優しい海風が窓辺から入り、日の光と共に朝の目覚めを促す。
俺は今しばらく微睡みたい気持ちをグッと堪え、ベッドから抜け出すと顔を洗う為洗面台に向かう。
「ケビン、どうしたの?今朝は目覚めが早くない?」
アナさんがキョトンとした表情で不思議そうに俺を見詰めます。
まぁそうだよね、俺の基本姿勢は“お布団様でキャタピラーになりたいでござる”だからね。
でもこれからはそうはいかない、生活リズムを農繁期の村人モードにして行かないといけない訳があるんでございますよ。
「あぁ、ジェイク君たちも王都に旅立っただろう?俺もそろそろ王都学園に就任の挨拶に行かないといけないからさ。
これから三年間学園講師としてジェイク君たちの見守り任務に就かないといけないし、そうなるとなるべく学園にはいないといけないしね。
ジェイク君の様子は大福経由で黒蜜から知ることが出来るんだけど、黒蜜は俺の雇用魔物じゃないから直接連絡する事も出来ないし、あくまで監視用?
まぁ余り過保護にしても良くないから、基本様子を見るだけに努めるつもりだけどね」
そう言い肩を竦める俺に「フフフ、村のお兄ちゃんも大変ね」と笑いかけるアナさん。なんかすっかり丸くなったと言いますか、表情が柔らかくなったと言いますか。
「でもお仕事なのは分かるけど、あまり私たちの事を構ってくれないのは嫌ですからね?」
ベッドから起き上がり洗面台の俺の傍に近付いて耳元でささやくアナさん。その時人差し指で背中をスーーーッと撫ぜるのも忘れません。
誰だ~、アナさんにこんなテクニックを吹き込んだ奴は!!
十六夜、十六夜か~~~!!
よくやった、今度王都の本屋に連れて行ってやる!!
俺は寝室の扉の影からこちらを覗くメイドに向けサムズアップをすると、「あぁ、もちろんだよ」と言ってアナさんを軽く抱き寄せるのでした。
・・・クッ、身長が、いい感じなのに絵面が微妙。
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「さて、こんな感じでいいでしょうかね?」
スリーピースのスーツに白いシャツ、艶を抑えた革靴にループタイ。髪はやや草臥れた感じに艶がなく、白いものも混じっている。
パッと見は三十代後半、穏やかな感じではあるがあまり覇気のない印象に残りずらい感じの男性の姿が全身鏡に映される。
「ご主人様、その御姿の時は何とお呼びしたらよろしいでしょうか?」
メイド長でもあるダークエルフの月影が、支えていた姿見の後ろから声を掛ける。
「そうですね、それではネイチャーマンと。ワイルドウッド男爵家で世話になっている研究者と言ったところでしょうか」
そう言い弱々し気な笑みを浮かべるネイチャーマンに、“枯れた中年男性ですか、これはこれで惹かれるものがありますね。お世話のし甲斐があります”とメイド心を刺激される月影。
「では王都学園に行ってきます。あとの事、よろしくお願いしますね」
そう言いポケットから取り出した皮手袋を手に嵌め、収納の腕輪から木製のステッキを取り出すと、部屋を後にするネイチャーマン。
月影は姿見を壁に立て掛けると、「いってらっしゃいませ、ネイチャーマン様」と声を掛け、一礼をし後姿を見送るのでした。
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“コツンッ、コツンッ、コツンッ、コツンッ、ガチャッ”
「「「おはようございます、御主人様」」」
地下室の階段を上り開いた扉、明るい日の光が差し込むそこでは三人の使用人たちが主人の訪れを出迎えるのでした。
「伊織、ジェームス、ドーバン、おはようございます。出迎えご苦労様です。それとこの姿の時は私の事をネイチャーマンと呼んでください。
これから三年間、王都での私の立場はワイルドウッド男爵家の王都屋敷で世話になる研究者という扱いになります。所謂食客のようなものでしょうか?皆さんもそうしたものと思って接してください。
無論、時折ケビン・ワイルドウッド男爵様もお見えになりますので、その際はよろしくお願いします。
ジェームスさん、その後王都屋敷で何か変わった事はありましたか?」
「いえ、特に変わった事は。ですがワイルドウッド男爵様宛の書状を何通かお預かりしております。
届いた書状は全て内容を確認するように申し付かっておりましたので改めさせていただきましたが、夜会へのお誘いが三通、大森林の素材取引に関するものが五通でございました」
そう言い計八通の書状を取り出すジェームス。
ジェームスさん、今その書状をどこから取り出したんですか?収納のスキルでも使えたんですか?生前のスキルが引き継がれているんですか、凄いですね。
「ありがとうございます。本来であればお返事をお書きするのが貴族社会の習わしなのでしょうが、私はあくまで田舎者。何の反応も無ければいずれ周りの者も諦めてくれるでしょう。
別に貴族社会で何を言われ様とも痛くも痒くもありませんので。
ですのでジェームス、そうした事は一切気にしてはいけませんよ?あなたはどうもケビン・ワイルドウッド男爵が下に見られる事を嫌うところがありますから。
忠誠は構いません、ですが行き過ぎればそれは主人を害する事にもつながりかねない。主人の意向を汲み取り尊重するのも執事の務め、皆さんもその点は十分気を付けてくださいね」
「「「畏まりました御主人様、そのお言葉、深く胸に刻みます」」」
「はい、大変よろしいです。では出掛けて来ます、留守を頼みますよ」
「「「ネイチャーマン様、行ってらっしゃいませ」」」
私は玄関前に出て頭を下げる使用人たちに手を振ると、門扉を開いて王都の街並みに向け歩を進めるのでした。
「流石王都ですね、冬の時期であっても朝早くからすでに街が動いている。印刷技術が進んでいるとは聞いていましたがまさか新聞が売っているとは思いませんでした。グロリア辺境伯領の領都グルセリアでは見かけなかったと思うのですが、その辺は人口と需要の差と言うものなのでしょうか」
屋敷のある商人街と呼ばれる住宅地を抜け大通りを進むこと暫し、王都屋敷から歩くこと四十分ほど。貴族街にほど近い場所に、荘厳な造りの大きな施設はこれでもかと言わんばかりに己を主張するのでした。
王都学園、通称“王都中央学園”。通称の方が正式名称よりも長くなるのには理由があり、王都には王都学園の他に王都武術学園、王都魔法学園の二つの学園が存在する為と言われています。
オーランド王国の最高峰と呼ばれる王都学園には、伯爵家以上の高位貴族家の子弟と、授けの儀において上位職とされる聖女や勇者、剣聖や賢者といったものを授かった平民が通う事となっています。
そして王都武術学園には子爵家男爵家の後継者ならびに入学を希望する子弟、闘士や堅盾士と言った有用とされる戦闘職業を授かった下級貴族子弟や平民、その他入学を希望する平民に門戸を開いています。
最後に王都魔法学園は魔法系の職業もしくは魔法適性を授かった子爵家男爵家の後継者ならびに入学を希望する子弟、特化型魔導士や魔法使い、治癒術師などといった有用な職業を授かった平民、その他入学を希望する魔法適性を有する平民に入学を許可しています。
一般的にこの三つの学園を区別するために、それぞれを“中央学園”“武術学園”“魔法学園”と呼称することが通例となっているのです。
“ガチャ”
「ここは王都学園正門である。用向きは何か」
中央学園もそうですが、それぞれの学園はまるで城壁のような立派な塀に囲われています。
これは単に生徒が勝手に外に抜け出さないようにと言った意味ではなく、外部の侵入者から生徒たちを守る意味合いが強いとの事。
特に中央学園の生徒は皆が将来のオーランド王国の中枢を担う高位貴族の子弟であったり上級職の者だったりする為、警備はより厳重に行われているとの事でした。(学園長情報)
「はい、私はビーン・ネイチャーマンと申します。この春よりこちら王都学園の講師として就任する事となり、本日はそのご挨拶と就任するにあたっての各手続きを行いに参りました。
こちらが通行許可証となります、これからは同じ王都学園の職員として、何卒よろしくお願いいたします」
そう言い頭を下げる私。門兵は差し出された通行許可証を手に取ると目を通し何やら呪文のようなモノを唱えます。すると通行証の上に学園の紋章のようなモノが浮かび上がり、私の所属や来歴のようなものが中空に映し出されるのでした。
ほ~、これはこれは、この通行許可証は魔道具だったんですね。しかも個人情報の詰まった一級品、クレジットカードよりもやや大きめと言ったサイズにも拘らずこの機能。流石王都学園、セキュリティーに対するお金の掛け方が半端ないです。
「うむ、確認が取れた。ビーン・ネイチャーマン殿の事は学園長様より伺っている。これからは学園の職員として共に協力していければと思う。
尚これからは門兵詰め所脇の石柱にその通行許可証を翳して欲しい、本物であれば問題なく通用門を潜れる様になっている。
生徒達は正門を通過する事になるが、彼らの制服はそれ自体が通行許可証の役割を持っているため問題ない。それ以外の人間は無断で正門から入れない様になっているので注意して欲しい、私も詳しい事は知らされていないが、あそこはダンジョンのトラップのような仕組みになっているらしいのでな」
へ~、これはまた凄い。グルセリアの学園なんか余裕で入れたんだけどな~。これが上級貴族とそれ以外の格差、いかんいかん、驚き過ぎて素が出るところだった。私はビーン・ネイチャーマン、王都学園の魔法講師。
「そうなんですか、それは凄いですね。魔法を研究する者として興味は引かれますが、あまり深入りしない方が賢明というものでしょう。
この通行許可証にしても生徒の安全を第一に考えての措置なのでしょうから」
そう言い小さく笑う私に、門兵は「賢い選択だな」と言って通過を許可してくれるのでした。
“コンコンコン”
「失礼します。学園長、春から就任されますビーン・ネイチャーマンさんをお連れしました」
「あぁ、ご苦労様。入ってもらってください」
学園の事務受付に顔を出した私は、事務員の案内の下学園長室を訪れる事となりました。室内は華美にならない程度の上品な調度品が揃えてあり、来客にも気を配った学園長のセンスが光る内装となっています。
「お久し振りでございます、バウマン学園長。ビーン・ネイチャーマン、本日は就任のご挨拶と学園が始まる前の準備のためにお伺いさせて頂きました」
「これはネイチャーマン先生、よく来てくれましたね。先ずは簡単な説明をしてしまいましょう。君、すまないが二人分の飲み物を頼む」
学園長が声を掛けると、私を案内して下さった事務職員の方が一礼の後部屋を下がります。
「しかし見事なものですね、目の前で見せられていても全く変装しているとは思えない。確か幻影魔法を使った変装でしたか、その髪も顔の形や肌艶も一切違和感を感じない。
三十代後半の魔法研究者と言われてこれ程しっくりくる容姿はないでしょう」
「ハハハ、そうですね。基本的な体形をいじっている訳ではないですし、髪色と目元や頬といった顔の印象を若干変えているだけですから、王都の諜報組織“影”のようなその道の専門家であれば魔道具に頼らずとも出来る事でしょう。
ただあくまで自然に、違和感をなくした形でとなると幻影魔法の方がやや上かと。
ここは高位貴族子弟が多く通われる学園です、そのお付きの方々は皆要人警護の専門家、へたな変装はかえって疑念を生みかねませんので」
私は弱々しくニコリと微笑みを返します。ビーン・ネイチャーマンは穏やかな気質の研究者、生活魔法の専門家なのですから。
“コトッ、コトッ”
ローテーブルに置かれたティーカップからは豊かな紅茶の香りが漂います。
「紅茶ですか、これは素晴らしいものを」
「ほう、分かりますか。私はこの紅茶が好きでしてね、妻には贅沢過ぎる趣味だとよく怒られるんですよ」
そう言いにこやかにティーカップを口にする学園長、オーランド王国ではこの一杯で金貨が飛ぶような代物です。奥様が気の毒です事。
“コトッ”
私は収納の腕輪から陶器の小瓶を取り出し学園長の前に差し出しました。
「ネイチャーマン先生、これは?」
「はい、こちらは私がお世話になっていますワイルドウッド男爵様からお預かりした品となります。中身はヨークシャー森林国の特産品である甘木汁となります。
グロリア辺境伯家はヨークシャー森林国王家と親しい間柄であるとか、ホーンラビット伯爵家の第二夫人デイマリア様はグロリア辺境伯様の妹様であらせられますので、その伝手で甘木汁を入手できたと仰っておられました。
蜂蜜とはまた違う上品な甘さは紅茶にも大変良く合うものかと、奥様と一緒に紅茶をいただかれるときにでもお出しされてはいかがでしょうか?」
私がそう言いどうぞとといった仕草をすると、恐縮しながらも小瓶を大事そうに執務机の引き出しに仕舞い込む学園長なのでありました。
どの家も奥さんが怖いんですね、分かります。(実感)
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora