この一年半は激動の毎日であった。
昨年春に始まったダイソン公国の独立騒動は貴族諸侯の多くに犠牲を出し、一年の時を経てこの春にオーランド王国側がダイソン公国建国の消極的承認を行うという形で幕を閉じた。
この独立の裏で暗躍していたバルカン帝国の策謀、“奇跡の夜”と呼ばれる亡くなった英霊たちの働き、我がオーランド王国が現在も無事でいられるのは女神様のお与え下さった奇跡以外の何ものでもなかった。
だが物事はそうそう簡単に済むものではない。勇者様が魔王を倒して全てが丸く収まるのは物語の中だけの話、現実にはその裏で亡くなった多くの人々がおり、停滞した経済の立て直しや街の復興、乱れた人心の回復と増えた犯罪者の対策等、やらなければならない仕事は後を絶たない。
それはこの戦乱においても同じ事、失われた貴族軍将兵数は推定で十二万を超え、当主や次期当主といった者が亡くなった各貴族家では後継ぎ問題が発生、貴族社会は大きく乱れる事となった。
“カタンッ”
オーランド王国王都バルセン、その中心部にその威容を誇る王城内の専用執務室。走らせていたペンを執務机に置き、大きく伸びをしたヘルザー・ハンセンは、部下にお茶の準備をする様にと声を掛ける。
王家の存亡を賭けた難しい判断に迫られ続ける日々は一応の決着を見た。だがその皺寄せは未だ多くの仕事を生み、連日の激務に繋がっていた。
“内戦騒ぎの後始末は漸く終わりが見えて来たが、そうなれば暫く大人しくしていた貴族共がまたぞろ余計な事をし始めるか。まったく人とは度し難いものだ”
ヘルザー宰相は執務机の端に置かれた来年度の王都学園入学予定者リストに目を向ける。
一般に王都中央学園と呼ばれるそこは、公爵・侯爵・伯爵といった高位貴族の子弟と聖女や聖騎士といった上級職と呼ばれる職業を授かった者たちが集う学びの場。貴族と平民が分け隔てなく接し、身分の垣根を超え己を高め合う交流の場である。
無論それは建前上の話であり、女神様により禁じられている“職業保有を理由に人々を強制的に従わせてはならない”というルールの逃げ道として取られている政策、要は高位貴族による青田買い会場に他ならないのではあるが。
だがその場は単にスカウトを行うだけの場にあらず、高位貴族子弟同士の横のつながりを強め派閥の結束を図るといった、社交界の予行練習的側面もあるのだ。
「<勇者>に<聖女>、それと<英雄>の称号持ち。
来年度は第四王子アルデンティア殿下が学園に上がられる。アルデンティア殿下のご誕生に合わせ多くの貴族が子息子女を儲けられた関係で、入学予定者は例年よりも多くなっている。
現在第五王女フレアリーズ殿下が一学年に在籍されているが、そこにこの顔ぶれが入学するとなれば騒ぎが起きないはずもない。
全くなんだってこうも次から次へと」
宰相ヘルザーはうんざりした表情を浮かべ、眉間の皺を揉む。
“コンコンコン”
「失礼いたします。宰相閣下、ベルツシュタイン卿が至急面会の許可をいただきたいと申しお見えになっております」
扉を叩き入って来た部下の一言に表情を硬くするヘルザー宰相。
オーランド王国の暗部を司る人物、ハインリッヒ・ベルツシュタイン伯爵。王都諜報組織“影”の総帥であり、「王家の剣」と呼ばれ畏れられている男。
その思考はいたってシンプル、王家の害となる者の排除、王家存続の為であれば例え現職の国王であろうと排除に動く、沈着冷静にして冷徹極まりない人物である。
その様な大物が事前に先触れも寄越さず訪れる、それは即ちそれだけ緊急を要する何らかの事態が発生した事を意味していたのである。
「相分かった、ベルツシュタイン卿をこれに。それと皆の者は退室する様に、ベルツシュタイン卿が執務室から退室するまで部屋に近付くことを禁じる。たとえ王族の者の来訪であろうとも決して中に入れるな」
「「「ハッ、宰相閣下の思し召しのままに」」」
それぞれの執務机から立ち上がり部屋を出て行く文官たち、側仕えの者たちも一礼の後彼らの後に続く。
そんな彼らと入れ違いに入室して来たベルツシュタイン卿は、にこにこと笑顔を浮かべたまま挨拶の言葉を述べる。
「これはこれはお忙しいところ突然の訪問をお許しいただき感謝いたします。見ればこれからご休憩に入られるところであったご様子、重ね重ねお詫びいたします」
そう言い慇懃に礼をするベルツシュタイン卿。
「ええい、わざとらしい口上を述べるよりも用件を話せ。ベルツシュタイン卿が大した用もなく登城するはずもあるまい。
事は緊急性を要するか何か重大な事柄が起きたか。いずれにしろ手立てを行うに早めの情報収集は必要であろうからな」
ヘルザー宰相は不満げな顔を浮かべながらも、来客用テーブルの席を勧める。ベルツシュタイン卿は「流石は賢人と謳われるヘルザー宰相、話が早くて助かります」と笑顔のまま席に着く。
「まぁ結論から言えば緊急性はそこまで高くはないものの早めの対処が必要な重大事と言ったところでしょうか。
ガーネット、悪いんだけどお茶の準備を頼めるかい?こう言っては何だけど流石本場で習って来ただけあって、ガーネットの入れるお茶は美味しいからね」
ベルツシュタイン卿はそう言い共に入室して来たメイドにお茶の準備をするよう声を掛ける。メイドは一礼の後、何処からともなくティーセットとポット、木製の箱を取り出しお茶の準備を開始する。
「ほう、<収納>のスキル持ちか。スキル名を唱えずにスキルを発動とは、相変わらずベルツシュタイン卿の所は優秀な人材が豊富なのだな」
「あぁ、これ?違う違う、スキルじゃなくて魔道具。“収納の腕輪”って奴だね。容量は小型マジックバッグと同程度、ただ身に付ける品だから緊急時に即対応できる点が便利だよね。
本当にガーネットはいい物を貰ったもんだよ」
そう言いメイドが淹れたお茶に口を付けるベルツシュタイン卿。だがヘルザー宰相はその有用性に目を見開く。
「あっ、彼女の持ってる“収納の腕輪”を接収しても他の者には使えないからね?
何でも使用者登録がされているらしくて、本人以外に使用できないんだって。しかも一度登録されたものは解除不能、まさにガーネット専用装備って訳だね。
そう聞くとそれなら製作者に直接注文しようとか考えるかもしれないけど、それも無理っぽいかな?この事はこれから話す内容にも関係してるんだけどね」
そう言い「冷めないうちにどうぞ」とティーカップを口に運びつつお茶を進めるベルツシュタイン卿。ヘルザー宰相は苦虫を噛み潰したような表情のまま、ティーカップに口を付ける。
立ち昇るのは爽やかな若葉の香り、口腔に広がるほんのりとした自然な甘さが、いら立つ気分を落ち着けてくれる。
「ほう、これは旨いな」
自然と零れる感想、身体の奥の方から優しい温かみのようなものが全体に広がって行くのが分かる。
「でしょ?いいよね、本場の淹れ方をした“聖茶”。ホーンラビット伯爵が好んで飲むっていうのもよく分かるよ。これ、普通に美味しいもんね」
ベルツシュタイン卿の言葉にピクリと眉根を上げるヘルザー宰相。“聖茶”といえばどんなに乱れた心も強制的に落ち着けるマルセル村の特産品。
“コトッ”
「今回の用件はこれだね。まぁその蓋を開けてみてくれる?」
差し出されたのは小振りの木箱、ヘルザー宰相はその木箱を手に取り、言われるまま蓋を開ける。
「これは・・・」
箱の中に納まっていたのは赤い布にくるまれた一本のポーション瓶。収められている虹色の液体は淡く光を放ち、その存在を主張する。
「奇跡の霊薬“エリクサー”、ウチの鑑定士たちに何度も確認させたから間違いないと思うよ?
ヘルザー宰相閣下は第三王子殿下が学園在籍中に一時騒がれた賢者ユージーンという生徒を覚えている?」
「あぁ、確か殿下が勧誘していた聖女マリアーヌと親しくしていた者であったか。若者には耳心地のいい理想論を語る者として警戒されていたが、権力には関心を示さない事から要監視対象に留まっていたんだったか。
卒業後はぱったりと話を聞かなくなったがな」
「そう、そのユージーン君。彼、聖女マリアーヌと一緒に在学中に犯罪者組織から救出したエルフ女性を世界樹の下にあるとされるエルフの里まで送って行ったんだって。
その旅の途中、ローレライ大砂漠地帯で迷い込んだ遺跡の中でこのエリクサーを発見したんだってさ。
で、これ程のものを一介の平民である自分たちが持っているのは恐れ多いとして、国王陛下並びに王妃殿下に献上したいと申し出たって訳。何とも謙虚な話だよね~」
そう言い肩を竦めるベルツシュタイン卿。だがヘルザー宰相はそれどころではない、エリクサーと言えば国宝級の逸品、国と王家の面子としてただ受け取って済まされるようなものでもない。
「その者たちは今どうしておるのだ?直ぐに使者を向かわせ王家として遇せねばならん」
「あぁ、彼らなら今うちの屋敷でくつろいでもらってるよ。下手に王城に呼び寄せでもしたらこの話がどこから洩れるのか分からないからね。
その結果多くの欲深共に群がられ、礼どころか命まで奪われかねないって事はヘルザー宰相閣下でも分かるでしょう?」
ベルツシュタイン卿の言葉に舌打ちをし、自身の浅はかさに顔を顰めるヘルザー宰相。今は大人しくしているとはいえ貴族とは欲望の塊、たとえ聖女や賢者であろうとも相手は平民、権力を笠に高圧的な態度で迫るは必定であった。
「賢者ユージーン曰く遺跡に辿り着いたのは砂嵐に巻き込まれた末の偶然であり、二度と同じ場所に辿り着く事は出来ないし、エリクサーを求められても自分達には無理である。であるのなら人々の争いを避ける為にも国王陛下王妃殿下に献上するのが一番と考えたって事らしいよ。
ヘルザー宰相閣下にはこの件を国王陛下並びに王妃殿下にお伝えしていただき、エリクサーを国王の所有物とする手続きをお願いしたいんだよね」
「相分かった。国民からのありがたい申し出、陛下もさぞお喜びになられる事だろう。賢者ユージーン殿、聖女マリアーヌ嬢には後程正式に王城にお越しいただき国王陛下からの言葉を給わる事としよう。
それまでの王都滞在はベルツシュタイン卿にお願いしたい、よろしく頼む」
そう言い頭を下げるヘルザー宰相に、話がうまく行ったと笑顔で応えるベルツシュタイン卿。
「さてと、表向きの話はここ迄ね、ここから先はヘルザー宰相閣下の心に留めておいて欲しいんだけど、最悪国王陛下と王妃殿下までの話にしておいて欲しいかな?下手をしなくてもオーランド王国が滅んじゃうから」
ベルツシュタイン卿の雰囲気が変わる。先程までのどこか楽しげな様子から真剣な表情になると、ここからが本番とばかりに口を開く。
「ヘルザー宰相閣下は“転生者”という言葉を聞いた事があるかな?
前世の記憶や意識を引き継いだ者、世界の歴史の中でも時折現れては大きな業績を立てたりとんでもない騒ぎを引き起こしたりする者だね。
どうやら賢者ユージーンはこの転生者だったらしくてね、前世の記憶にある物語とこの世界の様子があまりにも酷似している事から、この先に起こるであろう不幸から少しでも多くの者を救おうと動いた結果がこのエリクサーって事らしいんだよね。
簡単に言えば伝承に伝わる予言の書に従って動いた結果って奴だね。ただこの予言の書、結構ズレが生じてるみたいでね、ダイソン公国の独立騒ぎやバルカン帝国の侵攻、ヨークシャー森林国の呪病騒ぎなんかは彼の知る歴史と開始時期や結果が大きく違っていたらしいんだよね。
だからこのエリクサーが実際必要になるのかは分からないけど、念の為に王家に献上した事にしたみたい。まぁ使わないで済む事に越した事はないし、王家として得しかない話だから私も協力してるんだけどね。
でも彼らって凄いのよ?そんな有り得るかどうかも分からない与太話の為に実際世界樹まで行って、世界樹の葉を手に入れて来ちゃうんだから。
若者の行動力って半端ないのね。
で、エリクサーに必要な材料を手に入れた彼らが次に向かったのがフィヨルド山脈の麓の大森林。何でも隠された“秘密の花園”って呼ばれる場所があって、そこにある墓所に眠る大賢者シルビア・マリーゴールドの英霊に呼び掛けてエリクサーを作ってもらうつもりだったんだって。
これらの行動の全ては予言書に従ったもので、途中まではその通りに事は進んでいた、でも大賢者の英霊は大森林にはいなかった。
では英霊は何処に行ったのか、マルセル村で子供たちに魔法を教えてたんだってさ。
さっきガーネットが使っていた“収納の腕輪”の製作者がその大賢者様だね。なんでも王家がホーンラビット伯爵家に依頼した大森林の魔物を取って来て欲しいという話の為に作った物の内の一つを譲ってくれたんだって。羨ましい話だよね」
“パサッ”
テーブルに置かれた数枚の紙束、ヘルザー宰相はその内容に目を通し動きを固める。
「“ゴブリンでも分かるエリクサーの作り方”、既に失われたと言われている伝説のレシピ。大賢者様曰くエリクサーを作る事自体はさほど難しくはないんだってさ。材料さえあればそれなりの腕を持つ調薬師であれば誰にでも作れるらしいよ。
ただその素材、<世界樹の葉>と<ドラゴンの涙>の入手が難しいんだって。
王家からしつこく問い合わせがあってもホーンラビット伯爵に迷惑が掛かるだろうからって事でレシピを譲ってくれたんだって。本当にホーンラビット伯爵の人徳に感謝だよね~。
それじゃ、後の事はよろしくね。報告すべき事は全部話したし、この事を以って王家の誰かがバカをやってもベルツシュタイン伯爵家としては庇えないかな。
欲を掻いて恩を仇で返さない事を祈ってるよ」
そう言い席を立つベルツシュタイン卿。執務室に残されたヘルザー宰相はティーカップの聖茶をクイッと飲み干すと、大きなため息を吐くのであった。
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora