転生勇者の三軒隣んちの俺   作:@aozora

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第492話 辺境の伯爵令嬢、お話しする (2)

見渡す限りの草原。青い空に雲が浮かび、爽やかな風が吹き抜ける。

草原の中にぽつんと立つ小屋は、傍に近付けば意外に大きなものである事に気が付く。丸太を組み上げて作られたその建物は、素朴でありながら重厚感を醸し出す。

 

建物の隣には一本の木が立ち、その前には小さな池が水面(みなも)を揺らす。

丸太小屋の入り口前の階段に腰を下ろし、池の水面(みなも)をじっと眺める。

 

草原が波のように揺れる。風が躍る、雲が流れる。

穏やかな時間がゆっくりと流れて行く。

周囲には人も魔物もいない、完全に一人の閉ざされた世界。

これまでの人生で完全に人の目を意識しないで過ごしたことが、果たしてあったのだろうか。

完全な孤独とは、真の意味での開放なのではないだろうか。

パトリシアはこの初めての感情に身を任せながら、これまでの人生を思い返す。

 

パトリシアはジョルジュ伯爵家当主バウゼン・ジョルジュとその妻デイマリア・ジョルジュの間に生まれた長女であった。

母デイマリアは隣領グロリア辺境伯家の三女であり、ジョルジュ伯爵家の正妻として、良き妻であり良き母であった。

父バウゼンもそんな母を愛し、領地を領民を大切にする良き為政者であった。

子煩悩な父、明るい母。貴族家にありがちなどこか冷たい家庭とは無縁の、理想的な家族像がそこにはあった。

 

父バウゼンは伯爵であった。高位貴族である父はその立場上、妻を一人だけ持つという訳には行かない。

そして第二夫人であるもう一人の母はジョルジュ伯爵家と領地を接するセザール伯爵家の出身であり、ジョルジュ伯爵家としては無視する事の出来ない人物であった。

母デイマリアと第二夫人との仲は表面上とても良好なものであった。そして第二夫人と父バウゼンの間に生まれた妹のフローレンスは、パトリシアを姉と慕い常に後を追い掛けてくるような可愛らしい女の子であった。

 

そんな幸せな生活に転機が訪れたのはジョルジュ伯爵家の東に領地を接するランドール侯爵家の三男、ローランド・ランドールとの婚約話が決まった頃であった。

パトリシアは気が付かなかった。妹フローレンスのパトリシアを見る視線の中に、嫉妬の炎が宿っていた事を。この婚約話自体がグロリア辺境伯家、ランドール侯爵家の政治的思惑が複雑に絡み合った産物であったという事を。

パトリシアはそんな貴族同士の思惑など考える事もなく、ただローランドとの仲を深める事、ローランドとの愛を深める事がジョルジュ伯爵家とランドール侯爵家の、延いてはオーランド王国北西部地域の安寧に繋がると信じて疑わなかった。

 

ローランドと共に過ごした日々、王都中央学園に在学中は生徒会に在籍し、ともに第三王子殿下を支える者として様々な生徒会活動に参加した。

友が出来た、出会いがあった。人生を彩る青春の日々が、光輝く思い出が。

 

「パトリシア・ジョルジュ伯爵令嬢、あなたとの婚約を破棄させていただく。

私は真実の愛に目覚めたんだよ。紹介しよう、フローレンス・ジョルジュ、私が生涯愛する女性の名前だ」

 

王都学園での卒業パーティー、私はこれまでの人生の全てを失った。優しかった父、かわいい妹、最愛の婚約者。多くの仲間が、親友とまで呼び合った友が。

失意の中向かった先は、母の実家であるグロリア辺境伯家の城であった。

 

「私は本当に何も知らない世間知らずのお嬢様だったのですね」

 

その少年との出会いは偶然であった。ジョルジュ伯爵家からグロリア辺境伯家のお爺様の所へ向かう馬車の道中、魔物の襲撃に遭った馬車、聞こえる悲鳴、唯々恐怖に震える自分。

助かったのは完全な奇跡であった。

ホドマリ村の村長宅のベッドで目覚めた時、オークの集落に囚われていると錯覚した事は、今でも赤面してしまう程の恥ずかしい思い出の一つであった。

 

助けられた自分、失われた従者の命。ただじっと荷馬車の荷台に揺られながら過ぎて行く時間。

そんなとき不意に聞こえた会話に思わず口を挟んでしまったのは、不安な心を何か別の事で解消しようとした自己防御だったのだろう。

 

だがその会話の主は、これから授けの儀を受けに行くという少年の言葉は、これまで聞いたどの者の話よりも理路整然としていながら現実を見据えた、貴族社会とオーランド王国の現状を客観的に捉えたものであった。

 

もっとこの者と話をしたい、貴族と平民の関係を、世の中の事を。失われた命の事など忘れ、唯々己の好奇心の赴くままに。

 

その後様々な事が起きた。お爺様のお城での誘魔草騒動、王都中央学園での婚約破棄騒動、マルセル村での暗殺者ギルドによる襲撃事件、グロリア辺境伯領内部に吹き荒れた“春の嵐”と呼ばれた大粛清、ランドール侯爵家との戦争。

 

荒れるグロリア辺境伯家と腫物のような自分。失った立場、失った役目。

縋る様に周囲の期待に応えるかのような役割を演じる私。

私の役目とは、私の価値とは。必死に考えを巡らせ、自身を取り戻そうとする日々。

だがそんな私に時代の波は容赦なく襲い掛かる。

 

「パトリシアをランドール侯爵家嫡子ローランドの下に嫁がせる」

それはグロリア辺境伯家次期当主であるタスマニア伯父様の言葉であった。

オーランド王国南西部で起きたダイソン侯爵家の独立騒動、一気に緊張の度合いを上げる国内情勢の中で婚姻による貴族同士の結束を強める事は、大貴族家であるグロリア辺境伯家としては当然の判断であった。

 

「私がアルバート子爵家、ドレイク・アルバート子爵の下へ嫁ぎます」

だがそんな判断を母デイマリアは良しとしなかった。一度婚約破棄された相手の下に再び嫁ぐなど、醜聞を通り越して侮蔑。

母デイマリアは私の事を身を挺して守ってくれたのであった。

 

「パトリシアお嬢様、少々お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

義父ドレイク・アルバート子爵様が治めるマルセル村は、牧歌的なのんびりとした雰囲気に包まれた理想的な農村であった。

それは辺境の村としては異常な事であり、全ては義父ドレイクの手腕によるものであるという事は分かっていた。

そんなアルバート子爵領マルセル村において、私は明るいお嬢様といった雰囲気を崩さぬ様、努めて村人との交流を増やしていった。

 

「パトリシアお嬢様は何時まで‟何も知らないお気楽お嬢様”の演技を続けられるおつもりなのかなと思いまして」

 

だが私の浅はかな考えや行動など、既に青年へと成長したケビン様にはバレバレであった。

ケビン様はまるでこれまでの私の行動を見て来たかのように、私の思いや考えを、明確な言葉として話してくれた。

理解してもらえる事、誰かが見ていてくれるという事がどれ程心を救ってくれるのか。

私はあの日あの時、これまでの人生が間違ってはいなかったのだと認めて貰えた気がした。

 

この人なら大丈夫、この人になら素の自分を晒け出せる。それはともすれば甘えであり依存。だがあの時の私にはそれが必要な行為であり、そうする事で心の内の何かを取り戻していったのだと思う。

 

「パトリシアお嬢様、あなた様には三英雄の一人としてオーランド王国を救っていただきます」

それは唐突な提案、嘗ての学園の友であるアイリス・ダイソン嬢との不意の邂逅から始まった事態は、私の置かれた環境を目まぐるしく変えるものであった。

 

「パトリシアお嬢様、私はね、気に入らないのですよ。

お嬢様の婚約破棄騒動、あれはランドール侯爵家とグロリア辺境伯家の政争の一手段であった。その事自体は貴族家の者である以上致し方のない事であった。

ではあってもです、未だパトリシアお嬢様の事を婚約破棄をされた捨てられ令嬢と蔑む王都の馬鹿貴族共、婚約破棄された令嬢であっても家同士の関係構築のために迎え入れても構わないと高を括る地方貴族共。

そしてそんな事などすっかり忘れたとばかりに被害者面をする王家の阿呆ども。

そんな連中に、一緒に一泡吹かせてみませんか?」

 

ケビン様は不敵に笑い私の背中を押してくれた。失ってしまった誇りを取り戻させてくれた。

 

私の心に嘗ての悲しみはもうなかった。私はマルセル村のパトリシア、ホーンラビット牧場の飼育員。

ダイソン公国とオーランド王国の終戦条約が結ばれた時、私の中の全てに決着が付いた気がした。

そして私はこれからもずっとマルセル村で生きていく、私の心を救ってくれた愛しの者と一緒に。

 

「あ、申し遅れました。アナスタシアはこのケビンの婚約者となります。

それとザルバ・フロンティア男爵のご息女、ケイト・フロンティア嬢ですね。

私はまだ旅立ちの儀の前と言う事もあり籍は入れていませんが、お二人との婚姻はドラゴンロード男爵家、フロンティア男爵家ともに歓迎して貰っております。

秋の収穫祭の時にお披露目をという事で話は決まっているのです」

 

ケビン様がケイト・フロンティア男爵令嬢と婚約関係にある事は知っていた。アナスタシアさんとも婚約を結んでいる事も聞き及んではいた。

だが結婚はずっと先の事だと思っていた。この先もマルセル村のゆったりとした時間の中で、一緒にいられるものだと信じていた。

 

ケビン様と共に在りたい。それは物語にある様な熱く燃え上がる様な愛ではないかもしれない。ともすれば逃避ととられるような願い。

共に干し草を運び、お茶を飲み、偶に馬鹿をやって追い掛け回し。

そんな何気ない村の日常を過ごしていく。

 

ハッキリとした言葉で、強引ではあるものの婚姻を迫ったのは完全な暴走、今ある日常を失いたくない、この生活を守りたいという一心であった。

 

「パトリシアお嬢様、昨日は色々とありましたんであのようなお話になりましたが、パトリシアお嬢様におかれましては今しばらくの熟慮が必要かと愚考いたします。

ですのでその参考になるかは分かりませんが、私の抱える秘密の一端をお見せいたしたく存じます」

 

掛けられた冷や水、私はいつから忘れていたのか。ヨークシャー森林国で見せられた奇跡の儀式を、ダイソン公国戦役での戦場の有様を、王都バルセンでの舞台を影から取り仕切ったのは誰であったのかを。

三英雄と持ち上げられ、ケビン様と同じ舞台に立てたと思い込んでいた愚かな自分。自身がただの駒であり、偶々救っていただいただけの無力な女という事を思い出させられた。

 

ケビン様は神話に登場するかのような巨大ワイバーンと共に、世界樹に向け旅立って行った。

 

「私は何も分かっていない愚か者、ただ縋り、調子に乗っていただけの“お嬢様”。

「パトリシアお嬢様におかれましては今しばらくの熟慮が必要かと愚考いたします」、確かに私は考え無しであったのやもしれません。

私は私の思い、私の事情だけを押し付けていた。そこにケビン様の姿が見えていたのか。

“愛とは互いに注ぎ合うもの、決して一方的な思いだけで維持されるものではない”とは学園時代に賢者ユージーンから聞いたものでしたか。

ケビン様に言えば“まぁそうですけど、お花畑で耳心地の良い言葉ですね”と一蹴されてしまいそうですが、それすらもない私は何だったのでしょうか」

 

風がそよぐ、草原が揺れる。

 

「まぁ、恋愛っていうものはそういうものなんじゃないんですか?

所詮他人様、その心を推し量る事は出来ても真に理解するなど夢のまた夢。

必要なのは互いに歩み寄り思い合う心。それは求めるべくもない、何故なら他人なのだから。

男女の仲とはかくも不安定で頼りない繋がりで出来ている、であるからこそ求め合い確かめ合う、それは不安だからこそ、分からないからこそ。

まぁ中には溢れんばかりの愛情で相手を包み込もうとしたり、ただ相手を感じる事だけで幸せいっぱいですって人もいますけどね。

人の在り様なんてそれこそ人の数だけある。

“みんな違ってみんないい”、どこかの偉い人がそんな事を言ってたような?

 

パトリシアお嬢様はパトリシアお嬢様らしく。自らの御心のままに、それでいいんじゃないんですか?」

 

その声は唐突に、だが淡々と。変に相手を思うでなく、けれど貶すでなく。その言葉の取り様は人それぞれ、受け入れられたと思う者があれば突き放されたと思う者あり。

人とは己を映し出す鏡のごとく。ケビン様に接する者は、自身の醜さも醜悪さもその全てを見せ付けられる。

 

「隣、失礼しますね」と言って腰を下ろすケビン様。私たちはただ黙って草原を見続ける。

 

“ツーーーーッ”

一筋の涙が頬を伝う。溢れ出す感情、止める事の出来ぬ想い。次々と心の内から噴き出す気持ちは、涙となって流れ続ける。

 

「この場には俺しかいませんからね。取り繕う必要もないでしょう」

「ウッ、ウッ、ウッ、ウワ~~~~~ン!!」

 

もう抑える事は出来なかった。心の奥に押し殺していたものが一斉に溢れ出す。

苦しかった、悔しかった、悲しかった。

大好きだったバウゼンお父様から浴びせられた叱責の言葉、妹フローレンスから向けられた蔑みの視線、慕ってくれていた後輩が、仲の良い友人が、全てから見捨てられ逃げる様に王都を後にした。

デイマリアお母様に苦労を掛けていると思うと胸が張り裂けそうなくらい辛かった、優しく接してくれる家の者たちの思いやりが重荷に感じる、そんな自分が嫌いになった。

ともに側にあり、ジョルジュ伯爵家の未来を語り合った最愛の人、ローランド様が去って行った事が受け入れられなかった。

 

それからどれくらいの時間が経ったのか。ケビン様は何も言わず、泣き叫び縋りつく私の背中を優しく撫で続けてくれた。

 

――――――――――

 

「ケビン様、ありがとうございました。

私は本当に何も知らない“お嬢様”でした。人を愛し愛されていた気になっていただけの未熟な少女、過去の思いをいつまでも引き摺り続ける憐れな抜け殻。

ケビン様からいつまで経っても“パトリシアお嬢様”と呼ばれる訳です」

 

そう言い微笑まれるパトリシアお嬢様は、どこか心の中のわだかまりと折り合いを付けた様な、とてもすっきりした表情をなさっておられました。

俺はそんなお嬢様にそっと手拭いをお渡しします。

そこはハンカチじゃないのか?

もうね、涙と鼻水がぐじゃぐじゃになっててハンカチなんかじゃ足りないのよ。手拭いを受け取られたお嬢様も顔を拭かれた後鼻を“チィ~~~ン”ってしているくらいだし。

俺は返却された手拭いと自身の服に<清掃>スキルを掛け、その痕跡をなかった事にするのでした。

 

「ケビン、それでは戻りましょうか?」

「そうですね、パトリシアお嬢様」

立ち上がりこちらに顔を向けるお嬢様に慇懃に礼をしながら答える俺氏。

パトリシアお嬢様は「パトリシアとは呼んでくれないのですね」と呟き、寂しそうな笑みを浮かべます。

 

「ただいまアナさん、ケイト」

精霊の庭から戻ってきた俺とパトリシアお嬢様を待っていたのは、小屋の主アナさんとケイト。外はすっかり夜が更け暗くなっていました。

 

「アナスタシアさん、ケイトさん、どうもありがとう」

「いえ、私は何も。全てはパトリシア様自身が考え、辿り着いたもの。

私たちはパトリシア様を尊敬いたします」

「ん。自ら考え気付くことは難しい。私もパトリシア様を尊敬する」

 

「それじゃ帰るよ。ケイト、送って行くから一緒に行くぞ、ザルバさんを心配させちゃ悪い」

 

俺とケイト、そしてパトリシアお嬢様は、月明かりに照らされた村道を、ホーンラビット伯爵家新本邸に向け歩いて行くのでした。

 

「星が綺麗ですね。思えばこうしてゆっくり夜空を見上げる事なんてしていなかった。私はなんてもったいない事をしていたのでしょうか」

そう言いパトリシアお嬢様が夜空を見上げられます。その横顔はとても美しく、穏やかなものでした。

 

「そうですね。そう言えば俺もこうやってゆっくり星空を眺める事なんてありませんでしたよ」

つられる様に夜空を見上げる俺。まるで宝石を散らしたかのように満天の星がきらめいて・・・“チュッ”

 

「ここまでで結構です。今までありがとう、私のナイト」

頬に残る暖かな温もり、柔らかな笑顔を残し、屋敷に戻って行くパトリシアお嬢様。

 

 

「あっ、ケイトさん、これからは第三夫人として色々とケビン様の事を教わりに行きますので、どうぞよろしくお願いします」

「ん、何でも聞くがいい。私は先輩、後輩には優しく接するが定石」

そう言い今度こそ屋敷に戻るパトリシアお嬢様。

 

「えっ、ちょっと待って、今の流れって別れの場面だよね?

色々と心の葛藤を乗り越えて、新たな一歩を踏み出すって感じだったよね!!

なんか第三夫人とか言っちゃってるんですけど、先輩後輩ってどうなってるのよ!?」

「へっ?私、諦めるなんて一言も言ってませんけど?新たな一歩を踏み出したじゃないですか、第三夫人っていう道を。

これから末永くよろしくお願いしますね、旦那様♪」

 

“ポンッ”

「世の中諦めも肝心。私は学園でその事を学んで来た。

ケビンは三人で支えるくらいで丁度いい、でもこれ以上は増やさないように」(ニッコリ)

 

夜空には美しい星々が煌めき、月明かりが自身を照らす。

肩に添えられたケイトの右手。その優しい温もり(闇属性魔力マシマシ)に、なぜか涙が零れそうになるケビン君なのでありました。

 




本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora
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