グロリア辺境伯領領都グルセリア、自治領宣言をし独立領としての道を歩み出したその地は、北西部貴族連合の盟主として恥ずかしくない経済成長を遂げていた。
先代領主マケドニアル・フォン・グロリアの引退を受けその座を引き継いだタスマニア・フォン・グロリアは、先代が推し進めようとしていた各種農業改革を領内全体の事業として広め、グロリア辺境伯領の食糧事情を劇的に改善する事に成功。また自身の計画した人工ダンジョンによる産業の活性化も、徐々にではあるが着実に成果を示しつつあった。
こうした流れを嗅覚の鋭い商人たちが見逃すはずもなく、多くの物と人とがグロリア辺境伯領に流入する事で経済が活性化、さらに隣国ヨークシャー森林国から良質の材木資源や鉱物資源が輸入される事でグロリア辺境伯領は空前の好景気を迎えるに至っていた。
“ガチャッ”
音を立てて開かれた扉、薄暗い店内には数組の客がテーブルを囲み、それぞれが他愛のない会話に花を咲かせている。
“コツッ、コツッ、コツッ、コツッ”
「やぁマスター、元気だった? なんかしばらく来ないうちに街の景気が凄いことになってない? 真冬だってのに飲み屋街に繰り出して飲んだくれてる勇者様がいるんだけど、アレ、普通に凍死しちゃうよね、大丈夫なの?」
そこは繁華街の片隅、裏通りを入った行き止まりにある一軒の酒場。知る人ぞ知るその店には、多くの事情を抱えた者が訪れる。
“コトッ”
店奥のカウンターテーブルでグラスを磨いていたマスターは、声を掛けて来た客の姿を見るや無言でグラスを用意する。
“カランカラン”
グラスに入れたのは二塊の氷、真冬だからこそ手に入る自然の恵み。
“キュッ、トクトクトクトク”
ボトルのコルクを開け、ゆっくりと注ぎ込まれる琥珀色の液体。甘だるい香りが周囲に広がる。
“トンッ”
「テール農業国産の火酒、十年樽に寝かせたものをボトル詰めしたものだな。めったにこっちにまで回ってくることはないんだが、たまたま手に入ってな。
このところの好景気のお陰で各地から多くの商人が入り込んできていてな、まぁ入り込んでくるのは商人ばかりじゃない、一旗上げようっていう連中も多いんだが中には馬鹿な奴らも結構いてな。お陰でウチも大忙しってところだ」
マスターの言葉に客はふと背後を振りかえる。すると幾つかのテーブルを囲んでいた者たちが、軽くグラスを上げる姿が見て取れる。
「まぁマスターたちなら大丈夫だとは思うけど、手に余りそうならこっちでどうにかしようか? 僕としてもグロリア辺境伯領が荒らされるのは困るんだよね~、漸くいい感じで育ってきているのにあまり害虫が多いってのもね」
そう言い客は差し出されたグラスを手に取り口を付ける。強い酒精に溶け込む複雑な香り、鼻腔に抜ける味わいも心地よい。
「いや、今のところは大丈夫だ。俺たちでどうとでも出来ているからアンタは大人しくしていてくれ。特にあのおっかないメイドは動かさないでくれよ? 下手しなくともグルセリアごと消されちまうからな?」
「イヤイヤイヤ、流石にそんな事・・・ごめん、シャドームーンならやりそう。他の子もな~、結構危ない子が揃ってるから大喜びで暴れそうだし、やっぱりマスターに任せておくことにするね。
それでこのところ面白い動きってあった? なんか王都ではボルグ教国の大聖女様が来訪したって大騒ぎになっていたみたいだけど」
“コトッ”
マスターがカウンター裏から差し出したもの、それは温かな湯気を立てた一皿。
「これ、オーク肉だよね、この時期なら結構な値段がするんじゃないの? ビッグワーム農法のお陰でビッグワーム干し肉が各地に出回っているから食糧事情は以前とは比べ物にならないくらい良くなってるとは思うけど、それでも時間停止のマジックバッグに保存されているような肉類は結構な金額で取引きされるだろうし」
「安心しろ、こいつはダンジョン産のドロップアイテムだ。二年前のダンジョンスタンピード以来ダンジョンの管理が厳重に行われていてな、どのダンジョンも定期的に魔物討伐が行われているお陰で、年間を通して安定的な食肉の流通が確保されるようになったんだ。
そうはいっても領都グルセリアや周辺都市に限るんだが、その分今まで地方から吸い上げていた食肉がそのまま地方で消費されるようになる。経済格差で酷い飢えに苦しむといった地域が根絶されようとしている。
この流れはグロリア辺境伯領ばかりでなく北部貴族連合全体に広がりつつある、グロリア辺境伯家では連合内の各貴族家からの視察や研修を積極的に受け入れているからな。またビッグワーム農法に関しては南西部貴族連合、南部貴族連合にも広まりつつあり、いずれオーランド王国全体に普及するだろうというのが俺たちの見解だ。
それと南西部貴族連合内ではコッコの飼育を推奨する動きが広がっているか。ホーンラビット牧場に関しては慎重に進めているといった感じだな、やはり“森の悪魔”の異名はいまだに恐怖の代名詞だからな」
“コトッ、カランカラン、トクトクトク”
マスターは背後の棚からグラスを取ると、氷を入れて自分用の火酒を注ぎ入れる。
「さて、大聖女の話が出ていたからまずはそれからだが、現在大聖女イブリーナ・ボルグはボルグ教国に向け移動中だ。途中いくつかの街の有力貴族の屋敷に招待されながらになるからどうしても移動に時間がかかるのは大聖女という立場上仕方がない事なのかもしれないが、まだスロバニア王国は越えていないようだな。
ただその中で気になる情報があった、“あれは本当に大聖女イブリーナ・ボルグなのか?”という疑問を言い出した者がいたらしい。それはスロバニア王国の貴族だったそうだが<鑑定>のスキル持ちでな、好奇心から大聖女に<鑑定>を掛けたらしい。
だがその際に見えたステータスには<神眼>のスキルの記載どころか<鑑定>のスキルもなかったらしい。
ただ名前や称号は間違いなくそこにいる人物が大聖女イブリーナ・ボルグであることを示していたことから公には語らなかったものの、親しい者にはその件を話したみたいでな、うちの情報網に引っ掛かったって訳だ。
確証は取れていないが、面白い話ではあったんでな」
マスターはそう言うやグラスに口を付ける。
「あぁ、その件、僕が絡んでるから知ってるよ。<神眼>のスキルってのがちょっと厄介だから、知り合いに引き取ってもらったんだよね。でも今の大聖女も間違いなくイブリーナ・ボルグだよ、訳あって確認してきたから」
“ゴホッゴホッゴホッ”
サラリととんでもない事を口にする目の前のナニカ、やっぱりこいつはヤバ過ぎると咳き込みながら顔を引きつらせるマスター。
「他はそうだな、オーランド王国とスロバニア王国の共同軍事同盟が正式に調印された。これはこのところ動きの激しくなったバルカン帝国に対する牽制の意味合いが強いな。
オーランド王国からは同盟の証として第四王女カルメリアがマルローニ侯爵家嫡子ニールセンの下に嫁ぎ、スロバニア王国側からはマルローニ侯爵家次男アルジミールが第五王女フレアリーズの下に婿に入ることで話が付いたらしい。
本来であれば侯爵家とはいえ一貴族家と他国の王家がこれほど深い関係になることなどありえないんだが、スロバニア王国の第三王子と公爵家子息、そのほか複数の貴族家の子息が第四王女カルメリアの歓迎パーティーで盛大にやらかしてな。スロバニア王国国王夫妻をはじめ多くの高位貴族が顔を揃えた席でのやらかしで、あわやオーランド王国とスロバニア王国の国交断絶に繋がりかねない大失態だったそうだ。
そこを機転を利かせ上手く回避したのがニールセン・マルローニ、彼はその功績もあって正式な婚約者となったそうだ。
次男アルジミールも似たような感じだが、こっちは第五王女フレアリーズが乗り気であるという事の方が大きな理由らしい」
“キュポッ、トクトクトク”
マスターはナニカの空いたグラスに火酒を注ぎ入れると話を続ける。
「あとは軍部の動きだな。近々王都警備隊に新たな部隊が設立されるようだ、その名もワイバーン部隊。北東部の最端にあるバルザック伯爵家が中心となってワイバーンの飼育に成功、部隊の設立に至ったようだ。
まぁ実質的な中心人物は王宮第一騎士団で騎士団長を務めていたベイル伯爵なんだがな。どうもベイル伯爵は軍部を掌握し第二王子を次期国王に据える計画を立てているようだ。
このワイバーン部隊設立もそのための布石のようだ」
「へ~、ワイバーン部隊ね~。なんかこれからはどんどん情報や物の流れが速くなるのかもしれないね。地上よりも空の上のほうが安全だろうし、ワイバーンなら不慮の事故ってことも考えなくていいしね。
でもなんでベイル伯爵なの? 第一騎士団の騎士団長を解任させられたのって意識が現状について行けずにいまだに強い国家をとか言ってダイソン公国やグロリア辺境伯家に武力行使を行おうとしていたからって聞いてるんだけど?」
ナニカの言葉に呆れたように肩を竦めるマスター、手に持つグラスに口を付けてから小さなため息を一つ。
「時流を読めない連中って奴はどこにでもいる、過去の栄光に胡坐をかきそのこと自体を自身の力だと思い込むような者は特にな。今回はその規模がやや大きいようでな、ダイソン公国との戦争で中央貴族の大半は頭がすげ変わったんだが、ようやく手に入れた当主の座にもかかわらず思い通りに権力を振るえないことに不平不満が溜まっているらしい。
そんな連中と騎士団上層部から解雇された連中が手を組んだ。国王派も軍部の改革にまで手が及んでいないのかかなりの準備を進めているようだ。
現在は表面上平和を保っている王国だが、いつ爆発してもおかしくない状況だ」
マスターの話を聞きながら摘みのオーク肉の角煮を口に運んでいたナニカは、フォークを止めると口を開く。
「って事はバルカン帝国の再侵攻はそろそろって感じかな? 東部方面軍の新しい参謀長が決まり華々しいお披露目って感じで。
でも帝国って慎重というかなんというか、自分のところの技術をよそで試してから導入するってのはお国柄なのかね」
「・・・なんでそう思うんだ?」
ナニカの言葉に疑問を投げかけるマスター。
「ん? そんなの簡単だよ、僕はバルカン帝国の諜報部を高く評価しているからね。失礼な言い方かもだけど、暗殺者ギルドが手に入れることの出来る程度の情報を帝国情報部が知らないはずがない。帝国軍部としてはオーランド王国国内が荒れることは歓迎すべき事態、だが力を落としつつある元騎士団長や中央貴族たちを放置すればそのまま舞台から退場したままになる可能性の方が高い。
ならばどうするか、僕だったら連中に入れ知恵するだろうね。共通の敵を作り利益をちらつかせ、後はほんの少し手を貸すだけでいい。
ここから先は僕の想像になるけど、さっきのワイバーン部隊の話、元々はバルザック伯爵家が独自に開発に挑んでいた技術だったんじゃないかな? バルザック伯爵領は大魔境に隣接した国の外れ、中央との連絡を取ろうにも一月近い時間が掛かる遠方の僻地であり物流の乏しい辺境の土地。ワイバーンによる物流革命は領の命運を掛けた一大事業だったんだと思うよ?
ただワイバーンを飼いならす事は難しい上に、ワイバーンの卵を手に入れなければいけないって問題もある。やってることは貴族の間で流行ってるグラスウルフの調教に近いものがあるんだと思うけど、グラスウルフの子供を手に入れるのとは訳が違うからね。
王家をアッと言わす力を求める元騎士団長たち、ワイバーンの調教には成功したものの問題を抱えるバルザック伯爵家。多くの技術者を抱えるバルカン帝国が裏から操るのは簡単だったんじゃないかな? さっきワイバーン部隊って言ってたけど、部隊っていうからにはワイバーンの数は一体や二体ってことじゃないんでしょう? だったらそれだけのワイバーンをどうやって調達したのか、“ワイバーンの卵”の言葉じゃないけど、危険に飛び込むのは生半可な事じゃないからね?
それじゃなんで帝国がわざわざオーランド王国の軍事力が高まるようなことに手を貸すのか、当然帝国にワイバーン部隊を作るための実験って意味合いも強いんだろうけど、僕はこれはもっと大きな事態に向けての布石じゃないのかなって思ってるんだよね」
“カランッ”
グラスの中の氷が音を立てる。ナニカは琥珀色の火酒に口を付けながらマスターの言葉を待つ。
「実はこれは噂にもならない与太話だと思っていたんだが・・・」
「・・・えっ、それってマジ? まぁ確かに有効な手段だとは思うけどさ、それ、ただじゃすまない奴じゃん、僕の仕事が増えちゃうじゃん。こればっかりは人間って面白いとか言ってられないんだけど?
あっ、これ今回の支払いね、それといつも同じような物ばかりで悪いんだけどレッサードラゴン。どこに置いたらいい? まだ解体してないんだけど」
“ドサッ、ドサッ”
大きな音を立ててカウンターテーブルに置かれた皮袋、中身はいつもの報酬であろうことは開けなくとも分かる。“このナニカは金払いだけは本当にいい”と、マスターは呆れ交じりに思う。
「お前ら、テーブルと椅子をどけろ、それと大型のマジックバッグを持ってこい。これくらい広さがあれば十分か?」
店内で客のふりをしていた配下が急ぎ周囲を片付ける。ナニカが軽く「それじゃ出すね」と声を掛けると、その場に忽然と一体のレッサードラゴンが姿を見せる。
マスターはこの一体だけでどれ程の値が付くのかとため息を吐きつつナニカに向かい声を掛ける。
「いつも悪いな、また何かあるようなら情報を・・・行っちまったか。お前ら、こいつは解体場に運んで部位ごとに分けておけ。しばらくは旨い肉が食えるぞ、皮や爪も金に換えて酒の購入費に充ててやるからちゃんと働けよ?」
「「「「「了解しました、マスター!!」」」」」
元気よく返事をしテキパキと行動に移る配下たち、ナニカが来るようになってからすっかり胃袋を掴まれてしまった配下に頭を抱えつつ、王都本部に今後の情報収集を頼むことに決めるマスターなのであった。
本日一話目です。