穏やかな日差しが窓辺から注ぐ。いまだ寒さ厳しい季節ではあるものの、陽の光の暖かさは、身も心も安らかな気持ちにしてくれる。
“あの子達は今頃どうしているのかしら”
オーランド王国南西部地域で起きた内戦、その騒ぎを治める為に旅立った娘パトリシア。そんな危険な旅に愛する我が子だけを向かわせる訳にはいかないと、自身も同行を申し出るも、その際に発覚した新しい命の芽生え。
デイマリアは今ではすっかり大きくなったお腹を摩り、お腹の我が子に視線を向ける。思わぬ形で授かったとはいえ、心優しい主人との間に結ばれた確かな絆。
前夫ジョルジュ伯爵家当主レオナルド・ジョルジュ伯爵は悪い人物ではなかった。子煩悩であり、領主としても、夫としても申し分のない人物であった。
だが彼はジョルジュ伯爵家当主であり貴族であった。全てにおいて家を優先せざるを得ない、それは貴族家の当主としては当然であり、その事は自身もよく分かっている。
ではあるが、排斥される方の身となればいくら人物として好ましくとも共に在りたいとは思わない。
“これも世の習い、致し方がないとはいえ貴族とは因果な生き方ですね”
今の夫、ドレイク・アルバート子爵はグロリア辺境伯家の寄り子という関係であった。政略結婚とは言い難い、完全に強引な婚姻、娘パトリシアをこれ以上傷付けたくない一心での暴挙。
そんな一方的な押し掛け妻であるにも関わらず、夫ドレイクは娘パトリシアを愛し、自身をも愛してくれている。
“私はこんなに幸せになっていいのでしょうか”
夫ドレイクは気にしなくて良いと言ってくれる。寄り親の血筋とは関係なく、自身を気遣ってくれる。そんな優しさを感じる度に、自身の醜さに心が痛む。
“私は、あの人に何が返せるのだろう”
夫の事を考えるとまるで初心な少女のように胸が高鳴るも、そんな自分の心を振り払い自身に何が出来るのかを考える。
愛する娘パトリシアの為、新たに生まれるお腹の子の為にも、夫ドレイクに寄り添い彼を支える事を誓うデイマリアなのであった。
「あら?あれはケビン君?何でケビン君が」
デイマリアが見詰める先、それは屋敷前に広がる村の健康広場と呼ばれる場所。その中心に今はオーランド王国南西部地域の紛争解決の為に向かっている筈の青年の姿を認め、目を疑う。
“彼が一人だけ逃げ帰って来る?そんなはずは・・・。では彼は一体”
様々な思いが胸をよぎるも、その次の光景に思わず声が漏れる。
「はぁ~!?」
それは壁であった。突如地面から伸びた黒い壁、そしてその壁から次々に現れる騎乗した騎兵の集団。
それは今回の騒動の解決に旅立ったマルセル村の村人たち。
「誰か、誰かいますか!?」
「はい、デイマリア奥様」
「至急旦那様に連絡を、騎士ケビンが、マルセル村の人たちが帰って来ました!彼らを出迎えます」
主人であるデイマリアの言葉に何を言ってるのかと首を傾げるメイド。だが次の瞬間主人の見詰める広場に目をやり、驚きの表情を浮かべる。
そこにはいつの間にやら何十騎という騎兵の集団が
「はい、直ちに!」
一礼の後急ぎ部屋を下がるメイド、デイマリアはそんな彼女の態度に気を止める事無く騎兵の集団を見下ろす。
“十九、二十、二十一、二十二。いないのはマント姿のパトリシアたちとアルバート子爵家騎士団の五名。
という事は彼らは当初の予定通り王都に向かったという事?それでケビン君が村人たちを送って来たって事なのかしら。
あっ、エミリーちゃんとジェイク君がいるわね、あの子達も無事な様で良かったわ。
ケビン君ははじめから“戦闘はしません、交渉に行くだけです”と言っていたけど、あの子達の様子を見ると本当にそうだったのかもしれないわね。
それならパトリシアも今頃元気に王都に向かっている筈、良かった、本当に良かった”
デイマリアは愛娘パトリシアが無事に交渉を終えたであろうことにホッと胸を撫で下ろすと、重いお腹を押さえながらゆっくりと椅子に腰を下ろし、大きく安堵のため息を吐くのでした。
――――――――――
「総員、整列!ドレイク・アルバート子爵閣下に、敬礼!」
“ザザザザザザッ、バッ”
紺色の鎧を身に付けた騎兵の一団が、下馬した状態で整列し身を正す。
彼らの視線を向けられたアルバート子爵家当主ドレイク・アルバートは、皆の無事な様子に安堵し、その口を開く。
「今回の遠征に参加されたマルセル村の皆さん、大変ご苦労様でした。
馬での移動に不慣れな皆さんにとって、ただ現地に向かうというだけでも相当な苦労がおありだったでしょうことは、察するに余りあります。
まずは無事にお戻りになって下さったことに感謝申し上げます。
本来であればこの後皆さんの慰労を兼ねた祝宴と行きたいのですが、なにぶん突然のご帰村の為全く準備が出来ておりません。
先ずはご自宅にお戻りになっていただき、明日、改めて村を上げての祝宴とさせていただきたいと思います。
尚、お約束の甘木汁の小樽、ジャイアントフォレストビーの小壺は明日の祝宴の席でお渡ししたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
皆さん、本当にお疲れ様でした」
「総員、ドレイク・アルバート子爵閣下に、礼」
“バッ”
騎士ケビンの号令に一斉に頭を下げる村人たち。
彼らの祭りは終わった、後は待ちに待った報酬と祝宴、村人たちの心は今から明日の祝宴の事で一杯になっているのであった。
「はい皆さん、それじゃ衣装の方を回収します。各使用人の指示に従って着替えを行ってくださ~い」
礼から直った村人たちに顔を向け、砕けた口調で声を掛ける騎士ケビン。
彼の中ではアルバート子爵に帰村の挨拶を終えた事で、騎士としての役割が終わったという事なのだろう。
“ズズズズズズッ”
突如健康広場に黒い影が伸び、そこから姿を現す一件の屋敷。
「は~い、男性の皆さんはお二階でのお着替えとなりま~す。私の後に従って下さ~い。
ジェイク君はまだ授けの儀の前とは言ってもどう見ても青年ですからね~、エミリーちゃんと一緒にお着替えしようとしちゃ駄目ですよ~。
男の子は二階でお願いしま~す」
「お、俺、そんな事しないっすよ。いや、本当、俺紳士ですから~」
「「「アッハッハッハッハッ」」」
起きる笑い、マルセル村に帰って来たんだと実感する村人たち。
彼らは使用人たちに連れられ次々と屋敷内に入って行く。
「えっとケビン君、これは一体」
「あぁ、畑脇にあるうちの屋敷ですね。これだけの大人数での野営なんて大変じゃないですか?ですんで屋敷と使用人を連れていって、野営を手伝って貰いました。
ダイソン公国周辺地域は荒れてましたから、途中の街や村で泊るって訳にも行きませんでしたからね。
それに村人の役割は人数合わせ、お祭りの行列ですから、なるべく快適に過ごして貰いませんと。たかが甘木汁と蜂蜜の為だけに戦地に向かってくれたんです、それくらい報いませんとね~」
そう言いニコリと笑うケビンに、こめかみを揉むアルバート子爵。
“これ本当に遠征?安全な宿泊施設と使用人が付いた野営なんて見たことも聞いた事も無いんですけど!?
これからその報告を聞かなきゃいけないんだよな~”
アルバート子爵がふと視線を空に浮かぶ雲に向けてしまった事は、致し方のない事なのだろう。
「あっ、安心してください。回収した防具と刀剣はうちの者が<クリーン>を掛けてからお持ちしますんで。
いや~、残月の奴、光属性魔法の名手でしてね、屋敷の中が更にきれいになってビックリです。
これ迄でも十分に綺麗だったんですけど、なんか神聖な場所みたいに清浄と言うかなんというか、逆に落ち着かないっていうね。
ですんで年に一回年越し前にだけ行う様にって指示しちゃいましたよ。
光属性系魔法って本当に凄いんですね~」
ケビンの何気ない言葉に“聞いてない、聞いてない。私は何も聞いてない”と呟くアルバート子爵。
「それじゃ疲れてるところ悪いけど報告の方をお願い出来るかな?
執務室の方へ行こうか」
アルバート子爵はそうケビンを促すと、屋敷の中へと入って行くのでした。
―――――――――
“カチャッ”
執務室のテーブルに置かれた二組のティーカップ。
淹れ立ての暖かな湯気が白く立ち昇り、部屋全体に爽やかな若葉の香りを広げる。
“コトッ”
お茶請けとばかりに置かれた皿に盛られたクッキー、それは緑色をした抹茶クッキーと蜂蜜色をした蜂蜜クッキー、きつね色の甘木クッキーの三種類。
「ケビン君、何かすまないね。報告に来た君に給仕の様な真似をさせて」
部屋の主ドレイク・アルバート子爵はそう言うと、ティーカップを手に取り口に運ぶ。
「いえいえ、いつでもお茶を飲めるように常に淹れ立てのお茶を収納の腕輪に仕舞ってありますんで。
やっぱり便利ですよね、時間停止機能付きの収納の魔道具って。一体どんな原理でそんな事が出来るのかさっぱりですが」
「ハハハ、世の中そんなものだよ。人の身で理解出来ている事なんてこの世界のほんの表面に過ぎない、全ては女神様のお慈悲の下。
私はマルセル村に来てその事を身を以って学んだからね」
そう言いどこか昔を懐かしむ様な表情になるアルバート子爵に、“村長は本当に苦労をして来たんだろうな~”と同情の視線を向けるケビン。
「まぁ私の事はいいとして、まずは報告を頼むよ」
「はい、畏まりました、アルバート子爵閣下」
ケビンはそう元気よく応えると、今回の交渉の流れを話していくのでした。
「えっと、それではアスターナに到着するまでの野営はずっと先程の屋敷を使っていたと」
「そうですね、あともう一棟、こちらは普段影空間に仕舞っている屋敷になります。何かと影空間に人を入れる機会が増えましたんで、適当な家もどうかと思いレンドールで購入しました。
それなりに活用させてもらってます。
それと途中で捕まえた盗賊たちは、全員光属性魔力マシマシマシ聖茶で即席の聖人様に変えて放流、世の為人の為に働いて貰ってますね。
終戦交渉に行くってのに血生臭いのも縁起が悪いじゃないですか。
後テレンザ侯爵家のご飯は絶品でした、今後ともテレンザ侯爵家とはより良い関係を築きたいと心底思っちゃいました」
ケビンはテレンザ侯爵家でいただいた“コッコの油揚げ”を思い出し、思わず口元を緩めさせる。
「そうか、まぁ我が家としてもテレンザ侯爵家と
それでアスターナに着いてからはどうなったのかな?」
「えぇ、なんか丁度ダイソン公国がオーランド王国に対する侵攻作戦を開始しようとしたところだったみたいで、ものすごい数の兵士と大型投擲機が数機待ち構えていましたね。
そんな中我々の一団が進んで行くもんですから、敵とみなされて撃たれる撃たれる。石火矢から爆薬樽から精霊砲まで、予想していた兵器は全部食らいましたかね、まぁ平気でしたけど。
基本俺の張った結界で防げますし、実際当たっても大した事ありませんしね。
でもただ無抵抗では攻撃が止む気配も無いんで、全員で<覇魔混合>を行って、その力を天高くぶち上げて、俺が魔力操作で昔草原の化け物が作ったみたいな蛇みたいなドラゴンを作り上げたんですよ。
公国軍が驚いたのなんの、全員動きを止めて固まっちゃいましたから。
その隙に闇属性魔力を公国軍の精霊砲の辺りに伸ばして範囲を指定、上空のなんちゃってドラゴンを落下させたのと同時に指定範囲の地面と精霊砲は収納の腕輪に、指定範囲にいた人は影空間にご案内、騒がれるのも面倒なんで魔力枯渇を起こさせて意識は途切れさせましたけどねってどうしました?」
ケビンの話にお茶を一気に飲み干しお代わりを要求するアルバート子爵。
「まぁその後の移動はランドール侯爵領戦役と一緒ですね。街道沿いの各都市は俺が先行して口上を述べたのち街門を収納、後から来た鬼神ヘンリーが脅すってやり方でスイスイ移動。
ダイソン公国内での野営は危険だったんで、影空間で休んでもらいました。
村の人たちが影空間に慣れてるのもその野営体験があるからなんですけどね。
ダイソン公国公城は事前にアイリス嬢から聞いていた脱出路から侵入し城内に仕掛けられていた爆薬樽を全て回収、ランドール侯爵家居城での二の舞を避けました。
公都では案の定大量の爆薬による歓迎がありまして、大地が吹き飛ぶ大爆発を経験させて頂きました。あれは凄かったな~、爆発のど真ん中で見る光景は壮観の一言でしたから。
ですんで公都ではその爆炎を使う形で焔龍を作りましてね、公都の街門を吹き飛ばしてみました。とは言っても溶けちゃったんですけどね、あれは凄かったな~。
後はそのまま公城に乗り込んで公母様の所まで辿り着いて。
大公閣下は既に脱出路で避難されてましたけどその行動は予測済みですから、影空間を使った移動術で先回りしてミネリオ大公閣下と公女マルネリア様を確保、無事調印を迎えたって訳です。
後は一泊してから公都を後にして、王都に向かうパトリシア様方とはアスターナで別れて来たって感じですね。
それが今朝の出来事です」
そう言い優雅にティーカップを口に付けるケビン。
その姿に“あぁ、帰りは面倒になって飛んで来ちゃったんだね。そうか~、アスターナからマルセル村まで一っ飛びなのか~”と、どこか達観した心持ちで抹茶クッキーを口に運ぶアルバート子爵なのでありました。
本日一話目です。