静まり返った執務室内、そんな中、“グルッ、キュルキュルキュル”というお腹の鳴る音が響き渡る。
異世界料理“カツ丼”を前に“待て”を喰らわされ、人造メイドセシリア嬢に取り押さえられた状態の天才魔導研究員ケトル嬢、先程からガタガタと震え始めてるいんですけど大丈夫なんでしょうか? なんか目の焦点が合ってないような、その内泡吹いて倒れるんじゃないんだろうか。
そんな俺の心配を察したのかソルティア卿がチラリと視線をケトルに向けた後、「すまないがそのカツ丼をケトルに食べさせても良いだろうか? あの者は美味しそうな香りの食べ物に弱くてね、品の悪い行動であることは承知しているが、この通りお願いする」と言って頭を下げ、カツ丼の譲渡を願い出る。
ケトル嬢、食欲の為に自治領政府のトップに頭を下げさせるなんて。ケトル嬢の重要性をしっかり理解し、その才能を十分に活かしているソルティア卿。さっきのケトル嬢の話ぶりじゃ、ここタスカーナ地方には他にも転生者と思しき人物や特別な才能に溢れた人材が集まってそう。
今後ますます発展しそうな領地と、配下の者の為に頭を下げれる為政者。
ホーネット・ソルティア卿に投資するに十分な理由ですね。
「どうぞ、そのカツ丼はケトル研究員に差し上げてください。おそらく彼女にとっては心が豊かになる思い出の味でしょうから」
そう言い箸を添えてカツ丼を差し出すと、イスに座って滂沱の涙を流しながらカツ丼をかき込むケトル。
「おいじい、おいじいいよ~~~、ウワ~~~~~~~~」
止まる事のない箸、只管に咀嚼しゴクリと呑み込んでいく。
俺はガラスのコップを取り出すと、冷えた魔力水を注ぎ入れ隣に並べる。かき込み過ぎて喉を詰まらせそうになったケトルが、慌ててコップを掴みゴクゴクと飲み干すと、再びカツ丼に口を付ける。
前に伊織からジェイク君が泣きながら五平餅もどきを食べてたって報告があったよな、やっぱり日本からの異世界転生者には米料理が覿面なんだろうね。
そう言えばその時ラビアナお嬢様も号泣しながら五平餅もどきに齧り付いてたって言ってたよな。こないだの新米試食会の時も一人黙々と米料理を堪能してたし、やっぱりそういう事なんだろうね~。
ゴブリンは一体見つけたら百体はいると思えって言うけど、歴史上に名を残さない隠れ転生者って結構いるのかもしれないよね、探し出そうなんて野暮なことはしないけど。
ホーネット・ソルティア卿には“分かってますぜ旦那~”的にこっちが気付いていることをさりげなくアピール。ポーカーフェイスを保ちきれない引き攣った笑顔に、ホーネットパパの苦労が窺えます。
「こちらも何かと大変でしょうから、玄米の米俵を百俵ほどお譲りいたしましょう。味噌と醤油はそれぞれ中樽で、後は調理人の方々に研究してもらってください。
精米には臼に玄米を入れて杵で突く方法がありますが、ケトル嬢ならもっといい方法を考え出すやもしれません。何と言っても必要は発明の母と申しますから」
「・・・そうですか、何から何までありがとうございます。ダイソン公国とオーランド王国には自治領政府として親書を送ることとしましょう。自治領政府は両国との交易を望んでいる事を記し、平和的安定を望んでいるとも。
暗黒大陸には調査団を派遣、国交が結べるかどうかは長い交渉が必要でしょうが、ドラゴン領域が安定した状態を維持できるよう努めてまいります」
おぉ~、そう来ますか。敢えて誰に対してとか言及しない辺りが上手い。これがバルカン帝国で若き天才軍師と謳われた男の実力、政治力では全く勝てる気がしません。
ま、俺はただの農家なんで政治力とかあんまり必要ないんですけどね。バルカン帝国も落ち着いたみたいだし、後はジェイク君たちが王都学園を卒業して冒険者として旅立つのを見送るだけ、ネイチャーマン先生のお役目もあと一年と少しですしね。
「そうですな、それがよろしいでしょう。周辺国が経済により安定的に結ばれれば、無駄な争いも減る事でしょう。
執事殿、米俵の引き渡しを行いたいのだがよいかな?」
俺の言葉に「ご案内いたします」といって一礼する執事、俺はソルティア卿に一礼すると、「今後ともよしなに」と言葉を残し執務室を後にするのでした。
――――――――――――――
「フ~、帰っていったか。やはり裏で糸を引いていたのはケビン・ワイルドウッド男爵であったようだな」
緊張感が漂っていた執務室に安堵の息が漏れる。目の前に座っていた正体を隠したナニカに、今だ震える手をそっと摩る。
それは決して他者を威圧するような者ではなかった。ともすれば周囲に埋没するような、まるで与えられた役に合わせたような気配を纏う者であった。
“コンコンコン”
「失礼いたします。閣下、ケビン・ワイルドウッド男爵がお帰りになられました」
つい先ほど執務室を出たばかりの執事が、ケビン・ワイルドウッド男爵が官邸を離れたことを告げてくる。どういう意味かと視線で話を促せば、執事は静かに口を開く。
「ケビン・ワイルドウッド男爵様に促される形で執務室を出た私は、米という穀物と扶桑国の調味料の受け渡しとのことでしたので、ワイルドウッド男爵様を官邸の食糧庫にご案内いたしました。
ワイルドウッド男爵様はそこで腕輪型の収納の魔道具から米俵という藁で編んだ穀物を収めた入れ物を取り出し並べていきました。二十個ほど並べられたところで「これ以上ここに取り出すと邪魔になるだろうから、マジックバッグに移したいのだが」と仰られまして、残り八十個はマジックバッグに手を入れ直接取り出されました。
その後調味料の樽を食糧庫に置かれたワイルドウッド男爵様は、「ソルティア卿によろしく伝えておいてほしい、よい会談であったと」と仰られ玄関に向かわれました。
扉を開けた後どちらまでお送りしましょうかと声を掛けた時には二名の付き人共々姿を消してしまい、ご報告の為急ぎこちらに戻ってきた次第でございます」
そう言い頭を下げる執事は未だ目の前で起きたことがよく理解出来ていないといった様子、私は執務室内に控えていた<詳細人物鑑定>を行える者に視線を向ける。
「ご報告申し上げます。先ずはこちらが先ほど詳細人物鑑定を掛けましたケビン・ワイルドウッド男爵の鑑定結果となります。鑑定をした所感といたしましては、ワイルドウッド男爵は何らかの方法でスキルに隠蔽を掛けているのではないかと。
古くからバルカン帝国においてもスキルの隠蔽や偽装が研究され、呪術により誤った鑑定結果を見せる方法が模索されていましたが、そうした痕跡が見られない事から全く違う方法を確立したのか。
いずれにしろこの鑑定結果が示すのは、ケビン・ワイルドウッド男爵が通常の普人族ではないという事です」
そう言い差し出された鑑定書は、意外な程に簡素でありながら誰がどう見ても疑念しか湧かない物。
<鑑定書>
名前 ケビン・ワイルドウッド
年齢 十七歳
種族 ***
職業 田舎者(辺境)
スキル
棒 自然人 田舎暮らし(*) 自己診断
魔法適性 無し
称号
辺境の勇者病仮性患者(*)
加護
創造神の加護
「・・・これは、どうにも判断に迷うな。自身を隠したいのか隠したくないのか、ふざけているのか周囲を翻弄したいのか」
それは種族を隠し、スキルを隠し、自らを田舎者と嘯く愉快犯としか思えない鑑定結果。
「称号に“勇者病”などと付ける辺りは、密かに鑑定されることを前提として勝手に鑑定した者を揶揄っているのではないかと。職業の<田舎者(辺境)>も鑑定結果を手にした者を混乱させる為の物ではないかと。
種族に関しては見られたくないのか、相手に様々な可能性を想像させることで考えを迷走させることが目的か。極めつけは加護の<創造神の加護>でしょうか、自身を女神様の代行者とでも言いたいのか、少なくともこの鑑定結果を手にしたものは勝手に混乱し暴走する可能性が高いものかと」
部下の言葉に改めて鑑定書に目をやり考えを巡らせる。鑑定結果が隠蔽によるものだとすればなぜこのような内容にしているのか、仮にこの鑑定結果が全くの事実であったのだとしたら、ケビン・ワイルドウッド男爵がこれまで起こしてきたと思われる事象との齟齬をどう説明するのか。
「一つ聞きたい、鑑定結果にある職業の<田舎者>とはどういうものであるのか」
「はい、<田舎者>は珍しい職業ではありますが極稀に発現するもので、複合職と言われる複数の職業を合わせたような職業となります。
スキルの<田舎暮らし>は統合系スキルと呼ばれ、再鑑定を行うと・田舎暮らし(魔法)・田舎暮らし(戦闘)・田舎暮らし(生産)・田舎暮らし(生活)という分類スキルが確認出来ます。この分類スキルの中にそれぞれの職業の下位互換スキルが内包されていると言われています。
見方によっては非常に有用な職業ですが、全てのスキルが本来の職業には及ばず、“器用貧乏の残念職業”というのが一般的な見方となります」
「ではこの職業の後ろに付く(辺境)とはどういう意味か」
「申し訳ありませんがそれに関しては何とも。ただ極稀に職業欄の後ろに但し書きがある場合があります。その場合何かに特化していたり職業の上位職である場合もありますので、あるいは」
執務机に戻り引き出しを開ける。そこから一括りにされたオーランド王国において“観賞者”と呼ばれる人物の報告書を手に取る。
観賞者が初めて確認されたのはランドール侯爵家とグロリア辺境伯家との紛争の終戦交渉の場、紛争の全ての事態を舞台劇のように評論し、感想を述べて去っていった強力な力を持った存在。その後ヨークシャー森林国戦役やダイソン公国独立紛争の場でもその終結の際に確認されている。
そして今回のバルカン帝国に対するドラゴンの襲撃に際しては直接的にあり得ないような奇跡を引き起こしている。
この観賞者の正体がケビン・ワイルドウッド男爵本人だとしたら。
「あぁ、美味しかった。僕ちんこんなに幸せな気持ちになったのって、セシリアちゃんが想定した通りに起動したところを見た時以来かも。生まれてきてよかった、今なら全人類にありがとうって言えちゃう」
ついさっきまで静かだったケトルが急に声を出す。どうやら今まであまりの感動に意識が飛んでいたようだ。
そういえばケビン・ワイルドウッド男爵が「異世界転生者、特に“日の本”、“大和”、“日本”と呼ばれる国の出身者は食に貪欲と聞きますから」と言っていたが、ケトルはこの中に含まれるという事か。ケトルが異世界転生者でありこの世界にはない知識や発想を有している事は知っていたが、異世界で暮らしていた国については聞いたことがなかった。今後はそうした事も調査対象とした方がよいのかもしれない。
“異郷の地ではふるさとの味が恋しくなる”、私にはよく理解出来ないがそうした事をベテランの兵士から聞いた事があった。異世界転生者の管理を行うにあたり異世界の食事を再現する事が有効な手段であることは、ケトルの姿から証明されたと言ってもいいだろう。
「でも扶桑国か~、遠いよね~。エイジアン大陸の東の果てっていったら輸送にどれだけ掛かるんだか。ホーネットの旦那が好んで飲まれている紅茶が創国産だったっけ? あそこも行くだけで一年くらい掛かるんじゃなかったっけ? ワイルドウッド男爵様はどうやって扶桑国まで行って帰ってきたんだろうね~」
「!?」
ケトルが語った言葉に頭の中の様々な情報が繋がっていく、時間と距離の問題が解決したとき、どこか否定しようとしていた可能性が現実のものとなる。
暗黒大陸のシュガール、扶桑国の米、それらを手に入れるための大陸間移動を可能とする最強の魔物。
「ドラゴンの代行者、皇帝バレシュタイン・リヒテンブルグ陛下には調停者と名乗ったか。ケビン・ワイルドウッド男爵が四体のドラゴンを従えし者であるとすれば全ての事象に説明がつく。
<創造神の加護>が付くほどの人物、それが使徒のような者ではなくもっと自由な立場の者であったとしたら。ハハハハ、なるほど、だからこその<辺境の勇者病仮性患者>、女神様は全てをお認めになられているという事。
異世界転生者の予言は崩された、私が手を下さずとも既に<辺境の勇者病仮性患者>が世界を改変していた。ならば次に私がすべきことはこのドラゴン領域を周辺国の緩衝地帯として成立させるのみ」
“バッ”
「これよりドラゴン領域自治領政府としての今後の方針を決定すべく幹部会議を行う、全幹部に通達、大会議室に集まるように。
ケトル、ご苦労だった。研究所に戻って国内通信網の新機構作製に取り組んでくれ。必要な素材については最優先で取り寄せるものとしよう」
憂いは晴れた、ここから先は予言に縛られない未知の領域、これまでの自身の研鑽が試されるとき。
私は動き出す、新たな秩序構築の為に、このドラゴン領域が世界一の楽園と呼ばれる日を夢見て。
これは後にドラゴン公国と呼ばれる新国家が産声を上げる切っ掛けとなった日の出来事、大公ホーネット・ソルティアが建国を決意し、大きく一歩を踏み出した日の出来事であった。
本日一話目です。