そこは落ち着いた雰囲気の執務室、部屋の造りは長い歴史を感じさせる重厚なものではあるものの、その部屋の主の性格を表すかのように、品の良い調度品が訪れた者をなごませる程度に並べられている。
「それでは学園長、私は暫くダンジョンの管理に戻りますので、何かありましたら対応の程よろしくお願いします」
「うむ、ダンジョン改変から一年、階層数は全十階層にまで増え、ダンジョン内の様相はがらりと変わってしまった。
第一階層は何故か魔法訓練場のような造りになり的が用意されているし、第二階層は棍棒を持ったゴブリンの出る迷宮階層、第三階層に錆びたナイフを持つゴブリンとグラスウルフ、第四階層に複数のゴブリンによる連携と、階を下がるごとに難易度が上がるようになっている。
最大の違いは一定のダメージを受けると第一階層の帰還室に戻されるという事だ、これにより生徒たちの死亡の危険性はほぼなくなったとみていい。
これは以前ゴブリンダンジョンにおいても見られた変化だが、大きな違いはゴブリンダンジョンが死亡直前での帰還であったことに対し、学園ダンジョンは大ダメージでの帰還。ゴブリンダンジョンの場合装備品を失う代わりに傷が全快になっていたのに対し、学園ダンジョンは傷はそのままで早急な治療が必要であるといった事だろう。
ダンジョンの改変はまさに学園生徒の成長にとって必要であるから変更されたと言ってもいい状況ではある。だがこれはあくまでわれわれ人間側の都合でありダンジョンが危険な場所である事には変わりがない、ヒュンゲル先生には引き続きダンジョンの管理をお願いしたい」
グロリア辺境伯領領都グルセリアにある領都学園、その学園長執務室でサルバドール学園長に挨拶を述べた魔法講師ダリル・ヒュンゲルは、学園ダンジョンの管理を行うため学園敷地内の学園ダンジョンへと向かうのだった。
「管理責任者ダリル・ヒュンゲル、コアルームへの帰還を求む」
ヒュンゲルが向かった先、そこは学園ダンジョン第一階層の帰還室と呼ばれている部屋。そこはこれまで存在しなかった新しい施設で、ダンジョン内の探索で大きなけがを負った生徒が強制的に送られてくる部屋となっている。
その為帰還室の隣には救護室が造られ、帰還室に現われた生徒にいつでも対応できるよう治療担当者が常駐する事になっている。
「お疲れ様です、ヒュンゲル先生。今日はまだ重症者は送られてきていません、やはり冬季休暇ですからね、利用者が少ないのが一番の理由だとは思いますが、冬季休暇期間にわざわざダンジョンに潜っている生徒は皆実力の確かな者ばかりですので。
ヒュンゲル先生はこれから暫く全体の管理ですか?」
「そうですね、ダンジョンの階層変動から一年、色々問題点も出てきていますからその点検もありますので。一日に一度は顔を見せますので、何か連絡がありましたらよろしくお願いします」
常駐の治療担当者に挨拶をし、そのまま帰還室へ向かうヒュンゲル。帰還室からコアルームに転移できるという事は、学園の中でも一部の者にしか知らされていない新たに加わった機能であった。
“シュンッ”
瞬間帰還室からコアルームに転移するヒュンゲル、そこは以前のコアルームよりも広いものの、本棚の周辺にはヒュンゲルのまとめた研究資料が所狭しと並べられていた。
ヒュンゲルは羽織っていたコートをハンガーに掛け、本棚から数冊の資料を取りテーブルに向かう。調べていたものは周辺魔力の集積を行う魔道具について。
「さて、幾つかの試作品はダンジョンのドロップアイテムとして作製する事が出来たものの、まだまだ望んだ性能には届かないか。
問題点は性能と小型化の両立、ダンジョン成長のための周辺魔力集積装置の応用でどうにか出来ると思っていたんだが、魔道具の小型化を行うと集積範囲が狭まり集める事の出来る魔力量が少なくなってしまう。
かと言って多くの魔力を狭い範囲で集めるとなると人体に与える影響が大きくなる、これは悩ましい問題だ。
後は基本となる素材を変える事で魔道具自体の性能を上げ、無駄なく周辺魔力を集めることが出来るように工夫を加えればあるいは・・・」
ヒュンゲルは顎に手を当て資料のページをめくる。何か見落としはないか、違う発想での開発は出来ないものか。
「やぁ、頑張っているみたいだね。やっぱり元研究者は違うよね、人に丸投げして頼り切るんじゃなくて問題があれば自身で研究し解決策を模索する。そういった姿勢、凄く好感が持てるよ」
行き成り掛けられた声に慌てて顔を上げるヒュンゲル、この部屋には自分以外誰もいないはず、なのにどうして。
「おっと、驚かせたようでごめんね、ちょっと色々と立て込んでいてさ、中々顔も出せなかったんだけどこっちに用が出来たんで寄らせてもらったんだよ」
そこに居たのは漆黒のコートにフードを被りハーフマスクを顔に付けたナニカ。一切の気配をさせる事なくテーブルの向かい側に腰掛けティーカップを傾ける埒外の者。
「お久し振りでございます、御方様。お陰様で未だ領都学園の教師として、生徒たちを前に教壇へ立つことが出来ております」
急ぎ席を立ち、感謝の言葉を述べ深々と礼をするヒュンゲル。ナニカはそんなヒュンゲルに“気にしなくてもよい”と軽く言葉を掛け、着座を促す。
「今日はヒュンゲル先生に渡す物があって寄らせてもらったんだよ。はいこれ、“魔力供給の腕輪”。要は魔石を使った魔力供給の魔道具の強化番だね。この腕輪に嵌められている魔力供給素材の魔力が尽きたら新しい魔力供給素材に変えるって作り、単純明快でしょう?
最初は今ヒュンゲル先生が研究している魔道具みたいに周辺魔力を集めるタイプのネックレスなり腕輪を開発しようと思ったんだけどさ、偶々良さげな素材が手に入ったんでこっちを作っちゃいました。
技術的には難しくないし問題は加工だけだったしね。でもそれだけだと芸がないんでおまけとして<収納>の機能を付けてみました。大体この学園の敷地面積と同じくらいの容量で物の出し入れできるから使ってみてね。
あと収納の中に交換用の魔力供給素材が入れてあるから当面魔力の心配は要らないと思うよ。
使い方次第とは思うけど、グルセリア全体を消滅させるくらいの魔法を使ったとしても十発くらいは打てるから。普通に生活する分には百年くらいは平気なんじゃない? これ、魔法の授業で魔法を撃つ事を考えての百年だから、今まで通り普通に授業をしてくれて構わないからね?
それで交換部品は一応一万個入れてあるけど、足りなくなるようなら言ってね、追加分も作っとくから」
ナニカはまるで屋台で串焼き肉を買って来たとでも言わんばかりの気軽さで、とんでもない事を話してきたのだった。
「これでヒュンゲル先生的には時間が稼げたと思うから、頑張って研究を続けてね。ヒュンゲル先生は僕の事をとんでもない存在のように思っているみたいだけど、あの総統閣下ですら倒されちゃうのがこの世界だから。
僕だっていつまでもこの世界に留まれるとも限らないしね、備えるに越したことはないからさ」
このナニカが害される? 全く想像できない事態、だがナニカは首を横に振り小さくため息を吐く。
「僕なんてこの世界全体からしたら小さな存在だよ、その事はヒュンゲル先生自身も経験したでしょう?
上には上がいる、それも果てしなく決して届くことのないほどの存在がゴロゴロと。世界は女神様のうたかたの夢ってね、僕たちはこの世界でただ必死に生きる事しか出来ないんだよ。
僕は好きだよ、ヒュンゲル先生の夢。これからも学園の教師として多くの生徒達を教え導いてあげてね、それじゃ」
そう言うとナニカはまるで幻のようにその場から姿を消していく。ヒュンゲルは思う、果たして今の出来事は本当の事だったのだろうかと、魔道具の研究に行き詰った焦りが見せた幻なのではないのだろうかと。
だがテーブルの上にはそれがまぎれもない事実である事を物語るように、漆黒の石のような物が付いた腕輪が一つ。
“私はまた助けられてしまいましたね”
ヒュンゲルは誰もいないコアルームの中で深々と頭を下げると、テーブルの上の腕輪を左手に嵌め、再び魔道具の研究に戻るのであった。
―――――――――――
多くの人々が行き交うグルセリアの大通り、街の中心地にある大聖堂には敬虔な信徒が集まり日々女神様像に向かい祈りを捧げる。
俺はそんな大聖堂に足を運ぶと、扉脇に立つシスター様に声を掛ける。
「突然失礼いたしますシスター、私の名はケビン・ワイルドウッド男爵、ホーンラビット伯爵家において騎士を務めている者でございます。
この度所用でグルセリアを訪れまして、以前大変お世話になりましたメルビン司祭様にご挨拶をと思い立ち寄らせていただきました。
司祭様は大変お忙しい御方であると思いますが、お取次ぎいただけませんでしょうか?
そうそう、こちらはホーンラビット伯爵領に隣接する森で採れた蜂蜜でございます、どうぞお収めください」
俺がそう言い蜂蜜入りの壺が入ったエコバッグをお渡しすると、ニッコリと微笑まれるシスター様。
「お久し振りでございます、ケビン・ワイルドウッド男爵様。以前は頻繁にお越し下さっていたワイルドウッド男爵様が急にお見えになられなくなり、教会の者一同大変心配しておりました。
こうして元気そうなお姿を再び拝見することが出来、大変うれしく思います。
私共一同、ワイルドウッド男爵様がお越しになられる事を心待ちにしております、いつでもお顔をお見せいただければ光栄でございます。
メルビン司祭様は本日執務室に居られますので直ぐに確認してまいります。大聖堂の中でお待ちいただければと存じます」
そう言い一礼と共に下がっていくシスター。・・・うん、森の蜂蜜は美味しいもんね、そりゃ定期的に届けてほしいよね。
何とも素直なシスター様、大変好感が持てます。
待つこと暫し、やってこられたのはどこか見覚えのある面立ちのシスター様。
「お久し振りでございます、ケビン・ワイルドウッド男爵様。いつぞやは主人に大変すばらしい品をいただきありがとうございました。
お陰様でとても元気な子供を授かることが出来ました。直接お礼を申し上げたいと思っておりましたが、なかなか機会に恵まれず遅くなってしまった事をお詫びいたします。
また重ねて我が子のためにおくるみと可愛らしい幼児服をお送り下さり、本当にありがとうございました。お陰様と言いますか大変元気に育っております。主人とはいずれ二人目もと話し合っておりますので、その時はぜひ使わせて頂きたいと思います」
そう言い挨拶をしてくれたシスター様は、行商人ギースさんの奥さん、シスターアマンダさんでございました。って言うかギースさん、モルガン商会で出世してたんじゃなかったっけ? 統括責任者かなんかになってたはずだったけど、何でシスターアマンダが現場復帰されてるんでしょうか?
「あの、シスターアマンダ、失礼かと思いますがどうして教会にお戻りに? まだお子様も小さく暫くは育児に専念なされると思っていたのですが」
俺の言葉に大きくため息を吐かれるシスターアマンダ。
「周りから懇願されまして、メルビン司祭様を御せるのは私しかいないと。赤ちゃんのお世話は手伝いますと言われてしまうと嫌とも言えず仕方なく。
私が教会の仕事をしている時間は併設された孤児院で別の者が面倒を見ていてくれているんです。送り迎えまでしてもらっては断る訳にもいきませんから」
そう言い肩を竦めるシスターアマンダ。俺はそんなシスターアマンダに陶器製の小箱をそっと差し出します。
「こちら例の品でございます。滋養強壮に大変すばらしい効果を齎す物ですので、お疲れのご主人と一緒にいただかれますよう。
決してお一人では食べないでください」
俺がそう言うとこれまで見たこともないような獰猛な笑みを浮かべるシスターアマンダ。笑顔は実は攻撃のサインだという話が真実であると本能に分からせてくれるような素晴らしい笑みでございました。
「大変すばらしい品をありがとうございます。それではご案内いたします、私は少々所用が出来ましたので席を外します事をお許しください」
シスターアマンダはそう言うと全身にオーラを立ち昇らせながら、俺をメルビン司祭様の下に案内してくれるのでした。
“コンコンコン”
「失礼いたします、ケビン・ワイルドウッド男爵様をお連れいたしました。それと大変申し訳ありませんが、緊急の用が出来ましたので私は失礼させていただきます」
メルビン司祭様の執務室まで案内して下さったシスターアマンダは、そのままお帰りになられるようです。執務机に座るメルビン司祭様、お口ポカ~ンとなさってますが、これって普段メルビン司祭様がなさっている事と変わりませんからね?
まぁ普段真面目で堅物なシスターアマンダがご自分と同じ事をしたら驚くって言うのは分かりますけど。
「お久し振りでございます、メルビン司祭様。ちょっとお願いがあって立ち寄らせてもらいまして」
“バタンッ”
扉の閉まった執務室、時折聞こえるメルビン司祭の大爆笑の声。教会の者たちは“またメルビン司祭様がマルセル村の者と悪巧みしている”と思いながら、日々のお務めに励むのでした。
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora