“コンコンコン”
「失礼します、ビーン・ネイチャーマンです。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
王都で最も権威ある学び舎王都学園、その歴史ある建造物の中でも威厳と風格を称えた場所である学園長執務室。
「どうぞ、お入り下さい」
重厚な扉の向こうから聞こえる許可の声に、学園講師ビーン・ネイチャーマンは静かに扉を開く。執務室の中では部屋の主であるシュテル・バウマン学園長が、机の上に並べられた書類に目を通している。
「お忙しいところ失礼します。新年度の要注意生徒の指導方針につきまして、学園長のお考えをお聞きいたしたく、お伺いさせていただきました」
一礼をし用件を伝えるネイチャーマン講師に学園長はソファーへの着座を勧めると、立ち上がりお茶の準備を始める。
「学園長、申し遅れましたが冬期休暇中に帰郷した際に、地元の名産品であるマルセル茶を購入してまいりまして。些少ではありますがお納めください」
ネイチャーマン講師はそう言うと、手提げカバン型マジックバッグから茶筒を取り出しローテーブルの上に置く。学園長は「いつもすみません、遠慮なくいただきます」と礼の言葉を向けてから茶筒を受け取ると、ティーカウンターでマルセル茶を淹れ始める。
“チョロチョロチョロ”
陶器のポットからティーカップに注がれる鮮やかな緑の液体、爽やかな若葉の香りが執務室に広がっていく。
“カチャッ、カチャッ”
ローテーブルに置かれたティーカップは二つ、学園長はネイチャーマン講師の向かいのソファーに腰を下ろすと、ティーカップを手に持ち静かに口を付ける。
「ハァ~、これは何とも気分が落ち着くお茶ですね。創国でも一部の地域ではこうした緑茶の飲み方があると聞いた事がありますが、オーランド王国にはまず入ってこないのですよ。
お茶好きの私としては是非口にしてみたいと思ってた一杯でしたので、まさかオーランド王国でこのような機会に巡り合えるとは思いもよりませんでした。ネイチャーマン先生、素晴らしい茶葉をありがとうございます」
「いえいえ、こちらはマルセル村が新たな特産品として栽培に力を入れている品でして、中央大陸の東の島国扶桑国から移り住んだ鬼人族のお茶農家の方々が中心となって茶畑を広げているのですよ。
この春から新しい生産体制も整いましたので、来年以降であれば王都でも入手できるようになると思います。詳しくはモルガン商会王都支店へお問い合わせください」
学園長はネイチャーマン講師の言葉に笑みを浮かべると、「それは楽しみです」と言って再びティーカップに口を付ける。
「さて、世間話はこれくらいにして肝心なお話をいたしましょうか。ネイチャーマン先生もよくご存じのように、現在王都では光の勇者グロリアス率いる魔王討伐軍の訪れを望む声が非常に強くなっています。その声にともないオーランド王国北西部グロリア辺境伯領とホーンラビット伯爵領に対する批判が日に日に高まっているのが現状です。
これは王都社交界においても見られる流れですが、マルス侯爵家を中心とした中央貴族と呼ばれる者たちの中では、グロリア辺境伯家とホーンラビット伯爵家を魔王に与する人類の敵と公言してはばからない者もいる程です。
ですがこれは中央貴族の者たちの話であって、貴族社会全体がこの流れに同調しているのかといえばそうではない、ゾルバ国王陛下を支持する国王派とアルデンティア第四王子殿下を支持する穏健派は静かな沈黙を守っている。
王都教会の後ろ盾を得る事で自分たちがオーランド王国の主導権を握っているかのように振舞うクロッカス第三王子を旗頭とした中央貴族たち、ゾルバ国王陛下のお言葉に従い沈黙を守る国王派をはじめとした貴族たち。現在の王都はこの二つの勢力に真っ二つに割れているのです」
流れる沈黙、それは事態の深刻さを如実に表す。学園長はティーカップをローテーブルに戻すと、硬い表情で言葉を続ける。
「先に執り行われた卒業式では、幸いなことにこれといった騒ぎは起きませんでした。これは卒業生たちがエミリー・ホーンラビット嬢とジェイク・クロー君の事をよく理解している事が大きかった、一年戦争の動乱とその後の貴族家の再編を間近で見てきた彼らは<勇者>ジェイクと<聖女>エミリーの動向をよくよく観察し、その人となりを正確に捉えていましたから。
ホーンラビット伯爵家は誇らない出しゃばらない、だが侮れば確実に痛い目を見る。ホーンラビット伯爵家とは程よい距離を保ち交流すべし、これが彼らの結論でした。
一つ面白い資料があるんですよ、卒業生の家の所属する派閥の調査結果です。国王派と穏健派、この二つの派閥しかいないんです。
これは王都学園に在籍していた軍閥貴族家の生徒が全員退学したこともありますが、生徒を通じ情報が流れたことで、中央貴族派閥に所属する危険性が伝わったからと考えられています。黒騎士黒蜜と白騎士シルバリアンが<勇者>ジェイクと<剣天>ジミーであることは卒業生の間では公然の秘密ですから。
ホーンラビット伯爵家は誇らない出しゃばらない、騒がれる事を嫌う彼らの事を考え敢えて沈黙を守った卒業生たちは、立派な貴族として社交界でも生き残っていくことでしょう」
学園長はそこで一拍置くと、大きなため息を吐き言葉を続ける。
「問題は二年生と新入学生徒です。二年生は中心人物となるはずであったミルキー・バルデン侯爵令嬢がアルデンティア第四王子殿下の派閥に移る事で強い発言力を失った、かといってバルデン侯爵家に対抗しうる家の令嬢令息がいない以上、リーダー不在の状態が続いています。
そんな中、新入学生徒としてライトニー・マルス侯爵の甥にあたるオルト・ラーゲン伯爵令息が入学する事となりました。彼の父親であるナイザック・ラーゲン伯爵はマルス侯爵の実の弟でマルス侯爵の右腕と呼ばれる人物、オルト・ラーゲンが何の指示も受けていないはずはありません」
「つまり二年生の中央貴族寄りの生徒と新入学生徒が、オルト・ラーゲン伯爵令息を中心として騒ぎを起こすと」
ネイチャーマン講師の言葉に頷きで応える学園長、それは長く教育現場を見てきた教育者としての確信が籠もったもの。
「王都教会から発せられた魔王発生の知らせは、若者の心を強く揺さぶります。家の方針がどうであれ、熱狂に流され己の正義を叫ぶ者は少なからず出るでしょう。その声は次第に周囲の者に伝播し大きなうねりを作り出す、現に武術学園や魔法学園では魔王討伐軍への参加を表明する生徒が多数みられるとか、その流れは確実に王都学園にも影響を与えるでしょう。
そしてその声は非難と責任を求める要求として<勇者>ジェイクと<聖女>エミリーに向けられる」
学園長はそこで言葉を切ると、ジッとネイチャーマン講師の目を見つめる。それはネイチャーマン講師がどう動くのかを探る、生徒を守る教育者としての問い掛け。
「なるほど、王都の状況は概ねこちらの調査結果と同じという事でしょうか。ではここから先は生活魔法講師ビーン・ネイチャーマンとしてではない意見をお話する必要がありそうですね。<遮音幻惑結界>」
“ブワッ”
ネイチャーマン講師の言葉に周囲の空気が変わる。ネイチャーマン講師が小さく「<解除>」と呟くと、その容姿が壮年の男性から若々しい青年へと変化する。
「学園長にはまずは謝罪を、多大な心労をお掛けして申し訳ない、それとホーンラビット伯爵領の若者たちを気遣ってくれている事に感謝申し上げる。さて肝心の話だが、ホーンラビット伯爵家としてはこの騒動を若者たちの学びの機会と捉えている。
<勇者>ジェイク・クローと<聖女>エミリー・ホーンラビットお嬢様には、なるべく自分たちの判断で対処するよう言い聞かせている。
彼らは王都学園を卒業後、冒険者として世界を見て回るという目標を掲げている。その旅の中で今回のような事態に巻き込まれるだろう事は十分に考えられる、<勇者>と<聖女>という職業はそれほどまでに希少で重い。
民衆は彼らを何故歓迎するのか、その裏にどんな感情が潜んでいるのか。弱者の奴隷となるのか、それとも己の意思で道を切り開く真の冒険者となるのか。この一年は彼らに多くの悩みと疑問を与えてくれる事となるだろう。
我々ホーンラビット伯爵家はそんな彼らを見守っていきたいと考えている。彼ら自身では対処できないと判断した場合を除き、王都学園及び学園生徒に手出しはしないと誓おう」
ホーンラビット伯爵家旗下騎士ケビン・ワイルドウッド男爵は、ゆっくりとした落ち着いた口調で言葉を紡ぐ。学園長はその内容に懸念していたホーンラビット伯爵家による粛清が起こらないと、安堵の息を漏らす。
「ただし、学園生徒であろうと魔王討伐軍に参加しホーンラビット伯爵領に攻め入った場合はその対象外とする、これでいいだろうか?
先程からの話を聞くに、どうも学園生徒たちはこの度の戦いを勘違いしているように思うのだが、ちゃんとゾルバ国王陛下のお言葉を理解しているのだろうか?
ゾルバ国王陛下は公式の声明としてケビン・ワイルドウッド男爵をオーランド王国の貴族であるとし、ボルグ教国の挙兵をオーランド王国に対する内政干渉であると明示なさっておられる。つまりたとえ私が魔王であろうとなかろうと、今回の魔王討伐軍に参加する事は国家に対する反逆、どのような処罰を受けようとも文句は言えないというのに。
この戦いは勇者物語に語られているような英雄譚ではない、語られる事のない裏の顔、歴史の真実、そこに待っている物は残酷なまでの現実。
学園長にはその辺の法的な話を生徒たちに語って聞かせてもらいたい。英雄になる為に戦いに臨んで、帰ってきたら犯罪者、しかも連座制で家は断絶、家族は処刑済みといったことになりかねないのでな。
夢や希望を見せるのは結構、だが現実というものを教えるのも教育者の在り方ではないのですかな?」
だが続けるように淡々と語られた言葉は、生徒は疎か教職員ですら見ようとしなかった恐ろしいまでの罠、王都の浮かれた市民たちが自らの手で処刑の執行書に署名しようとしているという事実。
「それと、我々ホーンラビット伯爵家は売られた喧嘩は高額買い取りが基本だ。“辺境の蛮族”とは本当によく言ったものだと思う。“ホーンラビット伯爵の訪問”、“惨劇の夜会”、やられたらやりかえす、貴族は嘗められたら終わりだからな。
学園長が真に生徒を守りたいと願うのなら、感情ではなく王国法に則った現実を教える事をお勧めする。それでも王国法で裁かれるのかホーンラビット伯爵家の報復に遭うのかの違いしかないのだがな」
語られた言葉、それは確実に起こる未来、勝敗に関係なく魔王討伐軍に参加する事自体が罪である現実。待っている物は王国法に基づく処分かホーンラビット伯爵家の報復か、ゾルバ国王陛下の言葉はそれほどに重い。
「貴重なご助言、感謝いたします。それと一つ、本年度の生活魔法講座の授業ですが」
「えっ、この流れでその話ですか? あ、言葉遣いは崩させてもらいますね。
冷静に考えて、受講生徒はいないんじゃないんでしょうか? これから魔王討伐が行われようって時に生活魔法を勉強しようっていうのもね~。しかも教壇に立つのがボルグ教国から魔王認定されている人物ですよ、普通に駄目じゃないですか。
一応お約束なんで講座の受講生募集は受け付けますけど、勇者様ご一行が到着されたら休講としますのでご了承下さい。急ぎホーンラビット伯爵領に戻って歓迎の準備を行わないといけませんので。
それとエミリーお嬢様方の休学の手続きの方、よろしくお願いします。騒ぎが治まり次第復学することにいたしますので」
まるで世間話でもするかのように軽く話を始めるケビン・ワイルドウッド男爵の様子に困惑する学園長。
「あの、こんな事を聞くのは何ですが、怖くはないのですか? 教会の発表では魔王討伐軍は五万を超え、勇者パーティーにはボルグ教国の秘宝三種の神器が貸与されてるのですよ?」
学園長の言葉に腕組みをしたワイルドウッド男爵は、暫く悩んだ後口を開く。
「多分何とかなるかと。ホーンラビット伯爵家騎士団って本当におかしいんですよ、十数万のバルカン帝国東部方面軍の軍勢をたった五人で押し止めちゃうような連中ですから。魔王討伐軍が倍の十万に膨らんでも全然許容範囲なんですよね。
問題は勇者パーティーですけど、それもどこまで頑張ってくれるか。ちゃんとうちの蛮族どもを満足させてくれるのか、そこが一番の懸念なんですよ」
そう言い肩を竦めるワイルドウッド男爵の姿に呆気にとられる学園長。
“バルカン帝国の軍勢をものともしない、しかも勇者パーティーの訪れを心待ちにする。それって何処の魔王軍?”
学園長は“ボルグ教国の発表ってあながち間違ってないんじゃないだろうか?”と思いつつ、引き攣った笑顔を浮かべる事しか出来ないのであった。
いってらっしゃい。
by@aozora