旧住宅地区、王都民からスラム地区と呼ばれるそこは王都全体の開発と共に打ち捨てられた過去の名残。建物は全体的に老朽化し、崩れた物も多くみられる物理的にも危険な場所。
ゴミは掃き溜めに、汚れは一カ所に纏めておけばいい。王都に敗れた弱者が最後に辿り着く場所スラム地区、このような場所が華やかな王都に残されているのには、他の地区に犯罪者の溜まり場を作らせないための管理上の理由もあるのだろう。
「ウッ、これは・・・」
周囲に漂う錆びた鉄のような臭い、地面や建物に残る赤黒い染みが、この街の現実を突き付ける。
子供たちの案内でスラム地区に辿り着いたアリスとカーベルは、初めて訪れたスラム地区という街の様子に息を飲む。
「酷い、ここで一体何が・・・」
それは痕跡、この場所で凄惨な何かが起きたであろうことは想像に難くないものの、その場に倒れる者はない。奪われたか、捨てられたか。そのような場面に立ち会いながらも平然と先を促す子供たちの様子に、これがスラム地区の日常である事を分からさせられる。
「アリス、カーベル様、立ち止まっている場合ではありません。あなた達の目的は何ですか? この子たちの母親を治療する事ではないのですか?
であればやるべき事は一つ、直ぐに子供たちの母親の下に向かい治療を開始する事です。
このような幼子が大聖堂前で二人に声を掛ける、それがどれ程危険で大変な事であったか、この現状を見れば二人にも分かるでしょう。
であればこそそこまでの決意を促した母親の容態が心配です。
“冒険者は目的を見失ってはならない”、これは私たちに戦う術を教えてくれた義父の言葉です。私達の手は万能ではない、先ずはやるべき事、出来る事を一つずつ。これは教会で行われる治療術の基礎ではないのですか?」
フィリーの言葉が胸に刺さる。自分たちは弱い、そんな事は嫌というほど叩き込まれてきたはずなのに、いつの間にか自分達なら何とか出来ると思い上がっていた事に気付かされる。
「自らに自信を持つ事、挑戦する事は悪い事ではありません。ただ冷徹なまでの客観性を以って状況を見定める、そして必要な事、やるべき事を判断する。
<聖女>アリス、あなたが自らの職業に誇りを持ち使命を胸に己の道を切り開こうとするのなら、その事を忘れてはいけません。
<聖女>の言葉は重い、多くの者がアリスの言葉により動き出す。
信念は大切です、叶えたい思いを胸に前に突き進む者を私は尊敬します。ですが周りを見ず独りよがりでは、その思いは叶えられないどころか周囲を不幸にする。
アリス、狡猾になりなさい。大切なのは過程ではない、結果なのです」
フィリーの言葉は酷く冷たく、ともすればこれまでのアリスの努力を否定するもののように聞こえた。ただ熱い正義感に突き動かされた自身の行動を咎めるようなもの。
だが冷静に聞けばフィリーは決してアリスを否定してはいなかった、周囲をよく見て冷静に行動しろ、何をしたいのか明確にしろと言っているだけなのだ。
頑張って治療しました、でも患者は死にましたでは意味がない。フィリーの目はアリスの覚悟を問うているのだと。
「はい、ありがとうございます、フィリー教官。私は多くの方から<聖女>と呼ばれる事で<聖女>ならばこうあらねばならないという漠然とした思いに囚われていたようです。
私はアリス・ブレイク、ただの田舎男爵家から出てきた小娘。よく学び少しずつ成長するしかないまだ何も知らない王都学園生徒。
これからもご指導、よろしくお願いします」
そう言い頭を下げるアリスにフィリーは小さく笑みを向ける。
「今の段階でその事に気付ければ十分、失敗を繰り返し成長するのもまた人というもの。さぁ、行きますよ? さっきから子供たちが待っています」
フィリーはそう言うと、今度こそ先に進むよう二人を促すのであった。
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「旦那方、<聖女>とガキどもがやって来ました」
「よし、手筈通りに<聖女>アリスを引き止めよ。多少傷付けても構わん、恐怖に怯えていた方がより私のありがたみが増すというもの。但し殺すなよ? 死んでしまっては元も子もないからな」
薄暗い室内、テーブルに着いた男が床に跪いた者から報告を受ける。
「へい、それは分かっていやす。それとガキ以外に三人ほど余計な者がくっ付いてますが。男が一人、女が二人、女のうち一人はメイドのようですが」
「ふむ、おそらくは王都学園の生徒か。この様な場所にのこのこついてくるところを見ると大した生まれではないと思うが、<聖女>を欲する勢力は多いはず。
ふむ、なるべく殺すな、貸しを作る相手は多いに越したことはない。ただ危機感は煽った方がいいだろう、メイドは要らん、処分しろ」
古びた建物には似つかわしくない仕立てのよい衣服を身に纏った男は、冷酷な瞳を向け指示を出す。男の周囲を取り囲む者たちも、指示を受け取った者たちをまるで羽虫でも見るかのように冷たい目で見下す。
“ズシャンッ”
床に投げ捨てられた皮袋、そのズッシリと重い響きに、薄汚れた服装をした男がうすら笑いを浮かべ動き出す。
「お前たち、仕事だ。これはオーランド王国の為の大事な務めだ、しくじるんじゃねえぞ」
「「「「「へい、兄貴。任せてくだせえ」」」」」
欲望は形を作り動き出す、薄汚れた先兵は走り出す、罠に掛かった獲物を逃さないために。
「若、よろしかったのでしょうか?あの様な下賤な者たちに大金をお与えになって」
「ふん、払いを渋って仕事をおろそかにされてどうする。あの者たちには派手に踊ってもらわねばな。
いずれ女神様の下に向かう身だ、暫くはぬか喜びさせてやるのも上に立つ者の務め。あ奴らもこの私の役に立って逝けるのだ、これ以上の幸せはあるまい?」
「それもそうですな、余計な事を申しました、平にご容赦を」
そう言い一礼と共に後ろに下がる配下。男は「よい、気にするな」と答え席を立つ。
「さぁ、我々も配置に付こうではないか。幕は上がった、演目は“聖女の初恋”。主役の登場に観客は大いに盛り上がる事だろう」
「「「「ハッ、ヒューベルト様の御心のままに」」」」
“バタンッ”
男は扉を開け放ち外に出る。自身の立てた完璧な計画は思惑通りに進行している。
“パサッ”
払った金色の髪が日の光に輝く、高い身長、整った容姿、色気漂う青い瞳に社交界の淑女たちは熱い吐息を漏らす。
男は進む、聖女を落とす次の一手を思案しながら。
「ラビアナ、どう思う?」
「駄目駄目ですわね。窮地に駆け付ける金髪碧眼の王子様、恋愛小説で使われる普遍的な出会いの場面ですけれど、それは場所と相手によりますわ。
多くの護衛騎士を引き連れたいかにも高級そうな服装をした紳士、一見夢の出会いにも見えなくはないですけど、スラム地区においては怪しさ満点でしてよ?
スラムに入っていく姿を見掛けて心配になってついてきたといわれましてもちょっと。私なら“声を掛けるなら襲われる前では?”と思いますし、アリスたちからすれば“何をしに出てきたの?”といった疑問しか生まれませんわよ?」
ラビアナの容赦ない解説にウンウンと頷く一同。
「何だ貴様らは」
“ザザザザッ”
男達は金髪の男性の身を庇うかのように前に出て、腰からロングソードを引き抜く。
「ん? 俺たちか? ただの野次馬だな。<聖女>アリスをスラム地区におびき出すような輩はどんな顔をしているのか拝見しに来たんだが、中々どうして、王都の舞台のような配役に感心していたところだ。
ただ男女の恋愛事情に詳しいお嬢様には不評であったようだがな」
「コリアンダさんはどう思います? 私はこの舞台の続きが気になるんですけど。アリスちゃんがこの男性との出会いをどう感じるのか、是非本人から聞いてみたいかな?」
「どうでしょうか。まだ入学したてのアリス様であればコロッと騙されてしまったかもしれませんが、アルデンティア第四王子殿下をはじめとした見目麗しい男性たちに囲まれ毎日を過ごされているアリス様にとって、こちらの男性が魅力的に映るかと聞かれれば少々疑問が。
それにこちらの男性はかなりの野心家でおられるご様子、言葉や行動、身に纏う雰囲気から溢れる自己中心的な雰囲気は隠しようがありません。
足繁く教会の奉仕活動に通われるアリス様に、その様な方に惹かれるような要素があるかと聞かれますと。
若いうちは少し陰のあるような男性や危険な空気を纏った男性に惹かれると申しますけど・・・あぁ、そう言えばそういう男性にコロッと引っ掛かってしまった女性もおりますわね、男女の仲は難しいものでございます」
そう言い申し訳なさそうに自らの主人に目を向けるコリアンダ。ジェイクとエミリーはなるほどと頷きで応える。
「何をべらべらと訳の分からんことを。お前たち、行くぞ。邪魔をするようなら容赦はするな」
「イエイエイエ、俺たちは邪魔なんかしませんとも。そっちの大きいのが言いましたけど、俺たちはただの野次馬ですから。
わざわざ子供を使ってまで出会いの場を演出したような御方が、アリスさんからまったく相手にされなかったらどんな顔をするのかなと思って見に来ただけですんで。
思っていた以上に配役が良かったのでついお声掛けしてしまっただけです、どうぞ舞台にお進みください。俺たちは大人しく見学させていただきますから」
ジェイクはそう言うや、まるで執事のように恭しく先に進むように促す仕草をする。
「クッ、無礼な。我らを愚弄するつもりか!! ヒューベルト様、私にこの者たちを切り捨てる御許可を!!」
「イエイエイエ、愚弄などととんでもない。水面下で行われる貴族家の奸計の一端、堪能させていただいているところでございます。
私たちは若輩故そうした策謀に疎いものですから。罠に掛からぬようにするには罠を知らなければならない、勉強させていただいております」
ジェイクの物言いに顔を真っ赤にして怒りを露にする男達。
「直ぐに終わらせろ、時間がない。登場が遅れては意味がないからな」
「「「「ハッ」」」」
ヒューベルトの言葉に護衛騎士たちが動き出そうとした、その時であった。
「「「「「ギャーーーーー、やめろ、やめてくれーーー!!」」」」」
突然遠くから響く悲鳴、それはアリスの下に向かったスラム地区の
「あ~、遅かった~。だから早く向かうようにと言ったのに。
皆さんは王都学園の生徒をただの無能な若造とか思っていませんか? いくら才能があろうとアリスさんは所詮回復役、実戦の場では誰かが守らなければものの役にも立ちはしないと。数さえ揃えればどうとでもなると。
第四王子アルデンティア殿下が目を掛けられているアリスさんが、そんな弱点をいつまでも放置する訳ないじゃないですか~。
聖女が蝶よ花よと守られてるのは小説の中だけの話ですよ? だいたい常に命の現場で患者と向き合おうとしているアリスさんがたかだかスラムの破落戸相手に気後れする訳がない、その程度の相手ならライトアローでも打ち込めば簡単に無力化できますっての」
やれやれと肩を竦め首を横に振るジェイクの態度に憤怒の表情になる男達。
「構わん、この者たちを切り捨てよ。アリスの件は致し方ない、それよりも破落戸共が余計な事を口にする方が問題だ。衛兵に付き出すとか言って連中を一人残らず回収するぞ」
「「「「ハッ、直ちに」」」」
「ジェイク、素晴らしい挑発だったぞ。相手は高位貴族、であればその護衛は上位職持ちか? 動きから見るに練度も中々なもの、これは楽しめそうだ」
そう言い収納の腕輪から愛用の木刀を取り出すジミー。
「挑発だなんて人聞きの悪い、俺は裏工作に頑張るお貴族様を応援しただけだぞ?」
ジミーの言葉に応えつつ同じく木刀を取り出し構えを取るジェイク。
「ラビアナ様とコリアンダさんは少し待っててくださいね、やっぱり実戦から離れすぎると勘が鈍っちゃうから」
長い棍棒を手にしたエミリーが微笑みを向け声を掛ける。
「「「「嘗めるな~!! <縮地><スラッシュ><重撃>!!」」」」
それはスキルの連続使用、技後硬直の隙を与えない絶対の攻撃パターン。
「火遁<爆炎連撃>、水遁<濁流流し>」
「グルゴさん直伝、<クロックアップ><無双連撃>」
「<剛腕剛脚><刺突一閃>」
「お嬢様は御下がりを。<闇切り>」
“ドガドゴズゴバゴ、ドガガガガガガ、ズドンッ、スパンッ”
ある者は吹き飛ばされ、ある者は叩きのめされ、ある者は突き崩され、ある者は切り捨てられる。
「なっ、貴様らは私を誰だと思っているのだ!! 私は「はいはいはい、名乗りは結構。こんなスラム地区の裏通りで怪しい策略を巡らせていたなんてことが知れたらお家の醜聞になっちゃいますよ~。それに名乗られたら今度はお家の方も潰さなくちゃいけないじゃないですか、そんなの面倒ですし」」
“ゴウッ”
立ち昇る覇気、それは絶対的な強者の証。
「あぁ、俺の方は名乗っておきますね。王都学園一年ジェイク・クロー、<聖女>アリス・ブレイク嬢とはそれなりに親しくさせていただいている今代の<勇者>です」(ニヤリ)
「ヒィッ」
王都の空を炎で染めた者、辺境の蛮族の申し子、今王都で最も触れてはいけない者の関心を引いてしまった。
「では参りましょう。安心してください、俺の剣は癒しの剣、貴方様にケガ一つ残さない事をお約束いたしましょう」
王都三大学園交流会で執行された<勇者>ジェイクによる公開処刑、その対象が自分に変えられた。男は思う、一体何を間違ってしまったのかと。
“ドガドガドガドガドガドガドガドガドガドガ”
打ち付けられる衝撃、激しい痛み、消えゆく意識の中、男は必ずこの屈辱は晴らしてみせると復讐を「<リフレッシュ>、眠っちゃ駄目ですよ~。エミリー、そっちの治療は任せた。ジミー、心が折れるまで遊んであげて、結構ストレスが溜まってると思うから。こっちは何周いけるかな? 張り切っていきましょう」・・・。
“ドガドガドガドガドガドガドガドガドガドガ”
「<リフレッシュ>」
“ドガドガドガドガドガドガドガドガドガドガ”
「<リフレッシュ>」
<勇者>ジェイクは決して怒らせてはいけない。あの者は蛮族の申し子、あの者に貴族の権威は関係ない。
社交界でまことしやかにささやかれる噂、その噂が真実であったと魂に刻まれた時、そこには「貴族とは民の為に存在する者、領民の為、人々が笑って暮らせる領地を作るよう頑張ります!!」と己の決意を繰り返す高潔な貴族だけが残されたという。
「・・・コリアンダ、これって」
「お嬢様、これは勇者物語には語られぬ勇者の逸話、
歴史の目撃者たちは“これはちょっと人には話せないわ”と、その記憶を胸の奥にそっと仕舞い込むのでした。
本日一話目です。