オーランド王国王都バルセン、オーランド王国の政治経済の中心地である王都には国内外から人・物・金が集まり、国内ばかりでなく周辺諸国へと流れていく。王都はいわば国家の心臓部であり頭脳、国家を形作るもっとも大切な場所であることは、異論を許さない事実であった。
その王都において経済的支柱であると共に権威の象徴でもある建物がある。オーランド王国王都商業ギルド本部、オーランド王国におけるあらゆる商取引の元締めであり商人たちのよりどころ。“王都商業ギルドを敵に回す事は、たとえ貴族であろうと破滅を意味する”、比喩や冗談ではなく厳然たる事実として語られる程、彼らの持つ経済力と発言力は凄まじい。
“カリカリカリカリカリカリ”
その王都商業ギルドを取り仕切る人物、王都において最も恐れられる人物の一人ベルナール・アパガードは、会長執務室で書類に目を通しながらペンを走らせていた。
“コンコンコン”
「ベルナール会長、お客様がお見えになりました」
「分かった、入ってもらってくれ」
秘書により静かに開かれた扉、ベルナールはペンを置き書類を執務机にしまうと、席を立ち客人を出迎える。
「これはこれはケビン・ワイルドウッド男爵閣下、ようこそおいで下さいました。どうぞ席にお座りください」
「これはベルナール・アパガード会長、このところ顔を見せる事も出来ず申し訳ない。こちらも何かと立て込んでいましてね、その件も踏まえてお話ししたいと思い、顔を出させていただきました」
執務室に入ってきた者は何処にでもいそうな雰囲気を持った青年であった。王都経済の中心である商業ギルド本部には不釣り合いな、どちらかと言えば田舎の畑で鍬を振っている方がお似合いといった空気を醸し出す者であった。
「それで本日はどういったご用件でしょうか。また何か新しい事業でも始められたとか?」
「いえいえ、流石にそう上手くはいきませんよ。私など辺境の田舎者ですから、王都で鎬を削るベルナール会長にご提案できるようなお話は中々。しいて上げればリットン侯爵領における米栽培事業の権利を買い取りませんかというお話くらいでしょうか」
米栽培事業の買取、それはこれからオーランド王国における新たな穀物として広がりを見せる可能性の高い商材の栽培権利を手に入れること。
「現在は実験栽培として一つの村での栽培のみとなりますが、栽培における必要事項は体系化し指南書という形でリットン侯爵家に提出済みです。今後リットン侯爵家が領内の農業事業として本格的に取り組めばその収益は間違いなく膨らんでいくでしょう。
リットン侯爵家とワイルドウッド男爵家の間には農法の指導や種籾の提供、実験農場の圃場造成をワイルドウッド男爵家が引き受けるという条件で、今後十年間収量の半分を引き渡すという契約を結んでいます。この十年という年数は米栽培がリットン侯爵家に完全に根付くまでの準備期間として換算したものです。米の収量が増えればその分こちらの取り分も増える、その間リットン侯爵家は他家に搾取されているようにも映りますが、長い目で見れば拡大していった圃場の分、それ以降の安定的な穀物栽培の道が開けることになる。
これまで領内の農業生産事業の中核となる作物を作り得なかったリットン侯爵家にとっては、大きな転換点となる事業なんです」
ベルナール会長はワイルドウッド男爵の話を聞きながら夏の終わりに行われた米の試食会のことを思い出す。多彩な調理法と豊かな味わい、どっしりとした食べ応えのある米料理は、多くの労働者ばかりでなく兵士や食べ盛りの子供たちにも人気が出ること間違いなしの有望な商材であったことを。
「ワイルドウッド男爵閣下、お話は分かりました。しかしなぜその権利の売却の話を私に? 試食会の時に米の流通にはアパガード商会が大きく関わっていくことは、すでにお約束しておりましたが」
ワイルドウッド男爵はベルナール会長の言葉に小さくため息を吐くと、肩を竦めてから言葉を続ける。
「それは米の栽培そのものを潰さないためです。初年度の米の栽培収量はリットン侯爵家の予想を遥かに超える豊作でした。米の栽培に携わった村人たちにもこれまでにない量の穀物が割り当てられ、村の米蔵にはこの先二年分の食糧が貯えられる事となった。この事は地域の監督官を通じリットン侯爵家にも伝えられたことでしょう。
彼らはこう思ったはずです、“既にワイルドウッド男爵家は必要ない、これからは全ての米を自分たちの物にする”と。こうした事は貴族領における新規事業においては往々にして起こりうることであるとか、ベルナール会長もそうして苦境に立たされた商会の話は多く聞き及んでいるかと。
それでも我がワイルドウッド男爵家は“辺境の蛮族”ホーンラビット伯爵家旗下の貴族家、リットン侯爵家としてもやたらに契約を反故にする訳にはいかない、そうなるはずでした。
ですが状況が変わりました、その事は既にベルナール会長の耳にも入っているのではないですか?」
そう言い首を傾げるワイルドウッド男爵に、口を噤むベルナール会長。
「教会と中央貴族がボルグ教国の後ろ盾を得て動き出します。旗頭はクロッカス第三王子殿下、名目は魔王討伐と聖地奪還、この動きにリットン侯爵家が乗らないはずがない。
ただそうなった場合確実に米栽培は頓挫する。目先の利益を求める監督官たちの思惑通りに生産性が上げられるほど、米栽培は優しくない。品質の悪い未成熟米や管理の行き届かないカビた米が市場に流れ始める、早ければ三年、長くとも五年以内に米栽培はオーランド王国には不向きと見放されるでしょう。
私はそれをどうにか阻止したい、米の圃場、田んぼは一朝一夕に出来る物ではない。田んぼは引き継ぐもの、育てる物。畑もそうですが、田んぼはつくり育てるものなのです。
リットン侯爵家の暴走を抑えるには別の力、別の睨みが必要となります。それが王都商業ギルドです。
いくら侯爵家といえども商業ギルドに権利の移った事業に横槍を入れることは難しい、そんな事をすれば領内の商人が一斉に手を引くことが明らかだからです。
譲渡金額はベルナール会長にお任せします、その代わり指南書の厳守と村人の保護を第一にしていただくよう、お願い申し上げます」
そう言い頭を下げるワイルドウッド男爵の姿に、ベルナール会長は改めて目の前の人物の大きさを感じていた。自らの保身や利益よりも蒔いた種がオーランド王国に根付く事を望む、真の愛国者とはこうした人物の事をいうのではないか、そのような人物をこの国の者たちは。
ベルナール・アパガードは自身の心に沸々とした怒りが沸き起こるのを感じ拳を握りしめる。
「畏まりました。リットン侯爵家における米栽培事業譲渡の件、リットン侯爵家との交渉も含めて王都商業ギルドでお引き受けいたしましょう」
「ありがとうございます、これで心置きなく今日の本題に入れる。
オホンッ、本日はドレイク・ホーンラビット伯爵閣下の名代として全権を預かりお伺いした。ホーンラビット伯爵家は、ただいまこの時を以って王都商業ギルドの口座預入金を全額引き下ろすものとする。これはホーンラビット伯爵家の公式見解である」
執務室の時が止まる、静寂が場を支配する。
ホーンラビット伯爵家の口座預入金、それはすでにオーランド王国の年間国家予算を優に超える金額であり、王家の流動資産と同等の規模に達していたからであった。
「いえ、あの、それは流石にこの場で直ぐにどうこう出来る金額では・・・」
「何を言っている、私は何も無理難題を言っている訳ではない、預けた金を引き下ろす、そう宣言しただけなのだが?
理由は簡単だ、オーランド王国第三王子クロッカス・ウル・オーランドの名において口座資産の凍結もしくは差し押さえが行われる公算が大きいからだ。これが単にクロッカス王子殿下の独断であれば簡単に突っぱねることが出来るだろうが、今回はそう単純ではない。魔王認定、魔王の支配する土地の領主という汚名は、正義の御旗の下その蛮行を可能とする力を持つ、この事は歴史が証明している、違うか? ベルナール・アパガード会長」
ワイルドウッド男爵の言葉に反論を失うベルナール会長、これまで魔王として断罪された多くの国家や勢力が、商業ギルドにおいても同様の措置を受けたことは歴史上の事実であったからである。
「商業ギルドは商売において取引の公正さを保つために作られた組織ではあるが、絶対的な正義などではない。人と人との間に立つ組織である以上逆らえない状況などいくらでもある、その最たる例が魔王討伐だ。
これまでも邪魔者を排除するために多くの魔王が作られてきた、魔王は人類の敵という認識が浸透している状況においてそれは非常に有効な手段だ。その為各国は教会に寄付を送り自身の立場を確かにする。
あのバルカン帝国ですら国内の教会とボルグ教国に寄付を欠かさなかったのはそれが理由、ボルグ教国の発言力は魔王認定という一点においてそれ程に強力だ。
結果このまま放置すれば近いうちにホーンラビット伯爵家の資産は根こそぎ奪われる、甘い蜜を吸いたがっている魔獣は王都にゴロゴロいるからな」
ワイルドウッド男爵の言葉は一切の反論を許さない。何故ならそれは確実に起こる未来であり、その事はベルナール会長にも容易く想像がつく事実の積み重ねであったからであった。
「しかし、その、それだけの引き出しをお引き受けできるほどの資金がございません。せめて一年、いや、半年お待ちいただければ」
冷や汗を流し言葉を詰まらせるベルナール会長、だがワイルドウッド男爵は首を横に振る。
「無理だな、その段階ではすでに魔王認定が各国に向け広く知らされ、ホーンラビット伯爵家の資産を凍結せよとの圧力が強まってしまうだろう。
奴らを出し抜くには今この時を以ってしかないのだよ。
だが現金がないことは事実、商業ギルドから資金を引き出す事は出来ない、だったら借りればいい。アパガード商会をはじめ、王都には多くの商会が軒を連ねている。全ての資金を集めれば決して不可能なことではないだろう?」
「いや、しかしそれでも足りません、実際にオーランド王国国内で流通している貨幣はそれほど多くはないのです。それにそれ程の資金が一気に市場に流れ込んでしまえばオーランド王国経済がどうなってしまうか」
ベルナール会長の脳裏をよぎる最悪のシナリオ、それは未曽有の大インフレによる経済の混乱、ホーンラビット伯爵家の資産はそれを可能にする途轍もない金額ということ。
「フッフッフッフッ、アッハッハッハッ、いや~、すみませんね~。何か役に嵌ってついつい調子に乗っちゃいました。
要するに何が言いたいのかといえば、ホーンラビット伯爵家が王都商業ギルドから資金引き出しを行って、商業ギルド口座には既にその資産はないという事を書類上に記録したいってだけなんですよ。
それじゃどうすればそんなことができるのかといえば、先ほど言ったみたいに王都の各商会にご協力願って資金提供を行って貰うんです」
急に雰囲気を変えて砕けた口調になるケビン・ワイルドウッド男爵に、呆気にとられるベルナール会長。だがすぐに「それでも資金が集まりません」と言葉を添える。
「いやいや、だから言ってるじゃないですか、書類上の記録を残す必要があるって。無論状況を作り出す為に少しは引き出しますけどね、それでも金貨二万枚もあれば十分でしょう。
では残りはどうするのかといえばホーンラビット伯爵家が引き出した金額を各商会に貸し与えるんですよ。要するに名義貸し、各商会は商業ギルドに多くの資産を預けた状態で同等の金額を借り受けることができる。ホーンラビット伯爵家からは十年間の無金利貸し付けを約束しましょう、借りた資金をどう運用するのかはそれぞれの商会次第、騒動は一年以内に収まると思いますが王都の状況は一変すると思いますよ? それに王都商業ギルドに対する貸付金利だけでも決して損にはならないのでは? 王都商業ギルドがこの提案を蹴るというのならドルメキアン商業国の商業ギルド総本部で引き出しと新規口座開設を行うだけなんですけどね。あの国であればホーンラビット伯爵家の資産程度どうとでもなりますしね」
そう言いニコリと笑うケビンに顔を引き攣らせるベルナール・アパガード会長。それは一見優しい提案のように見えて完全なる最後通告、ドルメキアン商業国の商業ギルド総本部への資金移転などという普通ならあり得ない提案とあざ笑う事を、目の前の人物が平然とやってのけることをベルナールは知っている。
「わ、分かりました。直ちに各商会に呼び掛け今月中には結果をご報告「一週間、それ以上は待てないかな? 一月もあればクロッカス第三王子が確実にかぎつけて潰しにくるしね。それとホーンラビット伯爵家からの再貸し付けは絶対に知られないように、参加商会の選定は厳重にね。
あと中央貴族と今回の騒動に参加する枢機卿たちへの貸付金、焦げ付かせないように資金の回収手段をよく考えておいた方がいいかもよ? 流石に領地を奪われようとしているうえに魔王認定だからね、うちも簡単に済ませるつもりはないから」は、はい。ご助言ありがとうございます、ケビン・ワイルドウッド男爵閣下」
ベルナール・アパガード会長は、目の前でにこやかに微笑む青年を見つめ確信する。この戦いは戦いとも呼べない程の圧倒的な形で終息を迎えるだろうと。目の前の青年はただの生贄の魔王などではない、中央貴族と教会、そしてボルグ教国は決して触れてはいけない何かを怒らせてしまったのだと。
“魔王ケビン・ワイルドウッド男爵”、その名前にブルリと身を震わせながら、この要求を最優先に処理すべく予定を組み立てるベルナール・アパガードなのであった。
本日二話目です。
いってらっしゃい。
by@aozora