“ブンッ、ブンッ、ブンッ”
「エイッ、エイッ、エイッ」
よく手入れの行き届いた庭園、短い木刀を持った少年が真剣な表情で素振りを繰り返す。
「グロリアス~、おやつですよ~。本当にグロリアスは頑張り屋さんね」
「お母様、お身体の方は宜しいのですか?」
少年は声を掛けてくれた母の下へ駆け寄ると、体調を気遣い声を掛ける。
「フフフフフ、心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ、お医者さんも少しくらいなら外に出ても大丈夫って仰っていたのよ?
それよりもグロリアスが頑張っている姿を見ている事の方がお母さんにとっては薬になるわ」
「はい、僕は将来みんなのことを守る勇者様になるんです。だから今から頑張って力を付けないと、悪い魔王をやっつけて勇者物語に語られるような立派な勇者になって見せます!!」
そう言い胸を張る少年、母はそんな少年をそっと抱き寄せると「それじゃお母さんもグロリアスに守ってもらおうかしら? 頼りにしているわよ、私の小さな勇者様」と言って、優しく頭を撫でるのであった。
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草原に張られた天幕、テーブルを囲み食事をとる勇者パーティーの面々。聖女セレーナ・ピケルは勇者グロリアスに瞳を向けると、小さく艶めいた唇を開き静かに声を掛ける。
「グロリアス、どうかなさいましたか? 今朝は何処か気もそぞろと言いますか、何か心ここにあらずといった感じに見受けられますけど」
「ふむ、さしものグロリアスも魔王討伐を目前にして不安に襲われたということかな? 普段完璧超人のグロリアスのそんな姿を見ることが出来るとは、何とも貴重な瞬間ではないか」
心配げに声を向ける聖女セレーナの言葉に、大賢者バニア・ルーベルが軽口を添えて場を和ませようとする。
「あぁ、すまない。これから魔王討伐に向かうというのに皆に気を使わせてしまって」
勇者グロリアス・ブリッジは軽く微笑みを浮かべると、皆に目を向け小さく頭を下げる。
「いや、謝罪をするような事ではない。だがグロリアスがそのように考え込む姿は珍しいと思ってな。何か心配事でもあるのか?」
「確かに、グロリアスは私たちのことを心配しよく言葉を向けてくれるが、グロリアスが一人で思い悩むところなど初めて見たかもしれない。何かあるようなら言ってくれ、力になれるとは断言できないが、聞く事ぐらいは出来る。これはグロリアスが私にくれた言葉だ」
そんな勇者グロリアスの姿に、力強く言葉を向ける剣聖コーネリア・マーベルと弓聖オルガノ。仲間たちの視線が勇者グロリアスに向けられ、彼は観念したかのようにボツリボツリと言葉を紡ぐ。
「皆はこれまでの街や村の様子を見てどう思った? ボルグ教国からという意味じゃなくオーランド王国に入ってから、正確には王都バルセンからここグロリア辺境伯領ゴルド村に掛けてまでという意味でだ」
それは疑問と戸惑い、これから戦いに赴こうという指揮官が持っていていいような迷いではない事は勇者グロリアスにも分かっていた。だが勇者として誰よりも正しく生きようとする彼にとって、この思いは決して見逃す事の出来ない違和感であった。
「そうですね、確かにおかしいように感じました。ボルグ教国聖教会では“狡猾の魔王”は国を裏から支配し巧みに人々を操り聖域を占拠していると聞いていました。ホーンラビット伯爵領は元々ただの辺境の寒村であったものが、“狡猾の魔王”の工作により僅か十年余りで現在のような自治領になったと。これも全ては“狡猾の魔王”が聖地を表向き正当に簒奪する為の戦略であったと。
私たちは魔王により支配された地域の者たちが大きな苦しみを与えられ、救いを求めているものだとばかり思っていました」
「確かにな、これまでの歴史に残された魔王の文献を調べたのだが、多くの場合民を苦しめ血を流していたという記録が残っている。特に女神様の神託により魔王と認定された存在は多大な被害を齎し国や地域を滅ぼしていたことが分かっている。
だが今回の魔王はそうではない、これはまるで神託もなく“魔王とされた者たち”の隠された記録のようではあるな」
大賢者バニアの言葉に聖女セレーナが慌てて制止を促す。それはボルグ教国聖教会に対する冒涜であり、今回の魔王討伐を根底から否定しかねない言葉であったからである。
「でも勇者グロリアスはスロバニア王国で“狡猾の魔王”に対し憤りを口にしていなかったか? スロバニア王国やオーランド王国に働きかけ食料や金銭の支援を行わせないようにしている、戦いは既に始まっていると」
剣聖コーネリアの言葉に勇者グロリアスは頷きで応える。それは“狡猾の魔王”がこれまでの敵とは明らかに違うということの紛れもない証左。
「確かに“狡猾の魔王”ケビン・ワイルドウッド男爵は恐ろしい敵だと思う。食料や金銭的な支援を断って来たこともそうだが、王都バルセンからこの場所に至るまで全く問題らしい問題が起きていない事自体がすでにおかしいんだ。
思い出してほしい、サルベール女王国からオーランド王国王都バルセンに至るまでの軍行のことを。義勇兵の数が増えていくに従い次々と問題が起こり、スロバニア王国では街への侵入を拒絶されるようになってしまっていた。スロバニア王国王都ハーベストからは第三王子や高位貴族子弟の方々が義勇兵に加わったことを受け、街へ入る事を完全に禁止したお陰で住民との諍いは起こさなくなったが、その代わりにキャンプ地での騒動が頻発するようになった。
行軍の難しさは戦地が遠くなればなるほど増していくとサルーン騎士団長も言っていた。その事は討伐依頼で他国へも赴く私たちでも実感として知っている事だ。それが有志であるとはいえ寄せ集めの義勇兵の数が増えれば相対的に難しさが増すことは目の前で見て来たこと、それが一切なくなった。
まるで私たちに無事目的地に辿り着いて欲しいと何者かが導いているかのように。食料の問題も、街道沿いの領主との交渉で労せず手に入れることが出来た、魔王に支配されているはずのグロリア辺境伯領ですらその状況は変わらなかった」
「それはつまり抵抗勢力が陰ながら我々を手助けしているということじゃないのか? 表向き魔王に配慮して金銭的な授受とはなっているが、明らかに協力的であっただろう?」
「そうかもしれない。それじゃ義勇兵が大人しいのはどう説明したらいいんだ? オーランド王国から加わったクロッカス第三王子殿下たちの功績とでも? 彼らにそのような力があるようにはとてもじゃないが思えない、私の目には彼らもまた操られ大人しくさせられているようにしか見えなかった。
これが“狡猾の魔王”の仕業だとするのなら奴は何がしたいんだ? スロバニア王国では邪魔をし、オーランド王国では逆に手を貸しているようにしか思えないような事をこちらに分からないように仕掛けている。奴の真意が全く分からない。
だがもっと分からないのはオーランド王国の人々の表情だ。彼らは全くといっていいほど苦しめられた者の表情をしていない。以前討伐を行ったレイスにより支配されていた者たちや魅了のスキルにより思考操作されていた者たちとも違う、物珍しい行列に向けるような好奇心に満ちた表情、私たちの肖像画が売られ手を振って応援する人々。王都バルセンならまだ分かる、だがグロリア辺境伯領の各街、エルセルの街に至っては声援と共に憐みのような表情を向ける者たちすら存在した、これはいったいどういうことなんだ?」
一度口に出してしまえば止める事など出来ない、他の者には決して語る事の出来ない心の乱れを仲間の前で吐露する勇者グロリアス。そんな彼に弓聖オルガノが尚も言葉を向ける。
「勇者の今の混乱こそが“狡猾の魔王”の策略なのではないのか? 表面上の部分、我々が目にする街道沿いの都市や村に偽装を施し自身の行いを隠しているとは考えられないか? グロリアスの疑問が正しいとするのなら、“狡猾の魔王”は人々を苦しめるどころか人々を救っていることになる」
「・・・私もそう思った、だからサルーン騎士団長に相談し、別動隊を組んで出来る範囲での調査を行って貰った。“狡猾の魔王”は確かに騒動の中心にいた、オーランド王国で起きた一連の争乱には何らかの形でかかわり、その終息に寄与していたと思われるというのが調査の結果だった。だが驚くべきはそこじゃない、“狡猾の魔王”によりオーランド王国の食糧問題は大きく改善し、グロリア辺境伯領を中心にオーランド王国西側の貴族領から冬場の餓死者を一掃したばかりでなく、経済を活性化し人口を増やしたという結果が上がっているんだ。
オーランド王国国王ゾルバ・グラン・オーランド陛下は何度もボルグ教国に“ケビン・ワイルドウッド男爵はオーランド王国の貴族であり魔王討伐軍の派遣は内政干渉である”との声明を出している。ここで注目して欲しいのは決して“魔王ではない”とは言っていないという点だ。
では魔王とは何なんだ? 魔王とは人類の敵ではないのか? 私たちは一体何と戦うというんだ?」
そう言い口を噤む勇者グロリアスに、大賢者バニアが言葉を向ける。
「つまり“狡猾の魔王”は女神様の神託による人類の脅威である魔王ではなく、誰かにとって都合の悪い存在である“魔王とされた者”ではないのかと言いたいのだな? これまでの歴史でもそうした魔王は何体も確認されている、“狡猾の魔王”がそうではないとは言い切れんな」
「バニア、口が過ぎますよ? それに“狡猾の魔王”に関しては正式に神託が降りています」
大賢者バニアの言葉に慌てて聖女セレーナが訂正を加える。バニアの物言いはボルグ教国の権威を失墜させるものであり、五万のボルグ教国兵士を敵に回すものであったからである。
「あぁ、“北の大地、厄災の種誕生せり”であろう? 確か二年前であったか。昨年オーランド王国で複数体のドラゴン襲来が起きた際は遂に厄災が動き出したのかと騒ぎになったと聞いているよ。
結局はバルカン帝国の工作によるもので、バルカン帝国はドラゴンの怒りを買い物理的に国が南北に分断されたとか、全くあの超常の生き物に手を出すとは愚か以外の何物でもないがな。
だがそれを除けばオーランド王国は平和そのもの、ドラゴン騒ぎや第二王子による造反騒ぎの後始末に追われるゾルバ国王陛下からすれば、余計な騒ぎを起こすなとしか言いようがないだろう。例えケビン・ワイルドウッド男爵が“魔王”であったとしても、国の発展と国民の救済の為であれば受け入れざるを得なかった。
“魔王”としては面倒な国の運営は王家に任せてホーンラビット伯爵領という小さな領域で悠々自適に暮らせればそれでよかった。過去“魔王”とされた者の多くがそうであったようにな」
「バニア、教えてくれ。それはどういう事だ?」
大賢者バニアの言葉に、自身の中の葛藤が明確な形を持ち始める。自分の中の正義が大きく揺らぎ始めるグロリアス。
「大きな力を持つ者は多大な影響力を持つ。たとえ本人が良かれと思っていても必ずしも良い方向に進むとは限らないということはグロリアスも知っているだろう? 魅了のスキルを使い理想の世の中を構築しようとした馬鹿がそうであったみたいにな。
世界は変化を恐れる、権力はその権力基盤をより強固にするために力を求める。
今回の戦いはその実魔王討伐は口実に過ぎない。ボルグ教国聖教会が欲しているのは自国の求心力をより強固なものとする象徴、“祝福されし礼拝堂”。ゾルバ国王陛下も“狡猾の魔王”すらもその事には気が付いているのだろう、だから言葉を使い周辺国に抗議している姿勢を示したのだろうし、我々がこの地に問題なく辿り着くよう手を加えた。
“狡猾の魔王”は自分が手を貸したオーランド王国国民をなるべく傷付けまいと配慮し、ゾルバ国王はその思いに信頼で応えたのだろうよ。
この戦い、多くの者は数による圧勝で終わると信じて疑ってはいない、だがここまで用意周到な者たちがただ漫然と死を受け入れると思うか?
彼らは負けるだろう、我々の戦力は理想論や根性論でどうにかなるものじゃない、八万七千という圧倒的な兵力は理屈抜きで強大な力となる。
更に言えば聖剣バルボア・聖杖グランディア・聖弓アテナの破壊力は伝説として語り継がれる程の凄まじさを有している。本来こんな戦力を相手に戦おうなど狂気の沙汰でしかない、だが彼らは戦いの道を選んだ、それが彼らの誇り高い生き様だからだ。
グロリアス、お前は勇者だ、これからは魔王を倒した勇者として長く語り継がれるだろう。今お前が異を唱えたところでこの戦いはもう止まらない、ボルグ教国が魔王認定をした時点で彼らの運命は決定しているんだよ。
グロリアスに出来る事は彼らの誇りを穢さぬよう全力を尽くすこと。生きる事とは何か、誇りとは何か、彼らの真実の姿をお前だけは生涯忘れるな、それが勇者というものなんだからな。
なに、お前の罪は私も一緒に背負ってやるさ、なんせ私は勇者パーティー一の魔法使い、大賢者バニア・ルーベルなのだから」
そう言いニヒルな笑みを浮かべる大賢者バニア。
「バニアさん、ズルくないですか? 私も一緒ですよグロリアス」
続いて聖女セレーナがグロリアスの拳に手を添え優しく微笑みを向ける。
「策士だな」
「策士ですね」
剣聖コーネリアと弓聖オルガノが聖女セレーナに呆れた視線を向けながらも、口元に笑みを浮かべる。
勇者は人々の希望である、正義を貫き人々を導く者である。だがそんな理想が簡単に叶えられるほど世の中は単純ではないし甘くもない。
自身の背負ったものは重い、そして人は汚い。勇者グロリアスはズシリと胸の奥に重圧を感じながらも、自身を信じてくれる仲間の為、戦いに臨む戦士たちの為に、迷いを振り切り戦場へ向かう覚悟を決めるのであった。
いってらっしゃい。
by@aozora