“一・二・三・四、二・二・三・四”
ホーンラビット伯爵領マルセル村に訪れて二日目の朝、僕は人々のざわめきと共に目を覚ました。
宿泊した宿は元々ホーンラビット伯爵家が仮本邸として使っていた建物らしく、造りは確りとしており清潔感のある場所であった。
夕食に出された料理は辺境の片田舎とは思えない程の味わい深い物であり、ラグラやラビアナ嬢、大剣聖クルーガル・ウォーレン卿が長期逗留するのも頷ける程の品質を誇っていた。
僕のしでかしたやらかしはラグラの言う通りマルセル村中に広まっているらしく、大剣聖クルーガル・ウォーレン卿からは「失敗は若さの特権だ、取り返しの付く今のうちに全力で失敗してこい」と揶揄いとも励ましともつかないような言葉を掛けていただいた。
“三・二・三・四、四・二・三・四”
聞こえる人々のざわめきは窓の外からのもの。僕は掛け布団を剥ぎ、ベッドの上から身を起こす。
“ブルリッ”
部屋の中の冷え切った空気が身を震わせる、ここマルセル村に到着するまでも朝の寒さには辟易としていたが、“オーランド王国の最果て”と呼ばれるこの地の寒さは、その中でも群を抜いたもののようだ。
僕はクローゼットに掛けてある外套を取り出し上に羽織ると、声のする窓辺へと近付く。窓の外の広場には多くのマルセル村の村人たちが集まり、掛け声に合わせ身体を動かしている最中であった。
「彼らは一体何をやっているんだ? こんな朝早くに外に集まって身体を動かす、そんな事に一体何の意味が。王都の騎士団でもこんな事はしないぞ」
思わず口を突く困惑の言葉、だが僕の困惑はこの程度で終わることがないという事を、この時の僕はまだ知らなかったのであった。
「マルセル村の施設の視察?」
宿の朝食は一階の食堂で行われる事となっていた。そこで僕は共にマルセル村を訪れた配下の司祭とシスターから今日の予定を聞かされるのだった。
「はい、私共の名目上の目的は教会施設建設の打診です、その為一度マルセル村の礼拝堂を訪ねる必要があります。
昨日伺った話ではマルセル村の礼拝堂は隣接した公会堂に住む管理人により管理されているとの事です。その者は教会所属の者ではないとの事ですが、子供たちの世話や村人の相談事に乗ったりしているとの事でした」
これは地方の小さな村ではよくみられる事、聖職者は何も霞を食べて生きている訳ではなく、その土地の領主などからの寄付により教会は運営されている。そのため教会が建てられる場所はそれなりの人口と産業が必要であり、地方の男爵領などといった人口の少ない小領では教会がないという土地も珍しくはない。更に言えば領地の中でも各村落には教会施設がないという事は普通であり、基本的には地方都市のような人口密集地に教会が建てられるという事が一般的である。
そうした意味において辺境の一村落であるマルセル村に教会建設の打診を行う事は、普通であれば無理筋もいいところであった。
だがここホーンラビット伯爵家はそれらの悪条件を覆すだけの力を持っていた。経済的にはビッグワーム農法やホーンラビット牧場の発祥の地として、また王家主催のオークションでは大森林深層の素材を売り出す事で莫大な利益を上げている。
軍事的には辺境の蛮族と謳われるホーンラビット伯爵家騎士団を有し、ダイソン公国とオーランド王国の戦争をその武力で終結させた三英雄の物語は、知らぬ者がいない程有名であった。
経済力と武力、その両面を有するホーンラビット伯爵家に目を付けない者などいようはずもなく、冒険者ギルド、商業ギルド、教会といった各組織はホーンラビット伯爵領への窓口開設の打診を行ってきてはいるのだが、その全てがホーンラビット伯爵家により拒否されているのが現状であった。
「我々は多くを望まない、この辺境の地で静かに穏やかに暮らす事が望みです」
ホーンラビット伯爵の意思は固く、冒険者による魔物討伐も、将来に渡る経済的成長も、教会による信仰も身の丈に合わないとしてやんわりと拒絶されてしまっていたのであった。
「それは分かった、しかしいいのか? マルセル村の視察はお前たちの真の目的に必要な事として僕はホーンラビット伯爵様の前で失態を犯した身、反省の意味も込めて部屋で謹慎していた方が教会側の傷を最小限にする事に繋がるのではないのか?
あれだけの事をしでかしておいて何くわぬ顔で外を出歩いていては、我々の心証をより悪化させることに繋がるのではないのか?」
僕の言葉に司祭とシスターは暫し目をつむったまま胸に手を当て祈りの姿勢を取ると、神妙な表情で言葉を返すのだった。
「全ては女神様の御意思でございます。“若いうちはついつい暴走することもある、後になってから悶え苦しむ黒歴史って奴だから大目に見てあげてほしい”、被害に遭われたワイルドウッド男爵夫妻からのありがたいお言葉を私たちは尊重しなければなりません。
それが女神様に仕える私たちの使命であり、謝罪の形であるからです。
無論ホーンラビット伯爵家に対しては王都教会として正式に謝罪を行う必要があります、ですがそれは後日双方で話し合いを行い正式な形で行わなければならない事であり、見習い司祭であるピエール様に出来る事はありません。
ピエール様に出来る事は辺境マルセル村の現状をその目に収め、ルビアン枢機卿猊下に自身の言葉でお伝えする事だけなのですから」
そう言いなぜか祈りを捧げ始める二人。ラグラはあの場で一体何が起きていたのかについてはお付きの者に聞けと言っていたが、この二人に問い質しても「女神様の御意思でございます」と言うだけで何も教えてはくれなかったのだった。
「みんな揃っているようね、それじゃ早速向かおうかしら」
食堂での朝食の後、軽く身なりを整えた僕たちが宿を出ると、そこには修道服を身に付けたシスターと司祭服を着た司祭が僕たちを出迎えるように待機しているのだった。
「あの二人は? マルセル村に教会はないのではなかったのか?」
「あちらのお二人は私達と同じマルセル村に派遣された者たちです」
配下の司祭の言葉に違和感を覚えた僕は、改めて前の二人に目を向ける。
「あぁ、自己紹介がまだだったわね。私はシスターミレーヌ、隣は司祭シラベル、ボルグ教国から派遣された者たちよ。分かり易く言えば異端審問官ね」
あっけらかんとした口調でそう告げるシスターミレーヌ。
異端審問官といえば各国の組織に潜入し極秘情報を入手する潜入調査の専門家集団、そのような者が自らその素性を明け透けにするはずがない。
「なに? まぁ信じられないと言った顔を向けるのは別にいいけど、事実は事実よ? 私が堂々と異端審問官と告げているのは、既にこの村では知らない者がいないと言っていい程公然とされちゃっているからね。
本当に異端審問官失格よね、潜入初日に正体をばらされちゃうんですもの。まぁ今では逆に堂々と調べ物が出来るって開き直ってるんですけど。
そっちの二人が王都教会から派遣された調査員って事も昨日の内に広まってるわよ? 御者兼護衛の聖騎士様はクルーガルのお爺さんが“鍛えてやる”とか言って連れていっちゃったみたいだけど」
「・・・・」
頭を抱えたくなるとはこういう事を言うのだろう。僕は自らの大失態もそうだが、今回の訪問の目的自体がすでに破綻していると告げられた事に、少なくない衝撃を受けざるを得ないのだった。
「安心していいわよ、あなた達の調査を邪魔する者はいないから。この村で守らなければいけない事はそう多くはないわ。夜間の無断外出禁止と他者を傷付けない事、これくらいじゃない? あとは常識的な範囲の事だけね、物を盗んだり暴力や権力で誰かを害そうとしたりといった事をすれば当然反発は起きるわ。
確かピエール君だったかしら? いくら一目惚れしたからって、新婚の奥さんを奪おうとしちゃ駄目よ? 話を聞いた時は何処の恋愛小説かと思ったわよ。“若き見習い司祭の恋”、王都の舞台でありそうじゃない? 村中の女性がキャーキャー大騒ぎだったわよ」
改めて他人から聞かされる自身の所業に恥ずかしさで顔が赤くなるのが分かる。僕は一体どうしてあんなことをしてしまったのか、もし過去に戻れるとしたらあの時の自分をぶん殴ってでも止めるというのに。
「まぁこんな所で立ち話をしていてもしょうがないわね、早速行きましょう。これは先の経験者からの助言よ、気をしっかりと持ってね」
自らを異端審問官だと告げるシスターミレーヌは司祭の者と共に先を進んでいく。その後を追い掛けるように配下の司祭とシスター、そして僕が付いていく。配下の二人がこの二人に対し何も言わないという事は、先程の自己紹介は全て事実という事なのだろう。
おそらくは昨日僕がベッドで横になっていた時に既に顔合わせを済ませていたか、互いに情報のやり取りを行っていたとしたら全ての話に辻褄が合う。
宿のある広場から歩くこと暫し、目的の場所は村道の直ぐ側に佇む小振りの礼拝堂であった。礼拝堂の傍には大きめの倉庫のような建物があり、そこは管理人が住み暮らすという公会堂なのだろう。
礼拝堂は大きめのブロック状の石材を組み合わせて建てられたもので、ぱっと見の構造は隣に立つ公会堂と同様の物。明り取りのためだろうか屋根には幾つかの天窓が見られる事から、講堂内は比較的明るいという事が分かる。
村道から礼拝堂までは石畳が敷かれ、村落に建つ建物としては落ち着きのある雰囲気のよい場所といえるだろう。
ここに来る途中のシスターミレーヌの話では、村の信仰の中心地として村人の心の支えになっているとか。建てられてどれくらいの建物かは分からないが、よく手入れの行き届いた様子から村人たちの信仰心が厚いものであることが窺える。
「さて、この礼拝堂を見てあなた達はどう思ったかしら? “愛の狩人ピエール君”はどう思う?」
シスターミレーヌの物言いに若干の苛立ちを覚えるものの、自身のしでかしを考えれば文句も言いづらい。おそらくこの呼び名は既に村中に知れ渡っている事だろうし、この先ずっと呼ばれ続ける事になると思っていいだろう。
「そうですね、きれいに整えられた石畳や外観、この礼拝堂が造られてからどれくらい経っているのかは分かりませんが、村人たちが女神様に対し厚い信仰心を持っているという事は伺えます。
それと不思議なのですが、先程から何やら心が落ち着くというか、こういっては何ですが女神様に祝福を受けているような錯覚を覚えていると言いますか。
ゆったりとした時間の流れに身を任せているような、そんな感覚になっています」
僕がこの場所に来てから感じている事を素直に口にすると、何故か感心したような表情を向けるシスターミレーヌと司祭シラベル。
「それで、そっちの二人はちゃんと見たのかしら?」
シスターミレーヌが僕から視線を外し、僕の後ろにいる配下の二人に声を掛ける。するとそこには跪き礼拝堂に向かい祈りを捧げる二人の姿が。
「おい、一体どうしたんだ、お前たちは突然何をしている?」
僕が声を掛けるも、涙を流し祈り続ける二人。そんな二人の様子を「うんうん、そうよね、そうなるわよね」と言って優しく見守るシスターミレーヌと司祭シラベル。
「ん? 誰か来客かと思えばシスターミレーヌと司祭シラベルではないか。それとそちらは見ない顔だが、昨日馬車でマルセル村に到着した客人かな?」
声のした方を向けば、淡い蜂蜜色のローブを纏った偉丈夫が、公会堂からこちらに向かい歩いてくるのだった。
「お騒がせして申し訳ありません、御神木様。こちらは王都教会から参った者たち、私共と同じくマルセル村の調査に来た者でございます。
分からぬ事、迷う事があると思いますが、どうかその時は寛大な御心でお導きいただければとお願い申し上げます」
そう言い深々と頭を下げるシスターミレーヌと司祭シラベル。僕は慌てて二人に倣い頭を下げます。
目の前の人物はそうすることが自然であるほど堂々とした威厳に満ち、神聖な気配に包まれているのでした。
「「なんと、これ程までの事が・・・」」
そして石畳に跪き祈りを捧げていた配下の二人と言えば、御神木様と呼ばれた御方を目にするや感極まったといった表情を浮かべ、そのまま静かに目を閉じるのでした。
“バタバタッ”
「あ~、やっぱりこうなっちゃったか~。私も同じ事をしたから人の事は言えないんだけど。
ピエール君、悪いんだけど、この二人を礼拝堂に運ぶのを手伝ってくれる?」
突然倒れた二人に慌てる僕を尻目に、冷静に処置を行おうとするシスターミレーヌ。
「こんちわ~、御神木様。なんか大勢さんだけどどうしたの?」
「ふむ、ケビンか。なに、シスターミレーヌと司祭シラベルが昨日訪れた客人に村中を案内していたようでな。
それよりもケビンこそそんなに大勢でどうしたのだ?」
声のした方に目を向ければ、そこには田舎の農民といった風貌の男性と赤子を腕に抱いた美しい女性、同じく赤子を腕に抱いた村娘と貴族風の女性、そして赤子を抱えたメイドと複数の使用人が立っているのでした。
本日一話目です。