「ミルキー様に至急ご報告申し上げたき儀がございます」
それはいつもの学園での一時、周囲の取り巻きを離れ、一人情報収集を行っていたエイコー・ペングラフから掛けられた言葉でした。
「エイコー、あなたは未だ自分の立場が分かっていないのですか? あなたのような不心得者がミルキー様にお声掛けするなど“パチンッ”・・・」
取り巻きの一人がエイコーに叱責の言葉を向けるのを扇を鳴らす事で制し、場の空気を支配します。
「構いませんわ。皆には言っていませんが、エイコーには私の雑用を申し付けていましたの。下手に知恵を回さずとも言われた事をただ熟す、エイコーには丁度良い仕事でしょう。
さて、私《わたくし》はこの駒が使えるかどうかを採点しなければなりませんので席を外しますわ。この雑用が熟せるようなら、末席に残す事も考えなければなりませんし、駄目なようなら指導が必要。
ここは王都学園。駒を鍛える事も将来に向けての訓練でしてよ?」
「なるほど、私共の考えが及ばず申し訳ありませんでした。ミルキー様の深いお考え、大変感銘を受けましてございます。
エイコー、ミルキー様の御慈悲、ありがたく受け取るのですよ?」
他者を見下すことでしか自尊心を維持できない取り巻きたち、一度気になってくればそうした愚かな側面ばかりが目に付くようになってきます。
国際的なオーランド王国を取り巻く情勢、その中で国王陛下がどう立ち回ろうとしているのか。少し考えれば現状がどれほど危ういのかなど一目瞭然、バルカン帝国の脅威はいまだ去っていないというのになぜそのことから目を逸らすのか。
伝統や血筋など支えとなる国がなくなってしまえば何の意味もなさないというのに。
私はエイコーに「ついてらっしゃい」と言葉を掛けると、ニヤニヤと優越感に浸る取り巻きたちを後に残し部屋を離れるのでした。
「それで、どういたしましたの? エイコーからあからさまな接触を行うという事は、それだけ重要な話という事なのでしょう?」
私《わたくし》の言葉にエイコーは情報収集のために騎士団の者と接触しようとしたこと、それ自体が罠であり捕まりそうになったこと、王都歓楽街の裏通りであわやというところを救われたこと、その相手が“便利な生活魔法活用術講座”の講師であるビーン・ネイチャーマンであり、王宮第一騎士団の騎士数名と街の破落戸数名を同時に圧倒して見せたことを報告するのでした。
「なるほど、それでエイコーはビーン・ネイチャーマン講師をこちらに引き込むべきと言いたい訳ですわね」
「はい、あのような場面に遭って冷静に対応する胆力、他者を圧倒する武力、油断なく二次策を用意し躊躇なく実行する決断力。ミルキー様が必要とされている素養を全て兼ね備えた人材であるものかと。
不安要素といえば、なぜそのような人物が王都学園で講師をしているのかという点ですが」
確かにエイコーの懸念は気になります。詳しく話を聞けば裏稼業で生きていたような話を匂わせていたとか、そのような人物が王都学園に講師として在籍しているという事は背後にそれなりの人物がいるという事。
こちらからの勧誘が上手く行かずとも、背後の人物と接点が持てれば状況を変え得る切っ掛けが作れるやもしれない。
「分かりましたわ、私が直接そのビーン・ネイチャーマン講師とやらと接触してみましょう。正直状況はよろしくありません、お父様にもエイコーから報告を受けた後お話を聞きましたが、どうにも現状を甘く見ている節がありますわ。
ペングラフ伯爵家は直接情報収集に携わったはず、ペングラフ伯爵はどう仰っていたのかしら?」
「はい、父は一年戦争で祖父を亡くし当主の座を継いで以来中央貴族社会での立場を確立するために奔走しておりましたから、かなり困惑しておりました。正直どう動くのが最もペングラフ伯爵家の利となるのか決めかねているようです」
一年戦争、確かにあのバカ騒ぎでは多くの貴族家が当主や跡取りを失ったと聞いています。中央貴族の中にも持ち上がりで当主の座に就いた者が大勢いたとか、領地を待たぬ者たちがなぜあの戦争に参加し命を儚くしたのか、当時の私には理解できませんでしたが、今であればダイソン侯爵領での略奪行為を目論んでいただろうことは疑いようのない事実として察する事が出来ます。
「では早速ですがそのネイチャーマン講師の下に向かいましょう。案内を」
「はい、こちらでございます」
現状を変えるため、少しでも手札を増やすため、私はエイコーの案内でビーン・ネイチャーマン講師の教務室がある臨時教務棟へと向かったのでした。
そこでこのような歓迎を受けることなど想像すらしないで。
――――――――――――――
“パチンッ”
それは非常に無礼な男でした。臨時教務棟での数々のトラップ、ネイチャーマン講師の教務室に辿り着いた時にはすでにボロボロになっていた私たち、そんな私たちを前に柔和な表情を崩さない覇気の感じられない中年男性。
私は一体何のためにこのような屈辱を受けながらもこの者に会いに来たというのか、苛立ちと焦りが判断を狂わせたのかと後悔と失望の念が心に広がりました。
“コトッ、コトッ、コトッ”
「失礼、お待たせいたしました。それで本日はどういったお話でしょうか? 私のようなものがお二人のお力になれるとよいのですが」
テーブルに置かれた物は甘い香りを上げるティーカップ、この香りは甘木汁の物。甘木汁はヨークシャー森林国から輸入される高級品、一介の学園講師がおいそれと手に入れられるようなものではないはず。
「ネイチャーマン先生、こちらの品は? 私はこのような甘い香りを嗅いだことがないのですが」
「はい、こちらはヨークシャー森林国で楽しまれています甘木汁という物になります。甘木の木の樹液を集めて加工したものになりますが、この甘木の木という樹木はヨークシャー森林国で信仰されています聖霊樹様と呼ばれる霊木の枝から挿し木で増やされたものだとか。
ヨークシャー森林国ではただの甘味ではなく、神聖な飲み物として珍重されていると聞いています」
そう言いティーカップに口を付けるネイチャーマン講師、私も何度か口にしたことはありましたがそういう謂れの物という事は初めて聞きました。
このような話を知っている、そして甘木汁を嗜んでいる、そのことが何を示すのか。
「ネイチャーマン講師、まずは感謝を。先だってはエイコーが命を助けられたようですわね、派閥の長として礼を申し上げますわ。
その上で申します、バルデン侯爵家に仕えませんこと? 正確にはこのミルキー・バルデンの手足になっていただきますわ、よろしくて?」
私はネイチャーマン講師の目を見ながら返答を待ちます。おそらくは断られるでしょうけど、どのような言い訳をするのか。攻め込むならばその時でしょう。
ネイチャーマン講師は私からの言葉が意外であったのか、しばらく考えを巡らせた後口を開くのでした。
「お話は分かりました。まずエイコー嬢、無事にお屋敷に帰る事が出来たようでよかったです。あの場でも申しましたが、王都の夜の裏通りは本気で危険です、特にエイコー嬢が迷い込んだあの地区はいくつもの犯罪組織が権利を主張し鎬を削るような場所、攫われて見知らぬ土地に売り飛ばされても不思議ではないような地区なのです。
王都にはそうした危険な場所が他にもいくつか存在します、これは長い歴史の中で生み出されたオーランド王国の暗部、いくら正義を声高に叫ぼうとも早々に解消されるようなものではありません。
エイコー嬢がどうしてあのような場所にいたのかは今のこの状況で窺い知る事が出来ましたが、ご自身の命はご自分で守るしかないという現実をよく心に留め置いてください。
さて、お初にお目にかかります、ミルキー・バルデン嬢。ここは王都学園ですので敬称は省かせていただきますことをご了承ください。
ご提案いただきましたお話ですが、大変申し訳ありませんがお断りさせていただきます。すでにミルキー嬢もお気づきの御様子ですのであえて申し上げますが、私はとある勢力の旗下にある者です。王都学園はその性質上、幾人かそうした者がおり、陰ながら皆様の生活を見守らせていただいているのです。
無論このことはヘルザー宰相閣下を通じ国王陛下もご承知ですのでご安心ください、学園の教職員では立場上踏み込めないような事態に対応するための人員とお考えいただいても結構かと」
そう言い再びティーカップに口を付けるネイチャーマン講師、こうまであからさまに自身の立場を明かされてはこちらからこれ以上の勧誘は難しい。我が家に長年仕える暗部同様、現在のネイチャーマン講師の姿も完全な擬態という事なのでしょう。
「お話に口を挟んですみません、そうなると一つ疑問が。ネイチャーマン先生はあの時なぜ私を助けてくれたのでしょうか? お役目上学園生徒との職務を外れるような接触は避けなければならない、いくら不測の事態であろうともあの場は私にかまうべきではなかったのではないでしょうか?」
エイコーが口にした疑問、それは暗部の者にしては甘過ぎるネイチャーマン講師の行動に対するもの。
「あぁ、あれですか。それはあなたが王都学園生徒であったから、正確には私の受け持つ講座の受講生だったからでしょうか。せっかく受講してくださったのにあのような形で学園にこれなくなってしまう事は、残念なことですからね。本当に無茶はなさらないでくださいね?
それと私を送り込んでくださった御方は寛容なお心の持ち主ですので、あの程度の事でとやかく言う事はないのですよ。むしろ生徒に寄り添う学園の講師という仕事をちゃんと熟しているとお褒めの言葉をいただけるかもしれません。まぁそのような御方ですので、私もお仕えしているのですが」
そう言い楽しげに微笑むネイチャーマン講師、そのような表情を見せられると配下を持つ者として嫉妬してしまいます。
“パチンッ”
私は扇で口元を隠し考えを巡らせます。この出会いをどう生かせるのかが今後の流れに大きく影響するという事は明らか。
「フゥ~、まいりましたわ。どう考えてもこちら側が有利に話を進めることはできませんわね。
正直に申し上げれば、私《わたくし》たちは追い詰められておりますの。現状を調べれば調べるほど、自分たちの置かれた立場が分かってまいりましたわ。
ネイチャーマン講師もご存じのように現在のオーランド王国は大きく三つの勢力に分かれていますわ。一つは国王陛下を中心とした国王派、ゾルバ国王陛下は一年戦争以降国内の混乱を治めるとともに、バルカン帝国との対立を明確化し周辺国との連携を強く推し進めていますわ。そしてこれまでの旧態依然とした国家運営を大幅に改革なさろうとしている。
その動きに大きく反発を覚えた者たちが軍閥貴族と中央貴族の者たち、この三勢力がオーランド王国内における三勢力と言えるでしょう。
しかしこれは現実が見えていないと言わざるを得ませんわ。既に時代は大きく動いている、バルカン帝国からの圧力は日増しに強まっている、そのようなときに国を割ってでも自分たちの利権を守ろうとするなど滑稽以外の何物でもありませんわね。
私たちはそのような泥船にいつまでもしがみ付いていたくはないのですけれど、立場や状況がそれを許してくれませんの」
そう言い肩を竦める私に、ネイチャーマン講師はにこやかな微笑みを向けたまま口を開くのでした。
「大変冷静に現状を分析なさっておられる様子、限られた情報から今の考えに至ったのであればミルキー嬢とエイコー嬢は大変優秀であると言えるでしょう。
ではそんなお二人に講師ビーン・ネイチャーマンとして少しお話しいたしましょう。
まず、先ほどミルキー嬢がおっしゃった三勢力の話ですが、王都においてはそのお考えでよろしいかと。ですが大きくオーランド王国全体として見るとそうではありません。
ミルキー嬢もご存じの三英雄、オーランド王国とダイソン公国との戦争を終結させた彼らはそれぞれがある集団を代表した者たちとなります。
北西部貴族連合、南西部貴族連合、ダイソン公国。これらの組織体はこれまで地方貴族と冷遇されてきた中央貴族社会を見限り、新たな経済圏を作り上げた連合体として戦後のオーランド王国経済復興を支えるだけの力を持つに至っています。
そこに南部貴族連合の発足と経済同盟圏の確立、この時点でオーランド王国は二分されたと言ってもいいでしょう。
さらに言えば王国最大の穀倉地帯を有するバルーセン公爵家の国王派への転身。
南東部貴族は元々バルーセン公爵家の寄り子ですが旧態依然とした考えの者が多いのも事実ですので統一された組織体とは言えません、ですがハンセン侯爵家とバルーセン公爵家という二大貴族家が国王派である以上あまり過激なことはできないかと。
そうなれば様子見を行うといった者たちが大半となるでしょう。
こうなると頼みの綱は北東部貴族の雄シュティンガー侯爵家ですが、シュティンガー侯爵家はリフテリア魔法王国との関係を深めることで独自の道を模索し始めています。急速に経済が活性化し始めたグロリア辺境伯家を中心とした北西部貴族連合との関係も深まっているとか。
こうした状況でこれまで地方を下に見続け馬鹿にしていた中央貴族社会が声高に参集を呼び掛けたとして、動く者がいるのでしょうか?
さらに言えば王家はすでにスロバニア王国との軍事同盟締結を成し遂げている、それ程の功績を上げたゾルバ国王陛下と、自分たちの利権を主張し続ける軍閥貴族や中央貴族の者たち、従うのがどちらかなど考えるまでもない。
もし何らかの事態が起きたとしても、ゾルバ国王陛下は身の安全を守っているだけでいいのです、すぐに事態は収束してしまうのですから。
それだけ旧勢力は孤立しているという事を自覚したほうが良い。いや、見たくないものは見ない、それが旧勢力が旧勢力と呼ばれる所以なのでしょうが」
それはあまりにも理路整然と語られる現実、隠された秘密でも何でもない、調べようと思えば武術学園の生徒でも知ることの出来る社会状況。
私はいかに自身の目が曇っていたのかという事をまざまざと思い知らされる。エイコーの報告を待つことなく、既に自分たちの状況が詰んでいたという事に気付きもしないとは。
「ネイチャーマン講師、お話を聞かせていただきありがとうございます。そのうえでお聞きいたします、私たちは今後どのように行動すれば生き残る事が出来るのでしょうか?
私たちの家族が暴挙に至ることは最早止めようがありません、よしんば思い止まったとしても周囲の者がそれを許さないでしょう。私たちのような世間知らずですらそのことを察する事が出来るほど、事態は進んでしまっているのです」
私の言葉にしばし考え込むネイチャーマン講師。そして再び口を開いたとき、彼はとても正気とは思えないとんでもない事を話し始めるのでした。
本日一話目です。