王都の精神的支柱、王都教会。夏の終わりに起きたドラゴン襲来以来、心に深い傷を負い救いを求める人々が連日押し寄せたそこは、今は別の意味で民衆の集う場所に変わっていた。
「皆さん、顔を上げてください、胸を張って下さい、空を見上げてください。皆さんには何が見えますか? 白い雲、青い空、暖かな日差しを与えてくれる女神様の愛。私たちの何気ない日常、何気ない景色、その全ては女神様の愛により包まれているのです。
そしてその事を皆さんは実感したはずだ、ドラゴンの襲来という絶体絶命の危機を、皆さんは生き残ることが出来た。このような奇跡がこれまでにあったでしょうか。
オーランド王国の長い歴史を振り返れば、剣の勇者様が三日三晩の戦いの末にドラゴンに認められ、人々の危機を救ったという話があります。ですが今回皆さんが経験した事態はそれとは違う。
確認されたドラゴンの数は五体、そのどれもが厄災と呼んで過言ではない恐るべき力を秘めた個体であったことは、皆さんが誰よりも知っているはずです。
ドラゴンを操りオーランド王国に嗾けたバルカン帝国は、その報いを受けました。ドラゴンたちにより国は南北に分断され、帝都は完全に壊滅しました。あのドラゴンたちはまさに厄災そのものであったのです」
王都教会の大聖堂、隙間なく詰め掛けた王都民たちを前に、枢機卿の言葉は続けられる。
「ではなぜ我々は無事なのか、それ程の脅威に曝されながら王城の損壊だけで済むなど奇跡以外の何物でもない。
この事実こそが、私たちが女神様に愛され寵愛を受けている証なのです。
怯えることは止めましょう、怯える必要など最初からなかったのです、何故なら私たちこそ女神様より選ばれた民であるのだから。
皆さん、誇りを持ちましょう、胸を張りましょう、そして女神様に感謝の祈りを。女神様は常に皆さんのことを見守り下さっているのですから」
“パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ”
大聖堂を揺らさんばかりの拍手が巻き起こる。枢機卿は聴衆を見回すと、笑顔を浮かべ満足げに壇上を下がっていく。
その様子を大聖堂の隅で眺めていたルビアン枢機卿は、「危険だな」と小さく呟くのであった。
“コンコンコン”
「失礼いたします。ルビアン枢機卿猊下、ベルトナ教皇猊下がお呼びです。教皇執務室へとお越しいただきたいとの事です」
自身の執務室に戻ったルビアン枢機卿は、配下から送られてくる報告書に目を通していた。そこに記されていたものは王都ならびに周辺都市における熱狂の広がり、自分たちは女神様に選ばれた民であるという選民思想が、ドラゴン襲来による不安を塗りつぶすように広がっていっているというものであった。
「分かった、すぐに向かうと伝えろ」
「はい、失礼いたしました」
ルビアン枢機卿は報告書を執務机の引き出しにしまうと、席を立ち窓の外に目を向ける。そこには日々の礼拝に訪れる多くの信者の姿、その瞳には女神様に対する感謝と日々の安寧を願うといった従来の祈りとは違った、歪んだ熱狂が宿っているように見える。
「軍部の造反が治まったと思ったら次は民衆の反乱か。ゾルバ国王陛下もさぞや頭の痛い事であろうな」
ルビアン枢機卿は踊らされている事にも気が付かない愚かな民衆の姿から視線を切ると、執務室を後にするのだった。
“コンコンコン”
「失礼いたします、ルビアン・ポートランド、教皇猊下のお呼びと聞き参りました」
王都教会の中枢教皇執務室、その扉を叩くルビアン枢機卿に執務室内から入室を許可する言葉が返される。
静かに開かれた扉の奥は歴史の重みを感じさせる重厚な造りであり、歴代の教皇が執務を行ってきた王都教会におけるもっとも重要な場所としての威厳を漂わせる。
「ルビアン枢機卿、忙しいところ呼び立てて悪かったね。まぁこちらに座って下さい。それと紹介しておきましょう、こちらはグロリア辺境伯領に本店を持つモルガン商会商会長セルジオ・モルガン氏、モルガン商会長とはグルセリアのメルビン司祭長からの紹介でね、例の聖水布の関係以来親しくしているんですよ」
接客用の皮張りのソファーに座り、ルビアン枢機卿に声を掛けるベルトナ教皇。ローテーブルの向かいに座っていた壮年の商人が席を立ち、一礼の後口を開く。
「只今ベルトナ教皇猊下よりご紹介いただきましたモルガン商会商会長セルジオ・モルガンと申します。本日は高名なルビアン枢機卿猊下のご尊顔を拝し、誠に光栄にございます。田舎者故礼節に欠ける点がございましたら平にご容赦いただきたく存じます」
「丁寧な挨拶、感謝いたします。私はルビアン・ポートランド、王都教会において枢機卿の役目を賜っております。モルガン商会の噂はかねがね伺っております、特にビッグワーム農法の指南書を製本されオーランド王国の食糧事情改善に大きく貢献されているお話は、大変高く評価させていただいております。
これからもオーランド王国の民の為、共に力を合わせ頑張って参りましょう」
そう言い握手を求めるルビアン枢機卿に、恐縮しながらも手を差し出すモルガン商会長。ベルトナ教皇はそんな二人の様子を笑顔で見守りながら、ルビアン枢機卿に自身の隣に座るよう促すのだった。
「まずルビアン枢機卿に来てもらった一番の理由を話さなければなりませんね。先程こちらのモルガン商会長を紹介した時に言ったように、モルガン商会はグロリア辺境伯領の領都グルセリアに本店を置く商会でね。グルセリア教会のメルビン司祭長から、ルビアン枢機卿に宛てた書簡を預かってきたんですよ。私にも同様の内容の書簡が送られた為内容については理解しています。簡潔に言えばピエール司祭見習いを自身の養子としたいとの申し出でした。
メルビン司祭長は何かと夜遊びの過ぎる男ではあったのですが、結局一人身のまま今に至ります。そこに事情があってピエール司祭見習いを預かることとなり、情が移ってしまったようです。
モルガン商会長によれば、ピエール司祭見習いは毎日メルビン司祭長に振り回されて大変逞しく成長しているとの事でした」
そう言い愉快そうに肩を震わせるベルトナ教皇の言葉に、ピクリと頬を動かすルビアン枢機卿。ピエールはルビアン枢機卿が王家との繋がりを作るために産ませた実の子の内の一人であった。数名の子供たちの中で一番できの良い子供であったピエールを駒として送り込み、アルデンティア第四王子殿下の側近に据えることには成功した。しかしピエールは自身の役割を正しく理解してはいなかった、結果大きな失敗を犯し、あわや教会と王家との関係を決定的に悪化させる寸前にまで追い込んでしまった。
だがピエールはその時点ではまだ終わらなかった。自身を見直し己の役割を理解し、再び駒としての有用性を見せ始めていた。
だがピエールは再び失敗を犯した、それも一番怒らせてはいけない相手、ホーンラビット伯爵家を愚弄する暴挙に出てしまった。
ピエールがグロリア辺境伯領のメルビン司祭長の下で働くようになったことは、ホーンラビット伯爵家の恩情であった。若い命を散らせたくないという思いが、形式上処罰を受けた様に見えるであろう地方勤務という選択肢を与えてくれた。
「そうですか、ピエール司祭見習いがそれでよいというのであれば私に異論はありません。モルガン商会長からメルビン司祭長に私がくれぐれもよろしく頼むと言っていたとお伝えいただければ幸いです」
使えない駒、だが無視する事の出来ぬ駒。のどに刺さった骨のような存在であったピエール司祭見習いの処分先が決まった事は、ルビアン枢機卿にとっても得となる話であったのである。
「では次に少し政治的な話をいたしましょうか。ルビアン枢機卿も知っての通りボルグ教国から王家にホーンラビット伯爵領マルセル村の引き渡し要求が来ています。これは実質的にホーンラビット伯爵領をボルグ教国が支配するというもの、王都教会には共同管理と言ってきていますがこれがどこまで果たされるのかは不透明です。
王家は一貫してその要求を拒否していますが、クロッカス第三王子を中心とした中央貴族勢力と王都教会の一部枢機卿たちはボルグ教国を支持、ホーンラビット伯爵家に大魔境開拓を命じ、自身の開拓した土地を領土にせよと申し渡すようです。
これは明らかにホーンラビット伯爵家の武力を恐れての排除の動き、現在オーランド王国で最も発言力を持つ西側勢力を牽制し、一気に力を削るための布石でしょう。
ルビアン枢機卿はこの動きをどう捉え、王都教会がどうあるべきと考えていますか?」
ベルトナ教皇の歯に布を着せぬ物言いに視線を鋭くしたルビアン枢機卿は、ベルトナ教皇の発言の真意を考える。ベルトナ教皇は明らかに今の王都の流れを危険視している、そして自身に問い掛けてきているのだ、“お前はどちらに付くのだ?”と。
「確かにボルグ教国の発言力は強い、彼らの要求は王家としても無視する事が出来ない圧力を持っています。ですが今は状況が違う、オーランド王国のここ数年の動乱は、国内の力関係を激変させた。
グロリア辺境伯家とランドール侯爵家との衝突に始まったこれらの動きは、一年戦争と軍閥貴族の造反を以って決定的なものとなった。私の調べでは隣国ヨークシャー森林国の疫病騒動の終息にも、グロリア辺境伯家とホーンラビット伯爵家が関与していることが分かっています。
そして現状グロリア辺境伯領とホーンラビット伯爵領は自治領となっており、王家の管理下にはない。北西部貴族連合、南西部貴族連合、ダイソン公国は強固な同盟関係にあり、その中心的な引き付け役を担っているのがホーンラビット伯爵家です。
つまりホーンラビット伯爵家を中心としてオーランド王国西部とダイソン公国、ヨークシャー森林国は一つの共同体、連合国として機能し得る状況が整っているのです。
そのような状況でその中心地であるホーンラビット伯爵領を寄越せという事は、連合国に戦争を仕掛ける行為に等しい。私は王都教会の枢機卿として、そのような愚行に加担することを強く反対致します」
ルビアン枢機卿の言葉、それは誰かの味方をする、誰かの勢力に付くといった私的なものではなく、より客観的事実に基づいた状況の分析、王都教会枢機卿の職務としての最善の選択。
ベルトナ教皇はその言葉に深く頷きモルガン商会長に目を向ける。モルガン商会長は「ルビアン枢機卿の御意思、確かに承りました。今後モルガン商会はルビアン枢機卿を強く支持させていただきたいと思います」と述べ、一礼の後この場を下がるのであった。
モルガン商会長の退室を見送ったルビアン枢機卿はある違和感に顔をしかめる。それはモルガン商会長の付き人であろう青年が、いつまでも執務室に残っていたからであった。
「何をしている、主人が下がったのだ、君も直ぐにこの場を下がりなさい。ここは教皇猊下の執務室、君のような者が立ち止まってよい場所ではない」
丁寧な物言いの中にも不快な感情が見える言葉に、青年はベルトナ教皇へと視線を向ける。ベルトナ教皇はいたずらが成功した子供のような笑みを浮かべ、青年に向け口を開く。
「申し訳ありません、魔王陛下、この者は何も知らないものでして」
「冗談はお控えください、ベルトナ教皇猊下。あなた様の言葉は洒落ではすみません、私の首が危ないではありませんか。もっともそうなったらそれ相応の対処は致しますが、今はまだその時期ではないでしょう。
ルビアン枢機卿猊下、初めてお会いいたします。先程のお話は感服いたしました、情報の収集能力ばかりでなくオーランド王国の現状を正しく把握なさっておられる。流石はベルトナ教皇猊下が次期教皇と推薦なさる御方、このケビン・ワイルドウッド、深く敬意を向けさせていただきたく存じます」
そう言い頭を下げる目の前の青年に、目を大きく見開くルビアン枢機卿。ケビン・ワイルドウッド男爵、それは王家が恐れ王都諜報組織“影”が絶対不可侵と警戒する只一人の人物。ホーンラビット伯爵家を中心としたすべての事象を陰で操り画策した黒幕にして、ボルグ教国が生贄に指名した“作られし魔王役”。
「何故この場に貴殿がいるのだ、ここは貴殿にとっての敵地ではないのか?」
「そうですね、分かり易く言えば見極めです。残す者、排除すべき者の見極めをベルトナ教皇猊下にお願いしに来たといったところでしょうか。
その点ルビアン枢機卿猊下は素晴らしかった、あなた様であればオーランド王国王都教会も安泰でしょう。
ご安心ください、いずれ邪魔になる不要分子はあるべき場所に移っていただきますので。あなた様はただこう仰っていただければいい、“王都教会の長である枢機卿として、王都教会の方針に従えない者はその地位を剥奪する”と。
宣言はボルグ教国が聖地奪還の為の魔王討伐軍を進軍させ始めてからでいいでしょう、それまでにベルトナ教皇猊下からルビアン枢機卿猊下への権力の移譲が行われると聞いています。詳しいお話はこの後にでもベルトナ教皇猊下からお伺いください。
それでは私はこれで失礼させていただきます」
青年、ケビン・ワイルドウッド男爵は事務連絡でもするかのように語り終えると、一礼の後教皇執務室を下がっていくのであった。
「どうです、面白かったでしょう? 彼が“今代の魔王”、ケビン・ワイルドウッド男爵です。私は言ったんですよ、“ボルグ教国は本気である、彼らはナミビア王国の勇者を招聘するつもりだ”ってね。そうしたらワイルドウッド男爵は何て返したと思います?」
ソファーの隣に座るベルトナ教皇の言葉に、ルビアン枢機卿が唇を引き締め視線を向ける。
「彼は一体何と言ったのですか?」
「“来てもらわなければ困ります、皆勇者と戦う事を楽しみにしているのですから”って言ったんですよ。
ダイソン公国の一万を超える軍勢をたった三十騎の騎兵で沈黙させ停戦条約を結ばせ、南街門前に構える王都騎士団をたった八騎で壊滅させ、バルカン帝国軍の侵攻をたった四人で丸一日抑え切ったホーンラビット騎士団。こうして陰で動き、敵対者の権力基盤と経済基盤を確実に潰していくケビン・ワイルドウッド男爵。
王都中央貴族と枢機卿たちはどうしてそんなものを相手に勝てると思ってしまったのか。私がルビアン枢機卿を次期教皇に指名しようと思ったのはあなたがことさら優秀であったというだけではないんです、他に選択肢がなかったんですよ。
これから起きる喜劇はあなたにとって良い教訓になるやもしれません、お互いじっくりと見物させてもらおうではありませんか」
そう言い肩を竦めるベルトナ教皇に、ルビアン枢機卿は唾を飲み乾いた笑いを浮かべることしか出来ないのであった。
本日一話目です。