“コンコンコン”
自室の扉を叩く音に顔を上げる。
部屋の中は必要最小限の荷物を残し他は全て新居に移された殺風景なもの、それはまるで自身の心の内の様だと変な笑いがこみ上げる。
「どうぞ」
“ガチャリ”
特に考える事もなく与えた入室の許可、だが扉を開け顔を見せた者は意外な人物であった。
「ん、パトリシアお嬢様、お久し振りでございます」
それは現在領都の学園に在籍し、本日旅立ちの儀を迎える事になっていたケイト・フロンティアであった。
「ケイト様、本日は旅立ちの儀、誠におめでとうございます。
ただいま引っ越しの最中でして、お勧めする席もなく大変申し訳ないのですが・・・」
「ん、気にしなくていい。それにパトリシアお嬢様の方が爵位は上、どっしり構えるといい。
今日はパトリシアお嬢様に話があって訪ねた。ただ詳しい話は場所を移してからにしたいんだけど、いい?」
私はケイトさんの言葉にビクッと身を震わせる。それはケイトさんの“話”に心当たりがあったから。
「分かりました、参りましょう」
「ん。」
私は席を立ちケイトさんの後に続く。心に広がる不安を押し殺し、自らと向き合う為に。
――――――――
“シュ~~~~~~~”
囲炉裏の五徳の上で、薬缶が音を立てる。
“コトッ、ジョロジョロジョロジョロ”
目の前の女性が細長いポットに茶葉を入れ、手に取った薬缶からお湯を注ぎ入れる。
湯気と共に広がるハーブの香り、カモネールの落ち着いた匂いが、わたしの緊張した心を優しく包み込む。
“カチャッ”
「どうぞ、カモネールのお茶は心を落ち着けてくれると言われています。
あまり緊張していては上手く話も出来ないでしょうから」
ホーンラビット伯爵家の屋敷からケイトさんに連れて来られた場所、そこは村外れの畑脇に建つ一軒の小屋。
通称ケビンの実験農場と呼ばれるそこに棲み暮らす、アナスタシアさんのところでした。
「パトリシアお嬢様、この間振りですね。本日ケイトと共にこちらに来られたという事は、ケビン様との結婚についてのお話という事でよろしいでしょうか?」
そう言い柔和に微笑むアナスタシアさん。隣ではケイトさんが「ん。その件で私が連れて来た」と言って胸を張られています。
「はい。あの、正直自身がどうしたらよいのかが分からなくなってしまっているのです。
ケビン様への結婚を申し込んだのは
ケビン様には焦らずしっかり考えて欲しいと言われましたが、決して考え無しの行動ではなかった。ただアナスタシア様の事を妻と紹介され、ケイト様と共に秋の収穫祭を以ってご結婚されると聞いた時焦ってしまったことは否定しませんが。
私はお二人ともご存じのように婚約破棄をされた女です。たとえそれが政略の上での出来事とはいえ、その過去を消す事も拭い去る事も出来ない。
ケビン様はそんな私の過去を全て承知の上で導いて下さった、私は私のままでよいと言ってくださった。
私の独りよがりな行いも、それを理解し、認めた上で評価して下さった。
あの時私は心の底から救われた。それと同時に自身がいかに嫌らしい人間であるのかを思い知らされた。
おそらくその時には既に恋に落ちてしまっていたのだと思います。
ですが私にはお二人のようにケビン様に全てを捧げる様な、燃えるような思いを持つ事が出来ない。
どこか冷静に、一歩引いた場所で見ている自分が常にいる。
ケビン様がただ人でない事は知っています。
初めてお会いした時はその聡明さに惹かれ、ゆっくりお話をしてみたいと思っていました。
私が婚約破棄をされ、周囲の人々からこれまでの人生の全てを否定された様な状態で気落ちしていた時、何か不思議な力でそれと気付かれない様に私を御救い下さったのも、おそらくはケビン様だったのでしょう。
ヨークシャー森林国を御救いになって下さった光景は、未だに本当の出来事であったのかと疑いたくなってしまう様な、神秘的であり神話の一場面のようなお姿でした。
時におふざけの様に人を窮地に追い込み、結果として多くの方々を御救いになって下さるケビン様。ご本人は決してお認めになりませんが、私や私の家族にとってケビン様は救世主以外の何ものでもない。
しかもそれはただ一時的にその場を救うのではなく、その者がその後も独り立ちできるような道筋を作った形でです。
それは光、私はその光に魅せられた。でも知らなかった、知ろうともしなかった。光があれば影があるという事を、ケビン様が抱える秘密の大きさを。
ケビン様がアナスタシア様たちと共に世界樹に旅立たれたあの日、ケビン様はその一端をお見せ下さった。それは健康広場の御屋敷を遥かに超える巨大なワイバーン。
あの光景は、ケビン様は私に何を仰りたかったのか。
私はあの日以来、自身の覚悟の無さと自己中心的な言動を恥じる日々を送っておりました」
私は自身の心の内をすべて吐き出すかの様に言葉を続けた。それは決して纏まりのあるものではなく、ただ口を突いて出ただけの言葉の羅列。
不安と自嘲の念が、只管に心を締め付ける。
「・・・パトリシアは真面目に考え過ぎ。周りが見えすぎるあまり物事の本質を見失っている。
人は全て違う者、真に理解してもらえる事も分かり合える事もない。
何故なら人の思いはその人自身のものであり、他人には窺い知る事の出来ないものだから。
でも人は想像する事が出来る。
それが寄り添うという事であり、共に生きるという事。
よく“人は分かり合える、家族は互いに心が通じ合っている、夫婦は互いの気持ちを思いやる事が出来る”と言うけど、それは理想であり幻想。
実際は相手の事を思いやり、気持ちを汲み取ろうと努力しているだけ。
それは一方的なものであり、相手に求めるべきものでもない。
それが辛いと言うのならそこは自身のいるべき場所ではないという事。
要するにやりたい事を好きなようにすればいい。その上で互いに居心地のいい関係、納得し合える関係が結べればそれが幸せというもの」
“ズズズズズズ”
ケイトさんは私の言葉に応える様に自身の考えを口にした。
「まぁそうですね、ケビン様の事を知れば知るほど不安になるのは致し方のない事。私もケビン様がもう少し幼い時分からの付き合いですが、何度頭を抱えた事か。
確かにケビン様の抱える秘密はとんでもないものばかりですが、別にケビン様はその事を苦に思ってはいませんので、こちらが気に病む事はないんですよ?
ただその秘密を共有してしまった者にとっては、かなりの負担となりますが。
簡単な事例で言いますと、“聖水布”ですかね。
パトリシアお嬢様は聖水布の事はご存じでしょうか?」
聖水布、それはグロリア辺境伯家が教会の司祭様に献上したとされる聖水を使った特別な布。お肌を若々しく変えてくれる美容効果があるとして、貴族女性の間で大流行した品。
「あの布、実は呪いの解術効果があるんです。この事はホーンラビット伯爵様もご存じの事ですので、後で確認してみてください。
そして聖水布を作り上げたのがケビン様なんですよ。あれはケイトの呪いの傷を癒す為、様々な事情からケイトを守るためだったかと。
他にもその事実を知られてしまえば戦争に発展してしまいそうな秘密がゴロゴロと。
ちょっとした諍い程度でしたら私やケイトの存在もそうですかね。ご存じのように私はエルフ族、それもハイエルフと呼ばれる者ですし、ケイトは王都で天使の歌声と呼ばれた歌姫でしたから。
このマルセル村はそうした秘密を持つ者たちが肩を寄せ合って暮らす村。
本来であれば貧しくひっそりと暮らさなければならなかった私たちを、笑顔で暮らせるように導いて下さったのがケビン様であり、ホーンラビット伯爵様なのです。
ケビン様は不器用です。常に自身に出来ることは少ないと仰られ、多くの物事を抱え込もうとする。
自身の幸せよりも相手の幸せを優先する、その結果多くの誤解を生むような行動をとってしまう。
ケビン様はご自分の価値をあまり理解されていない、ケビン様がどれ程多くのモノをお与えになって下さっているのかという事も。
おそらくですがケビン様はパトリシアお嬢様の幸せを第一に考え、自身が相応しくないとお考えになっているのではないのでしょうか。ご自分の事情にパトリシアお嬢様を巻き込みたくはない、パトリシアお嬢様には幸せになって欲しい。
パトリシアお嬢様、このリュックに手を入れて<ホーム>と唱えて貰ってもよろしいでしょうか?」
それは何処にでもあるような黒い革製のリュック。私はアナスタシアさんに言われるがまま、右手をリュックに入れ<ホーム>と唱えました。
――――――――
そこは爽やかな風が吹き抜ける草原。どこまでも広がる大地、そしてそんな草原にポツンと建つ一軒の小屋。
「・・・ここは」
「ここは先程のリュックの中、“精霊の庭”と呼ばれる空間です」
声のした方を振り返れば、そこにはアナスタシアさんとケイトさんの姿が。
ケイトさんは「ケビン、こんな面白そうなことを秘密にしていたなんて」と呟いておられます。
「これもケビン様の秘密の一端、ロマン装備とか仰っていましたか。
私が何を言いたいのかと言えば、“ケビン様はケビン様”というだけの事。
パトリシアお嬢様のお立場や周りの事情、心の内や醜さ、浅ましさなど、ケビン様にとってはどうでもいいんですよ。
肝心な事はパトリシアお嬢様が何を思い、どうしたいのか。
パトリシア様がパトリシア様である事なんです。
私たちは結論を求めませんし聞きません。ここから先はパトリシア様の問題、よくよく自身と向き合い、後悔の無い答えを出してください」
その言葉を残し、その場から姿を消すアナスタシアさんとケイトさん。
私は暫く彼女たちの立っていた草原を眺めながら、自身の進むべき道を自らの心に問い掛けるのでした。
―――――――――
「ですからなってしまったものは致し方がないかと。いざとなれば女神様の奇跡なりなんなりを演出するなりしてもいいですし、実験農場ごと引っ越しちゃってもいいんで。
少なくともマルセル村についてはメルビン司祭様が何とかしてくださいますって、駄目そうならヨークシャー森林国に引っ越すって手もありますし。
俺、聖霊樹様に伝手がありますんで」
俺の言葉に乾いた笑いを浮かべるホーンラビット伯爵閣下とザルバさん。
最後は「まぁケビン君の事だからまたケビン君するだろうし、結果ケビン君になるんだろうな~」と意味の分からない言葉を呟いておられましたが、納得したというより諦められたようでございました。
俺は一礼し執務室を後にすると、御屋敷のメイドさんにケイトとパトリシアお嬢様はどうしているのかを伺ってみました。
「うちの実験農場に向かったんですか?」
「はい。ケイト様が詳しいお話は場所を移してからにしたいと仰られまして」
どうやらケイトさん、アナさんを交えた形で話を進めようとなさっている様でございます。ケイトも学園に入った事で人との付き合い方、社会性や人間関係の構築について学ばれたようでございます。
本当に成長なさって、ケビンは嬉しゅうございます。
俺はケイトの成長に感動しつつ、三人がいるであろう実験農場の小屋へと向かうのでした。
“ガラガラガラ”
「ただいま~。ケイト、色々とありがとうね。アナさんも突然ごめんね、大変だったでしょう。パトリシアお嬢様、色々思う事はおありだったでしょうが、お考えは纏まりましたでしょうか?
・・・あれ?パトリシアお嬢様は?」
小屋の扉を開け、中にいるであろう三人に言葉を掛けた俺氏。
ケイトはドヤ顔で胸を張り、アナさんは年上の余裕を演出するかのようにニコリと微笑まれました。
そんでパトリシアお嬢様が何処にも見当たらないんですけど?
「ん。パトリシアは一人で自身を見直している。
ケビンが行って声を掛けるといい」
そう言いケイトが差し出して来た物、それは黒い革製のリュック。
「そうか、一人で考えてるのか。それじゃ俺がこのリュックを背負ってお迎えにって違~う。
えっ、パトさん精霊の庭にいるの?って言うか一人で置いて来ちゃったの?
駄目じゃん、何やってくれてんのさ!!」
俺が慌てて言葉を返すと「フ~ッ、甘い、やはりケビンはボケ専門。ハリー師匠のノリツッコミのような切れがない」と肩をすくめるケイト。
「そっか、俺はまだまだハリー師匠の足元にも及ばないのか。
伝説のツッコミ師ハリー師匠、あなた様の高みは遥か彼方。このケビン、より一層の精進をってそうじゃないよ、パトリシアお嬢様、今頃不安で泣いてるよ?
なんにしても取り敢えず行って来るわ、アナさんとケイトは・・・その顔は判断は任せるって奴ね、了解。
確り話し合って来いって事ね」
俺は手に持つリュックに右手を突っ込むと、「<ホーム>」と唱えその場から姿を消すのでした。
後に残った二人の女性から、「「何でそこまで人の心が分かるのに女心が分からない!!」」と文句を言われているとは露知らずに。
本日一話目です。