風が吹く、雲が流れる、月明かりが世界を照らし、目の前の礼拝堂を映し出す。
“ガチャッ、コツンッ、コツンッ、コツンッ”
開かれた扉、静まり返った礼拝堂に靴音が響く。
“コトンッ、コトンッ、コトンッ、コトンッ”
講堂の奥、女神様の像が優し気な笑みを湛え人々の祈りを受け止めるその場に次々と並べられる物。エールの詰まった樽、ビッグワーム干し肉三種詰め合わせ、ボア肉の燻製、キャベールやトメートといった野菜など、市場の店先に商品を並べるかのように多くの品々が姿を見せる。
“サッ”
男性は女神様像の前にそれらの食材を供え終わると膝を突き、心の底からの祈りを捧げる。
「世界を支える多くの者たちに感謝を。陰に回り、決して称賛されることのない者たちに敬意を。この世界に生まれる闇を受け止め、あるべき姿に戻し続ける者たちに深い親愛の思いを。
この品々は日頃の感謝の表れ、所長をはじめとした職員の皆様にお納めいただきたくお持ちいたしました。ご迷惑をお掛け致しますが、今後ともどうかよろしくお願いいたします」
“ブワッ”
次の瞬間床面から赤黒い炎が溢れ、女神様像の前に並べられた品々が一瞬にして姿を消す。炎の消えた講堂の床には、一枚の紙。
祈りを終えた男性は立ち上がりその紙を拾い上げると、小さく呟く。
「扶桑国産の米酒追加って、手持ちあんまりないんだけど。でもまぁケーナが世話になってるし、今度暇を見つけて買い出しに行かないとな。でも遠いんだよな、あそこ。どこかの山の中にでも移動用の秘密基地造っちゃう? いずれにしても一回行かないとだめだよね、バッカス酒店の米酒じゃどうしても神気が混じっちゃうからな~」
男性は手に持つ紙を収納の魔道具にしまうと、踵を返し扉に向かい歩いて行く。
“コツンッ、コツンッ、コツンッ、ガチャッ、バタンッ”
天井に取り付けられた明り取り用の天窓からは、月明かりが差し込んでいる。
男性の立ち去った礼拝堂は、星空の下、ただ静かに佇むだけなのであった。
―――――――――――
その知らせが届いた時、王城の会議室は騒然とした空気に包まれた。
「ではその方はホーンラビット伯爵の下にクロッカス第三王子殿下の親書を届けてきたと申すのだな?」
「は、はい。私モンド・ベルモントはライトニー・マルス侯爵の命を受け、クロッカス第三王子殿下の親書をホーンラビット伯爵の下に届けてまいりました。しかしホーンラビット伯爵は不敬にもクロッカス第三王子殿下の恩情を受け入れる事は出来ないと、ホーンラビット伯爵家の総意として提案を断ると断言いたしました」
会議室に集まる貴族たちの表情は複雑であった。クロッカス第三王子殿下の軽率な行動に顔をしかめる者あり、明確な敵意を向ける者あり、ホーンラビット伯爵の答えに憤慨する者あり、所詮は成り上がり者の田舎貴族とあざ笑う者あり。
この場に集うは王家に絶対の忠誠を誓う国王派と呼ばれる者、古くからオーランド王国を支えてきた中央貴族と呼ばれる者、アルデンティア第四王子殿下を盛り立てるべく集った中立派と呼ばれる者。
彼らは国際的緊張状態に晒されるオーランド王国の行く末を決める為、多くの意見を議論し合っていたのである。
「クロッカス、これはどういう事であるか。我はホーンラビット伯爵家には手出し無用と申し付けておいたはずであるが?」
「国王陛下に申し上げます。国王陛下は一伯爵家を優遇し過ぎてはおられないでしょうか。
オーランド王国は四千年の歴史を持つ大国、国王陛下はその大国の長であらせられる。そのような伝統と格式のあるオーランド王国の指導者が臣下に対し必要以上に気を使う、これは王国国家としてあるまじきことではないのでしょうか。
確かにホーンラビット伯爵家は精強な騎士団を有している、これまでであればそうした力頼みの者も必要であったやもしれません。しかし状況は変化したのです、最大の脅威であったバルカン帝国は沈黙し、その上でボルグ教国が我が国と手を結びたいと提案して来ている、これを逃す事は国益を損ねる行為に他なりません。
国王陛下、何卒お考え直しいただきたい、最早我々に残された時間はないのです」
ゾルバ国王の問い掛けに毅然とした態度で反論を行うクロッカス第三王子、その様子に中央貴族を纏めるライトニー・マルス侯爵は口元を緩める。
しかしゾルバ国王は顔をしかめ、尚も言葉を続ける。
「クロッカスよ、其方の言いたい事は分からんでもない。ボルグ教国は女神様信仰の中心であり各国に対し強い発言力を有している。基本的に中立を謳うボルグ教国ではあるがそれは表向きの事、切っ掛けさえあれば彼の国は平然と切り札を発動する。
過去我が国においてもその力を頼み、剣の勇者をボルグ教国へと派遣した歴史がある」
「オークの魔王討伐ですか、すでに国内外から高い支持を受けていた剣の勇者が歴史に名を残した件ですね。私も勇者物語と王家に残された歴史書を読み、表の伝承と政の実際とを学ばさせていただきました。
であれば尚の事、国王陛下には現状の危うさがご理解いただけているはずだ。我々は既に試されているのです」
自信に満ち、力強い視線を向けるクロッカス第三王子。そんな我が子に“どうしてこの者はこうも現実が分からないのか”と深い憤りを感じるゾルバ国王。
「クロッカスよ、其方の提案はホーンラビット伯爵家に領地を退き大魔境で領地開拓を行えというものであったな? 領地の引き渡しはまだ理解しよう、だがなぜ未開の地での領地開拓を行わせようとしたのか、王家の都合での領地替えであるのならば、王家の土地を与えるのが筋ではないのか?」
「国王陛下、それではホーンラビット伯爵家の力を無駄にしてしまいます。現在王家主催で開かれている大森林素材のオークションは、各国から多くの商人を集め好評を呈しております。ホーンラビット伯爵家には引き続きその役割を担ってもらわねばならない。
であるのなら多くの魔物素材に溢れる大魔境に領地を作るのが最も効率が良い。これは各貴族領で作られる城壁都市と同様の発想です。領地がまるごと城壁都市化するというのは例がありませんが、ホーンラビット伯爵家の領地の大きさを考えれば、それほどの違いは見られないものかと。
ホーンラビット伯爵家には開拓した分の領地所有を認めることを条件とすれば、彼らも懸命に尽くしてくれる事でしょう」
輝かしい未来への展望、オーランド王国の国益にもかなう提案に、クロッカス第三王子は周囲の貴族たちに目を向ける。
反応は二つ、クロッカス第三王子の提案が齎す利益に大いに賛成を示す者、あまりに現実の分かっていない夢物語に、呆れを通り越して無言となる者。
「クロッカスよ、何を以ってホーンラビット伯爵家を動かす気であったのだ。王家への忠誠などという絵空事は申すなよ? ホーンラビット伯爵家は武力により一年戦争を終了させた家、自治領宣言をしているホーンラビット伯爵家に王家に対する忖度など働かん事は明白であるからな」
しばしの沈黙、ゾルバ国王が見つめる中、クロッカス第三王子はゆっくりと周囲を見回し自信に満ちた声音で語り出す。
「国王陛下、おかしいとはお思いになられませんか? 嘗て“オーランド王国の最果て”、“貴族令嬢の幽閉地”とまでいわれた辺境の地の一村長が今や伯爵家を興し貴族として領地を持つにいたっている。このような事、オーランド王国の長い歴史を振り返っても異例中の異例、あり得ない事なのです。
ではなぜそのような事が起きているのか、ホーンラビット伯爵にそれほどまでの才があったから? 既に引退していた金級冒険者と白金級冒険者が現役時代よりも強大な力を持ち、精強な騎士団を率い王城へ乗り込んだ。これまで実戦など経験した事もない若者が三英雄として謁見の間で堂々と交渉を行った。形ばかりの貴族であり田舎村長であった者が、北西貴族連合・南西部貴族連合・ダイソン公国の同盟締結の中心にいる。
数多くの魔物を従え、人々を惑わし、静かに、確実にオーランド王国を裏から支配しようとする人類の敵。
ボルグ教国は魔王討伐に動き出します、私はその魔王討伐に於いてオーランド王国の窓口を務める事となりました。その事は王都教会とボルグ教国の了承を取り付けてあります」
力強い笑みを浮かべゾルバ国王の言葉を待つクロッカス第三王子、それは自分の背後には教会の大勢力が付いているという絶対的自信の表れ。
「魔王、魔王か~。まぁ気持ちは分からんでもないがな。我も物事の見えぬ時分であればこれを機に反発的な勢力の粛清をなどという頭の沸いた決断をしていたやもしれん。
クロッカスよ、お主は本当に過去の我らそのものであるな。
“北の大地、厄災の種誕生せり”、大聖女イブリーナ・ボルグ殿が残された言葉だ。ホーンラビット伯爵領マルセル村に向かった異端審問官からの報告書も受け取っている、その時点でボルグ教国がホーンラビット伯爵領に干渉するであろうことは予測されていた。
ヨークシャー森林国、リフテリア魔法王国、ミゲール王国、スロバニア王国、バルカン帝国、ダイソン公国、ドラゴン領域自治政府にはオーランド王国国王ゾルバ・グラン・オーランドとして、ケビン・ワイルドウッド男爵に対する魔王認定が出されたとしてもオーランド王国として強く抗議する旨の書簡を出し、魔王討伐参戦要請には応えないよう協力を頼んである。各国とも国として兵力を送る事はしないとの確約を示してくれた。
当然我がオーランド王国も兵を差し出す事はしない。これは国王としての決定であり、その決定に背く事は国に対する背信行為であると心得よ」
だがその自信はゾルバ国王の一言で打ち砕かれる、既に国の最高権力者は国家の方針として魔王討伐の拒否を決定していたのである。
「国王陛下、陛下はオーランド王国を人類に仇なす裏切り者にするおつもりか。ボルグ教国は既に魔王討伐に向け動き出している、魔王認定の発表と同時に勇者軍がオーランド王国に向け進軍を開始するのですよ? 我らに出来る事は勇者軍を歓迎し、魔王討伐に助力する事だけなのです」
「先程申したはずだ、オーランド王国は魔王認定自体に強く抗議すると。我らは女神様の信徒である、故に勇者と事を構えるつもりはない。だが、誤った行いに同調するつもりもない。
オークの魔王の歴史を知るクロッカスであれば、勇者の行いが必ずしも正しいとは限らない事など百も承知しておろう。例え勇者であろうと時の権力者の思惑により翻弄される存在であることは、歴史が証明している。
繰り返しオーランド王国国王ゾルバ・グラン・オーランドの名において宣言しよう。オーランド王国貴族ケビン・ワイルドウッド男爵を魔王に仕立て上げ、ホーンラビット伯爵領を占有しようとするボルグ教国の行動は明らかな内政干渉である。よって強く抗議すると共に、国内貴族がこの行動に同調し参戦する事を禁止する。
これを犯す事は国家に対する反逆行為であり、処罰の対象とするものである」
クロッカス第三王子の提案に対する明確な拒絶。これによりクロッカス第三王子を旗頭とする中央貴族とゾルバ国王に従う国王派は完全に二つに分かれる事となったのである。
「残念です父上、父上にはご理解いただけるものと思っていたのですが。先程も申し上げました通り、ボルグ教国は既に準備を終えました。あと数日で各国の王都大聖堂から魔王出現と勇者軍進軍の知らせが齎される事でしょう。その知らせを受けた国民がどう考えるのか、魔王側に立つと宣言する国王陛下と勇者側につく私、どちらが正しいのかは一目瞭然となるでしょう」
「クロッカス、其方は夢を見過ぎだ。勇者でもどうしようもないことなどいくらでもある事は、あのドラゴンの大侵攻が教えてくれたであろうが。
其方まで教会が喧伝する“我らは女神様に選ばれた民である”などという世迷言を信じている訳ではあるまい? 我らが生かされた陰にはその事に尽力した者がいただけの事、我らの事などいつでも滅ぼせたであろうことはバルカン帝国の惨状が示しているであろう。
今は馬鹿な事で人同士が争っている場合ではないのだ。現実を見よ、クロッカス、十二万もの将兵を滅ぼしたダイソン公国軍をたった三十騎で制圧し、王宮騎士団をたった八騎で沈黙させたホーンラビット伯爵家騎士団を嘗めるな。例え勇者であろうと「“聖剣バルボア”、“聖弓アテナ”、“聖杖グランディア”が勇者パーティーへ貸与されます」・・・なに!? それはボルグ教国の三大神器ではないか!!」
驚きに目を見開くゾルバ国王に、寂しげな視線を送るクロッカス第三王子。
「言ったはずです、ボルグ教国は本気であると。ボルグ教国との交渉は私が担当しましょう。父上は父上の道を行かれるがいい、私は新しいオーランド王国王家の為の地盤固めをいたします。
では我々はこの辺で失礼させていただきます」
一礼の後、勝利の笑みを浮かべたライトニー・マルス侯爵たち中央貴族と共に会議室を後にするクロッカス第三王子。後に残された者たちの間には、先の見えぬ不安が静かに広がっていくのであった。
今朝も頑張って。
いってらっしゃい。
by@aozora