“ジョロジョロジョロジョロ、コトッ”
ポットから注がれたカモネールの優しい香りが室内に広がる。
テーブルに置かれたティーカップを手に取りゆっくりと口を付ける。
「ハァ~、美味しい」
自然と口を衝くため息、“新婚だというのに初日からこんな調子では先が思いやられるわね”と自身の情けなさに自嘲する。
「えっと、十六夜さんに更さんだったかしら?もしかしてあなた達も姿を偽ってたりするのかしら?」
ケビンの実験農場の脇に建てられた二階建ての屋敷、今日からこのワイルドウッド男爵邸が自身の家となるのだと、しみじみと思いながらティーカップに口を付けるパトリシア。
「いえ、私たちは月影メイド長や残月さんみたいなとんでもない秘密はないですよ?
しいて言えばバルカン帝国の呪術部隊出身って事ぐらいですかね。バルカン帝国には呪術師の養成所ってところがありましてね、国がスラムの孤児なんかを捕まえて軍事訓練を行った後、生き残りの中から素質のある者を集めて養成所で呪術師の訓練を施されるんです。
呪術って技術は使い様によっては便利な軍事技術に転用できますから、私達のような人間は割と高給で雇われるんですよ。死の誓約と国による絶対的な管理の下ですが。
要するに兵器なんです、私達って。
昨年バルカン帝国によるヨークシャー森林国侵攻作戦が行われたじゃないですか?私たちはその作戦に参加していまして、私は精霊姫の呪殺任務についていたんですがゴブリンの呪いが解術されちゃいまして、その解術地点がフィヨルド山脈の深層部だったんですよ。
軍の上層部としては解術地点を確認し精霊姫を亡き者にしなければならないと考えた、当然その解術地点が分る者、呪術を仕掛けた者の同行は必要。
フィヨルド山脈の麓で死にはぐっていたところを御主人様に拾われたって感じですかね」
パトリシアは自身の発言を深く後悔した。ドレイクお義父様は何と言っていたのか、“このマルセル村は多くの訳アリが集まる“オーランド王国の最果て”。他者を詮索しない、他者の事情に口を挟まない事が上手に暮らす秘訣”と仰っていたのではなかったかと。
「私は十六夜の後続としてヨークシャー森林国侵攻作戦に参加していました。パトリシアお嬢様もよくご存じの“呪病”は私たちが開発した術式です。まさかあのような形で解術されるとは夢にも思っていませんでした。解術用術式は侵攻を果たした後、占領政策の一環として私たちの手により施される事となっていましたので」
ヤバい、話の内容がヤバすぎる。続けて更が告げた「新月と満月は私と同じ部隊に所属していた者ですね」という言葉などまったく頭に入って来ない。
「そ、そうなの。あなた達も苦労していたのね。でもそんな生活から今のような使用人の仕事に代わって、支障や不満なんかはないの?
皆は旦那様には恩義を感じているみたいだし思っていても口に出来ない事とかもあるでしょう?
私も今日からワイルドウッド男爵家の夫人となった訳だし、そうした家人の声を聴くのも私の仕事だと思うのよ」
パトリシアの言葉に互いの目を見合わせる十六夜と更。
「はいはい、私恋愛小説が欲しいです。ワイルドウッド男爵家ってお給料はいいんですけど如何せん買い物がですね。モルガン商会の行商が来た時に頼んではいるんですけど、やっぱり書店で色々と物色したいじゃないですか?それでですね・・・」
「私は特にこれといった不満はないんですが、休日の過ごし方とかお金の使い方が分からなくてですね。是非ご相談に乗っていただけましたら・・・」
元気よく手を上げる十六夜のマシンガントークと更のどんよりトーク、真逆な二人の悩みを聞き顔を引き攣らせるパトリシア。
「わ、分かったわ。十六夜の話は後で旦那様に相談してみましょう。旦那様なら思いもよらない解決方法を示して下さるかもしれませんし。
更はそうね、取り敢えずラビちゃん達のお世話に参加してみない?私付きだったメイドたちもまた一緒にお世話がしたいと言っていたし、そういった事から横の広がりを作っていくのもありだと思うのよ。
お金の使い方はそのうちエルセルやミルガル、領都といった大きな街に行った時にでも一緒にお店を回ってみましょう。こればかりは実際に体験しながら少しずつ慣れて行くしかないんじゃないかしら」
「「パトリシア奥様、お話を聞いて下さりありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」」
““なんて良い奥様なんだ。これからは私達が確りお仕えしなければ””
短い時間にメイドたちの心を鷲掴みにしたパトリシア。パトリシアは王都社交界で磨かれた人心掌握術をいかんなく発揮し、ワイルドウッド男爵家の一員として確りと溶け込んで行くのであった。
―――――――
“グツグツグツグツグツグツグツグツ”
五徳に掛けられた鉄鍋がグツグツと音を立てる。湯の中で踊るのはキャロルにマッシュ、デイコンにパンプクといった秋の味覚。
“ポチャン、ポチャン、ポチャン、ポチャン”
追加の食材はぶつ切りにされたビッグワーム干し肉。シンプルなプレーンタイプは塩味と共にビッグワーム干し肉本来の旨味を鍋全体に広げ、煮込み料理に深みを与える。
“カチャカチャカチャカチャ”
お玉に掬った味噌を菜箸で溶いていく。鉄鍋から広がる食欲を誘う香りに、内なる獣が咆哮を上げる。
「アナ、もう我慢できない。早くよそって!!」
内なる獣との戦いに敗れた欠食児童が白旗の代わりにお椀を差し出す。アナスタシアはそんな彼女に堪え性のない子供を見るような目を向け、「仕方がないわね」と言ってスープをよそう。
「えっと、あなた達はここで一体何をしているのかしら?」
声を掛けたのは本日目出度くも
まぁ結婚しましたし?様付けってのもなんか変ですしね。
それで何をしていたかと聞かれれば囲炉裏を囲んでスープを食べようとしていたとしか。
「ん、パトリシアもお腹が空いた?でももう少し煮えるのを待った方がいい。お野菜はよく火が通っているけどビッグワーム干し肉の出汁がいまいち、暫く待てば味噌と出汁が全体に染み渡っていい具合になること間違いなし。
でも内なる獣の要求には逆らえなかった」
そう言い激しい戦いを終えた戦士のような顔つきをするケイト。
アナさんはそんなケイトに呆れた顔を向けています。
「あらそう?それは美味しそうってそうじゃないでしょう!!
何で直ぐ隣に立派な御屋敷があるのにそっちで食事をしないのよ。
月影さんに食事に呼ばれて食堂に行ってみれば誰もいないからびっくりしちゃったわよ、皆がどこにいるか聞いたら小屋で鍋ものを作ってるって意味解らないわよ」
「「「お~、流れるようなツッコミ、これは逸材」」」
パトさん、いつの間にその様な技術を。これは将来性大でございます。
「だ~か~ら~、何で畑の小屋で食事してるのか説明しなさーい!」
「えっ?まぁここが俺の家だから?」
「・・・はぁ!?」
俺の返答に訳が分からないと言った顔になるパトさん。そんな俺たちをよそに激しいお代わり攻防戦を繰り広げるケイトとアナさん。
ケイト、ちょっと大人しくしていようね。
「あ~、分かり易く言えばあの屋敷は従業員宿舎?急に使用人を雇う事になっちゃったから急遽レンドール不動産で買って来たんだよね。
そんでこの小屋が正確な意味での本邸。俺が一から造り上げた我が家でございます」
俺はパトさんに簡単な説明をしてからお椀をアナさんに差し出します。
ごめん、俺も内なる獣に勝てなかったの、もうさっきから咆哮を上げまくるの、もう我慢できないの。
アナさんは堪え性のない子供が二人に増えたと大きなため息を吐きながら、欠食児童一号二号にスープをよそったお椀を手渡してくれるのでした。
「イヤイヤイヤイヤ、ん?それじゃ私たちってこの小屋で暮らすの?四人で?狭くない?
まぁその分ケビンと一緒にいられるからいいのかな?
ふむ、それじゃ屋敷に運んだ荷物をこっちの小屋に・・・」
「ちょっと待とう、うん、それは待とう。流石にパトさんの荷物を持ち込んじゃったら狭くて生活できないからね?
かなり絞り込んで減らしてくれているってのは分かっているけど、ここって小屋だから、元々農作業用だから、大人数で生活するようにできてないから。
それを考えるとアナさんが移り住んだ時はグルゴさんとガブリエラさんが一緒に生活してたんだよな。その節は本当に申し訳なく」
俺は子供時代の事とは言え、かなり不自由な生活を強いた森の賢者に心から謝罪をする。
「いえいえ、あの頃の私たちはこの小屋よりも貧しい住居に暮らしていましたから。それに当時は下手に切り離される方が怖ろしかった。
ケビン様の心遣いに感謝こそすれ不平に思う事などありませんでしたよ?」
そう言いニコリと微笑むアナスタシア。大人だ、めっちゃ大人だ。なんかこういった対応をされるとキュンとくるよね。
これが年上の魅力、包容力と言うか年上ならではの心の余裕、堪りません。って言うか俺の奥さんなんだよな~、最高かよ。
俺は手に持つお椀に口を付けながら、「出汁が利いてるね、いいお味です」と称賛の言葉を贈ります。
「はいはいそこ~、長年連れ添った夫婦感を出さない。私たちは新婚、しかも今日結婚したばかりだから、もっと初々しさを出しなさいってケイト~、お代わりのお椀をスッと出さない!!」
やはり逸材、パトさんと結婚してよかったと心の底から思いますです、はい。
「ハァ~、話は分かったわ。私物なんかは屋敷に置いて普段はこっちの小屋で暮らすって認識でいいのかしら?
まぁ私もホーンラビット牧場の仕事やコッコのお世話があるから屋敷にいるよりも外に出ている事が多いし、基本作業着を着てるし別に構わないんだけど、ベッドとかは・・・」
パトリシアがベッド発言をした途端急に静かになる室内。
「そうね、小屋の中にベッドって言うのもあれかしら。これからはもう少し大きめの寝具が必要だろうし」
「私は今のままでも構わない。その分密着していればいいだけ、何も問題ない」
「あっ、いや、その、わたしはやっぱりベッドの方がいいかなって、その。
やっぱり恥ずかしいって言うか、大きめのベッドの方が落ち着くかなって・・・」
・・・あ、まぁ、うん。そうだよね、新婚さんだもんね、そういう事になるよね。
俺は暫し瞑目しつつ考える。元伯爵令嬢を小屋に連れ込むってのはまずいでしょう。かと言って畑脇の屋敷も微妙、男爵邸としては十分な広さだとは思うんだけど、使用人が多いからな~、やっぱ気になるよな~。
「よし、移動します。でもその前にスープを食べさせてね。アナさんとパトさんも食べちゃって、お腹が空いてるといい考えも浮かばないから」
俺はそう言い二人に食事を勧めると、屋敷の方へ移動する事を伝えるのでした。
「ところでなんでアナスタシアとケイトは変装した顔に戻ってるの?もう結婚したんだし、家にいるときぐらい本来の姿でいたら?」
「「なんか落ち着くから、本来の姿はいざという時の武器って事で」」
嫁さん方が何やら不穏な事をですね。って言うかパトさんまで「私も普段は変身のペンダントをしていようかしら」とか言わない、パトさんはマルセル村の顔なんですから頑張ってホーンラビット劇場のお姉さんをしていてください!!
俺は自由奔放な奥様方の発言にこめかみを揉みつつ、お代わりの椀をアナさんに差し出すのでした。
ケイトは食べ過ぎ、ステイ!!
――――――
“ザバ~~~ンッ、バシャ~~~ンッ”
大きな波が岸壁に打ちつける。暖かな南国の海風が頬を撫で、いたずらに髪を靡かせる。
満天の星、手を伸ばせば掴み取れそうな星々は、まるで自分たちの事を祝福するかのように美しく煌めく。
「きれい」
思わず口から洩れる呟きは、幼い子供のような素直な気持ち。
「ってちょっと待って、えっ、なに、ここってどこ?
私たちさっきまで畑脇の屋敷にいたわよね?それで奥の部屋に案内されて何故かぽつんと置かれた扉を開いてって意味が解らないんですけど?
さっきから聞こえるザバ~~~ンって音は何?大きな川でも流れているの?
というか秋風が暖かい南風に変わってるんですけど?夜の寒さは何処に行ったのかしら?」
「まぁまぁまぁ、その事は追々説明するとして今は寝室ですよ。月影、残月、十六夜、三人を彼女達の寝室に案内して」
「「「畏まりました、ご主人様」」」
メイドたちの案内に夜の道を進んで行く奥様方。唯一この状況が分かっているアナさんがやけに鼻高々なんですけど?
まぁそれも明日の朝になったら全容が分っちゃうんで短い間の優越感なんですが。
「ご主人様、それで今夜はいかがなさいますか?三人一緒ってのは流石に失礼かと思うんですが・・・」
「しないよ!?どこの変態さんなのよそれって。えっ、十六夜の持ってる恋愛小説の主人公がそんな男だったの?この世界にもハーレム主人公って発想があるのかよ、そんなの遺恨しか残らないじゃん。
もしかして新月と満月もそんな願望があったりするの?悪い事は言わない、考え直した方がいいぞ?」
俺の言葉に首をブンブン横に振る二人。どうだかな~、怪しいよな~。
「まぁここはちゃんと一人ずつ誠実に接するのが礼儀だよね。話を聞いた感じだとアナスタシアが第一夫人みたいなことを言ってたけど、後で確認した方がいいかもね。
その辺はちゃんとするわ、暫くはこっちの自己領域で生活する事になると思うんで皆はそういうつもりで。
マルセル村の事で何かあったら遠慮なく声を掛けてくれ」
俺はそれだけを伝えると、暗闇に浮かぶ秘密基地に向かい歩を進める。
美しい星空の下、「「ご武運を」」と言葉を向けてくれる使用人たちに見送られながら。
本日一話目です。