東から昇る明りが街を染める。家々からは煙が立ち上り、気の早い者が大八車を掴み大通りを走る。
静けさから喧騒へ、街の鼓動が息吹きとなり、人々に一日の始まりを告げる。
「庄吉さん、無理を聞いてくれてありがとう。俺には他に頼れる者もいなかったから本当に助かった」
未だ人通りのない店先の路地、食品雑貨商を営む庄吉は、旅装束の少年の言葉に口元を緩める。
「いえ、私は何も。出来た事といえば昔世話になった修業先の御店《おたな》に伊助さんの紹介状を書いた事ぐらい。私が先代扇屋店主であったご両親から受けた恩に比べれば、ほんの欠片も返す事など出来てはおりません。
本来であればご両親がお亡くなりになった報を受けすぐにでも駆け付けるべきだった。私が向かった時には既に伊助さんは店から追い出され行方知れず、番頭であった勘兵衛が新たな扇屋店主として大きな顔をしているところだった。
何もかも遅かった、伊助さんがこれまでどれ程の苦労をなされたのか、私にはその御心を窺い知る事も出来ない」
庄吉はそう言うや、悔し気に顔を俯かせる。
「いや、庄吉さん。気持ちはありがたいがそこまで気に病まないでくれ。
あれは仕方がなかったんだ、俺は幼く世間を分かっちゃいないガキだった、結果として扇屋は勘兵衛に乗っ取られたがそれは遅かれ早かれ、勘兵衛じゃなくともいずれ他の誰かが扇屋にちょっかいを出していただろうさ。それだけ世間様は厳しく世の中は甘くない、それは自身の店を守り切り盛りしている庄吉さんが一番分かっている事だろう?
仮に勘兵衛が俺を支え店を切り盛りしてくれていたとして、無能な者が上に立つ店に人が付いてくる訳がない。先細りは確実だったことだろうし俺はその事に何の疑問も持たずに勘兵衛に辛く当たっていた事だろうよ。
失った扇屋の事を悔いるより自身の手でより以上の店を作り出す、俺はいずれ庄吉さんに是非とも取引して欲しいといわれるくらいの店を持つつもりだ」
伊助は庄吉の目を真っ直ぐに見つめ、ハッキリと言い放つ。そこには迷いも気負いもない、ただ己の心の内をそのままに、明確な目標を持つ男の決意。
伊助は思う、出会いとは突然、運命はひょんな事でどう転がるのか分からないものであると。
つい二日前の自分は源蔵や勘兵衛と変わらぬただの小悪党であった。田舎から出てきた世間知らずを言葉巧みに誘導し、口入れ屋の源蔵に引き渡して小金を稼ぐ。その後世間知らずの田舎者がどうなろうが知った事ではない、家を失い人に裏切られ何もかも失った自分が、他人の心配などしてやる余裕などまったくなかった。
ただ生きる為、刹那的に時間を浪費する日々。そんな中出会った者が、いかにもお上りさんと言った風の白と呼ばれる青年であった。
伊助はいつものように純真無垢な少年を装い、親切心とほんの少しの小遣い稼ぎといった体裁で白に近付いた。見れば身体付きも確りしているし力仕事も申し分なくこなすだろう、白は伊助にとって恰好の獲物であった。
「こんにちは。俺の名前は
白に連れられた先で挨拶を交わした同行者の袈瓶という青年は、何処にでもいるようなまさに田舎者といった雰囲気の男だった。だがそれはこの青年の擬態であり、その実態は得体のしれない何かである事を伊助は直ぐに知る事となる。
「それで君に世間を知らない田舎者を捕まえさせてうまい汁を吸おうとしている欲深商人からは、どれくらい報酬を貰えるんだい? 筋者の連中なら全員ぶっ殺してしまえば事足りるんだけど、中途半端な連中が一番面倒でね。
ヘタに手配書が回ったんじゃ街で買い物もできない。
でもそうか、目撃者が一人もいなければいいのか、それなら手配のしようもないし」(ニヤリ)
袈瓶の抑揚も特別な感情すらなく語られた言葉、ともすれば日常的な冗談とも受け取れるそれは目の前の青年にとって取るに足らない事実である事を、その瞳の奥に沈む光の無い闇が言外に物語っていた。
伊助はその目を知っていた、ただ威勢に任せて刀を振るう武芸者ではない、数々の修羅場を潜り抜け血を浴びることが単なる日常と化した本物の人斬り“胴抜きの玄才”。他にも源蔵の口入れ屋の下を訪れた静かなる修羅たちの目は、皆同様の闇を宿していたからであった。
そこからは驚きの連続であった。交渉の末買い取り屋での販売価格の三割を受け取る事で話を付けた伊助、だが蓋を開けて見ればその受取額は金貨二千六百二十二枚というとんでもない
こいつは何者だ、一体何を考えていやがる!? 理解出来ない現状、回らない思考、自身はただ通りで拾った田舎者を街でも力を持つ誠実さを売りにした買い取り屋に連れてきただけだというのに。
「で、どうする? このままだと伊助は確実に金を奪われて殺されるけど」
忠告の言葉、冷える心、袈瓶は告げる、“今この時がお前の人生の分水嶺だ”と。
ただ刹那的に生きる為だけに生きる時は終わりを告げる。ただ生きるだけならこの半金だけでも一生涯暮らす事が出来る。
“お前はどう生きる、どうしたい?”
袈瓶の問い掛けが、伊助の魂を震わせた。
「・・・都に行って一旗揚げたい」
口からこぼれ出た言葉、それは己の内に秘めていた根源的な思い。家を追い出され、なにも分からず彷徨い歩いた。流されるまま辿り着いた口入れ屋、殴られ自身の立場を教え込まされた、ただ死にたくないから生きている、そんな日々であった。
「それはそうと伊助、おめえ、なに勝手に客取ってやがるんだ? おめえの仕事は何だ? 言ってみろ」
だが現実は残酷であった、絶対的な暴力の鎖は、この手に掴んだ未来への希望を容易く奪い取る。
“俺は結局なにも掴む事など出来ないのか”
伊助の心が再び闇に閉ざされようとした、そんな時であった。
「さて、源蔵だったか。この落とし前、どうつける?」
それは有り得ない光景、夢にしても荒唐無稽すぎると馬鹿にされるような状況。街の顔役として、暴力と恐怖による支配により絶対者として君臨する“大岩の源蔵”。その源蔵が命乞いをしている。
屈強な若い衆も、肩で風を切る武芸者たちも、多くの力自慢を木刀の一振りで沈めてきた女武芸者の海月も、天下に名を轟かせる剣客“胴抜きの玄才”こと居合抜きの達人太田玄才も。源蔵一家の抱える全勢力がたった二人の青年に倒され、文字通り闇に沈んだ。
源蔵一家は袈瓶により完全なる敗北を刻まれた。解放され癒しを施された若い衆やお抱え武芸者たち、ほとんど一家に痛みを覚える事無く「絡んでこなければどうでもいい」とばかりに解放された源蔵の胸中は、いかばかりのものであったことだろう。
「伊助、案内ご苦労さん。お陰で満足のいく買い物が出来たよ、これが約束の半金だ」
袈瓶は言葉をたがえなかった。約束通りに手渡された金貨千三百十一枚の入った皮袋、これはこれから先の伊助の人生に対する投資。
伊助はその信頼に、胸の奥が熱くなる。
“ここまでの期待に応えられずして何が扶桑国の男か、この角に懸けて、俺は必ずや一角の商人になって見せる”
伊助は必ずや都で大成して見せると、固く心に誓うのだった。
“バサバサバサバサ”
「ご苦労さん。それで源蔵はどうした?」
だが現実は自身が思っているよりもはるかに厳しく残酷なもの。“悪の親分を叩きのめしました、めでたしめでたし”で終わるのは、昔々の寝物語の中だけの話。
「待ってください袈瓶さん、俺たちも関係者なんです。邪魔になる事は重々承知で頼みます、俺たちも連れて行ってください!!」
頭を下げる伊助、自身は世の中を全く分かっちゃいない、直視しなければいけない現実、知らなければいけないこの世の理。
袈瓶たちと共にビッグクローの式神の導きの下向かった先は、源蔵が訪れたという大きな屋敷。
「ここは代官所・・・」
それは伊助が最も恐れていた事態、この街の最高権力者である代官が絡んでいる以上、自分たちに勝ち目はない。
「じゃあちょっと伊助君の社会見学といこうか。いくら擦れているとはいっても伊助はまだ若い、こういった場面はお目に掛った事がないだろう。
それじゃ伊助と海月はこの外套を被ってくれる? そうしたら目立たなくなるから。それと少しの間だけ俺の影に入っていてもらうよ」
そう言い渡されたものは、ケビンの羽織るものと同じ黒い外套。
“ストンッ”
一瞬にして暗くなる周囲、急な事態に慌てる伊助と海月に、白雲が落ち着いた口調で語り掛ける。
「安心しろ、伊助。ここは兄弟子の影空間の中だ。代官所の中に入って安全が確認出来たらすぐに外に出される。
それよりも二人共、この先起こる事は他言無用だ。おそらく言っても誰も信じないだろうが念のためな。世の中にはこういった理不尽な事もあるというぐらいで、心の内に留めておけ」
白雲の言葉通り、光は直ぐに戻った。そこは美しい庭園、玉砂利の敷かれた庭先に立つ見るからに怪しい自分たち、だが開かれたふすまの向こう側の人物たちは、そんな伊助たちにまるで気付いた素振りを見せない。
“あれは勘兵衛!? 何であいつが代官所に。それに目の前の人物は代官の伊藤源之進様・・・”
伊助の中で過去の記憶の断片がパズルのように組み上がる。両親の死、悲しむ暇もなく家を追い出される自分。まるで全てが決まっていたかのように、それを当たり前として受け入れる店の者たち。この一連の事態が予め予定されていた事だとしたら。
これまでもやもやと曖昧に心に残っていた思い、それは疑念に、そして確信に。自身の拳に強い力が籠もる。
「どうした伊助? あぁ、今扇屋と呼ばれたアイツ、もしかして伊助はアイツに家を追い出されたとか、そういう事か? まぁそりゃ何とも。
だけどよく考えろよ? 果たしてそれはアイツだけのせいなのかどうか。
こう言っちゃ悪いが、伊助の亡くなったご両親は、自分たちが亡くなった後伊助が店を引き継ぐなり切り盛りするなりの算段を行っていなかったんじゃないのか? 仮にそうした準備が整えられていたとしたら、少なくとも伊助がこの場にいる事はなかったはずだ。
伊助の両親はアイツに出し抜かれた、そういう事だろうさ。
ここは力ある者が正義の扶桑国、それはなにも侍の世界だけの話じゃない。
その事は多くの子分を引き連れた源蔵が、伊助を扇屋から追い出し代官と深い関係を作るに至った扇屋が教えてくれている。形はどうあれ彼らは力を示したって事なんだろう。
だがそんな彼らの前に力のない伊助が行ってどうする。金貨二千枚がある、海月がいる、そんなもの二人の前じゃなんの盾にもなりはしないぞ?
お前は何のために都に行こうとしている、都で一旗揚げるんじゃないのか?」
伊助は冷や水を浴びせられた思いだった。金貨二千枚がある、女武芸者の海月がいる、それは全て目の前の袈瓶が与えたもの。自身で掴み取ったものなど何もないというのに、いざとなったら袈瓶がどうにかすると心のどこかで高を括ってはいなかったか?
袈瓶とは今日出会ったばかりの縁もゆかりもない相手、自身の為に力を貸す義理など米粒一つもないというのに。
そこから目の前で繰り広げられた事態は絵空事以外の何物でもなかった。現れた源蔵、伊藤代官様の前で語られる悪巧み、そんな彼らの前にスッと姿を見せた袈瓶と代官所の侍たちとの戦い。
それは戦いなどと呼べるものではなかった、幼いころ母に聞かされた護国の剣・御刀之守家のおとぎ話が真実であると見せつけられる一幕。隣ではわなわなと震え涙を流す海月の姿。
“シュタンッ、スパンスパン、スーーーーッ、カチンッ”
玉砂利の庭先から瞬時に移動し源蔵と勘兵衛の角を目にも止まらぬ刀捌きで切り落とす袈瓶、それはまるで“胴抜きの玄才”の居合術を彷彿とさせるもの。
「「あっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~」」
状況に気が付き叫び声をあげる源蔵と勘兵衛、そんな二人を「うるさい」という一言で沈黙させた袈瓶は、伝承の御刀之守家の者そのもの。
「いや~、これは伊藤代官様、大変お騒がせして申し訳ない。
おや、饅頭ですか、一ついただいても? 私、饅頭には目がない方でして、よろしければわが村のお茶をお出しいたしましょう。
これはマルセル茶と申しまして、口当たりはほんのり甘く大変すっきりした味わいで、饅頭にもピッタリなんですよ」
まるで目の前の惨状など無かったかの様に伊藤代官と談笑する袈瓶。
伊助たちはそんな二人の光景を信じられないものでも見るような目で眺めることしか出来ないのであった。
本日一話目です。