“コトッ”
テーブルに差し出されたティーカップから温かな湯気が立ち上る。ティーカップを手に取り口に運ぶ、優しくも上品な甘さが口腔に広がり、身体が芯から温まっていくのを感じる。
「ジャイアントフォレストビー蜂蜜のお湯割りでございます。今朝はまた一段と寒さが厳しくなりましたので、身体が温まるお飲み物が良いかと思いお出しさせていただきました」
そう言い優しい笑顔を向けてくるのはメイドの月影、私の身体を何かと気遣ってくれる頼もしい味方だ。
「ありがとう月影、そう言えば今日から王都学園は冬期休暇に入るとか、ケビンはもうエミリーちゃんたちの迎えに向かったのかしら」
「はい、今朝方グルゴさんとギースさんを王都に連れて行くために村役場へお出かけになられました。もっとも旦那様はお二人を王都にお送りするだけのお役目ですので、直ぐに戻ってこられましたが。
その後ボビー師匠の訓練場に新住民の魔力纏いの指導に行かれましたので、そろそろこちらに顔を出されるとは思いますが」
“コンコンコン”
「失礼します、アナスタシア様、ワイルドウッド男爵様がお見えになられました」
「ありがとう、入ってもらってください」
“カチャッ”
開かれた扉、入って来たのは優しい笑顔を向ける愛しの旦那様。
「アナスタシア、体調の方はどうだい? 今朝は大分冷え込んだからね、調子がおかしいと思ったらすぐに言うんだよ?」
「ありがとう、ケビン。身体の方は特に問題ないわ。この子も順調そのものよ、ほ~ら、お父さんが来てくれましたよ~」
私は椅子に腰を掛けたまま自身の大きなお腹に目を向ける。お腹の我が子は私の言葉が伝わったのか、ポコポコお腹を蹴って返事を示す。
「ハハハ、元気な子だな~。これは男の子かな? まぁお転婆な女の子って場合もあるよな、どっちも捨てがたい。
アナスタシアはもう名前は考えたのかい? 俺も色々考えてはいるんだけど中々これといったものが思い付かなくてね」
「そうですね、男の子なら“ヴィーゼ”、女の子なら“ヴィーナ”がいいかと」
「・・・それって昔アナさんが無理やり太郎に付けようとしていた名前だよね、エルフの言葉で草原を意味するんだったっけ?」
「はい、“ヴィーゼ”は草原の他に賢さや知恵といった意味も含まれるんです。“ヴィーナ”は奏でる、吹き抜ける風といった意味でしょうか、どちらもとても良い名前だと思うんです」
私の言葉に「あっ、うん、そうだね。でもやっぱり子供の顔を見てから決定するって事で。俺に似た顔で“ヴィーゼ”や“ヴィーナ”はちょっと・・・」と答える旦那様。
私は旦那様似のお顔でもとても似合う名前だと思うんだけど、心配性な旦那様。
「それでケビン、今日はゆっくりできるの?」
「そうだな、薪作りの為の材木の切り出しは済ませたし、畑の整備も一通り終わったし、今日は久し振りにゆっくりできるかな?
王都学園も冬期休暇に入った事だし、しばらくはのんびりできるよ。
尤もその辺をうろついてるとクルーガルの爺さんが挑んできて面倒くさいんだけどね」
そういい苦笑いを浮かべる旦那様の姿に、思わずクスリと笑ってしまう。
「それにしてもマルセル村は随分にぎやかになってきたわね。私がここに来た頃は辺境の村にしてはやけに建物が整っている村って感じのところだったけど」
「あぁ、あれから大分経ったからな。村の様子も随分様変わりしたし人も増えた。マルコさんのところのカシムさんなんか、あまりのマルセル村の激変ぶりに、ここが何処だかよく分からなかったって言っていたくらいだしな。戻ってきた村人にとっては別の村といっても過言じゃなかったんじゃないのか?
これも全てドレイク村長や村の大人たちの努力の賜物だよ。
安心して生まれて来いよ~、お父ちゃんたちが確り環境を整えておいたからな~」
そう言いお腹の子に愛おしそうな目を向ける旦那様。そんな旦那様の様子に幸せな気持ちで胸が一杯になる。
「月影、俺にも飲み物を・・・ごめん、アナスタシア、グルゴさんの方で問題が発生した。ドレイク村長に話をしたら出かけてくる。直ぐに戻ってくるから」
そう言い申し訳なさそうに部屋を出ていく旦那様。窓の外では枯れ草が風に揺れて、物寂しい雰囲気を漂わせる。
私は自分のお腹を摩りながら、月影が淹れ直してくれたティーカップに口を付けるのでした。
――――――
ダ~~~~、王都学園冬期休暇、今日からゆっくりできると思っていたのに呼び出しだよ~。
臨月を迎えホーンラビット伯爵家の御屋敷で出産の準備をしているアナさんのところに顔を出している時に、ワイルドウッド男爵家王都屋敷の伊織から入った<業務連絡>。グルゴさんからの緊急要請で“余計なお偉いさんの同行者が増えたから迎えに来て”って。俺は便利なタクシーか~!!
まぁそうなんですけどね、今朝も二人を村役場に迎えに行って王都まで送ってきましたし。公には王都まで飛んで行ってるって事になっていますが、その辺は気分次第。ほら、偶にはドライブしたいってときもあるじゃん? どうせ精霊化して飛んでいくから雨風関係ないし、空の上からの眺めは気持ちいいしね。
でも誰かを連れて行く場合は基本的にちゃんと飛んでますよ? 下手に早く着き過ぎると時間調整が面倒臭いって言うのが主な理由だったりするんですが。
それでも三十分くらいで王都には着いちゃうんで、送られる側からすれば誤差みたいなもんですが。
で、今回のトラブルはベイル伯爵家のラグラ君が大剣聖クルーガル・ウォーレンを訪ねる為に帰郷の旅に同行する事になったと。
同じ目的地に向かう者同士が集団を作って移動する、これは商人や冒険者の間ではよく行われる自衛策ですしね、相手はホーンラビット伯爵家と同じ伯爵位の令息、ここまでは特に問題ないでしょう。
問題は次、ラビアナ嬢も同行するって、どうしたバルーセン公爵家、お嬢様が御乱心だぞ?
まぁあそこのお嬢様は最初から御乱心なさっておられたから、今更といえば今更なんですが。
でもな~、来ちゃうかラビアナ嬢、これって唆したの絶対コリアンダとか言うメイドだよね。あのメイド、月影や十六夜と似た空気持ってるんだもん、人生楽しんじゃうタイプだよね。
まぁ引き受けちゃったものは今更だし、グルゴさんとしても公爵令嬢に向かってやっぱり無理とは言いづらかったんでしょう。
で、俺はこの情報をホーンラビット伯爵閣下にご報告、大変素晴らしい引き攣り笑顔をちょうだいしてきたところでございます。
「うん、報告ご苦労様、この件はケビン君に一任するからよろしくね」
ってやめろ~~~、俺子供生まれるの、アナさん臨月なの、いつ生まれてもおかしくないの、来年にはケイトの子供も生まれるのよ?
因みにケイトさん、南の島のお城でごろごろなさっておられます。下手にマルセル村にいると首の輪コッコとのぶつかり稽古に参加しそうで怖いというのが最大の理由、ホーンラビット伯爵家にお世話になるという話もあったのですが、あまり主家にご迷惑をお掛けしたくないという尤もな理由で、臨月に入ったらお世話になるという形で話を纏めて来られました、ご自分で。
ケイトさん強い、領都の学園に入った事ですっかり逞しくなられて、多くの人との交流がうまい具合に作用したのでしょう。
「<業務連絡:伊織:そろそろ王都上空に着くからそっちの準備をお願い。庭に降り立つから、玄関前に全員待たせておいて>」
ホーンラビット伯爵閣下からの一任を受けた俺は、早速王都に向かいお空をGO。
以前ケイトがアレン君たちを連れてマルセル村に帰るってなったときは移動手段を知られないように色々小細工したんですけどね、俺が王都とマルセル村を行き来している事は一部の人間にはすでに知られている事だし、公爵家クラスだったらそれくらいの情報を調べる事は然程難しくないでしょう。
グルゴさんからの情報では、ラビアナ嬢は兄であるオルセナ・フォン・バルーセン公爵閣下から旅の許可も受けているとの事。その割には付き人はメイドの護衛と御者が一人、これは<勇者>ジェイクや<剣天>ジミーの戦力を当てにしているにしても少な過ぎると言わざるを得ない。
・・・バレてますな、うん。俺が何らかの方法で安全に短期間で移動している事はバレバレとみていいでしょう。
だったら変に隠しておいてもしようがないですしね。ってな訳でお披露目です。
王都上空、目的地点に到着。<精霊化>解除、ケビン・ワイルドウッド、逝きま~す。
“ババババババババッ”
上空千メートからのフリーフォール、約十三秒の空の旅をお楽しみ下さいってなもんでご到着。
“ブワッ”
周囲に広がる風、隠蔽用の黒いコート(フード無し)がゆっくりと裾をおろし、庭園の中央に静かに降り立つ俺氏。残念な子扱いされがちな<浮遊>のスキル、めっちゃ使えます。
一切の衝撃すらなくふわりと降り立つって、まさに神スキル、こうした演出が大好きな俺にとっては外す事が出来ません。
「エミリーお嬢様、大変お待たせしました。ラビアナ嬢、ラグラ殿、お待たせいたしましたこと、深く謝罪いたします。
私の名はケビン・ワイルドウッド男爵、ホーンラビット伯爵家騎士団所属騎士にしてワイルドウッド男爵家王都屋敷の主人でございます」
胸に手を当て騎士の礼をする。観客の目が一点に集中する。
決まった、これは決まった、技術点、芸術点、共に九点超えは確実でしょう。
「ケビンお兄ちゃん、格好付け過ぎ。もっと普通でいいから、ラビアナとラグラが唖然としちゃってるから」
弟ジミーからの容赦ない駄目だし、クッ、お兄ちゃん頑張ったのに。
「ケビン、何度もすまないな。見ての通り同行者が増えてしまってな、エミリーお嬢様方の為を思えば堅実に馬車で帰った方が良いんだろうが、安全性を考えるとケビンに頼る方が確実だからな」
そう言い小さくため息を吐くグルゴさん。行き成り公爵家ご令嬢を連れて帰れと言われたら誰だってそうなりますよね、俺も昔先代グロリア辺境伯様からパトリシアをマルセル村に連れて行けと言われた時そうでしたから。その気持ち、痛いほど分かります。
「分かりました、では早速向かいましょう。皆さんは馬車にお乗りになってお待ちください」
俺はそう言うと、庭先に大きな黒い門を出現させるのでした。
――――――――
「コリアンダ、私《わたくし》、夢でも見ているのかしら?」
馬車の座席に腰を掛け、前の席に座るコリアンダに話し掛ける。
王都学園の冬期休暇、本格的に始まる社交シーズンを前に、周囲の掌返しに嫌気の差した私は、バルーセン公爵家当主であるセオドアお兄様に許可を貰い王都から隠れるようにジミーの故郷マルセル村に向かう事に致しました。
これは公爵令嬢である私がオーランド王国の最果て、貴族令嬢の幽閉地と呼ばれるマルセル村に向かうとはだれも思わないでしょうというコリアンダの意見を採用したもの、不安材料としてはジミーが私の申し出を受け入れてくれるかどうかといった事。
王都学園の正門前、私からのお願いにジミーは困った顔をしながら受け入れて・・・くれる事はなく速攻却下しやがりましたわ、あの男!!
少しは悩むくらいしなさいよ、これでも公爵家令嬢ですのよ、私!!
幸い<勇者>ジェイクのとりなしで同行を許されましたけど、ジミーの奴、地味顔のくせに~~~!!
結局のところジミーたちマルセル村組に同行を申し込んだのはラグラ様と私の二人、ジミーたちの迎えに来た騎士の方々にはご迷惑をお掛けいたしたと思いますわ。
そしてホーンラビット伯爵家の馬車に従い向かった先はいつか訪れた事のあるジミーの兄ワイルドウッド男爵様の王都屋敷、“商人街の悪夢”と呼ばれる現役の禁足地でした。
そこでの一時は驚きと感動と。王都三大禁足地の一つアーメリア別邸の主アーメリア王妃がおられたり、二度と口にする事は叶わないと思っていたお米と味噌と醤油を使った料理を口にする事が出来たり。
そして極めつけはケビン・ワイルドウッド男爵様の空からの登場、
「お嬢様、考え過ぎてはいけません。状況を受け入れ状況に対処する、常に心のどこかに平静な自分を保ち続ける。幼いラビアナお嬢様にお話しした言葉は、今日このような場面で最も必要とされる心構えでございます」
コリアンダの言葉に苦しかった闇属性魔法の訓練を思い出す。
己を捨てその場に溶け込む、心は凪、平静を常とする。
「ありがとう、コリアンダ。私は自身を見失うところでしたわ。
何事も平静に受け止める、バルーセン公爵家の者として尤も必要な心構えでしたわね」
動き出した馬車、これから向かうマルセル村で何が起きようと、私の心は揺るがな“ブワッ”・・・。
暗闇が周囲を包み込む。馬車が止まり、その扉が開かれる。
下車を促され降り立ったそこ、それは暗闇が支配する暗黒の世界。
「ワイルドウッド男爵家別邸へようこそお出でくださいました。しばらくの間ではございますが、ごゆっくりお寛ぎいただけましたら幸いでございます。
この様な暗がりではなんでございます、どうぞ中へお入りください」
現れたのは一軒の屋敷、部屋の窓からはまるで真夜中に辿り着いた夜会会場のように煌々とした魔道具の明かりが漏れ、あたかも屋敷の形をしたランプのように周囲を照らし出す。
「何事も平常心で受け止める、何事も平常心で受け止める・・・無理ですわ~!!」
闇夜よりも深い暗がりの世界、様々な心理的衝撃についに限界を迎えたラビアナ。そんな主人を優しく見守りつつ、“実は私も結構一杯一杯なのでございます”という本音をおくびにも出さないコリアンダなのでありました。
本日一話目です。