ブラックウルフ、大森林に生息する代表的な魔物である。その性質は獰猛で、群れを主体とした狩りを行う。統率のとれた群れは単体のものとは比べ物にならないほど強く、格上とされるオーガやホーンタイガー、時にはミノタウロスすらも倒すと言われている。
大森林から生還した金級冒険者が最も厄介であったとして口を揃えて上げる魔物、それがブラックウルフなのである。
”ジュ~~~~ッ”
焼ける肉汁の音、広がる胃袋を刺激する香り。村の健康広場では焼肉テーブルを前に村の女衆がせっせと動き、次から次へとやって来るボア肉をいい感じに焼いて行く。
「はい、お肉の追加だよ。まだまだ畑の作業は続くからね、一杯食べて英気を養ってくださいね」
「ケビン君ありがとうね。おい、爺ども、ちゃんとケビン君に感謝しなさいよ。安全に討伐を終えた上にこんなご褒美、全部ケビン君のお陰なんですからね」
「おう、分かっちょるわい。ケビン、いつもありがとうよ」
「「「ボア肉最高!!」」」
手に持つ皿のボア肉を掲げながら声を揃える大人たち、村人全員が怪我無く討伐を終えられた事にほっと胸をなでおろすケビン少年なのでありました。
「しかしこの焼肉テーブルは良いな。こうした広場で皆で焼き立ての肉を食べる、それだけで何倍も旨く感じるこの不思議よ」
焼肉テーブル、それは肉に人生を掛ける男のこだわりの逸品。構造自体は台所の窯とさほど変わらないのだが、ブロック魔法を利用して一枚岩の天板を作りそこを肉の焼く為の調理台とすると言う発想、屋内であれば邪魔になってしまうそれも屋外であればこうして皆で食を囲む憩いの場へと早変わりする。まさに勇者病<仮性>の発想力全開である。
「でもここにはエールが無いんですよね。流石に辺境のマルセル村でエールを飲む事は出来ないか~、トホホホ」
「なぁ、俺たちでエール造りに挑戦しないか?流石に売りだしたりすれば商業ギルドが黙っていないだろうけど、自分たちで飲む分には誰も文句は言わないんだし。仕込み用の樽をどうにか出来ないかな、マルコさん」
「そうだな、酒樽は木桶の要領で行けると思うぞ、ただ保管場所や仕込みの作業場が欲しい所だな。やはりドレイク村長代理に相談して許可を貰わん事にはどうしようもないんじゃないのか?」
「「「そうだな、建設はケビンがいるから大丈夫だろうしな」」」
旨い肉には美味い酒、男達の欲望はケビン少年の与り知らぬところでどんどん大きく育って行くのでありました。
「おい太郎、旨いか?しっかり食べるんだぞ?」
”ガウッ、ガツガツガツ”
この国では内臓料理を食べると言う習慣が無い。魔物肉と言えば内臓を取り除いた他の部位の事を指し、それ以外はそのほとんどが廃棄処分されると言うのが普通である。
精力剤の材料として使われるオークの性器やドラゴン種と呼ばれる錬金術や調薬に使用される特殊な魔物はその限りではないが、“内臓は棄てるもの”と言う事が常識となっている人々からそれを食べると言う発想はまず出ない。つまり狩りで手に入れた魔物の内臓は畑脇のゴミ捨て場でワーム達の餌となるのが通常の流れである。
「いいか太郎、この美味しいお肉はこの村の男衆が定期的に狩りで採って来る獲物だ。つまりこの村のために働けば狩りの苦労無しで美味しい食事にありつける。僕たちも太郎の様な頼れるものが味方に付いてくれればとても嬉しい。どうだ、やってくれるか?」
“バウッ”
では魔物にとって内臓とはどういう扱いであるのか、野生の肉食獣はまず初めに獲物の内臓から食べると言う。それは単にその部位が一番柔らかいからと言う事でもあるが、腸の短い肉食獣にとって食物繊維やビタミンミネラルを豊富に含む草食動物の内臓は必要不可欠な栄養の摂取部位、最も必要なご馳走でもあるからとも言われている。
ではこの世界の魔物にとってはどうなのか、いくら魔物とは言えウルフ種は肉食獣が魔力環境に適応進化して生き残ってきた個体に過ぎず、その構造は獣の肉食動物とさして変わらない。さらに魔物の内臓、それは魔物肉の部位の中でも最も魔力豊富な輝くご馳走に他ならない。
そんな希少部位を惜しげもなく提供してくれる自分より格上の生物、群れの性質を持つウルフ種が完全服従するばかりでなく忠誠を誓うのも無理からぬ事であった。
「お父さん、聞きたい事があるんだけどいいかな」
ホーンラビット討伐を終え、村の男達と共にボアの焼き肉に舌鼓を打っていたトーマスは息子ジェイクからの問い掛けに緊張が走る。
「ケビンお兄ちゃんが拾って来た太郎の事だけど、ケビンお兄ちゃんは“犬”って言ってたけど、僕犬って(この世界ではまだ)見た事ないんだよね。この村では犬を飼っている家なんてないし、あの犬ってどこから来たのかな?」
そう言いじっとこちらの瞳を見詰める息子ジェイク。この子はいつの間にこんな駆け引きの様なものの話し方が出来る様になったんだ。
ジェイク自身分かっているのだろう、あれが決して“犬”などと言う生易しい生き物ではないと言う事を。だがそれを自分から言う事がおかしなことであると言う事も分かっている、であるからこそこのような迂遠なものの言い方をしているのだ。
「ジェイク、お前にはまだ早いと思って話してなかったな。今日はいい機会だからお前が前から聞きたがっていた今日ホーンラビットを討伐しに行った“魔の森”の先に広がる広大な魔物の巣窟、“大森林”の事について話しておこう。
これは俺が直接見に行ったのではなく元金級冒険者であるヘンリーとボビーさんが大森林の実態調査に行った際の話を聞いた伝聞になるが、そこは我慢して欲しい。大森林はそれほどまでに危険で少しの油断が命取りになる場所だと言う事を分かってくれ。
大森林は本当に広大だ、魔の森の奥、老木の辺りから始まりフィヨルド山脈の最終地点に到着するまで何も問題なく進んでも五日は掛かると言われている。実際は周囲に警戒しながらになる為もっと時間がかかるのは必然、ヘンリーとボビーさんは行って帰ってくるだけで二カ月近く掛っていたな。
あの場所は魔力がとても豊富な土地の様でフィヨルド山脈に近付くにつれその傾向は強くなって行ったんだそうだ。植物は皆大きな大樹となり、薬草や野草も王都で高値が付く様なものが幾つも発見できたらしい。
ただその分魔物も精強なものが多く見られたとか。オークやオーガはもちろんキラービーやジャイアントスパイダー、フォレストスネークと言う巨大な蛇の魔物もいたらしい。こいつは森の暗殺者と呼ばれる強力な魔物で一切の気配を消して獲物が現れた途端襲い掛かると言うまるで罠の様な魔物だ。ジャイアントスパイダーもそうだが大森林にはこうした罠を仕掛ける魔物も多く存在するらしい。
ヘンリーが見たのはオークが丸呑みにされるところだったらしい。その時点ではまだそれほど深部に侵入していなかったと言うのだからあの森がどれほど恐ろしいのかが分かるだろう。
そして肝心のブラックウルフだが、奴らは大森林のあちこちに縄張りを持つあの森の代表的魔物なんだそうだ。奴らの特徴は何と言っても群れでの狩り。鋭敏な耳を持ち鋭い鼻を持つ奴らの群れから逃れるのは至難の業だったそうだ。
奴らはとにかくしつこい、一度見定めた獲物は地獄の果てまでも追って来る。但し奴らも他の群れの縄張りには入ってこない為、それを利用して逃げ切ったんだそうだ。冒険者時代もブラックウルフ討伐の依頼を受けて返り討ちにあった冒険者パーティーの話を何度も聞かされたよ。金級冒険者ならまだしも銀級中位のお前らにはまだ早いってね。
言われた時は頭に来たもんだが、その後何度か護衛依頼で対峙する事になり、この魔物の厄介さを身に染みて分からされた事を覚えているよ」
そう言いボア肉の焼き肉の入った木皿を持ったままケビン少年が与えるボアやホーンラビットの内臓を美味しそうに貪る黒い塊に目を向ける。
「田舎の村じゃ魔物避けや警戒の為に犬を飼う所もあると聞いた事がある。こんな辺境の寒村じゃ自分たちが生き残る事で精一杯、とてもそんな余裕はなかったがビッグワーム農法のお陰でマルセル村も随分裕福になったからな~」
父トーマスの物言い、“お父さんも色々と葛藤しているんだね”
ジェイク少年はそんな父親に同志を見る様な優しい目を向ける。
「繰り返しになるが大森林は本当に危険な場所なんだ、“最低でも金級冒険者並みの実力と経験が無ければ決して近付くな”、これが大森林を調査した二人の結論だった。ジェイク、お前たちは本当に強くなった、いずれボビー師匠から大森林に入る許可が下りる日が来るかもしれない。だがそれまでは絶対に焦るな。“母さんを悲しませない”、この誓いだけは絶対に忘れるんじゃないぞ」
真剣な顔で見詰め合う二人。ジェイク少年は父トーマスの言葉に大きく頷き、幼い日のあの誓いを再び胸に刻み付けるのであった。
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少年には長年思い続けた夢があった。
小さくとも良い、庭付きの一軒家に住みたい。家庭菜園のような小さな畑で季節の野菜を育てたい。そしてそんな庭で愛犬と共に戯れたい。
だが現実とは無情なものであった。
幸い彼の生まれ育ったのは周りを広大な自然に囲まれた田舎の寒村であった。その為土地は広く、親の許可で自由に出来る場所を簡単に手に入れる事が出来た。
そしてこの世界には魔力と言う摩訶不思議な力が存在した。そんな理解不能なエネルギーは、幼い少年にたった一人でも土地を開墾し畑を作り上げるパワーを与えた。
そしてそんな不思議エネルギーは生活魔法と呼ばれる恵みを彼に齎す。彼はその恵みをフルに活用し自らの夢を夢想から現実に変えて行った。
村人から勇者病仮性患者と言われ失笑と苦笑いをプレゼントされようとも、全ては胸に秘めた理想を叶える為。
たとえそれが村人にとってのただの日常であり騒ぎ立てるほどのものではなかったとしても、彼にとってはとても大事で譲れない夢であった。
かくしてその夢はケビン農場と呼ばれる村では知らぬ者のいない実験農場と、その片隅に建つ手作りの納屋と言う形で現実のものとなった。
だがしかしである。この村には犬がいない。そもそも犬と言う生き物を見たことが無かった。
犬と言う生き物と人との繋がりの歴史は古く長い。太古の狩猟文化の時代にはすでに犬は生活の一部として、共に寄り添うパートナーとして存在し、その後語られる多くの古代文明遺跡からもその痕跡は発見されていた。
犬と言う存在自体も生物学的には狼の中でも比較的大人しい種類のものを人が飼育し始めた事が起源とされており、その後人の手による品種の改良が施され大型犬から小型犬、長毛種から短毛種とその生息地域や用途によってさまざまな種類が確立されて行ったとされている。
その発想や思想はこの世界でも見られた歴史の一部であった。但し魔物跋扈するこの世界では情報の伝達や物流が頻繁ではなく、それほど多くの犬種は存在しない様ではあるのだが。
“犬”は比較的飼育しやすいグラスウルフから発展して行ったものと考えられており、魔物の接近を知らせる警戒の為、その嗅覚を利用した狩りの供として、街よりも地方での生活の一部として取り入れられて行ったと言われている。
それは生き残る為の平民の知恵、下賤の者が行う必死のあがき。
少なくともこの国の貴族や金持ちの間で犬を飼うと言う文化は広まってはいない様ではあった。
少年の希望は繋がった。少年は己の人脈を生かしこの夢を叶えようと尽力した。だがその希望が叶えられる事はなかった。行商人様曰く、この国の南東部の酪農地域では犬を飼う習慣があるとの事ではあったが、ここグロリア辺境伯領ではそのような習慣はないとの事であった。
「太郎、旨いか?今日は狩りを行ったからな、腹いっぱい食べてもいいからな。明日からはどうしよう?ビッグワームでも与えてればいいかな。アイツらならすぐ増えるし。太郎用のミニプールでも作るか?角無しホーンラビットを襲う様になっても困るしな。上手い餌は餌付けの基本でしょう」
かくして少年の夢は叶った。
庭付きの一軒家、季節の野菜が収穫できる家庭菜園、そしてペットの“犬”。
「しかし睡眠香で鼻をやられて悶え苦しむ野良犬がいるとは思わなかった。ローポーションが効いてくれて良かったよ。ポーションを与える為に魔力の腕で掴んでからはすっかり大人しくなったし、カバンに入ってたビッグワーム改の干し肉をあげたら懐いてくれたみたいだし。やっぱり美味しいは正義だよね、今度もっと美味しいポーションビッグワームを食べさせてやるからな?
でもあまりあの味を覚えさせるのも問題なんだよな~。やっぱり専用のミニプールを作ってビッグワーム改も飼育しよう。草原スライムでどこまで味に変化が出るのかの実験にもなるし、早速帰ったら準備しないと」
どこかの誰かが言った。“諦めなければ夢は叶う”と。
犬のいる暮らし、最高です。
ケビン少年は満足げな笑顔を浮かべ、黒毛の愛犬“太郎”を愛でるのであった。
本日一話目です。