておるぞ』
『ハッ、お任せください、バルーセン閣下。弟には馬鹿にされていましたが、これでも学園の次席ですので。
では私はこれで』
その夜、オーランド王国各地で起きた奇跡、ある者は家族との再会に喜び、またある者はその存在に恐れを抱いた、そんな夜。
『者ども、聞けい!!我々はオーランド王国の盾にして矛、我々こそがオーランド王国を帝国の脅威から守るのだ。
心折れるな、負けるな、突き進め。愛する家族を、愛する民を、オーランド王国を救う為に!!』
『『『『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!』』』』
その知らせは突然であった。明日の侵攻を前に自らの勝利を確信し安らかな眠りに就いていた東部方面作戦参謀長イワン・ビスコッティーは、激しい爆発音と部下からの報告に叩き起こされた。
「なんだこんな夜中に!!一体何があった!!」
「報告します、敵の夜襲です。その数、数万、新月の為正確な数は確認出来ません!!
現在石火矢隊、爆薬投擲部隊、魔導機構師団による一斉攻撃を行っていますが、敵の進行が止まりません!!」
「なっ、馬鹿な。その様な戦力の報告など無かったぞ、一体どうなっておるか!!」
“ガバッ”
更なる報告者が天幕を開き飛び込んで来る。
「ご報告します、敵の略奪部隊による工作により我が軍の物資が盗まれました。被害に遭った補給部隊の下にこんな張り紙が」
部下よりイワンに手渡された紙には“赤鷲参上、物資の七割をいただく”との文字が。
「クソッ、一体何がどうなってるというのだ!!
構わん精霊砲で敵の全てを薙ぎ払え、責任は我が取る!!」
「「ハッ」」
夜の闇に飛び散る閃光、激しい爆発音と発砲音、そして撃ち出される魔法弾。
そんな地上の様子をそのナニカは上空高くから眺めていた。
「うわ~、凄い光景だね~。まさに真夜中の花火大会、ご近所さんから苦情殺到だよ、本当。
でもバルカン帝国側も、突然現れた敵がまさか死霊軍団だとは思わないだろうね~。これって答えを知っててもどうにもならないんだけどね、出来る対処は全力で逃げる、それだけ。
精霊砲を使って教会の大聖女クラスの光属性魔法<ターンアンデッド>をぶち込めばワンチャンありだけど、そんな事出来る奴なんていないだろうしね。
まぁこれも一夜の夢、一晩逃げ切れば何とかなるんだけど、夜は長いぞ~。
ちゃんと最後まで見守ってあげるから頑張ってね~」
“カチャッ”
品のいい飴色のテーブルにそっと置かれたティーカップ。
ナニカは隣に立つメイドが淹れたお茶に手を伸ばすと、椅子の肘掛けにもたれながら優雅に香りを味わうのであった。
本日一話目です。